1 / 18
1 若頭と小鳥
しおりを挟む
千陀組の若頭には、大切な小鳥がいるらしい。
朔はそう噂されているとは知らずに子ども時代を過ごした。
なぜって、金融業を営む義兄が若頭という裏の地位を持っていたことさえ、朔が一年前、大学に入ってからようやく聞いたことだったから。
義兄と朔を後部座席に乗せて滑るように走っていた車が、不自然なほど唐突に止まった。
助手席の側近が降りて少し時間があった。まもなく側近は戻って来て義兄に告げる。
「末松組の元若頭が、話だけでも聞いてほしいと言っていますが」
義兄は側近の言葉に面倒そうにまばたきをして、朔に振り向いた。
「さっちゃん、少し待っててね」
義兄が朔に告げた声はいつも通り優しかった。
義兄は車の外に出て、仕事の話をしていたようだった。
スモークのかかった窓ごしに見えたのは、すがるように義兄に何かを訴える壮年の男の姿だった。街灯の光もほとんど無い道路の際で、エンジンの吐き出す煙だけが冬の空に広がっていた。
義兄は始終氷のようなまなざしで男を見下ろしていて、まもなく話を打ち切って戻ってきた。
話の結果は、側近が義兄に確かめるまでもないことのようだった。走り出した車の中で、義兄は凍てついた声で側近に命じた。
「奴は車に触ったな。請求しとけ。まだ言葉を話せるんだから、どこを売ればいいかはわかるだろ」
朔は義兄に気づかれないようにこくんと息を呑んだつもりだったけど、義兄はあやすように朔の頭を撫でて言った。
「さっちゃん、今日はお肉も食べてえらかったね。また行こう?」
義兄が朔に話す声に先ほどまでの冷たさはどこにもなくて、朔は戸惑いながら黙ってしまう。
車が走る間、義兄は毛づくろいをするように朔の髪を梳いていた。
「大丈夫だよ。また貸し切りにするし、調子が悪くてもお義兄ちゃんは医師免許を持ってるんだから」
小さい頃、母と一緒に義兄と義父の家に初めて入った朔は、吸入器が手放せないくらいに喘息がひどかった。学校に上がってからも、調子が悪いとすぐ失禁する癖があって、長いこと学校にも通えなかった。
何かの役に立つわけではなく、足を引っ張るばかりだった朔と、早くから裏社会で生きるべく育てられた義兄は、全然違う生き物に見えた。
「帰ったら一緒にお風呂、入ろ。洗ってあげる」
でも昔は気が弱かった義兄は朔をとても可愛がって、朔の世話を焼くうちに若頭にふさわしい力を身に着けていった。
義兄はふいに仕事で見せるような艶やかな力強さをまとって、朔に笑う。
「……俺、甘々なお兄ちゃんになってから、極悪人の若頭が楽しくて仕方ないんだ」
朔はそんな義兄が今も怖くて、その何倍かのあこがれを感じている。
朔は義兄の肩に頭を寄せて目を閉じる。
僕も小鳥になってから、兄さんがもっと好きになった。
「一緒に寝よ」
今日も若頭と小鳥は夜の街を滑るように走って、二人の寝床に帰って行く。
朔はそう噂されているとは知らずに子ども時代を過ごした。
なぜって、金融業を営む義兄が若頭という裏の地位を持っていたことさえ、朔が一年前、大学に入ってからようやく聞いたことだったから。
義兄と朔を後部座席に乗せて滑るように走っていた車が、不自然なほど唐突に止まった。
助手席の側近が降りて少し時間があった。まもなく側近は戻って来て義兄に告げる。
「末松組の元若頭が、話だけでも聞いてほしいと言っていますが」
義兄は側近の言葉に面倒そうにまばたきをして、朔に振り向いた。
「さっちゃん、少し待っててね」
義兄が朔に告げた声はいつも通り優しかった。
義兄は車の外に出て、仕事の話をしていたようだった。
スモークのかかった窓ごしに見えたのは、すがるように義兄に何かを訴える壮年の男の姿だった。街灯の光もほとんど無い道路の際で、エンジンの吐き出す煙だけが冬の空に広がっていた。
義兄は始終氷のようなまなざしで男を見下ろしていて、まもなく話を打ち切って戻ってきた。
話の結果は、側近が義兄に確かめるまでもないことのようだった。走り出した車の中で、義兄は凍てついた声で側近に命じた。
「奴は車に触ったな。請求しとけ。まだ言葉を話せるんだから、どこを売ればいいかはわかるだろ」
朔は義兄に気づかれないようにこくんと息を呑んだつもりだったけど、義兄はあやすように朔の頭を撫でて言った。
「さっちゃん、今日はお肉も食べてえらかったね。また行こう?」
義兄が朔に話す声に先ほどまでの冷たさはどこにもなくて、朔は戸惑いながら黙ってしまう。
車が走る間、義兄は毛づくろいをするように朔の髪を梳いていた。
「大丈夫だよ。また貸し切りにするし、調子が悪くてもお義兄ちゃんは医師免許を持ってるんだから」
小さい頃、母と一緒に義兄と義父の家に初めて入った朔は、吸入器が手放せないくらいに喘息がひどかった。学校に上がってからも、調子が悪いとすぐ失禁する癖があって、長いこと学校にも通えなかった。
何かの役に立つわけではなく、足を引っ張るばかりだった朔と、早くから裏社会で生きるべく育てられた義兄は、全然違う生き物に見えた。
「帰ったら一緒にお風呂、入ろ。洗ってあげる」
でも昔は気が弱かった義兄は朔をとても可愛がって、朔の世話を焼くうちに若頭にふさわしい力を身に着けていった。
義兄はふいに仕事で見せるような艶やかな力強さをまとって、朔に笑う。
「……俺、甘々なお兄ちゃんになってから、極悪人の若頭が楽しくて仕方ないんだ」
朔はそんな義兄が今も怖くて、その何倍かのあこがれを感じている。
朔は義兄の肩に頭を寄せて目を閉じる。
僕も小鳥になってから、兄さんがもっと好きになった。
「一緒に寝よ」
今日も若頭と小鳥は夜の街を滑るように走って、二人の寝床に帰って行く。
80
お気に入りに追加
143
あなたにおすすめの小説

顔だけが取り柄の俺、それさえもひたすら隠し通してみせる!!
彩ノ華
BL
顔だけが取り柄の俺だけど…
…平凡に暮らしたいので隠し通してみせる!!
登場人物×恋には無自覚な主人公
※溺愛
❀気ままに投稿
❀ゆるゆる更新
❀文字数が多い時もあれば少ない時もある、それが人生や。知らんけど。

それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。
まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。
転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。
ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。
「本当に可愛い。」
「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」
かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。
「お願いだから、僕にもう近づかないで」

前世である母国の召喚に巻き込まれた俺
るい
BL
国の為に戦い、親友と言える者の前で死んだ前世の記憶があった俺は今世で今日も可愛い女の子を口説いていた。しかし何故か気が付けば、前世の母国にその女の子と召喚される。久しぶりの母国に驚くもどうやら俺はお呼びでない者のようで扱いに困った国の者は騎士の方へ面倒を投げた。俺は思った。そう、前世の職場に俺は舞い戻っている。

今世では誰かに手を取って貰いたい
朝山みどり
BL
ノエル・レイフォードは魔力がないと言うことで、家族や使用人から蔑まれて暮らしていた。
ある日、妹のプリシラに突き飛ばされて、頭を打ち前世のことを思い出し、魔法を使えるようになった。
ただ、戦争の英雄だった前世とは持っている魔法が違っていた。
そんなある日、喧嘩した国同士で、結婚式をあげるように帝国の王妃が命令をだした。
選ばれたノエルは敵国へ旅立った。そこで待っていた男とその日のうちに婚姻した。思いがけず男は優しかった。
だが、男は翌朝、隣国との国境紛争を解決しようと家を出た。
男がいなくなった途端、ノエルは冷遇された。覚悟していたノエルは耐えられたが、とんでもないことを知らされて逃げ出した。

学園の俺様と、辺境地の僕
そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ?
【全12話になります。よろしくお願いします。】

囚われた元王は逃げ出せない
スノウ
BL
異世界からひょっこり召喚されてまさか国王!?でも人柄が良く周りに助けられながら10年もの間、国王に準じていた
そうあの日までは
忠誠を誓ったはずの仲間に王位を剥奪され次々と手篭めに
なんで俺にこんな事を
「国王でないならもう俺のものだ」
「僕をあなたの側にずっといさせて」
「君のいない人生は生きられない」
「私の国の王妃にならないか」
いやいや、みんな何いってんの?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる