このタイムスリップは強制非公開!

輝石☆彡

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第九章✪柔らかいもの

柔らかいもの

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「護衛も頼む」

クラーザは、今回の戦いの指揮をとる年老いた団長から命を受けた。
パザナの村から遠く離れた場所で、今回の任務に臨む。

「護衛というか...
今回、わざわざ依頼して呼んだ祈祷師だから、傷をつけてはならんのだ。
己の村から一歩も出たことのないような世間知らずな祈祷師だ。戦には無頓着だからのう..」

「...」

団長にざっと簡単に新羅のことを聞いたクラーザは、とくに動揺することなく使命を受け入れた。
新羅はその日まで戦場に出たことがなかったので『護衛』が必要だった。

「まるで男のようだから、生意気で偉そうに感じるかもしれぬが、力は確かで将来有望と見込まれておる祈祷師だ。
くれぐれも不祥事を起こさぬように」

クラーザにプレッシャーなど無かった。
とにかく、任務をこなし金を稼ぎたい。

自分の名を世間に広めることに、
クラーザは興味が無くこだわってはいなかったが、グラベンが活動する時は必ず『ディアマ』を名乗れと言っているので、その約束は守っている。

グラベンが言うように、自分達の名が世に広まれば、
得することは沢山ある、という意見は賛成である。

団長が、新羅にクラーザを紹介すると、
新羅は物珍しいというような表情をして、クラーザを凝視してきた。

「名は何と申されるのですか?」


初めて見た新羅は、日本人形のような古風な印象を与えた。

クラーザの美形ぶりに、視線をあちこちさせていた新羅だったが、クラーザは返事すらしなかった。

「我々は、この紅い眼の彼を、
『ベルカイヌン』と呼んでおる」

「ベルカイヌン...」

『ベルカイヌン』とは、
『ベルン』が紅い瞳で、
『カイヌ』が強いという意味がある。

全体の指揮を取る団長が、
クラーザの代わりに新羅と言葉を交わした。

団長もクラーザも、
この戦の為に支給された皆と同じの鎧を着ている。

だがクラーザの方は紅い眼がとても印象的で、誰よりも際立って見えていたので、視線を反らしながらも新羅はその眼に魅入っていた。

「....では、新羅、ベルカイヌン、
互いに目的を達成させ、集合場所で会おう」

「はい、では後ほど」

クラーザのことはさておき、
団長と新羅は適当な会話をしながら、挨拶を交わし、決められた場所にへと別れていった。

クラーザは無表情で何も言わなかった。

なにひとつ話をしないので、
新羅はクラーザを口の利けない者かと思ったくらいである。
クラーザに対して、どういった態度をとればいいのか戸惑っていた。

この戦は5・6チームの団や族が手を組んだ大掛かりな戦だった。

目的が幾つもあり、10チームにわかれて、それぞれのチームのリーダーが指揮を取り、与えられた任務を果たすことになっていた。

新羅は戦の構成など全く知らない様子で、とりあえず新羅は、巨大な城に囚われている『姫の呪縛を解く』という課題を与えられていたので、それだけのことを考えているようだった。

他のチームのことなど関わることもないし、興味もない...そんな表情をしていた。

「ベルカイヌン、そろそろ出発の号令をかけてくれ」

チームメンバーの中の一人が現れ、クラーザに指示を仰いだ。

「―――っ!」

新羅はクラーザがチームリーダーだということに驚いた顔をした。
すぐ顔に出る、分かりやすい奴だなと思いながら、クラーザは新羅の横を通り過ぎた。

「――ああ。では、行くぞ。
そこの祈祷師は、お前に任せた」

チームの先頭に立ち、クラーザは直ぐさま飛び立つ。
『ディアマ』の名は世に広がっていなくとも、クラーザの知名度は少しずつ上がっていた。

小さなチームではあるが、リーダーを任されるようになった。


目的地の巨大な城が見え、舞台となる『呪われた姫』が囚われている部屋の前にたどり着くと、新羅には一旦、待つようにと指示を下した。

新羅の面倒をみる担当の部下が、簡単に説明している間、
クラーザは突入の準備をする。

「我々が部屋の中にいる姫を幽閉している化け物を片付けますので、それまで、祈祷師さまはここでお待ち下さい」

「..いいだろう」

どこが男っぽいかというと、まずは口調であった。
若い女がなんとも偉そうな態度と口調である。

クラーザは団長から前もって、
『村から一歩も出たことのない箱入り娘なのだ』と説明を受けていたが、これは、それ以上だろうと思わせるものだった。

偉そうな口調は、幼い頃から村の総長といえる存在の元で育った影響であろう。
『わし』と自分を示す言い方など、その者の真似に違いない。

クラーザ率いる10名の中には、新羅を馬鹿にしている者もいた。

「...ああいう高飛車な女は、
世間知らずで、自分の立場をまるでわかっていないな」

「一度、痛い目にあわせてやりたいな。
そうしたら、あの生意気な態度も少しは変わるだろうに」

チームのメンバーがこそこそと話しているのを、クラーザは知らぬふりをして聞き流した。

新羅を待たせた状態で、メンバーは部屋の中に飛び込んだ。
部屋といっても、中はとてつもなく広く、姫を捕らえている化け物の数は想像を超えていた。

新羅は一人、ただひたすら待った。

部屋の中に飛び込んだメンバー達は、化け物どもを一斉清掃するようにして戦った。
無我夢中で、四方八方に待ち構える化け物を叩き斬る!
メンバーの様子を気にしている余裕などなかった。


―――が、クラーザは違った。

血しぶきを浴びながら、死臭に巻かれながら、
心、此処にあらず。

亜紀のことを想っていた。
ただ純粋に、亜紀のことだけを想っていた。

亜紀の泣き顔。
亜紀の眠る顔。
亜紀を抱き締めた時の切ない顔。

そしてクラーザは亜紀の笑顔を想像していた。
亜紀の愛らしい笑顔が見てみたい..そう思った。

あっという間に片付いた部屋。
少ない人数で無数の化け物を退治したと、メンバー達は口々に讃えあう。

「だが、やはり..ベルカイヌンには負けるなぁ..
レベルが――桁外れに強過ぎる!」

覚醒者の力を目の当たりにしたものは、開いた口が塞がらない程だ。

「まるで....人の姿をした化け物だ...」








しばらくの間、沈黙となった。

皆が凍るような空気の中で、クラーザを見つめる。

「...」

クラーザはとりたて気を乱したりしない。
慣れた言葉だ。

だが、なんだろう..

今までにない孤独感と共に、やるせない気持ちに捕われる。
いつも澄ました顔しているクラーザが、俯き加減に自分の両掌を見つめる。

「...」

「ベ..ベルカイヌン、どうした..?」

傍から見れば、不自然な動きだ。
皆はまじまじと見るのではなく、遠慮がちにクラーザに視線を集めた。

強者が全ての世界。
機嫌を損ねさせては、自分の身が危ないと考えるからだ。

「...」

化け物...
覚醒者は化け物なのか..

クラーザは拳を握り締めた。
強く強く握る。自分を戒めるように。
 

化け物などいるものか。

覚醒者も―――妖魔女も...同じ『人』だ..


それは自分に言っていた。
亜紀を『化け物』扱いし『人間』扱いしようとしなかった哀れな自分に。

「ベルカイヌン...?」

視線が遠くに飛んでいるクラーザに、メンバーの一人が呼び掛けた。
しかし、クラーザは戻ってこない。



あの人に、早く会いたい。
亜紀に会いたい。

もう一度、あの瞳を見つめて、
あの華奢な肩を抱き締めたい。

亜紀に早く会いに行きたい..!



そう思ったら、心が逸る。
早く事を済ませて、亜紀の待つ村に戻りたくなる。

一刻も早く帰りたくなった。




「ベルカイヌン、早く祈祷師を呼んでこよう」

「―――」

その一言で、ようやくクラーザは現実に引き戻される。
そうだ、早く仕事を終わらせねば。

クラーザとメンバーの一人が新羅を待たせている場所に戻っても、人の姿が見当たらなかった。
だが、すぐに気配を感じた。

大勢の男達の笑い声。
そして、女の悲鳴。

二人は直ぐ様、声のする方に向かった。




「お前ら!離れろ!!!!」



扉を開けるや否や、メンバーの男は叫んだ。

その部屋では、複数の男達に囲まれた淫らな格好をした新羅の姿が。
男達は新羅の身体を弄ぼうと、馬乗りになっていた。

「.....なんだぁ?てめぇ...」

男は不機嫌になり、新羅から離れ刀をチラつかせた。
淫らな行為をしようとしていた男が、舌打ちをする。

「てめぇ覚醒者か?横取りしよって魂胆だろ?」

男は苦笑いし、クラーザに刀を向けた。

クラーザはなぜか苛立ち、
紅い眼を光らせて男の前に進み出る。

「横取り?..何の話だ」

「けっ!カッコつけやがって!てめぇだって、ヤリてぇんだろ!!」

ビュッ!!っと刀を振り切ったが、
クラーザは風をきるように軽々と避けた。

普段ならば、気にも止めないことが、今のクラーザには許せなかった。力付くで女を押し倒す行為が許せない。

以前に亜紀がそうされようとして、脅えながらクラーザの胸に飛び込んできたことを思い出し、今更になって怒りが込み上げてくる。

「――お前は、ザダ団だな?
鎧を見ると...配属は開門か。
さっさと目的を終えて、次は城内荒しか」

クラーザは全てを把握していた。

「だったら何だってんだ!うぜぇ男だぜ!!!!」

男は刀を振り回すが、クラーザには全く歯が立たない。
苛立っているとはいえ、
やはりクラーザは冷静で、顔に感情は一切出さない。

「――――チームリーダーは、陰影族のパラン総長か。
パラン総長はよく知っている。
お前のことは、任務妨害で報告させてもらう」

「てってめぇ!!!!何様だ!!!!
ただの頭でっかちの薄気味悪い野郎がぁ!」

メンバーの一人は新羅の元に駆け寄り、新羅の身を案じた。

「お前に名乗る必要もない。
戦場に来る前に下調べをしておけ」

シュッ―――!!!

そう言ったクラーザはカァッと眼を開き、手も触れずに男の首を切り落としてやった!
殺すまでの必要はなかったのかもしれないが、クラーザは微塵も同情はしない。

むしろ、その場の全員を皆殺しにしようとまで思ってしまったくらいだ。
が、そこは堪える。

「――――――!!!!」

一瞬、騒然とした部屋の中。
クラーザの迷いない行動に、その場の者達は言葉を失う。

「ラーゲン」

クラーザは新羅の横にいたメンバーの名を呼んだ。

「はい」

「この首を、パラン総長の元に持ってゆけ。
そして、こいつの代わりに残りの仕事をしてこい」

怒りで頭に血が上ったとしても、
クラーザは後のことも必ず考えている。沈着冷静だ。

「了解」

クラーザを信頼しているラーゲンは、
クラーザの指示は絶対だと思っている。
転がった生首を持ち上げ、部屋を出て行った。

「う....わぁぁ――っ!!!!」

他の男達はクラーザの力に怯え、一目散に部屋を逃げ出した。

クラーザ率いるチームは着実に目的を達成させ、
予定通りの時間内には集合場所にたどり着き、任務を確実にこなした。

新羅にも無事、姫の呪縛を解くという任務を果たさせた。

クラーザが村に戻る前に、パラン総長から連絡が入った。
『滝の果て村』の長が、村の宝である新羅を救ってくれた礼がしたいと、ふたりを村に招待していると。

むろん、クラーザは礼など及ばず話を断ったが、パラン総長がどうしてもと言うので『滝の果て村』に向かうこととなる。

どちらにしても二つ目の仕事が『滝の果て村』の近くである為、宿代わりにすることにした。

「―――で、ベルカイヌン。
例の人は...いびき姫はいかがなさっている?」

『滝の果て村』に向かう道中、
パラン総長は亜紀のことを気にかけ尋ねてきた。

「あいつは..」

クラーザは一度は言葉を濁したが、
面倒なことになるのは避けたかったので、また嘘をつく。

「あいつは病死した」

「なんとっ..!」

自分の故郷に帰った、など色々考えたが、そうすれば追いかけて行きそうな気がしたので、気が引けたが死んだことにする。

実際、本当に亜紀は元の世界に帰っていくことになるので、もう二度と会うことはない。

ならば、死んだも同然だ。

「そうだったのか。
美人薄命とよく言うが、まさにそうだな...
そうか..残念だ...なんと悲しいことか...」

パラン総長は、かなりショックを受けているようだった。

「...」

嘘をついたクラーザも、なぜか悲しくなる。

そうだ。
もう会えなくなるのだ..

ふたりが『滝の果て村』に到着すると、村の者達は早々と村一番の屋敷の中にへと案内した。

案内された宴会場には、
屋敷の主が待っていて、微笑んでふたりを迎える。

「世間知らずのうちの新羅が任務中にふらふらと出歩き、
他の方の邪魔になり、更に犯されそうにまでなってしまい、ベルカイヌン殿にはお手数をおかけし、救いの手を差し伸べて頂いたそうで..
なんと礼をして良いのやら。
新羅があまりにもベルカイヌン殿に感謝したいと、まぁ..そういうことなので、パラン総長殿にはお力をお借りし、こうしてベルカイヌン殿をお連れして頂いた訳なのでございます」

