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間章
第3話 ルーレット その①
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獏兎高校第一部室校舎。
五階建ての校舎は、文字通り部室のためだけに建てられている。
その最上階の中央。全ての部室の中でも最高額を出さねば借り受ける事の出来ないそこは、それに相応しく高額の賭け金が動く賭場でもあった。
部屋の中央に置かれたテーブルと円盤。運命の輪を転がる玉の行方に熱狂するルーレットとて例外ではない。
ここで行われるルーレットでは、賭けの倍率が最大で144倍になる九点賭け、本命となる数字とその周辺に賭けるやり方では、一つの賭ける場所につき十万までしか認められていないが、それ以外では100万まで認められている。
単一数字に賭け当たった場合のルーレットの配当倍率は35倍。つまり元金を合わせれば、最大で3600万の金が動くのだ。
時と場所を選べば簡単に人死にが出る。ここでギャンブルに踊る者は、それほどの熱にあぶられるだろう。
事実、この部屋の主たちに挑む人物は、じわりと汗をかいている。
はらわたが捩じ切れるほどの緊張を味わいながら、勝負の熱にあえいでいた。
それを煽るように、部屋の主の一人が声を掛ける。
「そろそろ賭けの締切りです。砂の残りは少ないですよ」
20秒ほどの時を数える小さな砂時計。ルーレットテーブルに置かれたそれを前にして、ゆったりと椅子に座るのは東雲冬弥。
どこか稚気に溢れた青年である。三年生ではあったが、やや小柄で幼さを残す顔付きもあって、悪戯好きなやんちゃ坊主のような印象を受ける人物だ。
事実、プレイヤーに掛けた声の響きには、賭けに興じるギャンブラーの熱気ではなく、遊びに夢中になっている子供のような弾むように甘い響きがある。
けれど、それを受けるプレイヤーには、とてもではないが心を躍らせるような余裕などなかった。
(焦らせるな。それともそれも戦術のつもりか。舐めてるなら思い知らせてやる)
心の中で悪態を吐く。それが自身の不安の裏返しだとは、プレイヤーである山口悠馬は自覚できていない。
だが、それでいて責任感だけは、べったりと心に張り付かせている。
(勝つ。勝たないと。でないとウチの部は負けっぱなしだ)
悠馬は、やや厳つい顔付きを更に強張らせ、いま自分がここに居る理由に心を引きづられる。
一言で言えば仇討ち。それが悠馬がここで勝負している理由だ。
悠馬が属しているクラブは、中堅どころのギャンブラー科の生徒達が中心となって活動しているクラブである。必然、ギャンブラーとしての強さが必要とされるクラブでもあった。
だからこそ、敗北し続ける事はクラブとしての求心力の低下を意味する。最初に勝負を挑んだのは部の二年生だったが、彼女が負けた後に他の部員も次から次に勝負を挑んでしまい、気が付けば部員のほぼ全てが負けるという状況に追い込まれていた。
この時点でクラブの威信は下がりまくり、今ではギャンブラー科以外のディーラー科やプロデューサー科の部員が他のクラブへの移籍を考えている気配すら流れている。
それを防ぐために部長である三年生、悠馬は勝負に来ているのだ。
(まだだ。まだ早い)
減っていく砂時計と回る円盤、そして転がり続ける玉。悠馬は全てに目まぐるしく視線を動かしながら、賭けるべき場所をギリギリまで悩み続けていた。
カジノの女王とも呼ばれるルーレットは、リスクとコストを賭け手が積極的にコントロールできるギャンブルである。
