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デッドトリガー 死街への引き金 本章 三
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「なにしてんの、お前ら」
青ざめた顔で床に横たわる男達に弥彦は言った。
弥彦が、男達が凌辱した女を殺すように命じてから一日が過ぎている。
だが、未だ外に出た男達は帰って来ていない。その事にイラつきながら寝床の上で時間を潰していた弥彦だったが、待ちきれず残った取り巻きの男達に出ていった男達の捜索をさせようとしていた。
だというのに、男達は体調を崩したのか今にも死にそうな体で床に力なく横たわっている。
「役立たず」
冷めた声で呟く。それと同時に男達を静かに観察した。
(風邪、にしては咳もないし。食中毒の類、かな? でもボクも同じ物食べてたし、それなら同じ症状が出てる筈なんだけど)
「ま、いっか。俊夫さんは何ともないみたいだし。
お前ら、吐いたりするなら他所に行ってからしてね。ここでされたら臭いし汚いもん。
ボクは俊夫さんの所に行ってるから、何かあったら呼びに来いよ。
あと、誰か死んだら外に捨てに行ってきてね。今はこの辺りには居ないみたいだけど、その内ゾンビが綺麗にしてくれるだろうし」
軽い口調でそう言うと、苦しげに呻き声を上げる取り巻きの男達に振り替える事も無く、俊夫の居る下の階へと軽やかな足取りで進む。
(アイツらが役に立たないって知ったら、構ってくれるかな? 俊夫さん。そうだとしたら嬉しいな)
期待感に顔を綻ばせながら弥彦は俊夫の元へと向かう。止まっているエスカレーターを降り、割れたショーウインドの並べられた区画を過ぎると、かつてショッピングモール入り口付近にあった食料品コーナーで立っている俊夫を見つける。
「どうしたの? 俊夫さん」
険しい顔でトランシーバーを使い、誰かと話している俊夫に弥彦は尋ねる。それに俊夫は弥彦に視線を向け、
「――はい、分かりました。では救援をお願いします」
トランシーバーの相手と手早く話を終わらせると状況を伝えた。
「こちらにゾンビの群れが来ているようです、それも百単位で。今からここを出ても間に合わない可能性の方が強いですから、屋上に籠城します。五劉会からの救援は、途中でゾンビを掃討しながら進むので一日は掛かります。ゾンビが来るまで猶予はあるでしょうが、他の方達と協力して屋上に避難しておいて下さい」
「俊夫さんは、どうするの?」
自分の身の安全やゾンビの動向ではなく、俊夫がどうするのかを弥彦は何よりも最初に問い掛けた。
その表情は酷く楽しげである。目は潤み、何かを期待するように薄っすらと肌は色付き高揚し始めている。
「一緒に逃げれば良いのに。ゾンビって、頭も悪いし動きもトロ臭くて力もそんなに強くないんでしょ? ボクと一緒に屋上に逃げてドア締めちゃえば安全なのに。
ねぇ、どうするの?」
「ゾンビを殺します」
答えは間を開けず返って来た。それに疼くような震えを味わいながら、弥彦は更に問い掛けた。
「ゾンビはもう死んでるじゃない。なのに、殺す、なの?」
「死んでません。死に損なっているんです、あれらは」
まっすぐに体を向け俊夫は応え続ける。
「生きる事も出来ず、死に切る事も出来ず、あれらは死に損なったまま徘徊し続けているだけです。
だから殺すんです。終わる事の出来ないあれらを、終わらせるために」
「そうなんだ。五劉会から聞いた通りなんだね、俊夫さんは。
ゾンビになった家族を殺す為にここに居るんだよね、俊夫さんって。その為だけに、壁の外からここに戻ってきた」
「その為だけではありません。他に生きていける場所が無いですから、私のような日嗣出身の人間は」
淡々と、事実を俊夫は返していく。
ゾンビが発生した日嗣、その出身者は、今のこの国では居場所が無い。ゾンビウイルスに感染していなければゾンビにならない事をどれほど口にした所で、無駄だ。
人との関わり、就職、住居の確保、そのどれもがままならない。
恐れと好奇、そして何よりもこの国の『穢れ』に対する忌避が、日嗣の人間とそれに関わった者の全てを排除する。
「ここだけですから、私が居ても良い場所は。そこで出来る事をする、ただそれだけです」
「そうなんだ。だったらボクはここで、見物させて貰うね」
「駄目です」
眉をひそめ、俊夫は即座に返す。
「貴方を守る事が私の仕事です。ここに居てはそれが守れない」
「だったら一緒に屋上に逃げれば良いじゃない。そうしないでゾンビを殺すって、俊夫さんの我儘でしょ?
それならボクだって我儘になるよ」
弥彦の言葉に俊夫は即座に返すことが出来ない。弥彦の言葉通り、屋上に逃げ扉を閉めた上で籠城すれば何一つ問題が無いのだ。それをせずにゾンビと戦うのは、俊夫の個人的な理由でしかない。
けれどここで引くことは出来ない。何故なら俊夫にとってゾンビを殺すことは、この場所に居る理由のほぼ全てと言っても良かったからだ。
だからこそ、どうすれば弥彦に言うことを聞かせることが出来るか俊夫は悩む。
そんな俊夫に弥彦は淫猥に微笑むと、すっと目を細め提案した。
「なら、ゾンビを好きなだけ殺した後で、ボクの相手してくれる? それなら、我慢するよ」
迷いは僅かだった。ゾンビを殺す、それ以外の全てが今の俊夫にとっては拘るほどの意味を見いだせない。だからこそ淡々と返す。
「終わった後なら、好きにして下さい」
その言葉に、弥彦は俊夫にすっと近づく。そして俊夫の胸に手を当てすり寄るようにして身体を合わせ、ねだるように言った。
「ホントに? なら、約束の印が欲しいな。
ねぇ、キスをしてよ。してくれたら、ここでは我慢するから」
一度決めた以上、俊夫は迷いを見せなかった。
身長差を埋めるように、俊夫は弥彦の腰を片手で抱き持ち上げる。そして無造作に顎に手を当て上向かせると、重ねるのではなく押し当てるように唇を合わせた。
数秒、短さで文句を言われないよう続けた後、俊夫は唇を離し抱き寄せ持ち上げていた弥彦を下に降ろす。
「これで良いでしょう。後は終わってから、そちらの好きなように」
その言葉が終わるよりも早く、弥彦は俊夫の首に腕を回す。そして爪先立ちで身長差を埋めると、唇を重ねた。
重ねるなり舌を潜り込ませる。無反応な俊夫をむさぼるように絡みつき蠢くと、水音をさせ唇を離した。
「良いよ、今はこれだけで我慢してあげる」
自身の唇に残る余韻を舐め取るように、味わうようにして舌を這わすと、弥彦は静かにその場を後にし取り巻き達の居る二階へと戻っていく。
それを確認してから、俊夫はゾンビを殺す為の準備を始めた。
もっとも、準備と言えば僅か二つ。武器となる鈍器の用意と、目を守るゴーグルを着けるだけである。
ゾンビウィルスは接触感染ではあるが、その感染力は高いとは言えない。ある程度の時間、粘膜部分にウィルスの含まれた体液が触れ続けるといった、ある意味濃厚な接触が必要だった。
だがそうであるとはいえ、今の俊夫の装備は薄すぎる。本来ゾンビへの対応は、全身を防護服で包み、その上で距離を取って動きを封じる為に投げ網を使うのが主流である。
多くは暴徒鎮圧用に開発された銃器を流用して放たれるそれは、動きが鈍いゾンビには絶大な効果を発揮する。
けれど、それを俊夫は選ばない。
俊夫のゾンビに対するスタンスはあくまでも『殺人』であって『捕獲』ではない。確実に殺しきる為に、そして自分が殺しているのだと自覚する為に、俊夫はその武器を選んでいた。
一メートル以上の柄を持つ戦鎚である。重量は十キロ近い。とてもではないが、軽々しく振り回せるような代物ではなかった。
それを使いこなす為、俊夫は代償を支払っている。
五劉会から提供された幾つもの薬物。それを服用しながらの筋肉トレーニング。
それにより、すでに俊夫の肉体性能は常人の物とは異なっていた。感情の幾つかを犠牲にして。
薬の服用を二年以上続けている今では、恐怖心という物がほぼ無くなっている。それと共に感情の起伏も平坦になり、過去の記憶すら最近では途切れ始めていた。
けれど、それでも。ゾンビになった、死に損なった者達を殺し切るという想いだけは決して消え去ることなく残っている。
――ゾンビに囲まれた家族を見捨て自分だけが逃げ出した
どれだけ自分自身が摩耗しようと楔のように食い込むその事実が、安穏とした忘却を許してはくれなかった。
だからこそ、俊夫はゾンビを殺す為にここに居る。いつか出逢うかもしれない家族、それを見つけ出す為にも。
「――来たか」
静かに俊夫は呟く。視線の先には、ショッピングモール入口から侵入してくる何体ものゾンビ達。
それを、どこか優しげに眼を細め見詰めながら、俊夫は近付いていく。
「殺すよ、全部。きっといつか、皆に逢えるから」
夢見るように呟きながら、俊夫は更に前に進む。
それを二階から弥彦は見詰めていた。
約束を破る気は弥彦には無い。だがその前にどうしても、俊夫の『殺人』を見ておきたかったのだ。
「頑張ってね、俊夫さん」
囁くような声が終わるより早く、その『殺人』は始まった。
最初に殺されたのは、女のゾンビだった。
他のゾンビ達に先んじて侵入してきた途端、俊夫は戦鎚を引き摺るようにして一気に間合いを詰める。
呼吸にして二呼吸。最高速を維持できるギリギリの距離を見極め間合いを調整していた俊夫は、あと一歩大きく踏み込めば触れ合える距離まで加速したまま到達、その勢いの全てを乗せ、独楽のように回転する。
直線加速から回転運動により誘導された力の全ては回転の先端、戦鎚の鎚頭へと集約され、容赦なくゾンビの顔面へと叩き込まれた。
鈍く、それでいて破裂するような音を響かせ、ゾンビの頭部は粉砕される。
勢いよく頭部の残骸が吹き飛ぶ。顎から上を失ったゾンビは、痙攣するように体を震わせると硬直し、力なくその場に崩れ落ちた。
それを一瞥する事すらなく、俊夫は新たに侵入して来るゾンビ達に視線を向ける。
「……残念。居ないや」
どこか子供のように、それと共に歪な幼さを感じさせる声で呟くと、俊夫は目を細め口の端を横に伸ばす。
薄い、亀裂のような笑みを浮かべ、俊夫は殺人を加速させた。
留まることなく走り回る。それが俊夫のゾンビに対する基本戦術である。
ゾンビは動きが遅く、その力も決して強いとは言えない。
だが、頭部を破壊されない限り動き続ける異常な耐久力は、決して安易に考えられるものではない。
そして恐怖を感じないゾンビは、たとえ目の前で仲間が殺された所で、怯える事無く淡々と周囲を詰めてくる。
ゾンビを一体倒す間に周囲を囲まれれば、そこで終わりなのだ。
故に必要なのは、ゾンビの頭部を粉砕できる破壊力と、周囲を囲まれないよう見極め動き続ける機動力である。
その両方を備え、俊夫は走り回る。
薬物により強化された体は、虫の羽音を思わせるほどの速さで鼓動を刻む。
異常な速度で血管を掛け巡る血液の音は、轟々と耳の奥から途切れる事無く響き続けた。
命を削るようにして、俊夫は駆け巡り戦鎚を振るい続ける。
恐怖は無い。薬物による副作用は、今この時なによりも必要な麻酔として機能していた。
ゾンビ達の頭の残骸が撒き散らされる。薬物と共に俊夫に提供された戦槌は、どれほどゾンビ達に衝撃を叩き付けようと傷一つなく、変わらずゾンビ達を屠り続ける。
それを用意した、五劉会と関わり合いのあるという研究組織は、ゾンビの死体から得た材料と技術により作り上げた代物だと言っていた。
俊夫が常用している薬物と同じく。
俊夫は自覚している。自分は実験動物なのだと。
だが、それがどうしたというのか? どうでも良い、そんなことは。
必要なのはゾンビを殺し尽くせる力、それだけだ。その為に必要な道具と場所、それを用意してくれるというのなら、幾らでも自分を売り払う。
肉体だろうと、魂だろうと。
覚悟を胸に、始まりの想いを引き摺りながら俊夫はゾンビを殺し続ける。
男も女も、子供も老人も誰一人区別なく、頭を吹き飛ばし殺していく。
周囲に撒き散らされるのは人だった物の残骸。殺す毎に笑みを鋭く、そして深く刻んでいきながら、俊夫は殺人を続けていた。
それを弥彦は二階から見続けている。
「好いね、やっぱり」
熱の籠った声で、ゾンビを殺し続ける俊夫を見ながら弥彦は呟く。
その瞳は潤み、肌は薄らと紅を差していた。
「何度も何度も傷付けられて、泣きながら暴れる子供みたいだよ。
そそるなぁ。かわいい。
あとで、一杯楽しもうね、俊夫さん。イジめて、慰めてあげる」
囁くように、ゾンビを殺し続ける俊夫を見詰めながら告げると、弥彦は取り巻き達の居る寝床へと向かって行った。
屋上で籠城する準備を取り巻き達にさせる為である。
そこでの俊夫との睦み事を思いながら軽い足取りで、弥彦は帰り着く。
その先に在った物は、取り巻き達の死体だった。
「……あれ? どういうこと?」
息をする僅かな挙動も見られず、微動だにせず床に横たわる取り巻き達には、明らかに命の火が消えていた。
生き物の温かさと柔らかさの無い、物としての冷たさと硬さを否応なしに感じさせる。
それを見詰め、取り巻き達が死んだことを確信しながら、弥彦は呟いた。
「どんだけ役立たずだよ」
その言葉一つで弥彦は取り巻き達の死体に興味を失ったのか、屋上に籠城する為に荷物をまとめていく。
食糧に防寒着、ウェットティシュに通信機器。そして最後にゾンビ用の武器。
それらを手早くまとめる弥彦の背後で、死体達がゆっくりと、動き始めた。
生きた気配をさせず、糸に操られる人形のような動きで、じわりじわりと起き上がっていく。
顔を上げ、忙しく動き回る弥彦を見詰める瞳には生きた輝きが無い。
だというのに、瞳の奥には何がしらの意志めいた物を感じさせる。
それはどこか、何かを求める渇望じみた飢えを感じさせた。
それに突き動かされるようにして死体達は弥彦へと歩を進め、その途端、耳を撃つ破裂音が響く。
ポツ、と。先頭の死体の額に豆粒のような穴が開き、継いで後頭部が破裂し背後に破片がばら撒かれる。
「お前ら、なにゾンビになってんの?」
呆れたような声で、大口径拳銃を使ったばかりの弥彦は呟いた。
デザートイーグルをモデルにして作られたその拳銃は、人が使いこなせるギリギリの反動を生み出す火薬量と、弾頭がすり鉢のように窪んでいるホローポイント弾を使用する事により、軟かな人体を粉砕破壊する事を目的として作られている。
それは効果を発揮したがゾンビを一撃で殺しきるには足らず、最初よりも緩慢な動きではあったが、銃弾を食らったゾンビは変わらず弥彦に向かって行く。
それに、弥彦は迷わず止めを刺した。
続けて心臓に二発と頭部に三発。命中と同時に変形した弾頭は人体を次々に粉砕し、破壊の跡を周囲に撒き散らした。
けれど、それでようやく一体。頭部が原形を留めないほど破壊されてようやく、動きが止まる。
まだ十体近いゾンビが弥彦に襲い掛かろうと、囲むようにして動き続ける。
その中にあって、弥彦は苛立たしそうに呟いた。
「日嗣で死んだら、皆ゾンビに成るってこと? んな訳ないよね。感染して死んでから、ゾンビになる筈だもん」
ゾンビに囲まれる危機的状態よりも、状況の把握と疑問に対する答えを得られない事に弥彦は声を上げ続ける。
「食べ物とか飲み水から感染した? それも無いよね。ボク達が口にした物は全部外から持って来た物だし。それになんで、ボクと俊夫さんはゾンビに成ってない?
ここに来て、こいつらとボクで違う点って言ったら――」
そこまで呟くと、弥彦は酷く顔をしかめる。
べったりと嫌悪感を貼り付けると、自分に近付いてくるゾンビの一体に、自分から走り寄る。
それと同時にありったけの銃弾をぶち込んだ。
胸と腹、そして頭部に向かって引金を引き続ける。途切れる事のない銃声は空気を撃ち突けるように震わせ、ゾンビの体を吹き飛ばしながら削っていく。
それでもなお動き自分に近付こうとするゾンビを蹴倒すと、止めに二発頭部に銃弾を食らわせる。
弥彦を包囲しようとしたゾンビの一角が崩れる。そこを駆け抜け弾切れのカートリッジを排出、新しいカートリッジを装填すると、残りのゾンビ達に銃口を突き付け宣言した。
「お前ら、ここで殺しておいてやるよ。その後で、あのクソ女も居たら殺してやる。
少しは感謝しろよ、お前ら。仇を討ってやるって言ってんだからさ」
全てを告げるより早く、弥彦は引金を引く。そして少しずつ少しずつゾンビ達の体を吹き飛ばしながら殺していった。
殺す速度は、遅くはないが速くもない。弾丸に余裕がある以上確実に弥彦はその場に居るゾンビ達の全てを殺し尽くせるだろうが、どうしても時間は掛かる。
そうして弥彦がその場に時間を取られている間に、俊夫の元にソレはやって来た。
青ざめた顔で床に横たわる男達に弥彦は言った。
弥彦が、男達が凌辱した女を殺すように命じてから一日が過ぎている。
