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20 若頭と小鳥の育ったところ
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朔が一年ぶりに本邸に立ち入ったとき、朔が驚いたのはその変わりようだった。
一年前も屋敷の主は義父だったが、義父は別邸に囲った朔の母のところで寝食を共にしていて、本邸の管理は正妻に任せていた。本邸は権威と銘品を好む正妻の力で常に煌びやかに彩られていて、共に住む三人の息子たちの個性もそれぞれに、豪邸の呼び名に恥じないありようだった。
朔は先導する使用人にそっと言葉を投げかける。
「ずいぶん変わったね。カーテンも、灯りの色も違う……」
「奥様がいらっしゃるときに、旦那様がすべて変えるようにと言いつけましたから」
紅色のベルベットで統一されていたカーテンは、午後の日差しに映えるような新緑色に入れ替えられていた。意匠を凝らしたシャンデリアも取り外され、穏やかな赤茶色のアンティークライトに変わっている。
長らく別邸で母と一緒に暮らしていた朔は知っている。それらは病弱で塞ぎがちな母のために、義父が医者とデザイナーを呼んで別邸に揃えた物と同じだった。
「なんだか静かなところになったね。……兄さんたちがいないのも、あるんだろうけど」
正妻は元々持っていた別の屋敷に移り住み、三人の息子たちもそれぞれ外に出た。世話をする者たちが減れば使用人も減るだろう。ただそれだけではなく……いつも正妻によって客人が招かれていた以前と違って、義父は朔の母に人を会わせるのを極端に嫌う。
使用人はふと物哀しいような微笑みを浮かべて言う。
「使用人の数は減ってはおりませんよ。奥様が健やかに生活されるように、旦那様は日々心を尽くしておられます」
使用人の微笑みは苦いもので、朔もその意図を察した。
「旦那様は昔から、奥様には何も惜しまない方ですから。……ただ旦那様が何を与えると言っても、奥様が喜んだことはないのですが」
使用人が立ち止まった居室で、朔も足を止める。
使用人がノックをして、中から義父の応じる声があった。使用人が扉を開いて、朔だけが中に立ち入る。
義父はソファーに座って朔を待っていた。朔に向かいの席を勧めて言う。
「朔、よく来た」
義父はもう五十になろうという年だが、若々しく、その覇気に衰えは見えない。
ただ、極道の名を体現したように頑健な体と強いまなざしを持つ義父だが……朔はこの義父に恐れ以外の感情も持っている。
「藍紀との生活に不自由はないか。体調を崩したりはしていないか?」
義父は離れていても朔と義兄のことを見守って心配していて、そこに優しさを感じられないほど朔は子どもではない。
朔は淡く笑うと、義父を安心させるように返す。
「僕は元気でやっています。兄さんもとても優しいです。兄さんのおかげで、大学もちゃんと通えているんですよ」
義父は朔の膝先まで身を乗り出すと、低い声でそっと言う。
「もっとよく顔を見せてくれ」
朔もうなずいて膝を寄せる。義父は朔の頬を大きな手で包んで、ふと微笑む。
「……よく似てきた。ずっと弱くて、明日も知れないのが不憫でならなかった。お前が無事に育って本当によかった」
使用人たちや義兄は、義父が朔の母にしか関心がないように言うが、それは違う。
確かに義父は朔の向こうに母を見ている。けれどそこには伴侶と共に育てた子に対する、確かな父親の愛もある。
義父は体を離すと、給仕を呼んで紅茶を運ばせた。名家の主たる義父は、そうやって人に命じるのに慣れた人なのだった。
「朔?」
……カップの取っ手を愛おしむように掴む仕草は、兄さんとおんなじだ。朔はそう思って、自分も義父の向こうに義兄を見ていると気づくことがある。
朔だって世界の中心は義兄のように思っている。だから母を中心に世界を見る義父に、親近感さえ覚えることがある。
どうして兄さんとお義父さんは仲が悪いのだろう。二人とも愛情深くて、優しいのに。朔にはもどかしく感じるときもある。
朔は首を横に振って、義父をみつめ返しながら言う。
「なんでも……ないです。お義父さんと会うのが久しぶりなので、ちょっと子どもに還っていました」
その言葉に、義父はどうしてか苦い笑みを浮かべた。
そのとき、隣室で子どもがぐずるような声が聞こえた。義父は反射のように立ち上がってそちらに向かおうとして、戸口で足を止める。
「最近子ども還りが進んでな。少し遅れてから入っておいで」
朔にそう告げてから、義父は優しく母の名を呼ぶ。
「ひなこ、どうした? さっきまでご機嫌だっただろう?」
