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エピローグ 副社長氏の本音

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 反田晃は自分がひねくれ者である自覚がある。
「麻衣子、おい。起きろ。寝ぐせひどいぞ」
 妻を毎朝起こすのは彼の役目だが、たいがい余計な一言がついてくる。
「こういう髪質なんだってば」
 ぶつくさ言いながら麻衣子は起き上がって髪をなでつけるのだが、本当はその髪を自分が直してやりたいと思っている。
「顔洗って下りてこい。コウキを起こしてくる」
 ちょっと癖毛で手に甘えるような髪を触ると朝にあるまじき気分になるのは内緒で、晃は早々に部屋から出ていった。
 妻に比べるとだいぶ寝起きのいい息子を起こして、一階で朝食を作り始める。
 その間に麻衣子も下りてきて、食卓の準備をしていた。
 三人そろってから朝ごはんを取る。ここのところ晃は夜が遅いことが多いので、三人そろうのは朝だけだ。
「お母さんのおむれつ、おいしい」
 はしゃいだ声を上げる息子に、麻衣子はちらっと晃を振り向く。
 毎朝、朝ごはんを作っているのは晃だ。そして実は麻衣子より晃の方が断然料理が上手い。
「そっか。じゃあまたオムレツにしようね」
 でもコウキは三歳にして父親に対抗心を持っていて、晃が作ったとわかると絶対に料理をほめない。
 それだとコウキの好みがわからん。しばらくはお前が作ったことにしておけ。そういう取り決めが夫婦でされたことは、まだ息子の知らないところだった。
 朝ごはんが終わって支度を整えると、幼稚園のバスにコウキを乗せる。
「あなた、ちょっと」
 慌ただしい時間だが、晃にとってささやかな幸せがある。
「だめでしょ。副社長氏がこんな格好でどうするの」
 麻衣子に呼び止められて、ネクタイを直される。
 副社長氏をめっと子どものように叱ることができるのは麻衣子だけだ。
 首に麻衣子の呼吸が当たって、ちょっと乱暴にタイを締められる瞬間。実はそれがお気に入りの時間でわざと適当にタイを締めているなんて知られたら、妻に中学生みたいと呆れられるに違いない。
 麻衣子が直してくれなかった襟などは自分で直して、晃は出社する。麻衣子は病気の療養のため、自宅でテレワークをしながらリハビリ中だ。
 仕事をしているときの晃は、まあ鬼のようだ。基本的に甘い言葉はかけず、会社の悪役になりきって仕事をしている。
「おつかれさま」
「……おう。お前もな」
 昼休みに喫茶ルームでモニターに映る妻の顔を見ないと、自分に優しい部分なんてないんじゃないかとさえ思う。
「無理するなよ。体調が悪かったら呼べよ。あと薬忘れずに飲めよ。絶対だ」
「わかってる。毎日聞いてる」
 時間が惜しくて晃が一方的に命令口調で話してしまうから、通話を切った後に自己嫌悪になることも多い。
 晃は療養中の麻衣子に負担をかけたくなかったので、昼は商品の試食をするから弁当は要らないとそっけなく言っていた。
 でも実は、麻衣子が気まぐれに持たせてくれるスープが大好物だったりする。
 通話を切った後、晃は麻衣子のスープジャーを開けて、OLのように写真を撮ってから食べる。
 そんな副社長氏は喫茶ルームでの心配そうな声音と通話後の自己嫌悪タイムで優しい旦那さんだと社員たちにばれているのだが、まだ本人は知らない。
 次々とやって来る仕事を片づけるうちに時間は過ぎ、夕方になる。
「じゃ、お先に」
 社長の出海が退社しても、晃の仕事は続く。
 とはいえ麻衣子が入院中は晃がつきっきりで彼女を看病していて、仕事は出海に丸投げだった頃もあった。
 出海は現在、子育てに夢中だ。可愛い娘と愛妻との時間を邪魔するのはやぶさかではない。俺だってそうしたいという思いはあるが、後々のこともあるのでひとまず今は譲っている。
 黙々と仕事をこなして家に帰ると、コウキはもう眠っていた。
「コウキ、お父さんはわーかほりっくだって言ってた」
「どこで覚えてきたんだ、そんな言葉」
「心配してるのよ」
 麻衣子と二人、リビングで一センチの晩酌をする。
 向き合った麻衣子は、最近は目に見えて顔色がよくなった。何が何でも回復させてやるという晃の熱意が実って、安心している。
「そろそろ寝るか」
 そう、麻衣子が元気なことが何よりなんだ。自分に言い聞かせるようにして言葉をかけたときだった。
「晃」
 ふいに麻衣子が晃の名前を呼んだ。
「……ごめんね。私がこんな体だから、いろいろ無理してるでしょ」
 麻衣子は手を伸ばして、晃の袖をつかもうとしてやめる。
 細いその指が空をひっかく様子だけで、晃がぞくっとするくらい気持ちがざわつくのを、たぶんこの妻はまだ知らない。
「お前な」
 晃は怒ったように麻衣子をにらむ。
 実際はにらんでいるのではなく照れているんだと、さすがにもう妻に伝えている。
「望むところなんだよ。好きな女のために歯を食いしばるのは」
 麻衣子の手を握り締めると、晃はその手を引いて立ち上がる。
「馬鹿。せっかく寝るつもりだったのに」
 ああ、実は結構な確率でがまんしてるぞ、俺は。
 寝室にこもってそういう話をしたのは、二人だけの秘密。
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