だが、未だ外に出た男達は帰って来ていない。その事にイラつきながら寝床の上で時間を潰していた弥彦だったが、待ちきれず残った取り巻きの男達に出ていった男達の捜索をさせようとしていた。
だというのに、男達は体調を崩したのか今にも死にそうな体で床に力なく横たわっている。
「役立たず」
冷めた声で呟く。それと同時に男達を静かに観察した。
(風邪、にしては咳もないし。食中毒の類、かな? でもボクも同じ物食べてたし、それなら同じ症状が出てる筈なんだけど)
「ま、いっか。俊夫さんは何ともないみたいだし。
お前ら、吐いたりするなら他所に行ってからしてね。ここでされたら臭いし汚いもん。
ボクは俊夫さんの所に行ってるから、何かあったら呼びに来いよ。
あと、誰か死んだら外に捨てに行ってきてね。今はこの辺りには居ないみたいだけど、その内ゾンビが綺麗にしてくれるだろうし」
軽い口調でそう言うと、苦しげに呻き声を上げる取り巻きの男達に振り替える事も無く、俊夫の居る下の階へと軽やかな足取りで進む。
(アイツらが役に立たないって知ったら、構ってくれるかな? 俊夫さん。そうだとしたら嬉しいな)
期待感に顔を綻ばせながら弥彦は俊夫の元へと向かう。止まっているエスカレーターを降り、割れたショーウインドの並べられた区画を過ぎると、かつてショッピングモール入り口付近にあった食料品コーナーで立っている俊夫を見つける。
「どうしたの? 俊夫さん」
険しい顔でトランシーバーを使い、誰かと話している俊夫に弥彦は尋ねる。それに俊夫は弥彦に視線を向け、
「――はい、分かりました。では救援をお願いします」
トランシーバーの相手と手早く話を終わらせると状況を伝えた。
「こちらにゾンビの群れが来ているようです、それも百単位で。今からここを出ても間に合わない可能性の方が強いですから、屋上に籠城します。五劉会からの救援は、途中でゾンビを掃討しながら進むので一日は掛かります。ゾンビが来るまで猶予はあるでしょうが、他の方達と協力して屋上に避難しておいて下さい」
「俊夫さんは、どうするの?」
自分の身の安全やゾンビの動向ではなく、俊夫がどうするのかを弥彦は何よりも最初に問い掛けた。
その表情は酷く楽しげである。目は潤み、何かを期待するように薄っすらと肌は色付き高揚し始めている。
「一緒に逃げれば良いのに。ゾンビって、頭も悪いし動きもトロ臭くて力もそんなに強くないんでしょ? ボクと一緒に屋上に逃げてドア締めちゃえば安全なのに。
ねぇ、どうするの?」
「ゾンビを殺します」
答えは間を開けず返って来た。それに疼くような震えを味わいながら、弥彦は更に問い掛けた。
「ゾンビはもう死んでるじゃない。なのに、殺す、なの?」
「死んでません。死に損なっているんです、あれらは」
まっすぐに体を向け俊夫は応え続ける。
「生きる事も出来ず、死に切る事も出来ず、あれらは死に損なったまま徘徊し続けているだけです。
だから殺すんです。終わる事の出来ないあれらを、終わらせるために」
「そうなんだ。五劉会から聞いた通りなんだね、俊夫さんは。
ゾンビになった家族を殺す為にここに居るんだよね、俊夫さんって。その為だけに、壁の外からここに戻ってきた」
「その為だけではありません。他に生きていける場所が無いですから、私のような日嗣出身の人間は」
淡々と、事実を俊夫は返していく。
ゾンビが発生した日嗣、その出身者は、今のこの国では居場所が無い。ゾンビウイルスに感染していなければゾンビにならない事をどれほど口にした所で、無駄だ。
人との関わり、就職、住居の確保、そのどれもがままならない。
恐れと好奇、そして何よりもこの国の『穢れ』に対する忌避が、日嗣の人間とそれに関わった者の全てを排除する。
「ここだけですから、私が居ても良い場所は。そこで出来る事をする、ただそれだけです」
「そうなんだ。だったらボクはここで、見物させて貰うね」
「駄目です」
眉をひそめ、俊夫は即座に返す。
「貴方を守る事が私の仕事です。ここに居てはそれが守れない」
「だったら一緒に屋上に逃げれば良いじゃない。そうしないでゾンビを殺すって、俊夫さんの我儘でしょ?
それならボクだって我儘になるよ」
弥彦の言葉に俊夫は即座に返すことが出来ない。弥彦の言葉通り、屋上に逃げ扉を閉めた上で籠城すれば何一つ問題が無いのだ。それをせずにゾンビと戦うのは、俊夫の個人的な理由でしかない。
けれどここで引くことは出来ない。何故なら俊夫にとってゾンビを殺すことは、この場所に居る理由のほぼ全てと言っても良かったからだ。
だからこそ、どうすれば弥彦に言うことを聞かせることが出来るか俊夫は悩む。
そんな俊夫に弥彦は淫猥に微笑むと、すっと目を細め提案した。
「なら、ゾンビを好きなだけ殺した後で、ボクの相手してくれる? それなら、我慢するよ」
迷いは僅かだった。ゾンビを殺す、それ以外の全てが今の俊夫にとっては拘るほどの意味を見いだせない。だからこそ淡々と返す。
「終わった後なら、好きにして下さい」
その言葉に、弥彦は俊夫にすっと近づく。そして俊夫の胸に手を当てすり寄るようにして身体を合わせ、ねだるように言った。
「ホントに? なら、約束の印が欲しいな。
ねぇ、キスをしてよ。してくれたら、ここでは我慢するから」
一度決めた以上、俊夫は迷いを見せなかった。
身長差を埋めるように、俊夫は弥彦の腰を片手で抱き持ち上げる。そして無造作に顎に手を当て上向かせると、重ねるのではなく押し当てるように唇を合わせた。
数秒、短さで文句を言われないよう続けた後、俊夫は唇を離し抱き寄せ持ち上げていた弥彦を下に降ろす。
「これで良いでしょう。後は終わってから、そちらの好きなように」
その言葉が終わるよりも早く、弥彦は俊夫の首に腕を回す。そして爪先立ちで身長差を埋めると、唇を重ねた。
重ねるなり舌を潜り込ませる。無反応な俊夫をむさぼるように絡みつき蠢くと、水音をさせ唇を離した。
「良いよ、今はこれだけで我慢してあげる」
自身の唇に残る余韻を舐め取るように、味わうようにして舌を這わすと、弥彦は静かにその場を後にし取り巻き達の居る二階へと戻っていく。
それを確認してから、俊夫はゾンビを殺す為の準備を始めた。
もっとも、準備と言えば僅か二つ。武器となる鈍器の用意と、目を守るゴーグルを着けるだけである。
ゾンビウィルスは接触感染ではあるが、その感染力は高いとは言えない。ある程度の時間、粘膜部分にウィルスの含まれた体液が触れ続けるといった、ある意味濃厚な接触が必要だった。
だがそうであるとはいえ、今の俊夫の装備は薄すぎる。本来ゾンビへの対応は、全身を防護服で包み、その上で距離を取って動きを封じる為に投げ網を使うのが主流である。
多くは暴徒鎮圧用に開発された銃器を流用して放たれるそれは、動きが鈍いゾンビには絶大な効果を発揮する。
けれど、それを俊夫は選ばない。
俊夫のゾンビに対するスタンスはあくまでも『殺人』であって『捕獲』ではない。確実に殺しきる為に、そして自分が殺しているのだと自覚する為に、俊夫はその武器を選んでいた。
一メートル以上の柄を持つ戦鎚である。重量は十キロ近い。とてもではないが、軽々しく振り回せるような代物ではなかった。
それを使いこなす為、俊夫は代償を支払っている。
五劉会から提供された幾つもの薬物。それを服用しながらの筋肉トレーニング。
それにより、すでに俊夫の肉体性能は常人の物とは異なっていた。感情の幾つかを犠牲にして。
薬の服用を二年以上続けている今では、恐怖心という物がほぼ無くなっている。それと共に感情の起伏も平坦になり、過去の記憶すら最近では途切れ始めていた。
けれど、それでも。ゾンビになった、死に損なった者達を殺し切るという想いだけは決して消え去ることなく残っている。
――ゾンビに囲まれた家族を見捨て自分だけが逃げ出した
どれだけ自分自身が摩耗しようと楔のように食い込むその事実が、安穏とした忘却を許してはくれなかった。
だからこそ、俊夫はゾンビを殺す為にここに居る。いつか出逢うかもしれない家族、それを見つけ出す為にも。
「――来たか」
静かに俊夫は呟く。視線の先には、ショッピングモール入口から侵入してくる何体ものゾンビ達。
それを、どこか優しげに眼を細め見詰めながら、俊夫は近付いていく。
「殺すよ、全部。きっといつか、皆に逢えるから」
夢見るように呟きながら、俊夫は更に前に進む。
それを二階から弥彦は見詰めていた。
約束を破る気は弥彦には無い。だがその前にどうしても、俊夫の『殺人』を見ておきたかったのだ。
「頑張ってね、俊夫さん」
囁くような声が終わるより早く、その『殺人』は始まった。
最初に殺されたのは、女のゾンビだった。
他のゾンビ達に先んじて侵入してきた途端、俊夫は戦鎚を引き摺るようにして一気に間合いを詰める。
呼吸にして二呼吸。最高速を維持できるギリギリの距離を見極め間合いを調整していた俊夫は、あと一歩大きく踏み込めば触れ合える距離まで加速したまま到達、その勢いの全てを乗せ、独楽のように回転する。
直線加速から回転運動により誘導された力の全ては回転の先端、戦鎚の鎚頭へと集約され、容赦なくゾンビの顔面へと叩き込まれた。
鈍く、それでいて破裂するような音を響かせ、ゾンビの頭部は粉砕される。
勢いよく頭部の残骸が吹き飛ぶ。顎から上を失ったゾンビは、痙攣するように体を震わせると硬直し、力なくその場に崩れ落ちた。
それを一瞥する事すらなく、俊夫は新たに侵入して来るゾンビ達に視線を向ける。
「……残念。居ないや」
どこか子供のように、それと共に歪な幼さを感じさせる声で呟くと、俊夫は目を細め口の端を横に伸ばす。
薄い、亀裂のような笑みを浮かべ、俊夫は殺人を加速させた。
留まることなく走り回る。それが俊夫のゾンビに対する基本戦術である。
ゾンビは動きが遅く、その力も決して強いとは言えない。
だが、頭部を破壊されない限り動き続ける異常な耐久力は、決して安易に考えられるものではない。
そして恐怖を感じないゾンビは、たとえ目の前で仲間が殺された所で、怯える事無く淡々と周囲を詰めてくる。
ゾンビを一体倒す間に周囲を囲まれれば、そこで終わりなのだ。
故に必要なのは、ゾンビの頭部を粉砕できる破壊力と、周囲を囲まれないよう見極め動き続ける機動力である。
その両方を備え、俊夫は走り回る。
薬物により強化された体は、虫の羽音を思わせるほどの速さで鼓動を刻む。
異常な速度で血管を掛け巡る血液の音は、轟々と耳の奥から途切れる事無く響き続けた。
命を削るようにして、俊夫は駆け巡り戦鎚を振るい続ける。
恐怖は無い。薬物による副作用は、今この時なによりも必要な麻酔として機能していた。
ゾンビ達の頭の残骸が撒き散らされる。薬物と共に俊夫に提供された戦槌は、どれほどゾンビ達に衝撃を叩き付けようと傷一つなく、変わらずゾンビ達を屠り続ける。
それを用意した、五劉会と関わり合いのあるという研究組織は、ゾンビの死体から得た材料と技術により作り上げた代物だと言っていた。
俊夫が常用している薬物と同じく。
俊夫は自覚している。自分は実験動物なのだと。
だが、それがどうしたというのか? どうでも良い、そんなことは。
必要なのはゾンビを殺し尽くせる力、それだけだ。その為に必要な道具と場所、それを用意してくれるというのなら、幾らでも自分を売り払う。
肉体だろうと、魂だろうと。
覚悟を胸に、始まりの想いを引き摺りながら俊夫はゾンビを殺し続ける。
男も女も、子供も老人も誰一人区別なく、頭を吹き飛ばし殺していく。
周囲に撒き散らされるのは人だった物の残骸。殺す毎に笑みを鋭く、そして深く刻んでいきながら、俊夫は殺人を続けていた。
それを弥彦は二階から見続けている。
「好いね、やっぱり」
熱の籠った声で、ゾンビを殺し続ける俊夫を見ながら弥彦は呟く。
その瞳は潤み、肌は薄らと紅を差していた。
「何度も何度も傷付けられて、泣きながら暴れる子供みたいだよ。
そそるなぁ。かわいい。
あとで、一杯楽しもうね、俊夫さん。イジめて、慰めてあげる」
囁くように、ゾンビを殺し続ける俊夫を見詰めながら告げると、弥彦は取り巻き達の居る寝床へと向かって行った。
屋上で籠城する準備を取り巻き達にさせる為である。
そこでの俊夫との睦み事を思いながら軽い足取りで、弥彦は帰り着く。
その先に在った物は、取り巻き達の死体だった。
「……あれ? どういうこと?」
息をする僅かな挙動も見られず、微動だにせず床に横たわる取り巻き達には、明らかに命の火が消えていた。
生き物の温かさと柔らかさの無い、物としての冷たさと硬さを否応なしに感じさせる。
それを見詰め、取り巻き達が死んだことを確信しながら、弥彦は呟いた。
「どんだけ役立たずだよ」
その言葉一つで弥彦は取り巻き達の死体に興味を失ったのか、屋上に籠城する為に荷物をまとめていく。
食糧に防寒着、ウェットティシュに通信機器。そして最後にゾンビ用の武器。
それらを手早くまとめる弥彦の背後で、死体達がゆっくりと、動き始めた。
生きた気配をさせず、糸に操られる人形のような動きで、じわりじわりと起き上がっていく。
顔を上げ、忙しく動き回る弥彦を見詰める瞳には生きた輝きが無い。
だというのに、瞳の奥には何がしらの意志めいた物を感じさせる。
それはどこか、何かを求める渇望じみた飢えを感じさせた。
それに突き動かされるようにして死体達は弥彦へと歩を進め、その途端、耳を撃つ破裂音が響く。
ポツ、と。先頭の死体の額に豆粒のような穴が開き、継いで後頭部が破裂し背後に破片がばら撒かれる。
「お前ら、なにゾンビになってんの?」
呆れたような声で、大口径拳銃を使ったばかりの弥彦は呟いた。
デザートイーグルをモデルにして作られたその拳銃は、人が使いこなせるギリギリの反動を生み出す火薬量と、弾頭がすり鉢のように窪んでいるホローポイント弾を使用する事により、軟かな人体を粉砕破壊する事を目的として作られている。
それは効果を発揮したがゾンビを一撃で殺しきるには足らず、最初よりも緩慢な動きではあったが、銃弾を食らったゾンビは変わらず弥彦に向かって行く。
それに、弥彦は迷わず止めを刺した。
続けて心臓に二発と頭部に三発。命中と同時に変形した弾頭は人体を次々に粉砕し、破壊の跡を周囲に撒き散らした。
けれど、それでようやく一体。頭部が原形を留めないほど破壊されてようやく、動きが止まる。
まだ十体近いゾンビが弥彦に襲い掛かろうと、囲むようにして動き続ける。
その中にあって、弥彦は苛立たしそうに呟いた。
「日嗣で死んだら、皆ゾンビに成るってこと? んな訳ないよね。感染して死んでから、ゾンビになる筈だもん」
ゾンビに囲まれる危機的状態よりも、状況の把握と疑問に対する答えを得られない事に弥彦は声を上げ続ける。
「食べ物とか飲み水から感染した? それも無いよね。ボク達が口にした物は全部外から持って来た物だし。それになんで、ボクと俊夫さんはゾンビに成ってない?
ここに来て、こいつらとボクで違う点って言ったら――」
そこまで呟くと、弥彦は酷く顔をしかめる。
べったりと嫌悪感を貼り付けると、自分に近付いてくるゾンビの一体に、自分から走り寄る。
それと同時にありったけの銃弾をぶち込んだ。
胸と腹、そして頭部に向かって引金を引き続ける。途切れる事のない銃声は空気を撃ち突けるように震わせ、ゾンビの体を吹き飛ばしながら削っていく。
それでもなお動き自分に近付こうとするゾンビを蹴倒すと、止めに二発頭部に銃弾を食らわせる。
弥彦を包囲しようとしたゾンビの一角が崩れる。そこを駆け抜け弾切れのカートリッジを排出、新しいカートリッジを装填すると、残りのゾンビ達に銃口を突き付け宣言した。
「お前ら、ここで殺しておいてやるよ。その後で、あのクソ女も居たら殺してやる。
少しは感謝しろよ、お前ら。仇を討ってやるって言ってんだからさ」
全てを告げるより早く、弥彦は引金を引く。そして少しずつ少しずつゾンビ達の体を吹き飛ばしながら殺していった。
殺す速度は、遅くはないが速くもない。弾丸に余裕がある以上確実に弥彦はその場に居るゾンビ達の全てを殺し尽くせるだろうが、どうしても時間は掛かる。
そうして弥彦がその場に時間を取られている間に、俊夫の元にソレはやって来た。
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