義父はもう朔のことなど忘れたように足早に隣室へ姿を消す。
朔は少しだけ寂しさを感じながら、母と対面するその時を待っていた。
一年前も屋敷の主は義父だったが、義父は別邸に囲った朔の母のところで寝食を共にしていて、本邸の管理は正妻に任せていた。本邸は権威と銘品を好む正妻の力で常に煌びやかに彩られていて、共に住む三人の息子たちの個性もそれぞれに、豪邸の呼び名に恥じないありようだった。
朔は先導する使用人にそっと言葉を投げかける。
「ずいぶん変わったね。カーテンも、灯りの色も違う……」
「奥様がいらっしゃるときに、旦那様がすべて変えるようにと言いつけましたから」
紅色のベルベットで統一されていたカーテンは、午後の日差しに映えるような新緑色に入れ替えられていた。意匠を凝らしたシャンデリアも取り外され、穏やかな赤茶色のアンティークライトに変わっている。
長らく別邸で母と一緒に暮らしていた朔は知っている。それらは病弱で塞ぎがちな母のために、義父が医者とデザイナーを呼んで別邸に揃えた物と同じだった。
「なんだか静かなところになったね。……兄さんたちがいないのも、あるんだろうけど」
正妻は元々持っていた別の屋敷に移り住み、三人の息子たちもそれぞれ外に出た。世話をする者たちが減れば使用人も減るだろう。ただそれだけではなく……いつも正妻によって客人が招かれていた以前と違って、義父は朔の母に人を会わせるのを極端に嫌う。
使用人はふと物哀しいような微笑みを浮かべて言う。
「使用人の数は減ってはおりませんよ。奥様が健やかに生活されるように、旦那様は日々心を尽くしておられます」
使用人の微笑みは苦いもので、朔もその意図を察した。
「旦那様は昔から、奥様には何も惜しまない方ですから。……ただ旦那様が何を与えると言っても、奥様が喜んだことはないのですが」
使用人が立ち止まった居室で、朔も足を止める。
使用人がノックをして、中から義父の応じる声があった。使用人が扉を開いて、朔だけが中に立ち入る。
義父はソファーに座って朔を待っていた。朔に向かいの席を勧めて言う。
「朔、よく来た」
義父はもう五十になろうという年だが、若々しく、その覇気に衰えは見えない。
ただ、極道の名を体現したように頑健な体と強いまなざしを持つ義父だが……朔はこの義父に恐れ以外の感情も持っている。
「藍紀との生活に不自由はないか。体調を崩したりはしていないか?」
義父は離れていても朔と義兄のことを見守って心配していて、そこに優しさを感じられないほど朔は子どもではない。
朔は淡く笑うと、義父を安心させるように返す。
「僕は元気でやっています。兄さんもとても優しいです。兄さんのおかげで、大学もちゃんと通えているんですよ」
義父は朔の膝先まで身を乗り出すと、低い声でそっと言う。
「もっとよく顔を見せてくれ」
朔もうなずいて膝を寄せる。義父は朔の頬を大きな手で包んで、ふと微笑む。
「……よく似てきた。ずっと弱くて、明日も知れないのが不憫でならなかった。お前が無事に育って本当によかった」
使用人たちや義兄は、義父が朔の母にしか関心がないように言うが、それは違う。
確かに義父は朔の向こうに母を見ている。けれどそこには伴侶と共に育てた子に対する、確かな父親の愛もある。
義父は体を離すと、給仕を呼んで紅茶を運ばせた。名家の主たる義父は、そうやって人に命じるのに慣れた人なのだった。
「朔?」
……カップの取っ手を愛おしむように掴む仕草は、兄さんとおんなじだ。朔はそう思って、自分も義父の向こうに義兄を見ていると気づくことがある。
朔だって世界の中心は義兄のように思っている。だから母を中心に世界を見る義父に、親近感さえ覚えることがある。
どうして兄さんとお義父さんは仲が悪いのだろう。二人とも愛情深くて、優しいのに。朔にはもどかしく感じるときもある。
朔は首を横に振って、義父をみつめ返しながら言う。
「なんでも……ないです。お義父さんと会うのが久しぶりなので、ちょっと子どもに還っていました」
その言葉に、義父はどうしてか苦い笑みを浮かべた。
そのとき、隣室で子どもがぐずるような声が聞こえた。義父は反射のように立ち上がってそちらに向かおうとして、戸口で足を止める。
「最近子ども還りが進んでな。少し遅れてから入っておいで」
朔にそう告げてから、義父は優しく母の名を呼ぶ。
「ひなこ、どうした? さっきまでご機嫌だっただろう?」
義父はもう朔のことなど忘れたように足早に隣室へ姿を消す。
朔は少しだけ寂しさを感じながら、母と対面するその時を待っていた。
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