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第十八章✪加熱する怒り
加熱する怒り
しおりを挟む生き残った老婆の中には看護師もいて、亜紀の治療に専念した。
逃げ出したいのは山々だが、老いた女たちに、もう逃げる場所などない。
ゴォォォォォォ…
そして、クラーザは村の近くの下町にたどり着いた。
めちゃくちゃに破壊されたその町を見て、蛇威丸たちではないかと考えた。
そこの町の者に、男が三人、妖魔女を探して町を壊滅状態へと追いやったことを聞き、さらに確信する。
すぐに村の存在を知り、森奥にある村に向かうが、気配を消すような不自然な気配を感じ、罠であると悟る。
だが、亜紀がいる以上、その罠に飛び込まない理由がなかった。
「―――――」
村も所々で火が上がり、敵襲を受けたのだと感じた。
キィ…
明かりがついている家に押し入る。
そこには…
「クラーザ‥‥!」
力なく横たわる亜紀の姿。
点滴を射たれ、随分と痩せこけていた。
「あき」
クラーザは『いけない』と言う亜紀に近寄り、布団に横たわる亜紀の手を取った。
ザッ…
背後に足音。
クラーザはそっと振り向いた。
「やっと来たか」
そこには豪華に着飾った蛇威丸が一人立っていた。
「どうして…!クラーザ…逃げて…!」
まさかクラーザが来るなど思いもしなかった亜紀が、クラーザに必死に逃げるように促す。
クラーザは物音もたてずに立ち上がり、蛇威丸を警戒した。
「あきに何をした」
物凄い殺気。
クラーザのその様子から、亜紀がどんな状態か知らないと見受けられた。
「まぁ…そんな怒るな。
今から俺もそれを確かめるから、貴様も見ておきな」
蛇威丸は部屋の奥から老婆に出るように言うと、部屋の中央に立たせた。
「‥‥‥」
クラーザは亜紀の前から離れず、その様子を見る。
「おい、貴様。この女になにをした?」
蛇威丸が何度も何度もたずねた言葉を、また老婆にたずねた。
老婆はこの質問を何度も何度もされて、くたびれていた。
そして、何度も何度もこたえた答えをまた口にする。
「‥‥だから、娘の子宮を摘出した。子供を宿さぬようにと」
「なぜ、そんなことをした?」
老婆は恐怖で放心状態になるまでに追い詰められていた。
「この村では…男も…子供もいらぬからだ」
蛇威丸は微笑みの中に、怒りを隠している。
笑いながらも目が真剣だ。
「誰の断りをもってやった?」
「我々が…判断して…やった」
「この女の状態は?」
その質問が最後だ。
老婆は蛇威丸に睨まれながら、震える声を絞り出す。
「絶望的だ…治療を怠れば死ぬ‥‥」
その瞬間に、蛇威丸の髪が蛇へと変わる!
「ひぃっ!!!!!」
老婆の皺の多い顔がますます皺が深くなり、目を大きく見開いた。
「とっとと死ねぇ!!!!!!!!!!」
蛇威丸はそう吐き捨て、腰の剣をとり、老婆の胴体を真っ二つに斬った!
ドシャ…!!
老婆は倒れ、固くなった。
蛇威丸は息を荒くし、狼が牙を剥き出しにするような顔をした。
「くぅ…!!」
クラーザはその一部始終を見て、蛇威丸を強く睨む。
「イルドナはどうした」
「そのボケ野郎の名前を出すな!!!!!」
ガシャン…!!!!!
蛇威丸はひどく取り乱し、近くにあった椅子を蹴り飛ばした。
「あのボケがアキをこんな所に置き去りにしたから、この有り様だ!!!!!今すぐ見つけて、血祭りにしてやる!!」
蛇威丸はふっと亜紀と視線が合い、亜紀に近付く。
「こんな目にあって、さぞ辛かったろう」
亜紀を思いやる言葉。
だが、亜紀はそんな蛇威丸を無下にする。
「近寄らないで…」
亜紀の冷たい目に、蛇威丸はひどく落ち込む。
その場に座り、亜紀の布団に手をかけた。
クラーザはすぐ近くで、蛇威丸を見下ろす。
「――ベルカイヌン、相談だが」
蛇威丸はそっと布団の上から、亜紀の腹に手を乗せた。
「このまま貴様が去れば、見逃してやる。
もう二度とアキに近付かず、俺にアキを渡すと誓えば、皆に命令して、ディアマの奴らにも、もう関わらないと約束してやろう。
誰も殺さず、傷付けずに、今後も襲いはしないと」
もうこの戦いを終わらせようとする蛇威丸。
「アキが教えてくれた、未知の生物とやらも召喚させないと約束する」
「―――」
蛇威丸は返事をしないクラーザに目を向けた。
そして立ち上がり、クラーザの真正面に立つ。
「もう貴様とは、ここで終わりにしたい」
優しい声。そして、まるで先程の老婆たちのように、命乞いをするような目付き。
「もう‥‥終わりにしないか?こんな誰も得をしない争い」
蛇威丸はクラーザに願い出た。
蛇威丸は高鷹王を暗殺して、一国の王になった。
もう望みなどない。
「あきは渡せない」
「俺様のものだ」
蛇威丸は優しい口調で話す。
クラーザは表情を変えないまま。
「あきは渡さない」
口元だけで笑う蛇威丸。
クラーザの頭の固さに思いやられる。
「―――よく考えるがいいさ。
このまま静かに去って、俺様がアキを幸せにして争いを終わらせるのか。
このまま意地を張って、この場で斬り殺されて、俺様がアキを幸せにして、ディアマを壊滅させるのか」
そう言い終わるころ、ゾロゾロと蛇の眼の騎士団が全員現れた。
ビマーラ、
ソイーヌ、
慶馬、
十耶、
ペケ、
そして、アダ。
一列に並んだまま、全員、無言の圧力をかけてくる。
全員が集合していたのだ。
蛇威丸は歩きだし、騎士団たちの先頭に立つ。
「ベルカイヌン、言い方を変えるぜ。
アキを渡しておとなしく消えるか、
この場で死んでアキを渡せ」
腕組みをし、顎をしゃくりあげる。
まるで偉そうな王様だ。
「下衆め。お前が約束など守ったことあるか。
その交渉は不成立だ」
「ふふふ…ははは!」
蛇威丸は不気味に笑う。
何がおかしいのか、その場の誰もがわからない。
「嘘でもアキを渡すと言わないんだな、貴様という奴は」
クラーザは相変わらず強い視線を変えず、顎を引き睨む。
「そんな馬鹿げたこと口にするか」
「ムカつくぜ…」
蛇威丸は苛立ち始める。
クラーザの揺るぎないその態度が火をつける。
その信念を折ってやり、目の前で土下座でもさせてやりたい。
「一つ、朗報だ」
「―――」
「先程、貴様らの隠れ家を襲撃してやったが、グラベンとランレートは生き残ってるぞ」
そう言うと、騎士団の後ろから、こっそりとみねが顔を出した。
「ちなみに、悪い知らせだ。
うちのビマーラがグラベンに傷を負わせた。
あの運だけいい奴は、かろうじて生きてるが、もう右腕は使えないだろうぜ。もう二度と戦えない」
「―――」
クラーザの後ろで、亜紀は両手で顔を覆った。
「さぁて、どうする?」
窮地に追い込まれたクラーザと亜紀。
蛇威丸が結論を急かせる。
「‥‥揃いも揃って、グラベンもランレートも殺せないとは、腰抜けの集まりだな」
「じわじわ殺していくさ」
蛇威丸は右手の人差し指をあげ『いけ』と合図をする。
すると、騎士団たちがクラーザを取り囲んだ。
「アキを殺されたくなければ、おとなしく着いてこい」
「―――」
クラーザは両側から腕を捕まれる。
ビマーラと慶馬がクラーザを羽交い締めにし、アダが背後にたって剣を押し付けた。
「行け」
蛇威丸がそう命令を下すと、完全に取り囲んでクラーザを連れ出した。
「クラーザ…!!!!!」
亜紀はその姿に手をさしのべた。
やっと会えたのに…!
