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24 幼精のいたずら

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 精霊は悪だと言われている国もあるが、星読み台を通じて精霊と長い交流をしてきたヴァイスラントでは、それは誤解だというのがほとんどの国民の考えだった。
 男女の別がなく、人より遥かに長い時を生きる精霊は、人には理解できないものを理解していることもあれば、一方で人が気にすることを全然気にしていなかったりする。精霊とすれ違う原因は、精霊が人とは違う世界にいるために、人にとっては常識のようなことを知らないためだと言われていた。
 星読み博士が言うには、精霊は幼い子どものようなところがあって、何かを一生懸命伝えようとしているのだが、その方法が独創的なので、昔は長年混乱したのだそうだ。
 カテリナがそう思っていた頃、ギュンターも遠い目をして同じことを思ったらしい。
「たぶんこれが、噂に聞く幼精のいたずらなんだな」
 ギュンターが渋い顔をしたのも無理はなく、先ほどからカテリナと彼は二人きりで国王陛下の執務室に閉じ込められている。
 精霊の仕業だとわかったのは、本来あるはずの扉も窓も消えて、側にいたはずのマリアンヌの姿が見えないからだった。
 カテリナはちょっと弾んだ声でギュンターに返す。
「「今外に出るのは危ない」って教えてくれたんですよ。さすが精霊、徹底してますね」
 カテリナも、こういうことは星読み台発行の特集新聞でも、単に夏の怪奇現象としてもよく聞かされていた。それを初体験できたことの興奮から拳を握りしめて主張すると、ギュンターは呆れ顔でぼやいた。
「喜ぶな。大体は時間が経てば解けるというが、精霊の機嫌を損ねたらどうなるか知れんぞ」
 大人しく座っていろと言いつけられて、カテリナはしぶしぶ隅の事務机に戻った。
 そうは言っても幼精は細部にはこだわらないらしく、ギュンターとカテリナの手元に書類はなかった。怪奇現象の中でも仕事をしようとした生真面目な二人の希望は打ち砕かれて、ギュンターとカテリナの間に微妙な空気が流れた。
 仕方なくギュンターの方が先に仕事をあきらめて、執務室に飾られている肖像画の前を歩く。
 先王と先王妃は数年前に生前退位して、今は辺境で田舎暮らしをしている。だからまだ肖像画には覆いがされず、ギュンターの希望で、彼と二人の弟妹、先王と先王妃の国王一家がそろった肖像画が飾られていた。
「カティ、こちらに」
 普段は背を向けている肖像画をギュンターは時間をかけてみつめると、ふいにカテリナを呼んだ。
 カテリナが側に近づくと、ギュンターは並んで描かれた自分とマリアンヌを見ながら言った。
「すまなかったな」
「え?」
「ツヴァイシュタットの旗は、俺が気づくべきことだった」
 少しの沈黙の後、それが真の精霊の狙いだとしたら相当手練れなのかもしれないが、ギュンターは普段被っている国王の仮面を外して、ただの兄の顔を見せた。
「どうして忘れていたんだろうな。マリアンヌが初めてやって来たとき、あの子はなかなか旗を手放そうとしなかった。昔から弱音一つ言わない子だったが、考えてみれば少し前までは戦争をしていた敵国に、両親から引き離されてやって来たんだ。心細くないはずがなかったのに」
 カテリナはギュンターの苦い表情に、それが国王という公の立場では言いづらいことなのだと察した。
 思い返せばマリアンヌはギュンターの私室にはほとんど出入りしなかった。アリーシャでも仕事中に訪れていたのだから、ギュンターの仕事のパートナーであるマリアンヌなら日常的に来訪してもおかしくなかった。
 カテリナは、マリアンヌが自分を初めてギュンターのところに連れてきたときも、最小限のことを告げて去っていったマリアンヌを見ている。
「聞き分けの良すぎる子なんだ」
 ギュンターは苦い声音で続ける。
「マリアンヌとは喧嘩一つしなかった。いつもマリアンヌが引き下がった。弟のシエルのように、わかりやすく反抗してはくれない」
 ギュンターは頭を押さえてうなった。カテリナは手元に握ったままの、折れたツヴァイシュタットの旗を見下ろして、たぶんそうなのだろうと思った。
 確かに王妹殿下はこの旗を気にしていることさえ口に出さなかった。たぶん幻想から覚めた後も、折れたことに文句一つ言わないだろう。
 どうしたらと考えて、カテリナはふと心によぎったことを口にしていた。
「いたずらしてみたらどうでしょうか」
 ギュンターが訝しげにカテリナを見て、彼女はひらめいた考えを続ける。
「マリアンヌ様がこの国にいらしたとき、陛下がマリアンヌ様に星の金貨を渡したニュースはみんな知ってます。マリアンヌ様が受け取らずに、列席者で一番幼かったアリーシャ様に譲ったのも話題になりました」
 カテリナは容貌といい仕草といい、どこから見ても完璧な姫君として描かれたマリアンヌを見上げながら言う。
「誰より公正で、慈悲深いマリアンヌ様をいじめてはだめです。だからちょっといたずらするだけでちょうどいい。……降臨祭の最後の日、マリアンヌ様を突然ダンスに誘ってみたらどうでしょう」
「い、いや待て」
 ギュンターは慌てて言葉を挟む。
「精霊との約束がかかった公式行事だぞ」
「心配ご無用です。精霊はそういういたずらが大好きです」
 建国のときから伝わる数々の逸話に基づいて、カテリナは胸を張って断言する。
「国民一同、前夜祭から二日間かけて踊りに踊るんですから。その間陛下が妹君と踊っても僕たち国民は全然構いませんし、それが最後の方でも、いっそ本当の最後になっても、たぶんみんな自分のダンスに夢中で気づきませんよ」
 カテリナはくすっと笑って肖像画を仰ぐ。
「降臨祭は、大切な人に言葉で想いを伝えるのが下手な人のために、精霊が特別な時間をくれるんじゃないでしょうか」
 どこかで子どもが口笛を吹くような音が聞こえて、カテリナの視界がくるりと回転した。
 精霊が見せる幻想はあるきっかけで、夢から覚めるようにあっけなく解けるという。カテリナもまばたきをしたときには、扉も窓もあるいつもの国王陛下の執務室にいた。
 そこにはマリアンヌもいて、にこにこしながらカテリナとギュンターを見ていた。
「陛下、もう大丈夫ですからお離しください」
 それより幻想の直前にそうだったようにギュンターが両腕でカテリナの体を抱き寄せていて、しかもマリアンヌの御前だった。
「あ、ああ。無事か、カティ」
「は、はい」
 ギュンターが慌てて腕を解くと、カテリナも焦りながら一歩離れてわけもなく腕をさする。
 微妙な沈黙と距離を取っている二人に、マリアンヌから声がかかる。
「ありがとう、カティ。もう少し遅ければ折れていたかもしれません」
 マリアンヌに言われてカテリナが腕の中の旗を見ると、それは雨風に濡れてはいるものの無事なままだった。
 カテリナは不思議な心地でギュンターを見やると、彼も夢から覚めたようにまじまじと見つめ返した。
「小ぶりになってきましたね。雨雲も、じきに海の向こうに帰るのでしょう」
 マリアンヌが雲間から差し込む光に目を細めて言う。
 降臨祭の八日目、子どもがわがままを叫ぶようにヴァイスラント中を吹き荒れた嵐は、こうして去っていったのだった。
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