9 / 17
9 瑠璃石の腕輪
しおりを挟む
会社に迷惑はかけないと、晃は一週間の休暇を取って単身でその国に入国した。
入国禁止は解かれたものの、現地ではまだ毎日殺傷事件が起きている。現地で雇ったガイドは、大人の男でも決して一人で出歩かないようにと釘を刺した。
晃は真っ先に、麻衣子を見たという元社員を訪ねた。
彼は晃を警戒しながらも話をしてくれた。
「小さな男の子の手を引いて、市場でサジェを見ていたんだ」
サジェというのはこの国では子どもに必ずつけさせる、瑠璃石のついた腕輪のことだ。
彼は麻衣子には好意を持っていたのだろう。麻衣子を語る口調は親し気だった。
「マイコには仕事でずいぶんお世話になったしね、声をかけたかった。でもジャイコブが見せつけるみたいにマイコの肩を抱いて、こっちをにらむものだからさ」
晃は目を鋭くして問いを挟む。
「ジャイコブ?」
「一時支社にいた社員だよ。今は実家の農場を継いだはずだ」
「その市場というのはどの辺りなんですか?」
追及した晃に、彼は渋い顔をした。
「行くつもり? やめておいた方がいいよ。マイコは鍵付きのサジェをつけてた」
鍵付きと聞いて、晃も眉を寄せる。
サジェは本来、お守りだ。子どもが成人したら外す。けれど庇護が必要な場合、大人になってもはめることがある。
古い時代、女性は皆サジェをつけるよう義務化されていたが、法改正で既婚女性は外すことになっていた。
けれど今でも未婚の女性にサジェをつけるのは、民間の風習で残っている。
それも、鍵付きのサジェをつけられているのは、子どものできた愛人の女性という現実があった。
晃はいてもたってもいられなくて、あいさつもそこそこにその市場に向かった。
麻衣子のいない三年間、晃は地獄の中にあった。だが麻衣子はそれ以上の地獄にいたのではないか?
望まない妊娠の果て、錠を下ろされた生活を強いられていたかもしれない。出国して逃げることもできないまま、どんな気持ちで過ごしていたのだろう。
目的の市場は車で三十分ほどで着いた。ガイドと一緒に市場を歩く。
季節はそろそろ春で、乾いた土ぼこりの中に陽射しの匂いが漂う。
田舎の方だったから、時々は女性の姿もみかける。雑貨店の店主に聞くと、この辺りは治安も比較的良く、昼間なら女性が一人で出歩くこともあると聞いた。
露店を回って、小さな男の子を連れた東洋人らしい女性の目撃情報を探した。
何人か、それらしい女性を見たと話していた。彼女は近くの農場に住んでいるらしいが、体が弱いらしく市場に来るのは月に一度ほどだという。
晃は何日でも待つつもりでいた。休暇は一週間だが、いよいよとなれば会社をやめる覚悟もある。
気持ちは、一刻も早く麻衣子に会いたいと走っていく。
麻衣子ともう一度引き合わせてくれるなら、何をなくしても構わないから。
もしかしたら晃の願いが、残酷で気まぐれといわれるこの地の女神に通じたのかもしれない。
「あ……」
薄茶の長衣姿で露店を見ていた女性がいた。強い陽射しを防ぐために頭に布を巻いて、一瞬だけ横顔がのぞいただけだが、まちがいない。
すぐに歩み寄ろうとしたが、行き交う人混みに邪魔されて、十メートルほどの距離が縮まらない。
麻衣子はゆったりした服でもわかるほど痩せていて、顔色も悪かった。いつもきっちりとスーツをまとっていた頃が考えられないほど、やつれて力ない様子だった。
けれど名前を呼ぼうとして、晃は目を見張る。
麻衣子は何かをみつけたように笑う。青白い頬をほころばせる。
麻衣子が屈みこんで腕を広げた先で、男が抱っこしていた小さな子どもが、下ろしてもらうなり麻衣子に走ってきていた。
男の子は麻衣子の腕の中に飛び込む。お母さんと言ったのがわかった。
……うなずいて柔らかく笑った麻衣子は、地獄にいるようには見えなかった。
男の子を連れてきた男が、晃に気づいたらしい。けん制するように晃をにらむと、麻衣子のベールを巻きなおして、抱きかかえるようにして麻衣子を連れていく。
すぐに追うべきだと思ったのに、麻衣子が一瞬見せた笑顔に足が凍った。
麻衣子の左手首にはまった鍵付きのサジェが、晃を嗤うように光っていた。
入国禁止は解かれたものの、現地ではまだ毎日殺傷事件が起きている。現地で雇ったガイドは、大人の男でも決して一人で出歩かないようにと釘を刺した。
晃は真っ先に、麻衣子を見たという元社員を訪ねた。
彼は晃を警戒しながらも話をしてくれた。
「小さな男の子の手を引いて、市場でサジェを見ていたんだ」
サジェというのはこの国では子どもに必ずつけさせる、瑠璃石のついた腕輪のことだ。
彼は麻衣子には好意を持っていたのだろう。麻衣子を語る口調は親し気だった。
「マイコには仕事でずいぶんお世話になったしね、声をかけたかった。でもジャイコブが見せつけるみたいにマイコの肩を抱いて、こっちをにらむものだからさ」
晃は目を鋭くして問いを挟む。
「ジャイコブ?」
「一時支社にいた社員だよ。今は実家の農場を継いだはずだ」
「その市場というのはどの辺りなんですか?」
追及した晃に、彼は渋い顔をした。
「行くつもり? やめておいた方がいいよ。マイコは鍵付きのサジェをつけてた」
鍵付きと聞いて、晃も眉を寄せる。
サジェは本来、お守りだ。子どもが成人したら外す。けれど庇護が必要な場合、大人になってもはめることがある。
古い時代、女性は皆サジェをつけるよう義務化されていたが、法改正で既婚女性は外すことになっていた。
けれど今でも未婚の女性にサジェをつけるのは、民間の風習で残っている。
それも、鍵付きのサジェをつけられているのは、子どものできた愛人の女性という現実があった。
晃はいてもたってもいられなくて、あいさつもそこそこにその市場に向かった。
麻衣子のいない三年間、晃は地獄の中にあった。だが麻衣子はそれ以上の地獄にいたのではないか?
望まない妊娠の果て、錠を下ろされた生活を強いられていたかもしれない。出国して逃げることもできないまま、どんな気持ちで過ごしていたのだろう。
目的の市場は車で三十分ほどで着いた。ガイドと一緒に市場を歩く。
季節はそろそろ春で、乾いた土ぼこりの中に陽射しの匂いが漂う。
田舎の方だったから、時々は女性の姿もみかける。雑貨店の店主に聞くと、この辺りは治安も比較的良く、昼間なら女性が一人で出歩くこともあると聞いた。
露店を回って、小さな男の子を連れた東洋人らしい女性の目撃情報を探した。
何人か、それらしい女性を見たと話していた。彼女は近くの農場に住んでいるらしいが、体が弱いらしく市場に来るのは月に一度ほどだという。
晃は何日でも待つつもりでいた。休暇は一週間だが、いよいよとなれば会社をやめる覚悟もある。
気持ちは、一刻も早く麻衣子に会いたいと走っていく。
麻衣子ともう一度引き合わせてくれるなら、何をなくしても構わないから。
もしかしたら晃の願いが、残酷で気まぐれといわれるこの地の女神に通じたのかもしれない。
「あ……」
薄茶の長衣姿で露店を見ていた女性がいた。強い陽射しを防ぐために頭に布を巻いて、一瞬だけ横顔がのぞいただけだが、まちがいない。
すぐに歩み寄ろうとしたが、行き交う人混みに邪魔されて、十メートルほどの距離が縮まらない。
麻衣子はゆったりした服でもわかるほど痩せていて、顔色も悪かった。いつもきっちりとスーツをまとっていた頃が考えられないほど、やつれて力ない様子だった。
けれど名前を呼ぼうとして、晃は目を見張る。
麻衣子は何かをみつけたように笑う。青白い頬をほころばせる。
麻衣子が屈みこんで腕を広げた先で、男が抱っこしていた小さな子どもが、下ろしてもらうなり麻衣子に走ってきていた。
男の子は麻衣子の腕の中に飛び込む。お母さんと言ったのがわかった。
……うなずいて柔らかく笑った麻衣子は、地獄にいるようには見えなかった。
男の子を連れてきた男が、晃に気づいたらしい。けん制するように晃をにらむと、麻衣子のベールを巻きなおして、抱きかかえるようにして麻衣子を連れていく。
すぐに追うべきだと思ったのに、麻衣子が一瞬見せた笑顔に足が凍った。
麻衣子の左手首にはまった鍵付きのサジェが、晃を嗤うように光っていた。
14
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説