また離ればなれになるなんて嫌だ…!!
「アキを丁重に運び出せ」
残った十耶が点滴ごと亜紀を持ち上げた。
亜紀は抵抗するが、全く歯が立たない。
「やめて‥!」
「アキ、おとなしくしてろ。
無駄な動きをしたら、即、殺す」
蛇威丸が笑顔で告げる。
亜紀は蛇威丸を、親の仇を見るような目で見た。
「クラーザの言った通り…!あなたは嘘だらけよ!
その場の思いつきで何でも言って、簡単に言葉を変えるのね…!
最低よ…!!」
「これは脅しさ。アキを殺しはしない。
本当に殺すのはベルカイヌンの方だ」
「やめてよ…!!!!アタシ達を離して!!!!!」
十耶に運ばれるまま、亜紀は蛇威丸に叫び続けた。
蛇威丸は亜紀の頭を撫でて、甘い声を出す。
「今すぐ、俺様の物になるというなら、そうしてやるぜ」
「嫌よ…!!!!!」
「じゃあ、この話はなかったことで」
蛇威丸はふんっと鼻をならして、亜紀に背を向けた。
二人が連れて行かれたのは、新生・蛇威丸の城とも思われる死骸国の城だった。
死骸国は、その名前からは想像も出来ない程の、豊かで艶やかで賑わいのある国であった。
民はいつも騒がしく、賑やかに生活している。
新しい王を迎え、さらにいつもより派手にお祝いムードを見せていた。
「蛇威丸王、万歳!!!!!」
真実も知らない民は、蛇威丸が選ばれて王の座についたのだと疑わない。
明るく活気のある国。
そして、その中央には東京ドーム三個分はありそうな程、巨大な城。
見たこともないくらいに大きな国であった。
城の中ではなにが行われているか知らない民が、盛大な祭りを毎日行っている。
蛇威丸が王座に即位してから、また数日もたっていない。
蛇威丸は高鷹王を思わせる金品や家具を売り払い、その金を椀飯振舞で民に与えた。
さらに、蛇威丸のイメージが良くなる。
金は腐るほどにある。
出し惜しみはしないのが、蛇威丸のやり方だ。
以前の王、高鷹王は民に顔を見せることはなかったが、蛇威丸は何度もその姿を民の前に現した。
口も達者な蛇威丸は、民に気に入られ、最高の王だと敬われた。
側に連れて歩くのは、美しいソイーヌと美男子の十耶。
その若さと美しさに、民たちは心を鷲掴みにされたのだ。
この日もまた、蛇威丸は民の前に姿を見せた。
「蛇威丸王、万歳!!!!!我々の王、万歳!!!!!」
城のベランダから手をあげ、民の歓声を浴びる。
高鷹王の頃からの役員や軍や、召し使いさえも全て一掃し、新たに自分の身を固める。
この日は、召し使い達が蛇威丸の側から民に向かって、花が投げられた。
見事な演出だ。
亜紀はすぐに死骸国の医者の手によって、充分な治療を施された。
衰弱しきっていた身体は、みるみるうちに良くなっていく。
まだ点滴は外せないが、二・三日たつと起き上がれるまでに回復した。
蛇威丸とソイーヌは、真っ昼間から抱き合った。
「知り尽くせない程の大きなお城‥」
ソイーヌは裸で蛇威丸にすがり付いていた。
大きなベッドに横たわり、疲れはてた身体を寄せあっている。
「目映いばかりのドレス…
それに、持ちきれない程の宝石や財宝」
白すぎるソイーヌの美しい裸体が、くねくねと蛇のように蛇威丸に絡み付く。
「使いきれない金…金…金」
ソイーヌの白い指が、すーっと蛇威丸の胸に伸びて割れた腹筋をなぞる。
「ねぇ…こんなに優雅な暮らし、想像したことがあった?」
蛇威丸は仰向けでソイーヌの顔を見つめた。
漆黒の長い髪を無造作に触り、口元だけ笑う。
「当たり前だろ。もっともっと、国をでかくする」
「フフフッ…欲張りな王様ね」
ソイーヌは真っ赤な口紅をつけた唇で、蛇威丸の口をふさぐ。
ねっとりとしたキス。
二人は、もう何度も抱き合っている。
ソイーヌが妖魔女の姿を手にいれてから、蛇威丸は狂う程に、ソイーヌの身体を求めた。
絡み合った舌を、ゆっくりと放すと、唾液の糸がひく。
「じゃあ…どうして、妖魔女もベルカイヌンも殺さないの?
早く殺してしまいなさいよ。なにを躊躇ってるの?」
ソイーヌの手は蛇威丸のへそにたどり着き、意地悪をするように指を突き立てる。
「殺すとつまらない…
俺様のこの煮えたぎる恨みや憎しみ、果たして殺すだけでおさまるのかどうか、心底、心配なのさ」
「すごく憎んでるのね…」
蛇威丸はいきなりソイーヌの後頭部の髪を乱暴に鷲掴みにする。
「痛いっ…」
「憎むどころじゃないさ。
ぐしゃぐしゃのメチャクチャにしてやりたいくらいだ」
若い男の医者は、慶馬と十耶とペケに囲まれていた。
大きな一室でのことである。
「ですから…、子宮摘出手術ではなく、出産したようなやり方だと申したのです」
医者は亜紀を診察して、不思議に感じたことを騎士団に申し出た。
赤色の縦断の大きな部屋、
長椅子に深々と腰かけるのはペケと慶馬だ。
少し離れた大きな窓際で、外を眺めているのは顔立ちの整った十耶。
医者はペケと慶馬に向かい合って座っていた。
「出産なんてありえませんよ。
私達はこの目で見てきて、そんな様子は一つもありませんでしたから」
慶馬は医者に怪訝そうに言った。
だが、医者は折れない。
「本当に妊娠されていませんでしたか?」
「ガキを産むなら腹が膨らむだろうよ。そんなの見りゃわかる」
ペケも否定する。
亜紀はふわりと膨らんだ服を着ていたが、妊婦のようには見えなかった。
「そうですか…」
医者は顎を触り、考え事をする。
すると、遠くに離れていた十耶や会話に入ってくる。
「妊娠していたとして、まだ小さなうちに出したとかは考えられないか?」
だが、医者がすぐに首を横にふった。
「未熟児で産むなど考えられません。
もし仮にそうだとしたら、子供は死んでいるでしょう。
それに、もしお腹の中で死産していたとして、取り出すにしても、あの衰弱していた身体で手術を行うとは考えられにくいです…」
日を待って、亜紀の体調が万全になって死産した子供を取り上げればいい話なのだから。
「お腹の傷も乱雑に縫われていて‥
医者のすることのようには見受けられませんでした」
ペケはふっと鼻で笑う。
「だって、くたばりかけてる婆ぁたちがやったんだぜ?
老眼で見えなかったんじゃないか?」
「それは危険な手術でしたでしょうね」
話の結論としては、なんにしても狂った老婆たちが、亜紀の腹に穴を開けていじったのだと終止符を打つ。
「王には報告するのか?」
騎士団たちは、既に『蛇威丸』という呼び捨てから『王』として名前を呼ぶようにしていた。
「そんなことしたら、怒り狂ってお医者さまをなぶり殺してしまうのではないですかね?」
慶馬は若い医者をからかうように笑う。
だが、医者は動じない。
「しかし、私どもは蛇威丸王から、逐一、報告するよう申し上げられています」
「じゃあ、言うしかねぇな。
ところで、なんであんなに王はあの女にこだわるんだ?」
ペケは召し使いに持ってこさせた菓子をバリバリと口にしながら呟く。
「ペケ、あなたも王とベルカイヌンのあのやり取りを聞いたでしょう?あんなに女のことで熱く争って‥
相当、素晴らしい女性なのでしょう」
会話が別の方向に進むと、十耶は医者に退出するよう指示を出した。
医者は軽く会釈をして、その場から去る。
「ソイーヌだって、妖魔女そのものの姿じゃねぇか。妖魔女がいいなら、王もなんでそこまでしつこくこだわるんだ?」
「ソイーヌは妖魔女の姿を手にいれたとしても、妖魔女ではありません。現に覚醒者であるベルカイヌンの力を吸いとることは出来ませんでした」
ソイーヌは人の姿を真似る能力を持っている。
だが、能力までは真似ることは出来ない。
「能力だけ欲しがってるようには見えないけどな」
十耶はボツりと口を挟む。
「そうです、十耶。
あなた、妖魔女の様子を見てきて下さいよ。あなたは王に妖魔女を見張るようにと命じられたではありませんか」
十耶は面倒くさそうに視線を反らす。
ペケは嬉しそうに、十耶の肩を叩いた。
「お前も妖魔女の虜になるんじゃねぇぞ。
ってか、お前が妖魔女を奪ってしまえば、王もベルカイヌンもビックリ仰天で、お前が一枚上手になれるがな」
「よせよ。そんな争いには参加しない主義だ」
「ソイーヌもどうがしてる。
妖魔女の肌質や目の色、髪まで真似して…」
「恨んでるのか?十耶」
ペケになめ回されるように見られて、十耶は気分を害する。
そんな十耶に、慶馬がいらぬ言葉を付け加えた。
「ソイーヌはあなたの妹さんの姿、そのものですからね。
そんな姿を妖魔女のようにされて、さぞ憎く思われるでしょうね」
「それ以上、何も言うな」
十耶の目付きが変わる。
目を細めて険しい顔付きに‥‥。
「ソイーヌの本当の顔が知りたいなぁ。
十耶の妹の顔じゃなくてな」
ソイーヌはアダに出会う前から、十耶の妹の姿なりをしていた。
本当の顔を知るのは、十耶と同じ出身の慶馬だけだ。
「あれは妹じゃない。俺の妹は10年前に死んだ」
十耶はそう言い残して、部屋を出ていった。
バタン…
重々しい部屋の扉。
十耶は部屋を出て、しばらく立ちつくした。
もう忘れかけていた妹の顔を思い出す。
妹が生きて成長していれば、ソイーヌのように色気たっぷりの魅惑的な女になっていたであろうか。
そんなはずはない。
妹は健気で謙虚な女だった。
あんなけばけばしい格好などしない。
「騎士さま、ごきげんよう…」
ぼぅっとしていた十耶の前を、華やかに着飾った貴族たちが通る。
この城には、何人もの人が活動していた。
騎士団の下に配属している戦士たちもいる。
皆が、軍の最高峰である騎士団には頭が上がらないのだ。
あちらこちらで、召し使い達が移動して掃除や飾り付けなどもしている。
騒がしい…
「‥‥‥」
十耶は足早に歩き始め、ひとけの少ない方へと向かった。
十耶が亜紀の監視係りを任命されたのは、単純な理由だ。
ペケのような短期で切れやすくなく、
慶馬のようなおしゃべりでもなく、
静かで何事も冷静だからだ。
ビマーラはクラーザの監視役をしている。
アダはこの件からは外されていた。
裏切りであっても、一時はディアマにいた人間だからという理由で。
カツ…カツ…カツ…カツ…
この城は異様な程大きい。
簡単に迷子になれる。
「もう…日暮れか」
十耶は夕陽を見ながら、長い道のりを歩いた。
騎士団、1人1人に与えられた部屋もまた馬鹿デカかった。
部屋といっても一室ではなく、
扉を開けた途端、広すぎるフロアが広がり、そこから何室もの部屋に別れていた。
キッチンやシャワーまで完備されていて、まるで高級ホテルのようだ。
1人で過ごすには広すぎる。
個人に合わせて、部屋の作りも異なっていて、十耶の部屋は明るく日の光が入るようになっていた。
要望通り、広いベランダもついている。
騎士団というだけあって、
もちろん、部屋以外にも道場や闘技練習場、滝のある入浴場やリラクゼーション室、書斎室やなにもかもが揃っていて、未だに使いきれていない。
カツ…カツ…カツン―――――――
ようやくたどり着いたのは、城のいくつかある塔の中でも一番高い塔の最上階だった。
扉はどの扉よりも頑丈で、とこか牢獄を思わせるような扉だ。
「―――」
声もかけずに、鍵を開け中に入る。
ギィギィ…
そこを見渡すと、丸い一室になっていた。
真っ白い縦断が、目を少しくらませる。
お姫様のような家具がズラリと並んでいる中に、妖魔女である亜紀がいた。
家具はピンクと白色が基調のメルヘンチックな物が多い。
だが外が眺められる窓は、お姫様の部屋には無粋な鉄柵で囲まれている。
「‥‥‥」
十耶も無言だが、亜紀もまた一言も口を開かなかった。
立ち上がれはするが、歩くことはまだ出来ないと、医者が言っていた。
亜紀はレースで隠されたベッドの中で、じっと座っている。
カツ…カツ…カツ
十耶はゆっくりと亜紀のいるベッドの方に近付いた。
「――――」
十耶は亜紀の様子を伺い、とくに変わらぬ姿を見ると、今度は食器を確認する。
一つも手をつけられていない食事。
部屋の全ても見渡す。
とくに変わりない鳥かごのような部屋。
問題ないことを確認し終わると、今度は窓辺の鉄柵越しから外を監視する。
異常なし。
「――――」
十耶は飼っているペットを見張る気持ちで亜紀を監視した。
話すこともなく、ただひたすら感情を出さずに毎日を監視する。
亜紀の容態は医者が随時看ている。
十耶は亜紀の体調までは管理しなくていい。
およそ5分程で、その仕事は終わる。
そして、また声もかけずに、部屋を後にした。
バタン…
部屋を出ると、今か今かとソイーヌが待ち構えていた。
「妖魔女は?」
「異常なし」
ソイーヌは入室することを禁じられている。
妖魔女に異様なまでに嫉妬しているからだ。
「なぜ殺さないの?」
「王の命令だから」
「生かす必要があるの?」
「俺は知る必要がない」
「おかしいとは思わないの?」
十耶に付きまとい、一緒に歩く。
二人は騎士団らしい立派なマントを翻して歩いている。
たまにすれ違う者たちは、深々と二人に頭を下げた。
「なにが?」
「妖魔女を看病して生かしておくことよ。変だわ。
早く殺してしまえばいいのに。
ベルカイヌンだって早く始末してしまえば、もっと王だって機嫌が良くなるはずよ」
「二人を生かしておくことで、王がイライラしてるとでも?」
「そうでしょう?
二人のことばかり気にして…早く殺してしまえば楽になるのに」
蛇威丸の行動が読めなかった。
殺せ殺せと言っていたのに、いざ捕らえると惜しそうに閉じ込めておく。
だが、生きてる二人を見ては苛立っている。
「あの相当な気分屋の王のことだから、そのうちいきなり、あっさりと殺すと思うけどな」
「その時まで待てというの?」
十耶は通路のど真ん中に立ち止まり、ソイーヌに向き直る。
「では、今度は聞き返すけど、ソイーヌはなんでそんなに急がせるんだ?なんか問題でもあるのか?」
ソイーヌは腰に手をあてて、そっぽ向く。
「王が私だけを見ていないから、腹が立つのよ」
「ソイーヌは勘違いしてる。
王はよそ見してるんじゃなくて、妖魔女の姿に似ているから、お前をたまに見ているだけだ。
王が本当に見ているのは、あの妖魔女だけだ」
「‥‥」
言われたくないことをすばり言われて、ソイーヌは下唇を噛んだ。
すると、二人の前から数人の戦士が現れた。
「ソイーヌ様、十耶様、
南の方角から『トベーナ国』の軍隊が攻めてくるようです」
「またぁ‥‥?命知らずな国が後をたたないわね」
死骸国の土地を奪おうとする国や盗賊は、後をたたなかった。
民を守るのも、騎士団になってからは仕事のうちだ。
「今、行くわ」
ソイーヌは外からの敵と率先して戦う役割を与えられている。
戦士たちを手で追い払うと、話を元に戻す。
「―――それならば、十耶。
どうして、王は妖魔女に会わないの?
もう、捕らえた時以来、会っていないのはなぜ?」
「そんなこと知らないよ。
会っても嫌われるから…じゃないのか?単純に」
十耶は『早く行けよ』とソイーヌの肩を押し、仕事へ戻らせた。
十耶はそのまま、地下の階段にたどり着く。
亜紀のいる塔からは、遠く遠く離れた場所。
地下13階に盲目のビマーラはいた。
十耶はそっと静かにその様子を覗いた。
キィ~♪タタタラン…タンタン♪
爆音で聞こえるクラシックのような音楽。
冷たく冷えた地下牢では、その音楽が響き渡り、こだましている。
ビマーラは目の見えない変わりに、聴覚が優れて発達していた。
音楽が唯一の趣味であり、この音楽は側にあるピアノに似た楽器が勝手に操作されて鳴っているものである。
風や物音のない地下は、ビマーラにとって最適の場所だ。
明かりもない暗い陰気臭い場所だが、盲目のビマーラにとっては、なんの不自由も感じない。
カツン…カツン…カツン…
すると、別の階段から足音が鳴り響いた。
ヒールのある靴音。
ビマーラはすぐに、その音で蛇威丸だと気付いた。
ダダダダン~♪ピィ~タンタン~♪
ビマーラは腰かけていた簡易的な椅子から立ち上がり、頭を下げて蛇威丸の入室を待った。
ガシャン…!
厳重な扉が開かれ、牢獄に入る蛇威丸。
そこにはビマーラに見張られたクラーザがいた。
「――蛇威丸王、おはようございます」
もう昼過ぎだ。
ビマーラに時間の感覚はなかった。
蛇威丸は何も口にせず進み、ビマーラの手から先端に針金が仕込まれた何本も枝分けれしている鞭を取り上げた。
「‥‥」
壁に張り付けられたクラーザを見上げた。
クラーザは両手を特殊な鎖で繋がれ、左右に広げられた格好で縛りつけられていた。
長い漆黒紫の髪が、だらりと垂れて、顔を隠している。
ビィン――!!
蛇威丸は鞭を両手に束ねて、クラーザ真正面に立つ。
「――――」
急に目の色が変わる蛇威丸。
瞳孔が蛇のように小さくなり、怒りを露にした。
バシィィィン―――!!!!
バシィィィン―――…!!!!!!!!!
蛇威丸は力いっぱいに、クラーザの胸を鞭で叩いた。
「‥‥‥」
声も上げないクラーザは、何度も仕打ちを受け、ぐったりとしていた。
こうして上半身の服は、鞭によって破かれ、鞭の先端に仕込まれた針金によって、深い傷を負わされた。
「くっ…!!!!!!!!!」
蛇威丸が声を漏らして、精魂込め力で、クラーザを痛め付ける。
バシィィィン―――!!!!!!!!!
バシィィィン―――!!!!!!!!!
「‥‥‥」
その様子を、遠くから十耶は痛々しそうに見つめた。
初めて見る光景だった。
たまに地下を降りていく蛇威丸を見かけことはあったが、まさかこんなことをしているとは思わなかった。
ただ単に痛め付ける拷問。
何かを吐かせるわけでなく、めったうちにするだけの…。
その行動は暫く続き、疲れた蛇威丸は、また鞭をビマーラに手渡して牢獄を出ていった。
(なんの為の拷問なんだ…?)
十耶は身動き出来ないまま、冷や汗を流した。
すると、ビマーラが十耶の存在に気付いた。
牢獄の中から、声がかかる。
「十耶?なにをしてる?」
ビマーラに気付かれ、十耶は姿を見せた。
クラーザと共に牢獄の中に入っているビマーラは、なんの不都合もなさそうな顔をしていた。
「ビマーラこそ、なにしてるんだ?
ずっとこんな湿気臭い場所で。たまには上に来いよ」
この牢獄は頑丈だ。
少し目を離したところで、クラーザが逃げられる訳もない。
ビマーラは蛇威丸にクラーザの監視を命じられてから、ここを一歩も出なかった。
出たとしても、食事や汗を流す為に、地下にある小部屋を使うだけで、あとは籠りっきりだった。
「ここが一番楽。全然、退屈しないし」
ビマーラの言葉に嘘は感じられなかった。
十耶も牢獄に押し入り、そっとクラーザの正面に近付いた。
猛獣に近付くようで、鎖に繋がれてるとはいっても、なんだか恐ろしい。
少し距離をとった正面に立つ。
「まだ…生きてるのか?」
「ああ。叩きつけても叩きつけても、時間を置けば自然に回復していく。すごく面白い」
騎士団の中で、一番、冷酷なのはビマーラかもしれない。
感情がまるでない。
「王はいつも、ああしてるのか?」
「あぁ‥‥ストレス解消に。けど、なかなか死なないし、苦しまないし、怖がらないし、余計にストレス貯めて帰るけど」
十耶はもう一度、すました顔のビマーラにたずねた。
「お前はここでなにしてるんだ?」
「この状態を常にキープしてる。
回復しないよう、常にこの鞭一本で仕置きを」
殺すのは禁じられている。
クラーザを殺すのは蛇威丸だと、念を押されている。
「少しは休めよ」
緊張感走るこの雰囲気が居心地悪い。
足元が冷える。
すると、ビマーラが持っていた鞭をぐっと十耶に押し付けた。
「じゃあ、代わりに十耶に出来る?」
傷だらけで血を流しているクラーザを、無条件で叩けと指示するビマーラ。
「‥‥」
十耶は鞭を握りしめ、クラーザをゆっくりと見上げた。
項垂れていて、息をしているのかもわからない。
反抗も抵抗もしない無防備な姿。
ゴクリと生唾を飲んだ。
ザッ…
少しずつ、クラーザとの距離を縮める。
「‥‥ふぅ‥‥くっ…」
近付くと、クラーザの小さな呼吸が聞こえた。
目を開けている…。
流れる髪の隙間から、クラーザの紅い眼が見えた。
「おい…ベルカイヌン。王に忠誠を誓うか?」
十耶はむやみやたらに叩くことは出来なかった。
叩く理由が欲しい。
「――――」
近くで見れば見るほど、
クラーザの筋肉は見事なもので、シャープな顎にかかる髪は見たこともない珍しい髪色をしていて、少し見とれてしまう程だ。
「早くやれ」
ビマーラに背中を押されるが、手が出ない。
もう少し様子を見たい。
なにかしゃべらせてみたい。
「蛇威丸王が憎いか?」
今度はしゃがんで、下からクラーザの表情を覗いてみる。
クラーザはうっすらと眼を開けているが、どこを見ているのかわからない。
「‥‥‥」
何日も何日もこうして拷問さらると、人間は一体どうなるのか。
クラーザは弱ってはいるが、品の良さがまだ残っている気がした。
理性がまだ残っている。
しゃがみながら十耶は、クラーザに話しかける。
「俺は妖魔女の監視役だ。
妖魔女のことが気にならないか?
お前が頭を下げて願い出れば、会わせてやらないでもない」
「‥‥‥」
だが、クラーザはうつむいたまま顔を上げなかった。
が、十耶は続ける。
「妖魔女は飯もろくに食わない。
死んだように黙りこくってる。
このままじゃ‥‥本当に死ぬかもな」
鞭をクラーザの顔に当て、前髪を拭い、顎を引き上げる。
「ベルカイヌン…黙ったままじゃ、妖魔女には一生会えないぞ」
小さく呼吸をしているクラーザが、ギロリと十耶を睨んだ。
「―――」
鋭い紅い眼。
眼の奥には、まだ闘志を燃やしているように見えた。
クラーザは視線でビマーラを指した。
十耶にはその意味が理解でき、ビマーラにその場から席を外すように合図する。
「少しの間だけ。会話した内容は全て報告しなけばいけない」
「わかってる」
ビマーラは十耶に忠告し、ゆっくりと牢獄を出ていき施錠した。
十耶はクラーザに視線を戻し、鞭を下げる。
「妖魔女は――」
「あきだ。紅乃 亜紀」
十耶はあきの名前を告げられる。
クラーザは両手を貼り付けにされたまま、十耶に低い声で語り出す。
「あきは、300年前から来た『日本国』の人間だ。
身体は弱く…すぐに風邪をひく。
出会った頃、大荷物を抱えていて…その荷物は『朝凪の浜』という都の宿に今でも置いてある」
何を話し出すかと思えば、検討もしていないことを話始めたクラーザ。
だが、十耶は最後まで聞くことにした。
「荷物の中には…見たことのない物珍しい物ばかり入っていた。
あきは‥日焼けをしないようにと『日焼け止め』というものを、いつも小まめに腕や足や顔に塗った。
あきは生まれ育った国では化粧品を商売していたらしい。果物に含まれる『ビタミンC』とやらをとにかく好んでいる。
『はるか』という親しい友人がいて、商売終わりに、よく飲みに『居酒屋』という酒場に行っていたらしい」
クラーザは話の途中から天を仰ぐように天井を見上げた。
「漆黒の柔らかい髪をして、いつもいい香りがしていた。『シャンプー』という物のせいらしい。
すぐに乾燥して、あきの白い肌は『クリーム』を塗らないと酷くひび割れた」
十耶はクラーザを見つめたまま、黙って話を聞き入った。
「俺の―――この醜い眼をきれいだと言ったのは、今までにあきしかいない。
この髪、この俺の声、この俺の腕が好きだとあきはいつも呆れるくらいに俺に話した」
クラーザは、ふと視線を戻す。
十耶と眼が合う。
「それで‥‥何が言いたいんだ?
そんな妖魔女だから殺すなと言いたいのか?」
十耶はクラーザの不気味な紅い眼を眺める。
まるで血に染まるような奇妙な色。
「誰かに言いたかっただけだ」
「今、そんなことを?」
「それ以外、あきのことは何も知らない。
知り合う時間も与えてはもらえなかった」
「‥‥‥」
十耶は口を閉じた。
なぜ、こんなことを自分に話すのか。
悠長な話だとも思った。
そして、ある疑問が浮かぶ。
「なぜ、あの女にこだわるんだ?
そんな知り尽くしてもいない面倒な女に、なぜそこまで命を張るんだ?」
そこまで話しておいて、クラーザは黙った。
目線を落とし、返答に困っているようだった。
そして、自分でも確かめるのように言葉を見つける。
「愛している――から‥」
「愛しているとは何だ?どういう意味だ?」
十耶は難しく考える。
言葉の意味が理解できない。
「好きとは‥‥あきに会いたい。抱き締めたい。
愛しているとは‥‥あきに会って守りたい。あきを抱き締めて暖めたい。そういう意味だ」
亜紀の受け売りだ。
クラーザは『愛している』というのを、そう認識していた。
(なんだ…?どういうことだ…?)
十耶は軽くパニックをおこした。
(こいつは何者なんだ…?
なんでこんな奴を、王は牙剥き出しで荒れ狂うんだ…?)
クラーザが猛威を奮う敵には感じられなかった。
覚醒者だから、もっと人間離れした奴かと思っていた。
こんな他愛ない話をしたがるなど、微塵も考えなかった。
ある日の城内での定例会でのこと。
蛇威丸を中心に、
軍事部や管理部、政治部など各部13部の代表が集まり会議が行われた。
これは、先祖代々が必ずやっていることだ。
200人程の代表が顔を揃えた。
政治や他の国との流通など、様々な情報を出し合い、問題を皆で解決していく。
蛇威丸や騎士団たちにとって、その会話は全くわからず、ちんぷんかんぷん状態ではあるが、事はスムーズに進んでいく。
「俺たちがここにいる意味あんのか?」
ペケが長時間に渡る会議をだるそうに眺める。
テーブルクロスに肘をつき、ため息をついた。
「私達が不在だと、蛇の眼の騎士団の格好がつかないでしょう」
慶馬が背筋を伸ばすように、ペケの背子を軽く叩く。
蛇威丸は無言だが、わかっているような顔をしていた。
会議の終盤。
「ところで蛇威丸王、お世継ぎのことは何かお考えでございますか?」
大蔵省ともいえる管理部の代表が、にこやかに蛇威丸に笑顔を見せる。
「お世継ぎ…?」
ぶっと吹き出すペケ。
慶馬は咳払いをしてそれを注意する。
「これまでの王は代々、王自身のご意思にお任せして参りました。
蛇威丸王も是非とも、ご自身のご意思でお考え下さいませ」
といっても、子無しという訳にもいかない。
かつての歴代王達は、一夫多妻制や一夫一婦制など、個人の自由に任されてきた。
先代の王、高鷹王は王妃を取らずに、子供だけを世継ぎとして城に招き入れている。
どの王も、子供は多く作った。
そして、その中でもより優れた者を次期の王として選んだ。
「蛇威丸王のご意見をお伺いしたい」
「蛇威丸王の人気に、民達は次期の王子を待ち焦がれています。更に人気が高まることでしょう」
「各国の貴族たちが、蛇威丸王のお子を産みたいと名乗り出るでしょう」
「さらなる飛躍は、王子の誕生です」
皆は口々にお世継ぎの話題を口にした。
そして、蛇威丸の言葉を今か今かと待ちわびる。
「そうです!騎士団ソイーヌ様の美貌なら、きっと美しい王子も授かることが出来るでしょう!」
「騎士団の王妃…それも見事ですな!」
ソイーヌの名前が上がり、当の本人は笑顔で蛇威丸の返事を待つ。
蛇威丸がすうっと息を吸うと、皆が静まる。
「ソイーヌは有り得ない。身分が悪すぎる。
それ相当の身分と知性と美貌を持った者でしか、俺様には釣り合わない。そうだろう?」
蛇威丸の偉そうな態度に、一同が沈黙し、しばらくしてから同意しはじめる。
「そうでしたな。蛇威丸王には、貴族よりももっと気高い一国の姫がお似合いであらされる」
「では、国々に連絡しなければ」
「きっと、各国の姫君がこぞってやって来るに違いありませんな」
わはははと笑いがおき、その場はお開きになる。
次回の定例会が楽しみだと、口にする者もあった。
なんとか位をあげようと、蛇威丸の王妃探しに一旗あげようとする者は少なくなかった。
「ちょっと待ってよ…!」
定例会の解散後、ソイーヌは血相を抱えて蛇威丸にしがみついた。
騎士団のメンバーはそれに気付く。
「この私を一番の王妃にしてくれるんじゃないの!?」
美しい庭が見える、一階の通り。
「誰がそんなことを言った?」
蛇威丸のマントとソイーヌのマントが風に吹かれてぶつかる。
「私達が手を組むときに、あなたそう言ったじゃない!!!」
蛇威丸が歩くとソイーヌがそれを食い止める。それを何度も繰り返す。
「そんなこと言った記憶はないぜ」
「嘘よ!!!自由に着飾ればいいって、好きにすればいいって言ったはずよ!」
慶馬が十耶の横で悲しい顔をしている。
ペケは腕を組み、横目でそれを見ている。
「自由に着飾ればいいさ。金も好きに使え」
そう口先で言って、蛇威丸はまた歩きだす。
「ちょっと待ってよ!!!」
ソイーヌは蛇威丸の腕を掴み、顔を覗かせた。
「―――私はあなたのなんなのよ!」
「一番の騎士団だ。それだけだ。それ以上でもない。
文句があるなら、他の地位を与えるが何がいい?
だが、王妃は願い下げだ」
「―――っ!」
ソイーヌは蛇威丸をにらめつけたまま、口を閉ざす。
「なりだけ良ければいいって話じゃないんだぜ?
わかってるのか?
お前の食べ方は犬以下だ。
知性もまるでない。
歩き方もみっともない。
背筋も悪い。
歴史も音楽も知らない。
字も書けなければ、読むこともできない。
愛想もない。
ダンスも踊れない。
座り方も立ち方も、なにもかも格好が悪い。
この理由じゃ、まだ足りないか?」
早口でまくし立て、ソイーヌを黙らせる。
ソイーヌは下唇を噛みしめた。
「ひどい…。
私の…私のいいところは何にもないっていうの?」
「そんなことは言ってないさ。
だから、騎士団に任命したんだろ?」
蛇威丸は今度は子供をなだめるように、頭を撫でた。
「女としてよ!
女として、私のいいところはないの!?」
騎士団のナンバーワンになりたい訳ではない。王妃になりたいのだ。
「そうだな…――――セックスくらいかな」
蛇威丸はソイーヌから一歩下がってにやけた。
「だが、それも勉強しなおした方がいい。下品すぎて萎える」
蛇威丸は恥ずかしげもなく、偉そうに騎士団の前から立ち去っていった。
無様に散った一輪の花・ソイーヌ。
過去にここまで罵られた経験はない。
美女と言われても、格好が悪いとは言われたことが一度もない。
猫背でもなく、
犬食いをするわけでもなく、
ガニ股で歩きもしない。
だが生きてきた苦しい過程として、読書やダンスや音楽などの娯楽を学んだことはない。
王妃になる為には、もっともっと学を習得せねばならないのだ。
「ソイーヌ、大丈夫ですか?‥‥あれは、酷すぎです。
女性に対してあんまりな言い方です」
慶馬がソイーヌに寄り添い、肩を撫でた。
十耶は何もフォローが出来ない。ペケも黙っていた。
「触らないでよ…
腹の底でざまあみろって思ってんでしょ。余計なお節介だわ」
ソイーヌは顔を下げたまま、走って逃げていった。
「ソイーヌはいい女じゃないか。
色気がたまらんし、話し方も色っぽい」
ペケが今更そんなことを呟いた。
プライドが高い女なだけに、惨めに見えた。
蛇威丸はその足で、地下13階のクラーザのいる地下牢に向かった。
牢獄に入るや否や、見張りのビマーラの鞭をしゃくり取り、思いのままにクラーザを叩きつけた。
バシィィィィン…!!!!!!!!!
バシィィィィン…!!!!!!!!!
「くそっ…!!!!くっ…!!!」
いつになく、激しく打ち付ける。
その様子に、ビマーラは椅子からそっと立ち上がった。
何かがあったのだと知る。
バシィィィィン…!!!!!!!!!
「くそったれめ!!!!!!!!!」
バシィィィィン…!!!!!!!!!
クラーザは打たれるままに、ぐったりとした。
すると、今度は足で顔を蹴り上げ、髪を鷲掴みにする。
「―――」
クラーザは顔を引き上げられ、蛇威丸の顔を見上げた。
「おいっ!!!!ベルカイヌン…!!!!!!!!!
貴様の処刑日をたった今、決めてやったぜ!
二週間後だ!覚悟しろ!!!!!!!!!」
そして手を離し、顔を横に蹴る。
ビマーラは、蛇威丸の背後から遠慮がちに声をかける。
「二週間後は王の兄弟たちが集まるパーティーの日ではないか?」
蛇威丸ははぁはぁと息を荒あげて、鞭を投げ捨てた。
「そうだ。
無能な兄弟たちと俺様の王即位を祝う御披露目パーティーの日だ。
ベルカイヌン、貴様にも参加してもらう。
そして、派手に殺してやる」
敵意むき出しの蛇威丸が、やるだけやって、さっさと陰気臭い牢獄から出ていった。
入れ替わるように、みねが恐る恐る牢獄に入ってくる。
「―――この哀れな気配は、裏切り者の女戦士」
ビマーラが目を閉じたまま、みねに嫌味を吐く。
「裏切り者じゃないわ…!
私、裏切ったわけじゃないもの…!」
みねが半泣きな崩れた顔をしながら、血みどろになったクラーザに近づく。
震える足取り。
「クラーザさぁん…こんなところで…
辛かったでしょ…怖いでしょ…」
反応を示さないクラーザの身体にそっと手を触れた。
「誰も助けに来ない…不安でしょ…淋しいでしょ…」
クラーザの腰元に、抱きついて離れなかった。
「私の気持ち、わかってくれる?
私、今のクラーザさんと同じ気持ちだったのよ…
誰も助けに来てくれなくて、怖くて怖くて仕方なかったんだから…
クラーザさん、助けにも来てくれなくて…
紅乃亜紀だけ助けて、さっさと私を置いて行っちゃったでしょ??辛かったんだから…」
こんな状況でも、みねは自分の気持ちを主張する。
勝手にクラーザに抱きつき、構わず自分の思いを押し付ける。
「謝ってよぉ…私に謝ってよぉ…」
クラーザはビクともしない。
そんな様子を感じて、ビマーラは『裏切り者のくせに』とまた連呼した。
「裏切り者じゃないわよ…!仕方なかったの!
ねぇ…!クラーザさん、なんとか言ってよ!
私は裏切り者にさせられたんだからぁ…!」
みねは両手でクラーザの顔に触れ、顔を持ち上げる。今の無防備なクラーザになら、なんでも出来た。
クラーザは虚ろな眼を、みねに向けた。
「裏切り者だなんて…思っていない。
―――最初から、仲間だと思ったことすらない」
「‥‥‥っ!!!」
『裏切り者だと思っていない』で、みねの表情は明るくなり、
『仲間だと思ったことすらない』と言われて、地獄に突き落とされたような暗い表情になる。
「消えろ」
クラーザが眼でみねを殺した。
みねは愕然と、力が抜けてしまった。
みねは項垂れたまま、クラーザの顔を持ち上げている。
「そんなこと言って‥‥知らないわよ。
紅乃亜紀を殺しちゃっても私のせいじゃないからね…
カッとなって、私何をするかわからないからね‥」
少しも悪びれないクラーザに怒りがこみ上げる。
不細工な顔を、一段と不細工にしたて、クラーザに脅しをかける。
「やれ。早くやれ。
刺すなり、殴るなり、好きにやれ」
クラーザの突き刺さるような言葉に、みねはまた悲しむ。
「なによぉ…!どうせ、紅乃亜紀を殺したら、クラーザさんは私を殺すって言うんでしょぉ…!
ひどいわ…!こんなの脅しよぉ!!!」
みねの被害者ぶりに、クラーザはますます氷のような冷たい視線を刺す。
「あきがいなければ、俺はこんな目にあっていなかった。
あきのせいで、俺は狂わされる。
早く殺せ!とっとと殺せ!!!」
クラーザに似合わぬ大声。
弱った身体中から絞り出す、大きな声でみねを怒鳴り付けた。
ガシャン…!!!!!
クラーザは縛られた両手を動かし、逃れようと動き出す。
外れはしないが、みねに飛びかかろうとしているようだ。
「あぁあっ…!!!!!!!」
みねは怖くなり、クラーザからのけ反った。
クラーザは本当に狂ってしまったのか。
我を忘れて、暴れている。
「―――早く出ろ」
ビマーラはみねを引きずり、牢獄の外に追い出した。
「クラーザさぁん…私‥私‥‥クラーザさんのこと裏切りたくないの…
クラーザさんの敵になりたくないのよぉ…」
みねは未だ、自分を守るようにそう呟いた。
こんなクラーザは見たくない。
冷静さを失って、自暴自棄になるような弱いクラーザを。
クラーザの手錠が外されたのは、その三日後だった。
力なく、地べたに横たわるクラーザに、十耶は声をかけた。
「面会だ」
ドサッ…!
クラーザの牢獄に、人が投げ込まれる。
「―――」
クラーザは放り込まれた人の音で、体をゆっくりと起き上がらせた。
「うっ…」
クラーザの近くでうめき声。
クラーザは、ゆっくりと近付いて、同じく地べたに横たわる者の顔を見た。
「ベルカイ‥ヌン‥‥」
それは青アザだらけで、片目を大きく腫らしたアコスだった。
アコスは仰向けになり、クラーザに手を伸ばす。
「――――」
クラーザはアコスの変わり果てた姿に、一瞬、誰か見分けがつかなかった。
「助けに‥‥来てくれたのか…?
俺をやっぱり…助けに来てくれたんだよなぁ…」
アコスに引き続き、変わり果てたクラーザの姿。
アコスもまた、その姿にショックを隠せなかった。
「――そう見えるか」
「そう信じて‥たよ。だから、だから…」
アコスは苦しそうに悲しそうな顔をする。
「俺は裏切れなかった‥‥
蛇威丸にいくら…牢から出してやるって言われても…俺はベルカイヌンを裏切ることが出来なかったんだぁ…」
それをみっともないことのように言うアコス。
今までの盗賊・アコスだったら、欲望のままに、動いていたはずだ。
だが、今はもうそんな気になれなかった。
もしかしたら、もうクラーザには見捨てられているかもしれないと何度も裏切りを考えたが、だが、行動にうつすことは出来なかった。
「馬鹿だな…」
クラーザは安堵した様子で、アコスの体を起こしてやり、自らの体で支えた。
「だって…俺はやっぱりベルカイヌンになりたいんだ…
ベルカイヌンみたいに、強くてカッコ良くて、ディアマのメンバーになりたかったんだ‥」
クラーザの膝でうめき声をあげるアコス。
クラーザの姿を見た途端に、子供のように甘えた。
助かってもいないのに、なぜか助かったんだと錯覚する。
「お前はもう立派なディアマの一員だ」
「ベルカイヌン…うぅううぅ…」
「――――」
十耶はそんな二人を見つめ、そっと牢獄から離れいった。
「俺は何の役にも立てなかったのにいいのかぁ‥?」
「充分だ」
クラーザの低い声が安心する。
子供がだだをこねるような、そんな顔をした。
「俺チビだし、ガキによく勘違いされるのに‥‥?」
「身長は関係ない」
「ミールも蒼史を助けられなかったのに…?」
「お前に関係ない」
懺悔をしているようなアコス。
許されるなら、なんでも吐いてしまおう。
「俺実は‥あきを…あきを抱きたいって本気で欲情したこともあるんだよ‥‥?」
「知ってた」
「そうなのか‥?じゃあ…ベルカイヌンにちょっと嫉妬しちゃったことも知ってるのか…?」
「‥それは知らない」
アコスはうっすらと笑みを浮かべた。
良かった…と安心するような穏やかな表情。
「でも…そういや、ランレートさんが言ってたんだった。
ベルカイヌンがディアマに入れるって言ってもダメだって…」
「‥‥‥」
「イルドナがそうなんだろ…?
ベルカイヌンは誰でも入れようとして、グラベン様が勝手なことするなって怒るって」
アコスは昔のことを思い出していた。
「グラベン様に認めてもらわなきゃな…」
アコスは力なく…
嬉しそう笑みを浮かべ、目をゆっくりとゆっくりと閉じていった…
「――おい、しっかりしろ。このまま寝るな」
クラーザはアコスの体を荒く揺らした。
アコスはあれ?と目を開けた。
「こんなんで死ぬわけないだろ。重いから早くどけ」
「そんなぁ…」
夢の時間はあっという間に終わってしまった。
城は沢山の召し使い達によって、毎日、外壁まで丁寧に掃除された。
食事も蛇威丸や騎士団達だけでなく、城内で暮らす階級のある者たちの分を含め、沢山の料理がプロの手によって作られる。
騎士団達は仕事をする以外で、自分達の身の回りのことさえしなくて済んだ。
毎日、制服という名の個人の好きな新しい服を与えられ、ソイーヌに至っては、髪や化粧なども召し使いが行った。
「あんまり贅沢すぎて、贅肉が増えるばっかりだぜ」
ペケは満足そうに、酒を片手に庭を歩き、ピカピカに光る靴を土で汚した。
「しかし、ヒールのある靴は慣れませんねぇ」
「これが貴族の証拠ってやつだろが」
例え泥だらけで穴が空いたとしても、明日にはまた新しい靴が調達される。
こうなれば、物に愛着など沸くはずもない。
「まぁ…今まで見たこともないような宝や書物に出会えるのは、本当に有り難いことですけどね」
慶馬はかろうじて字が読めた。
だが、ペケもソイーヌも十耶も過去は生活が苦しかった為、学ぶことは出来ず読み書きも出来ない。
ビマーラにいたっては、目が見えないので問題外だ。
アダはそんなメンバーと違って、まだ学がある方だった。
「昨日、仕事で『ジジナ村』に行ってきたんだ。
クソ田舎すぎて笑ったぜ。
あいつら、芋しか主食がないんだ。うけた~!」
ペケの仕事というのは、人殺しだ。
また弱き者が住む土地を奪ったのだ。
「我々も昔はそうだったじゃありませんか。
ペケの故郷は、芋というより‥‥魚の方でしたかね?」
「フンッ…!そんなもん忘れた!
思い出したこともねぇ!
ちんけ過ぎて、記憶にも残らねぇよ!!」
ペケの生まれ故郷は海の近くだ。
だから、泳ぎは歩くと同じくらい得意である。
「こんなに金を使いすぎて、本当に大丈夫なんでしょうか?
なんだか時々、心配になります。
先代の王は、こんなに金遣いは荒くなかったと、役員の人が噂しているのを耳にしました」
「お前は貧乏性だな!
金なんて毎日、ザックザク入ってきてんだよ!
昨日だって、ちんけとはいえ『ジジナ村』を手に入れたんだ。
また金が出る」
慶馬は酒を溢しながら口にたれ流すペケを笑った。
「進んで人殺しをしてくれる仲間がいるから助かります。
あなたのおかげで、暮らしに苦労はしないようですね」
「ああ…!こうやって酒呑みながらでも、毎日毎日戦ってんだ。贅沢ボケなんかしねぇよ。
いつ、ディアマの残り者が来たって負けはしねぇ」
ペケの言う通り、ディアマを完全に潰すまで、騎士団の誰もが気を抜いてはいない。
必死で毎日、戦闘訓練を欠かさず行っている。
グシャ…グシャ…グシャ…
ヒールのない靴音がする。
二人が振り返ると、アダの姿があった。
「おい、王は見なかったか?」
アダは騎士団の中では少し浮いていた。
服も靴も剣もこだわり、調達される物には触れなかった。
「芋臭い野郎だな…。
それでも、騎士団のリーダーかよ。見て呆れるぜ」
「またその話しか。いいか?装備はこだわれ。
じゃないと、足元すくわれるぞ。
歩きにくい靴を履いて、戦闘中に転びでもしたらどうするんだ」
また、アダのじじくさい説教が始まる。
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「お前こそ、その履き潰したすり減らした靴で、滑って転ぶのが目に見えるぜ!」
アダとペケの終わりのない口論はいつものことだ。慶馬は無視する。
「こちらには、王は来ていませんよ。
確か…今日はどちらかのお偉いさんと外出するんではなかったでしたか?」
「名前くらい覚えとけ。
統括部のディショナー役員と『新雪の国』に行って、午後には戻る予定だ。もう帰ってるハズなんだが、どこにもいない」
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「そんだけわかってんだったら、もうじき帰ってくんだろ。
黙ってご主人の帰りを待ってな。忠犬野郎」
ペケは唾を吐いて、アダから距離をとった。
「ペケの奴、なに調子に乗ってんだ?
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このまま呆けていたら、騎士団なんて別の輩が成り代わる可能性もあるんだぞ」
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実績を重ねなければ、いずれ自分の地位が危うくなると、アダは考えていた。
この優雅な暮らしを維持する為にも、認められる勲章が欲しい。
「焦らずいきましょうよ…」
慶馬はまだ任命されたての騎士団を追い出されるなど、夢にも考えていない。
アダの心中などわかるはずもない。
「堕落するなよ」
悠長な慶馬に、アダは釘をさして、去っていった。
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