コストに関しては、賭ける際の最低額と最高額が決まっているが、その範囲であれば賭け手の自由に選べる。ポーカーなどと違い、自分以外の誰かに賭け金を上げられる事が無いのだ。
そしてリスクに関しては、当たった際の配当率によって大きく変わってくる。高配当を狙えば当然リスクは高くなり、逆に低配当を狙えばリスクは低くなる。
それらの全てを見極め飲み込み賭けるのが、ルーレットというギャンブルの醍醐味であった。
決して、ただ漫然と賭けるようなギャンブルではない。
そのことを知っている悠馬は、悩んで悩んで悩み続け、賭けが締め切られるギリギリ寸前にチップを置いた。
「……枚数は、それで良いですか?」
どこかつまらなそうに、胴元たる冬弥が確認するように尋ねる。その視線の先、賭けられたチップの枚数は1枚。今まで12回繰り返された賭けの中で出され続けた枚数と同じだった。
これに悠馬は憮然とした声で返す。
「別に、最低ベットは守ってるんだ。文句を言われる筋合いはないが」
「そうだけどさぁ――」
肩をすくめるような間を空けて、胴元としてではなく同級生としての口調で冬弥は言った。
「――賭けてるの2倍配当じゃん。もっと冒険しても良くない?」
「うっせぇ。まだ流れが来てないんだよ、それまでは我慢の時だっての」
冬弥に合わせ、同級生として悠馬は返す。それに冬弥は苦笑すると、
「そだねぇ。今の所こっちの9勝3敗で勝ってるし、流れは完全にこっちにあるもんねぇ」
遊ぶような響きを声に滲ませ返し、砂が落ち切った砂時計を左手で掴み左向きに倒すと、砂時計の左端を掴んだままやや手前に押し出した。
一連の動作が終わると同時に、清んだ声が響く。
「賭けは締切りましたです。結果をお待ちください」
耳に心地好い声の主は、江田梓乃。この部室の主の一人であると同時に、ディーラー科に所属する三年生だ。
将来カジノディーラーとして働くことを目指している彼女は、勝負の際はそれに相応しい服装に着替えている。
全体的に清潔感を第一とし、上は白無地のワイシャツに下は黒無地のスーツパンツ。そしてコルセットを連想させるような黒のベストを身に着けている。
そのせいで、大きめの胸がより強調されていた。
もちろんわざとである。頭の悪い思春期の男子だと、これだけで視線や注意が胸に行き、結果勝率が落ちるのだ。
(今回は意味ないけど)
勝負の初めから一度たりとも自分の胸に視線を向けなかった悠馬に、梓乃は気付かれないように視線を向けながら思う。
(もっとも、それ以外の所には熱い視線を向けてくれてたけども。さすがにギャンブラー科中心のクラブの部長をしてるだけあって、楽しませてくれるなぁ)
表情には一切出さず、冷たい美貌を浮かべたまま、梓乃は心の中だけで楽しげに笑う。
悠馬は、そう思われているとは全く気付いていない。いや、正確に言えば、気付ける余裕など今の彼には無かった。
(現状、3勝9敗……一度に1枚までしか賭けてないお蔭で、負けはチップ6枚までですんでるが、単価が高いせいで地味に痛いな)
苦い物を感じながら、悠馬は心の中で呟く。ここで行われるルーレットでは、最低ベットがチップ1枚ではあるが、その単価は1枚につき1万円と、かなり高い。
その負けに加えて、部員が今まで負け続けた総額200万ほどが、最低限取り返さなくてはならない金額だ。
残りの手元にあるチップは93枚。いま賭けている1枚で勝ったとしても、勝ちで得る2枚と元の1枚を合わせた96枚を4倍以上にしなければ面目が立ち行かない。
しかも時間制限もある。今回の勝負は、お昼休みを利用した物だ。この時間帯に仕掛けるのがベストだと判断し勝負を申し込んだのだが、残り時間は既に30分を切っていた。