Perverse second
伊吹美香
恋愛
人生、なんの不自由もなく、のらりくらりと生きてきた。
大学三年生の就活で彼女に出会うまでは。
彼女と出会って俺の人生は大きく変化していった。
彼女と結ばれた今、やっと冷静に俺の長かった六年間を振り返ることができる……。
柴垣義人×三崎結菜
ヤキモキした二人の、もう一つの物語……。
そういう目で見ています
如月 そら
恋愛
プロ派遣社員の月蔵詩乃。
今の派遣先である会社社長は
詩乃の『ツボ』なのです。
つい、目がいってしまう。
なぜって……❤️
(11/1にお話を追記しました💖)
Perverse
伊吹美香
恋愛
『高嶺の花』なんて立派なものじゃない
ただ一人の女として愛してほしいだけなの…
あなたはゆっくりと私の心に浸食してくる
触れ合う身体は熱いのに
あなたの心がわからない…
あなたは私に何を求めてるの?
私の気持ちはあなたに届いているの?
周りからは高嶺の花と呼ばれ本当の自分を出し切れずに悩んでいる女
三崎結菜
×
口も態度も悪いが営業成績No.1で結菜を振り回す冷たい同期男
柴垣義人
大人オフィスラブ

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜
葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在
一緒にいるのに 言えない言葉
すれ違い、通り過ぎる二人の想いは
いつか重なるのだろうか…
心に秘めた想いを
いつか伝えてもいいのだろうか…
遠回りする幼馴染二人の恋の行方は?
幼い頃からいつも一緒にいた
幼馴染の朱里と瑛。
瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、
朱里を遠ざけようとする。
そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて…
・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・
栗田 朱里(21歳)… 大学生
桐生 瑛(21歳)… 大学生
桐生ホールディングス 御曹司
警察官は今日も宴会ではっちゃける
饕餮
恋愛
居酒屋に勤める私に降りかかった災難。普段はとても真面目なのに、酔うと変態になる警察官に絡まれることだった。
そんな彼に告白されて――。
居酒屋の店員と捜査一課の警察官の、とある日常を切り取った恋になるかも知れない(?)お話。
★下品な言葉が出てきます。苦手な方はご注意ください。
★この物語はフィクションです。実在の団体及び登場人物とは一切関係ありません。

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる