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7 旧王家の地下室
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王太后の動きは早かった。ロザリアが直轄領に着いたその晩、密かに使者をよこして離宮を抜け出させる手はずを整えていた。
「あなたに使者をさせるなんて……」
王太后がよこした使者を見て、ロザリアは喉を詰まらせた。それはまだ八歳の、シャノンの息子パーシヴァルだった。
パーシヴァルの父親は旧王家の傍系で、シャノンが王籍を出る前から彼女に仕えていた騎士だった。シャノンと結婚しても自分は臣下であるという立場を崩さず、パーシヴァルにも生まれたときから敬称をつけて名を呼んでいた。
アシュレイが旧王家の領土に攻め入ったとき、アシュレイはロザリアの嘆願もあって無用の犠牲は払わなかった。けれどパーシヴァルの父が騎士団長を務める、一種狂信的な騎士団だけは壊滅させざるを得なかった。旧王家の姫を蛮族の子孫であるアシュレイが娶るなど、彼らにとっては女神が悪魔に辱められるようなものだった。
「行ってはいけません、姫様。母上は……きっともう生きてはおりません」
パーシヴァルは生まれてまもなく死に別れた父の忠誠心を受け継いでいた。目に涙を浮かべながら、ロザリアを引き止めた。
「怖かったわね。大丈夫。あなたのお母様は必ず私が取り戻してくるから、泣かないでいいのよ」
ロザリアは幼い従弟を抱きしめて、折れそうになる心を奮い立たせながら笑ってみせた。
王太后は離宮の警備に穴を空け、何人かの兵士をまぎれこませていた。配下の兵士の一人がロザリアに小瓶を差し出す。
「決してお怪我をさせてはならないと命じられています。これを」
眠り薬のたぐいなのか、ざわつくような嫌な香りがした。ロザリアは小瓶を受け取ると、姫らしい尊大な調子で告げる。
「パーシヴァルを解放するのが先です。彼の安全が確保されるまでは飲みません」
「ではどのように?」
ロザリアはパーシヴァルの手を引いて部屋を横切ると、寝室の中にパーシヴァルを導いた。
何日も寝所からロザリアを離さないアシュレイは、寝所の中に保冷庫を用意させている。この宮の寝所にも、既に果物や冷たい飲み物が運び込まれていた。
「枕元の箱の中にお菓子があるわ。ちょっとずつ食べるのよ?」
明日の夕方には鍵を持ったアシュレイがやって来る。ロザリアは悪戯っぽく言って、シャノンによく似た美しいまなざしをみつめながら錠を下ろした。
意を決して小瓶の蓋を開けて、中身を喉に流し込む。ぐらりと視界が歪んで、体中から力が抜けていった。
目覚めたら、あのけだもののような女の巣の中にいるのだろうか。ロザリアは声にならない悲鳴を上げながら体の自由を失う。
いっそ眠らされればよかったのに、視覚だけは残っていた。ロザリアは荷台に隠されて運ばれ、まもなく王太后が軟禁されている館に着いた。
門をくぐればそこは、アシュレイが廃した古い神々の野蛮な神話で満ちていた。よつんばいになって欲望を受ける腹の大きな女神、それに後ろからのしかかる男神。交わる神々から流れ出る体液を浴びて、ギーズ王室の半身獣の神が生まれる。
壁には至るところに奴隷をつなぐ鎖が打ち付けられている。ロザリアは目を覆いたかったが薬のせいで指一本動かすことはできず、見せつけるように輿に乗せられて運ばれた。
密林のように湿った空気、ゆらゆらと揺れるかがり火。不気味な静寂の中、野蛮な神々にみつめられるようにして、ロザリアは館の奥まで連れてこられた。
そこに、この館には珍しい陶器の扉があった。薄い青の染料で絵付けされたその扉を従者たちは押し開き、ロザリアを地下へと運んでいく。
ロザリアはその光景を幼い頃見た覚えがあった。旧王家の城で遊んでいたとき、ふと地下への階段をみつけたのだ。
どこからか香る花の香りと、誰かの押し殺したような息遣いを思い出す。たまらなく不安なのにざわつくような興味に動かされて、足が止まらなかった。
あのときは、確か……。ロザリアが続きを思い出そうとしたとき、従者たちは地下室の扉の前で立ち止まった。
従者の一人がやはり陶器の扉をノックすると、中から扉が開く。
そこから姿を見せた人物に、ロザリアの時が止まった。
「……私のロザリア」
兄王子ジルはロザリアを抱き留めて、するりと扉の内に彼女を引き入れた。
「あなたに使者をさせるなんて……」
王太后がよこした使者を見て、ロザリアは喉を詰まらせた。それはまだ八歳の、シャノンの息子パーシヴァルだった。
パーシヴァルの父親は旧王家の傍系で、シャノンが王籍を出る前から彼女に仕えていた騎士だった。シャノンと結婚しても自分は臣下であるという立場を崩さず、パーシヴァルにも生まれたときから敬称をつけて名を呼んでいた。
アシュレイが旧王家の領土に攻め入ったとき、アシュレイはロザリアの嘆願もあって無用の犠牲は払わなかった。けれどパーシヴァルの父が騎士団長を務める、一種狂信的な騎士団だけは壊滅させざるを得なかった。旧王家の姫を蛮族の子孫であるアシュレイが娶るなど、彼らにとっては女神が悪魔に辱められるようなものだった。
「行ってはいけません、姫様。母上は……きっともう生きてはおりません」
パーシヴァルは生まれてまもなく死に別れた父の忠誠心を受け継いでいた。目に涙を浮かべながら、ロザリアを引き止めた。
「怖かったわね。大丈夫。あなたのお母様は必ず私が取り戻してくるから、泣かないでいいのよ」
ロザリアは幼い従弟を抱きしめて、折れそうになる心を奮い立たせながら笑ってみせた。
王太后は離宮の警備に穴を空け、何人かの兵士をまぎれこませていた。配下の兵士の一人がロザリアに小瓶を差し出す。
「決してお怪我をさせてはならないと命じられています。これを」
眠り薬のたぐいなのか、ざわつくような嫌な香りがした。ロザリアは小瓶を受け取ると、姫らしい尊大な調子で告げる。
「パーシヴァルを解放するのが先です。彼の安全が確保されるまでは飲みません」
「ではどのように?」
ロザリアはパーシヴァルの手を引いて部屋を横切ると、寝室の中にパーシヴァルを導いた。
何日も寝所からロザリアを離さないアシュレイは、寝所の中に保冷庫を用意させている。この宮の寝所にも、既に果物や冷たい飲み物が運び込まれていた。
「枕元の箱の中にお菓子があるわ。ちょっとずつ食べるのよ?」
明日の夕方には鍵を持ったアシュレイがやって来る。ロザリアは悪戯っぽく言って、シャノンによく似た美しいまなざしをみつめながら錠を下ろした。
意を決して小瓶の蓋を開けて、中身を喉に流し込む。ぐらりと視界が歪んで、体中から力が抜けていった。
目覚めたら、あのけだもののような女の巣の中にいるのだろうか。ロザリアは声にならない悲鳴を上げながら体の自由を失う。
いっそ眠らされればよかったのに、視覚だけは残っていた。ロザリアは荷台に隠されて運ばれ、まもなく王太后が軟禁されている館に着いた。
門をくぐればそこは、アシュレイが廃した古い神々の野蛮な神話で満ちていた。よつんばいになって欲望を受ける腹の大きな女神、それに後ろからのしかかる男神。交わる神々から流れ出る体液を浴びて、ギーズ王室の半身獣の神が生まれる。
壁には至るところに奴隷をつなぐ鎖が打ち付けられている。ロザリアは目を覆いたかったが薬のせいで指一本動かすことはできず、見せつけるように輿に乗せられて運ばれた。
密林のように湿った空気、ゆらゆらと揺れるかがり火。不気味な静寂の中、野蛮な神々にみつめられるようにして、ロザリアは館の奥まで連れてこられた。
そこに、この館には珍しい陶器の扉があった。薄い青の染料で絵付けされたその扉を従者たちは押し開き、ロザリアを地下へと運んでいく。
ロザリアはその光景を幼い頃見た覚えがあった。旧王家の城で遊んでいたとき、ふと地下への階段をみつけたのだ。
どこからか香る花の香りと、誰かの押し殺したような息遣いを思い出す。たまらなく不安なのにざわつくような興味に動かされて、足が止まらなかった。
あのときは、確か……。ロザリアが続きを思い出そうとしたとき、従者たちは地下室の扉の前で立ち止まった。
従者の一人がやはり陶器の扉をノックすると、中から扉が開く。
そこから姿を見せた人物に、ロザリアの時が止まった。
「……私のロザリア」
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