いま使用されているルーレットの円盤は大きめな事もあり、1回の勝負につき2分近くを必要としている。
つまり、残りの勝負は出来て15回。その間に、300万近くを勝ち取る必要がある。
出来るかどうかで言えば、可能だ。
ルーレットは、その当たり易さで配当率が変わる。
個別の数字を狙うインサイドベットで賭けていけば、高配当を狙う事が出来るのだ。
(それで当たれば苦労しないがな)
幾つもの思考を続けながら、悠馬は心の中で皮肉げに呟く。
(負けが込んできたから一発逆転で高配当を狙うってのは、地獄逝き直行コースだからな。仮に今回は勝てたとしても、それがクセになったら最悪だ。勝つための手間暇惜しんでるようじゃ、先が無いってな。ま、そんなこと言って、負けを取り返すためにギャンブルに来てる時点で、どうしようもないけどな)
わざと自分で自分をあざ笑う。それは自嘲だろうとなんだろうと、笑いを浮かべ自分に余裕を作るためだ。その余裕を支えにしながら勝負に挑むのが悠馬の流儀だ。
これまでと同じく皮肉げな自嘲を浮かべ、先々の戦略を練るために、ルーレットテーブルに描かれた賭けのチップを置く場所に視線を向ける。
そこに描かれているのは、ルーレットの玉が落ちる先の数字だ。
いま行われているルーレットでは、00の存在するアメリカンスタイルではなく存在しないヨーロピアンスタイルのため、0から36までの数字が次のように描かれている。
369121518212427303336
0258111417202326293235
147101316192225283134
これらの数字に賭けていくのがインサイドベットである。個別の数字に賭けるストレートアップや、隣り合う数字に賭けていくスプリットなど幾つもの賭け方が存在する。
だが、まず当たらない。個別の数字に賭ける配当倍率35倍のストレートアップでおおよそ2.7%、数字6個分を一括りとして賭ける配当倍率5倍のもっとも当たり易いラインですら、おおよそ16.2%の勝率しかないのだ。
純粋に勝つ事だけを目的とするならば、それでは低すぎる。はっきり言って勝負にならない。
だからこそ、悠馬が狙う場所はそちらではない。彼が狙うのはアウトサイドベット。それはインサイドベットで賭ける数字の外側に配置されている場所に賭けるやり方だ。
それは高くてほぼ2分の1、低くてもほぼ3分の1での勝率が見込める賭け方である。
いま悠馬が賭けているのはコラム。先に示した数字のレイアウトの中で横の集まり、1から34、あるいは2から35や3から36といった、12個の数字を一塊として賭けるやり方だ。
そこへ賭けた悠馬は思考を走らせる。
(今回賭けたのは、1から34のコラムだが、今まで繰り返した12回の勝負の中で、1回しか来てない。最も多かったのが2から35のコラムの8回で、残りの3から36のコラムで3回……たかだか12回程度だと、有り得ない偏りじゃないが……どう出る?)
今まで続けられた12回の勝負。その全ての数字を覚え、幾つもの賭け方の中でそれがどの程度の偏りを見せているのか? それを静かに検証し続ける。
この時点で、いま賭けている数字に対する興味は捨てている。当たった所でチップ1枚の儲けにしかならず、負けても1枚の損失でしかない。
それよりも大事なのは、この先にいつか仕掛ける本命の勝負。そこへと至る為の思考と思索を得るための初期投資。
いま続けている勝負はそれだ。いつか叩き付ける渾身の一撃のために、力を溜めているような物である。とはいえ、
(それでも、勝てるなら勝てた方が儲けもん、とか思っちまうのは、ちぃとセコイかね?)
心の余裕を得るために、悠馬は興味は捨てても勝負の結果に楽しみを見出す。悠馬とは、そういう男である。
だからこそ、先の勝負に向けた思考を続けながらも、今の賭けの行方に楽しげな視線を向ける。
向けられる視線は悠馬だけでなく、ディーラーである梓乃も、胴元である冬弥も。
全ての視線が注がれる中で玉は転がり続け、やがて円盤へと落ちる。
勢いを失いながらも、幾つもの数字を巡っていき、最後に辿り着いたのは――
「23、黒の奇数です」
「残念、外れだね」
梓乃と冬弥の言葉通り、悠馬の負けを告げる数字《ばしょ》だった。それを耳にしながら、悠馬は表情に浮かびそうになった感情を抑える。
すなわち、笑みを。
(勝てる。このまま勝負を続ければ、勝てる――いや、勝つ)
それは確信などなく、けれど勝算を感じ取ったが故の決意。その決意を抱きながら、更に勝算を上げるために悠馬は冬弥と梓乃に問い掛ける。
「これで俺の6連敗……なぁ、聞きたいんだが、いいか?」
「ん? なになに?」
無邪気とすら言っても良い声で訊き返す冬弥に、悠馬は言った。
「あの噂は本当なのか? 好きな数字に入れられるってのは」
五階建ての校舎は、文字通り部室のためだけに建てられている。
その最上階の中央。全ての部室の中でも最高額を出さねば借り受ける事の出来ないそこは、それに相応しく高額の賭け金が動く賭場でもあった。
部屋の中央に置かれたテーブルと円盤。運命の輪を転がる玉の行方に熱狂するルーレットとて例外ではない。
ここで行われるルーレットでは、賭けの倍率が最大で144倍になる九点賭け、本命となる数字とその周辺に賭けるやり方では、一つの賭ける場所につき十万までしか認められていないが、それ以外では100万まで認められている。
単一数字に賭け当たった場合のルーレットの配当倍率は35倍。つまり元金を合わせれば、最大で3600万の金が動くのだ。
時と場所を選べば簡単に人死にが出る。ここでギャンブルに踊る者は、それほどの熱にあぶられるだろう。
事実、この部屋の主たちに挑む人物は、じわりと汗をかいている。
はらわたが捩じ切れるほどの緊張を味わいながら、勝負の熱にあえいでいた。
それを煽るように、部屋の主の一人が声を掛ける。
「そろそろ賭けの締切りです。砂の残りは少ないですよ」
20秒ほどの時を数える小さな砂時計。ルーレットテーブルに置かれたそれを前にして、ゆったりと椅子に座るのは東雲冬弥。
どこか稚気に溢れた青年である。三年生ではあったが、やや小柄で幼さを残す顔付きもあって、悪戯好きなやんちゃ坊主のような印象を受ける人物だ。
事実、プレイヤーに掛けた声の響きには、賭けに興じるギャンブラーの熱気ではなく、遊びに夢中になっている子供のような弾むように甘い響きがある。
けれど、それを受けるプレイヤーには、とてもではないが心を躍らせるような余裕などなかった。
(焦らせるな。それともそれも戦術のつもりか。舐めてるなら思い知らせてやる)
心の中で悪態を吐く。それが自身の不安の裏返しだとは、プレイヤーである山口悠馬は自覚できていない。
だが、それでいて責任感だけは、べったりと心に張り付かせている。
(勝つ。勝たないと。でないとウチの部は負けっぱなしだ)
悠馬は、やや厳つい顔付きを更に強張らせ、いま自分がここに居る理由に心を引きづられる。
一言で言えば仇討ち。それが悠馬がここで勝負している理由だ。
悠馬が属しているクラブは、中堅どころのギャンブラー科の生徒達が中心となって活動しているクラブである。必然、ギャンブラーとしての強さが必要とされるクラブでもあった。
だからこそ、敗北し続ける事はクラブとしての求心力の低下を意味する。最初に勝負を挑んだのは部の二年生だったが、彼女が負けた後に他の部員も次から次に勝負を挑んでしまい、気が付けば部員のほぼ全てが負けるという状況に追い込まれていた。
この時点でクラブの威信は下がりまくり、今ではギャンブラー科以外のディーラー科やプロデューサー科の部員が他のクラブへの移籍を考えている気配すら流れている。
それを防ぐために部長である三年生、悠馬は勝負に来ているのだ。
(まだだ。まだ早い)
減っていく砂時計と回る円盤、そして転がり続ける玉。悠馬は全てに目まぐるしく視線を動かしながら、賭けるべき場所をギリギリまで悩み続けていた。
カジノの女王とも呼ばれるルーレットは、リスクとコストを賭け手が積極的にコントロールできるギャンブルである。
コストに関しては、賭ける際の最低額と最高額が決まっているが、その範囲であれば賭け手の自由に選べる。ポーカーなどと違い、自分以外の誰かに賭け金を上げられる事が無いのだ。
そしてリスクに関しては、当たった際の配当率によって大きく変わってくる。高配当を狙えば当然リスクは高くなり、逆に低配当を狙えばリスクは低くなる。
それらの全てを見極め飲み込み賭けるのが、ルーレットというギャンブルの醍醐味であった。
決して、ただ漫然と賭けるようなギャンブルではない。
そのことを知っている悠馬は、悩んで悩んで悩み続け、賭けが締め切られるギリギリ寸前にチップを置いた。
「……枚数は、それで良いですか?」
どこかつまらなそうに、胴元たる冬弥が確認するように尋ねる。その視線の先、賭けられたチップの枚数は1枚。今まで12回繰り返された賭けの中で出され続けた枚数と同じだった。
これに悠馬は憮然とした声で返す。
「別に、最低ベットは守ってるんだ。文句を言われる筋合いはないが」
「そうだけどさぁ――」
肩をすくめるような間を空けて、胴元としてではなく同級生としての口調で冬弥は言った。
「――賭けてるの2倍配当じゃん。もっと冒険しても良くない?」
「うっせぇ。まだ流れが来てないんだよ、それまでは我慢の時だっての」
冬弥に合わせ、同級生として悠馬は返す。それに冬弥は苦笑すると、
「そだねぇ。今の所こっちの9勝3敗で勝ってるし、流れは完全にこっちにあるもんねぇ」
遊ぶような響きを声に滲ませ返し、砂が落ち切った砂時計を左手で掴み左向きに倒すと、砂時計の左端を掴んだままやや手前に押し出した。
一連の動作が終わると同時に、清んだ声が響く。
「賭けは締切りましたです。結果をお待ちください」
耳に心地好い声の主は、江田梓乃。この部室の主の一人であると同時に、ディーラー科に所属する三年生だ。
将来カジノディーラーとして働くことを目指している彼女は、勝負の際はそれに相応しい服装に着替えている。
全体的に清潔感を第一とし、上は白無地のワイシャツに下は黒無地のスーツパンツ。そしてコルセットを連想させるような黒のベストを身に着けている。
そのせいで、大きめの胸がより強調されていた。
もちろんわざとである。頭の悪い思春期の男子だと、これだけで視線や注意が胸に行き、結果勝率が落ちるのだ。
(今回は意味ないけど)
勝負の初めから一度たりとも自分の胸に視線を向けなかった悠馬に、梓乃は気付かれないように視線を向けながら思う。
(もっとも、それ以外の所には熱い視線を向けてくれてたけども。さすがにギャンブラー科中心のクラブの部長をしてるだけあって、楽しませてくれるなぁ)
表情には一切出さず、冷たい美貌を浮かべたまま、梓乃は心の中だけで楽しげに笑う。
悠馬は、そう思われているとは全く気付いていない。いや、正確に言えば、気付ける余裕など今の彼には無かった。
(現状、3勝9敗……一度に1枚までしか賭けてないお蔭で、負けはチップ6枚までですんでるが、単価が高いせいで地味に痛いな)
苦い物を感じながら、悠馬は心の中で呟く。ここで行われるルーレットでは、最低ベットがチップ1枚ではあるが、その単価は1枚につき1万円と、かなり高い。
その負けに加えて、部員が今まで負け続けた総額200万ほどが、最低限取り返さなくてはならない金額だ。
残りの手元にあるチップは93枚。いま賭けている1枚で勝ったとしても、勝ちで得る2枚と元の1枚を合わせた96枚を4倍以上にしなければ面目が立ち行かない。
しかも時間制限もある。今回の勝負は、お昼休みを利用した物だ。この時間帯に仕掛けるのがベストだと判断し勝負を申し込んだのだが、残り時間は既に30分を切っていた。
いま使用されているルーレットの円盤は大きめな事もあり、1回の勝負につき2分近くを必要としている。
つまり、残りの勝負は出来て15回。その間に、300万近くを勝ち取る必要がある。
出来るかどうかで言えば、可能だ。
ルーレットは、その当たり易さで配当率が変わる。
個別の数字を狙うインサイドベットで賭けていけば、高配当を狙う事が出来るのだ。
(それで当たれば苦労しないがな)
幾つもの思考を続けながら、悠馬は心の中で皮肉げに呟く。
(負けが込んできたから一発逆転で高配当を狙うってのは、地獄逝き直行コースだからな。仮に今回は勝てたとしても、それがクセになったら最悪だ。勝つための手間暇惜しんでるようじゃ、先が無いってな。ま、そんなこと言って、負けを取り返すためにギャンブルに来てる時点で、どうしようもないけどな)
わざと自分で自分をあざ笑う。それは自嘲だろうとなんだろうと、笑いを浮かべ自分に余裕を作るためだ。その余裕を支えにしながら勝負に挑むのが悠馬の流儀だ。
これまでと同じく皮肉げな自嘲を浮かべ、先々の戦略を練るために、ルーレットテーブルに描かれた賭けのチップを置く場所に視線を向ける。
そこに描かれているのは、ルーレットの玉が落ちる先の数字だ。
いま行われているルーレットでは、00の存在するアメリカンスタイルではなく存在しないヨーロピアンスタイルのため、0から36までの数字が次のように描かれている。
369121518212427303336
0258111417202326293235
147101316192225283134
これらの数字に賭けていくのがインサイドベットである。個別の数字に賭けるストレートアップや、隣り合う数字に賭けていくスプリットなど幾つもの賭け方が存在する。
だが、まず当たらない。個別の数字に賭ける配当倍率35倍のストレートアップでおおよそ2.7%、数字6個分を一括りとして賭ける配当倍率5倍のもっとも当たり易いラインですら、おおよそ16.2%の勝率しかないのだ。
純粋に勝つ事だけを目的とするならば、それでは低すぎる。はっきり言って勝負にならない。
だからこそ、悠馬が狙う場所はそちらではない。彼が狙うのはアウトサイドベット。それはインサイドベットで賭ける数字の外側に配置されている場所に賭けるやり方だ。
それは高くてほぼ2分の1、低くてもほぼ3分の1での勝率が見込める賭け方である。
いま悠馬が賭けているのはコラム。先に示した数字のレイアウトの中で横の集まり、1から34、あるいは2から35や3から36といった、12個の数字を一塊として賭けるやり方だ。
そこへ賭けた悠馬は思考を走らせる。
(今回賭けたのは、1から34のコラムだが、今まで繰り返した12回の勝負の中で、1回しか来てない。最も多かったのが2から35のコラムの8回で、残りの3から36のコラムで3回……たかだか12回程度だと、有り得ない偏りじゃないが……どう出る?)
今まで続けられた12回の勝負。その全ての数字を覚え、幾つもの賭け方の中でそれがどの程度の偏りを見せているのか? それを静かに検証し続ける。
この時点で、いま賭けている数字に対する興味は捨てている。当たった所でチップ1枚の儲けにしかならず、負けても1枚の損失でしかない。
それよりも大事なのは、この先にいつか仕掛ける本命の勝負。そこへと至る為の思考と思索を得るための初期投資。
いま続けている勝負はそれだ。いつか叩き付ける渾身の一撃のために、力を溜めているような物である。とはいえ、
(それでも、勝てるなら勝てた方が儲けもん、とか思っちまうのは、ちぃとセコイかね?)
心の余裕を得るために、悠馬は興味は捨てても勝負の結果に楽しみを見出す。悠馬とは、そういう男である。
だからこそ、先の勝負に向けた思考を続けながらも、今の賭けの行方に楽しげな視線を向ける。
向けられる視線は悠馬だけでなく、ディーラーである梓乃も、胴元である冬弥も。
全ての視線が注がれる中で玉は転がり続け、やがて円盤へと落ちる。
勢いを失いながらも、幾つもの数字を巡っていき、最後に辿り着いたのは――
「23、黒の奇数です」
「残念、外れだね」
梓乃と冬弥の言葉通り、悠馬の負けを告げる数字《ばしょ》だった。それを耳にしながら、悠馬は表情に浮かびそうになった感情を抑える。
すなわち、笑みを。
(勝てる。このまま勝負を続ければ、勝てる――いや、勝つ)
それは確信などなく、けれど勝算を感じ取ったが故の決意。その決意を抱きながら、更に勝算を上げるために悠馬は冬弥と梓乃に問い掛ける。
「これで俺の6連敗……なぁ、聞きたいんだが、いいか?」
「ん? なになに?」
無邪気とすら言っても良い声で訊き返す冬弥に、悠馬は言った。
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