屋敷の主はパラン総長に話をする。
ちらちらとクラーザを見ながら。

「私どもが一緒に良いのかとも思いましたが、彼だけ来させるのも...と思い、今宵はお邪魔しました」

パラン総長は穏やかに笑った。

「ベルカイヌン殿、お初お目にかかります。
この度は、新羅を救って頂き、まことにありがとうございました」

屋敷の主は丁重にクラーザに挨拶をするが、形だけの挨拶に見えた。

「構わん」

パラン総長の隣に座ったクラーザは、
今から始まるうわべだけの宴会に嫌気がさしていた。

「....」

屋敷の主はクラーザが気に入らない様子で、笑顔を引き攣らせていた。『不気味な男だ』と顔に書いてあるようである。

「お屋敷殿、ベルカイヌンのこの無愛想は昔からです。
決して気になさるな」

「あ...ははっ..
いや、そんな恩人様にそういう訳ではございませぬ」

屋敷の主は心理を読み取られたように思ったのか、少し焦っていた。

「今夜は宿を借りるつもりで参っただけだ。礼など構わない」

「でっではでは、なおのこと。
今夜は美味しい物をたらふく食べて、ゆっくりとお休みくだされ」

屋敷の主は表向きだけクラーザに愛想をふって、後は、パラン総長と話に花を咲かせた。

酒や食事が運ばれて来る中――

「失礼致します..」

そこに美しく着飾った新羅が現れた。

「お―..なんと、今夜は更にお美しい..」

女好きのパラン総長が新羅の登場に喜び、一瞬、にやりと微笑む。

「新羅、待っておったぞ!
ささっ!早くこちらに来て、パラン総長殿に挨拶をしなさい」

「は..はい..」

照れ臭そうに新羅が部屋に入る。
クラーザを意識しているようだったが、視線だけ送り、パラン総長の隣に座った。


「それで、パラン総長殿の噂は―――――」

クラーザは手に持った杯の中の酒を、ぼんやりと見つめていた。

「....パラン総長殿がおっしゃるのでしたら――」

ゆらゆらと揺れている水に、暗い顔をしている自分が映る。
クラーザの気持ちは、遥か彼方に飛んでいた。

亜紀は今頃なにをしているのか。
亜紀が死んではいないか。
そんなことばかりが気懸かりで、
心が重く沈み、食欲も湧かなかった。

「うはははっ!さすがはパラン総長殿ですな!」

周りでは、賑やかに話に花を咲かせていたが、クラーザには話に加わる元気も気力もなかった。

いくら経っても、クラーザは顔を上げて皆と話をする気にならなかった。
新羅も黙ったまま、パラン総長の隣に座っている。

ガタッ..

「....」

そしてついに、クラーザはその場を立ち上がる。
一瞬、皆が注目した。

「―――ベルカイヌン殿、もうお休みされますか?」

屋敷の主は苦笑いしてそう言ってきた。
クラーザは屋敷の主の目をじっと見つめる。

せっかくお呼ばれしたが、そんな気分にはなれない。
酒の場を用意してくれたことに、なんだか悪い気がしたが、
クラーザは我慢ができなくなった。

「できればそうしたい」

一人になりたい。
静かな場所で、心を落ち付けたい。

「ふはは...ベルカイヌン殿には難しい話ばかりでしたかな?
まぁ戦場に出ている者であれば、力が全てでしょうから、仕方ありますまいな」

少し馬鹿にしたような主の言葉だったが、今のクラーザには、そんなことどうでも良かった。

「...」

クラーザは目を離さないまま、黙っていた。

「お...お屋敷さま、それは失礼でございましょう!?」

新羅が口を挟んだ。
屋敷の主はクラーザの紅い眼を見てはいられずに、視線を反らす。

「おほほ...
ですがベルカイヌン殿には、こんな長話は退屈でしょう。
部屋に好みの女を参らせますので、お好きにどうぞ」

主の言葉の意味が、瞬間、わからなかった。
だが、すぐにクラーザは理解する。

「好みはない。遠慮する」

そう言ったクラーザはさっさと部屋を退室した。

そんなもの必要ない。
女になど興味もない。
いや..今は『女』を見るのが辛い。
亜紀を思い出してしまって、心が窮屈になる。

「ベルカイヌン...!」

背後で新羅の呼ぶ声がしたが、
クラーザは即座に宴会場を後にした。



「彼には…その…本当に女性は必要ないのですよ。
かえって彼には重荷だ…うん…お気になさらず…」

事情を知っているパラン総長は、クラーザの男色家という事実を隠してやらねばという使命感に駆られた。
人が良いのがパラン総長である。







…新羅はクラーザが案内された部屋に、
声もかけずに、いきなり押し入ってきた。

「ベルカイヌン..気を悪くしたか?」

クラーザはとりあえず暗い部屋の中に入り、小さな明かりを燈した。

「....」

一人になりたいが為に宴会場を抜け出したのに、
空気の読めない奴だなと、ため息をつく。

「そなたに、礼をするつもりだったのに...
失礼なことをたびたび...」

どこか慌ただしい新羅は、咄嗟にクラーザの腕に触れてきた。
クラーザは思わず振り向く。

「...何度も言っているが礼には及ばない。
招かざる客だとも、百も承知だ」

クラーザは屋敷の主の待遇に不満を感じている訳ではない。

新羅のいらぬ気遣いが、
はっきり言って迷惑にも感じていた。

「...では、女は」

新羅は、震える声で話しかけてくる。

「夜の女は...いらぬのか?
せめてもの礼だ。わしが連れてくるぞ...」

新羅は何か勘違いをしている。
クラーザが宴会場を抜け出してたのは、宴会場の空気や接待が気に食わなかったからではないのに。

ただ、淡く切ない想いに耽りたいだけなのに。

「必要ない」

クラーザが言い切っても、新羅はしつこく食い下がる。

「なぜ?男ならば...欲を満たしたいものであろう?」

「...」

クラーザは畳みの上に胡座をかいて座り、新羅を見上げた。

「そなたも男であろう..?」

新羅のいらぬ節介が、クラーザを少し苛立たせる。

見知らぬ女など、いらないと言ったらいらない。
なぜ、そのような女を欲しがらなければならないのか。
うんざりする。

「何か勘違いをしていないか。
俺はそんなもの望んではない」

そんなことをしても、自分の欲求は満たされない。
自分の欲を満たすものは、もっと別にある。

「....」

クラーザは新羅を追い払うように睨み付けた。
話に決着がつかないまま、沈黙が流れた。

クラーザは新羅が早く部屋から出ていってくれないものかと考えていた。


「そなたと、話がしたかった」

新羅が口を開く。

「...」

クラーザはようやくまともに新羅の声に耳を傾ける。

何を言いだすんだ..

クラーザは新羅の考えがわからなかった。

「そなたを見た時から..
何か不思議な気持ちに掻き立てられたのだ」

だが、自分は新羅と話をしたいなどと微塵も思わない。

「話はそれだけか」

クラーザは気怠そうにした。

「ベルカイヌン!最後まで話を聞いてくれぬか?」

「....」

「そなたとわしは似ている。そなたはそう思わぬか?」

「どこがだ」

「境遇は違うが、なにもかもだ。
わしは生を受けてから、生まれ持った『能力』に翻弄され続けておる」

クラーザの気持ちはさておき、
新羅はベラベラと自分の思いを告げてくる。

「そなたもそうじゃ。
その血のような奇妙な紅い眼。
猛毒のような紫の髪。
それに...あの計り知れない力。
そなたも、わしと同じように、
この人並み外れた力に、幾度と苦しめられただろう!?」

「....」

疲れる..
なんの話だ。

クラーザは片手で顔を半分覆った。
ため息を吐きながら、クラーザは呟いた。

「..確かにこの眼を誇らしく思ったことは、一度もない。
だが、この力を憎らしく思ったこともない」

それは事実だ。
他人に気味悪がられても、クラーザは何とも思わない。

「そなたは、強いんだな...」

「....強くはない」

「だが、そなたは一人だ。
わしには、わしを拘束するように必要としてくれる者達はいる」

新羅はクラーザの正面に座り、
手に持った杯をクラーザに渡し、ぐいぐいと酒を注いできた。
自分を否定されるような言い方に、クラーザは眉をしかめる。

「俺は自由だ。
この力を多いに利用して、自由に生きる」

何と言われようと、自分を卑下したりしない。

「自由..」

新羅は自分にも酒を注ぎ、勝手に酒を飲み干した。
強引すぎる新羅の態度にクラーザは目を疑う。

「なんじゃ...?」

新羅は図々しくも、もう一杯、飲もうとしている。

「いや......祈祷師は酒も禁止なのかと..」

クラーザはあえて『まさか、ここで飲む気か?』とは言わなかった。

「ふふふ....確かに人前では飲まぬが、飲んだところで何の異常もない。そなたとは、打ち解けたいから共に酒を飲む」

「勝手に打ち解けられても..」

クラーザは迷惑そうな顔をした。

なんなんだ。
この女。

すると新羅は、ズズッと身体を近付けてきた。

「いいではないか!わしに色んな話をしておくれ!
それとも、抱けない女とは仲良くできんと言うのか?」

新羅は皮肉っぽく言った。
クラーザは諦めた表情をする。

「またその話か..俺は女など必要ない」

「ならば、交渉成立じゃ!
わしは女でない。仲良くしよう」

新羅が勝ち誇ったように微笑んだ。
新羅の強引さに、クラーザはただただ押されるだけだ。

だが、そのうちに、気分転換に話でもしてみるかというに気に自然と変わってゆく。

一人でいても、心が落ち付くこともないだろう。

それから...
クラーザは新羅の『祈祷師』という名に興味が湧き、玉石に漂う浄化の仕事を依頼するようになる。

新羅は若いが、祈祷師の力は確かであった。
クラーザは良い収穫をしたと思うようになる。

新羅は見返りを求めないし、気さくに話せる存在ともなる。

亜紀と出会わなければ、
この女と話す気にもならなかっただろう。

顔も性格も何もかもが違ったが、亜紀と重なる部分があった。
新羅が男に襲われそうになった時に、クラーザには亜紀が見えた。
亜紀を救ったつもりになった。

『どうして来てくれなかったの。
何度も貴方を呼んだのに』

そう言った亜紀のちょっとした言葉が、クラーザの心を動かしていた。

自分の名を呼んでいる。
自分を必要としている。

なんだか、心が温かくなっていた。




翌日、大きな騒ぎがあった後。

「ベルカイヌン..!」

新羅は召使が大勢いる前で、クラーザにしがみ付いてきた。

「...」

クラーザは次の仕事に旅立つつもりだった。

「次はいつ会えるのじゃ?次は..次はいつ..!?」

新羅は何度も命を狙われた後で、かなり動揺していた。
クラーザに助けを求めていた。

「また新たに、玉石を手に入れた時だ」

玉石を浄化できる者は、
クラーザが知っている限りで、今は新羅しかいない。

「いつ手に入れるのじゃ?
わしは...はよう、そなたに会いたい!」

新羅の素直な言葉は、決して嫌な気にはさせられなかった。

「強引な奴だな」

クラーザはふっと小さく笑った。

「んあ..」

新羅はクラーザの微笑したことに胸をときめかせた。
つい、息を飲んでしまう。

「ベルカイヌン..」

そこに、片腕を失ったパラン総長が近付く。

「パラン総長、無事か」

クラーザはパラン総長を気遣う言葉をかけた。
だが、たかが片腕を失っただけだと、大して驚きはない。

「..この通りだ。早く腕を元に戻さねばならん」

新羅はパラン総長の腕を見つめて、何か閃く。

「そうじゃ..!
村の近くに優秀な薬師がおる!
その者なら、必ずやきっと腕を元に戻せるはずじゃ」

新羅はクラーザに向かって言った。
クラーザは小さく頷く。

「――では、パラン総長のことを任せられるか。
俺はすぐにでも、次の場所に向かわなくてはならない」

パラン総長とクラーザは次の任務にかかるはずだったが、
急遽、パラン総長を置いていくこと決意する。

パラン総長は恥ずかしながらも、任務不参加を希望する。

「ベルカイヌン、申し訳ない」

「ああ、構わない。俺一人でも十分だ」

今から向かう場所には、別の協力者もいる。

「待て..」

新羅は慌てて話に割り込んだ。

「わしが..わしが代わりに行く!」

「はっ?新羅殿、何を申されますか!」

パラン総長は新羅の突然の申し出に焦る。
新羅は完全にクラーザのことしか見ていなかった。

「ベルカイヌン、きっと今回の仕事も例の物がらみであろう?
ならば、わしも共に参った方が良いではないか」

例の物とは、玉石を意味する。
クラーザはふと考えて、口先だけで笑みを浮かべた。

「そうだな。その方が時間短縮で助かる」

どうせ、次の仕事先でも玉石を手に入れることになる。
玉石の邪気を取り払う為に、またこの村に戻ってくることを考えれば、新羅が共に来てもらった方が楽である。

「そうであろう!では、今すぐにわしも!」

新羅は喜びを隠せずに、満面の笑みを作った。
慌てて旅立つ準備に向かう。

「あ...新羅殿...!」

パラン総長は走り去ってしまう新羅を呼んだが、新羅は振り向かなかった。


こうして、クラーザと新羅の旅が始まった。













「......大丈夫か?」

吐き気を感じて固くなっていた亜紀に、優しく声をかけてきたのは、茶色の目をしたイルドナだった。

「うぐっ...ゴホ...ケホッ..」

亜紀は激しく咳き込みながら、イルドナの顔を見上げる。

「水を持ってきた。――――ほら、飲め」

イルドナは水が沢山入ったコップを亜紀に差し伸べた。

「あっ..クラーザ..クラーザは..!?」

亜紀はクラーザを捜した。
クラーザが旅立ってから、四日が経っていた。

「クラーザはここにはいない」

「アタシのせい?」

「なぜそんなことを..
あいつは仕事があって出ているだけだ。じきに帰ってくる」

イルドナには亜紀がご主人様を健気に待つ動物のように見えた。
イルドナの目元が緩む。

「クラーザの姿が見えないと、寂しいのか..?」

「....」

『うん』と頷きたいようだが、亜紀は答えられずにいた。

「クラーザもあんたには、特別な何かがあるようだ。
すぐに...あんたに会いに、クラーザはきっと帰ってくる」

その言葉に、亜紀はすがるような瞳でイルドナを見つめてきた。

「本当..?」

「嘘なもんか」

大粒の涙を浮かべる亜紀を、イルドナは可哀想に思った。

トン...

フラフラで不安定な亜紀を、イルドナはそっと抱き寄せる。

「クラーザの代わりに、私があんたを面倒を見る。
クラーザと約束をした」

「イルドナさん..」

イルドナが亜紀の頭をポンポンと撫でると、亜紀の張り詰めていた緊張の糸が切れる。

「イルドナさん...!...アタシ...アタシ...!」

いきなり号泣しはじめる亜紀に、イルドナは驚く。

「どうしたんだ?
私で解決できることならば、何でも聞くぞ」

「アタシ...前の世界に帰りたくないの…!
帰りたくない...!」

イルドナは泣きじゃくって話す亜紀を優しく抱き締める。

「それは、なぜなんだ?」

「クラーザがいないの...クラーザがどこにもいないの..!」

未来から来たという亜紀。
そんな亜紀がクラーザはいないと言い張る。

未来のクラーザはいない。
つまり...

「クラーザは―――死ぬのか?」

「うっ....うぅ..」

言っていいものなのか。
未来の出来事を言いふらしていいものなのか。

亜紀は迷った。
伝えることで、未来が変わるならばいい。
だが、恐るべきことは、もっと現状が悪化することだ。

「そうなのか..!」

イルドナは身を凍らせた。

あり得ない!
不死身だと誰もが思っている覚醒者のクラーザが死ぬなんて!

「ランレートが言うように、あんたが本当に未来から来た人間なのならば、今後の私達の行く末を包み隠さず教えてくれ..!」

イルドナは、亜紀の両肩を強く掴んだ。

「...そうすれば、
私達は―――いや、クラーザは最強となるんだ!
もはや敵無しだ!」

イルドナは怖いくらいに真顔で、少し興奮状態にあった。

未来を知ることが出来れば、嫌なことは簡単に回避出来る。
不意討ちで殺されることは、まず無くなるだろう。

「イルドナさん..!
アタシの話..信じてくれる..?
アタシの話..きっと難しいけど..イルドナさん...!」

亜紀も真剣な表情で、イルドナにすがりつく。
イルドナは茶色の目を大きく見開きながら、深く頷いた。

「もちろんだ!聞かせてほしい...!」

今のイルドナなら、きっと全てを理解してくれるはずだ。
亜紀の話を疑わずに、きっと聞き入れてくれるだろう。

亜紀は、コクリと頷いて、
何から説明しようか、少し考えた。

「アタシ――――」

「...」

イルドナは亜紀の言葉を待った。
急かすことなく、いや..亜紀を見つめる視線がどこか急かしているようにも見えたが、口元をきゅっと固く結んで亜紀の話に耳を傾けた。

「アタシ...5年後くらいの未来から来たと言ったけど、
その前は、300年前の過去から来たの..!」

「はっ!??」

イルドナの聞き入れようとしていた態度は一瞬にして崩れさり、亜紀に疑いの目を向けた。

疑う訳ではないが、実に信じがたい..

「300年前の世界、
言葉も文化も何もかも違った世界から、アタシ来たの..!」

「そ...それは、本当なのか..」

さすがに『教えてくれ!』と、こちらから頼んだ立場ということもあって、イルドナはたじたじになる。
こういった自分の心変わりの早さに、イルドナ自身すら嫌気がさす時もある。

いやいや..だが、あまりにもブッ飛んだ話は別だろう。

イルドナは自分に言い聞かせる。

「300年前って...そんな馬鹿なぁ~...」

しまいに、苦笑いする始末。

「えっ..あのっイルドナさん..!本当!本当の話なの...!」

亜紀は慌てた。
イルドナの苦笑いに焦る。

「300年前のことなど、私は想像がつかないなぁ..」

イルドナは天井を仰ぎ、
一気に話を聞く気を喪失させた。

「イルドナさん、わかるはず!
だって...アタシが妖魔女とか、覚醒者はどんなだとか、アタシの国のこと教えてくれたのは、イルドナさんだもの!」

「へっ..?」

イルドナは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
亜紀は必死に続ける。

「300年前から来たアタシに、
言葉も何もわからないアタシに、
イルドナさんが話しかけてくれたの!日本語で!」

「ニホン..語..?」

イルドナは片言を話すように、亜紀の言葉を真似た。

「イルドナさん、知ってるでしょ?
妖魔女のこととか詳しいんでしょ..?!」

亜紀がズイズイとイルドナに近付くと、イルドナは後退りする。

「いや....」

イルドナはなぜか申し訳なさそうな顔をして、ゆっくりと言い放つ。

「知らん」

「えっ!!!!嘘!?」

亜紀はムンクの叫びの絵のように頬に手をあて、驚きの表情を見せた。

「...」

イルドナは意味がわからず、だが、とりあえず、亜紀の言おうとすることに真剣に耳を貸す。

「イルドナさんが通訳みたいにして、クラーザの言葉とかアタシに教えてくれたのに..」

最初に出会った時は、少し意地悪なイルドナではあったが。

「悪いが、私は異国の言葉など話せないぞ..
それに、妖魔女のことだって、
『漆黒の瞳と髪』
『透けるような肌』
『覚醒者の力を吸い取る』
それだけの一般的な情報しか知らないぞ」

「なんで..どうして...」

亜紀は困惑した。
そんなはずはない。
だが、目の前のイルドナが嘘をついているようにも思えない。

「300年前から来たというあんたと、初めて出会った5年後の私はどんなだった?
やっぱり今よりも老けていたか?
....私のことだから、まさか...あんたに手を出してはいないよな?」

イルドナが話題を明るく変えようとしているのがわかった。

「はい....」

そんな時、亜紀はふと違和感を感じた。
亜紀が感じたイルドナの第一印象は『取っ付きにくい怖い人』であった。

出会った最初の頃からイルドナは、
亜紀のことを良く思ってなく、
クラーザから引き離そうと、言葉巧みに残酷なことを仕掛けてきた。

―――だが、この世界にやって来てきてからはどうだろう..?

亜紀に牙を向けるどころか、
誰よりも好意的で、とても心遣いが行き届いている。

時代が違うとはいえ、
5年前でも、5年後でも、イルドナはイルドナ。
同じ人だということには変わりはないのに。

それに不自然なのが、『日本語』を話せないと言うことだ。

5年後のイルドナは『妖魔女』に関する知識は誰よりも優れていた。なのに、なぜ...


「どうしたんだ..?
何か嫌なことでも思い出してしまったか?」

イルドナの心配そうな優しい視線に亜紀は『まさか』と思う。

同じ人...よね...?

「いえ...何でも...」

亜紀は言葉を飲み込んだ。
何かひっかかる..けれど『何か』がわからない。

何か..何か気付けることがあるはずなのに..

「ふぅん...そうか。で?話の続きを」

イルドナは亜紀の考え込み始めた態度に、何の疑問も持たずに話を先に進めようとした。

亜紀は、ふと首を横に振る。

「――いいえ...何でも..ないです...」

その先の話を閉ざした。
まだ何かわからない不快感をさておき、あれこれと話すのを止めることにした。

「...」

そこでようやく、イルドナは首を傾げた。

「ごめんなさい、イルドナさん。何でもないです..」

もう少し冷静に考えよう。『何か』違う気がする。

亜紀は口を閉ざした。

「そうか...」

イルドナは亜紀のうつむいた横顔を見ながら、ただ頷いた。







そうだよ...

イルドナさんだけじゃない。
この世界に来て『変』だと思った人はたくさんいた。

まずは、蛇威丸。
なぜ、あんなに好意的だったのだろう。

前の世界で会った時は..
アタシが初めて蛇威丸に会った時の彼は、乱暴で恐ろしくて、まるで『蛇』だった。

年数が違うだけで、
こうも人の態度は変わるものなのだろうか..

ランさんも、グラベンさんも同じだ。
初めて前の世界で会った時は、とても穏やかな人達だと思ったのに..

まぁ..この世界ではクラーザの敵として、勘違いされてしまったから、仕方がないのかもしれないけれど...

それにしても、クラーザだってそういえば不思議だ。

だって、前の世界でも、この世界でも、
アタシは覚醒者のクラーザを脅かす存在ということに変わりはないのに、

この世界では、あからさまにクラーザはアタシを嫌い、
前の世界では、クラーザはアタシをすんなりと受け入れてくれた。



『何か』おかしい....?












「ありがとう!ベルカイヌン!」

新羅はクラーザの手を強く握り締めた。

「...」

クラーザは新羅の手を引き、
しりもちを着いた新羅の身体を起き上がらせる。

グイッ..

クラーザの力が多少強かったのか、
新羅は勢い良く立ち上がり、そのまま、クラーザの胸元にぶつかった。

「あっあぁ...!すっすまぬ、ベルカイヌン!」

抱き付くようにぶつかってしまい、新羅は慌てふためく。
すると、その様子を遠くで目にした者が声をかけてきた。

「新羅殿、無事ですか?」

ここは戦場である。
言葉通りに戦場にやってきた新羅は、ちょっとした足手まといになっていた。
敵の小さな爆撃で思わずしりもちを着いてしまった。

「祈祷師を頼む」

クラーザは近付いてきた者に新羅を託し、更に奥の戦場にへと向かっていった。

「ベルカイヌン..!気を付けて!」

新羅は旦那のお見送りをする妻のような気持ちになった。

「新羅殿、こちらの安全な場所に参りましょう!」

クラーザに新羅を任された者は、すぐに新羅の護衛をと勤める。

「ベルカイヌン....」

新羅は胸の前で両手を合わせ、恋い焦がれる一人の女になる。
クラーザは魅力的だった。

強くたくましく、冷静沈着で、賢く、
何よりも...美しい。

完全に新羅はクラーザに心を奪われていた。

「ベルカイヌンは大丈夫です。彼は覚醒者。無敵だ」

そんなことを横で呟かれても、
今の新羅の耳には入らない。

「なんて美しい男なのじゃ..」

ため息まじりに、新羅はそう呟き返した。

見ているだけでいい。
こうして、遠くから眺めているだけでいい。

この時は、まだそう思っていた。




クラーザはとっとと仕事を片付けることに専念した。

「あなたは何をそんなに急いでいるのですか?
今日のあなたは、全く人の言葉に耳を貸さない。
そんなでは、下の者がついてきやしませんよ」

共に仕事をする者が、クラーザにそう声をかけた。
クラーザは血の生臭い匂いを拭いながら、後方を振り返った。

「....」

「あなただけの任務ではないのですよ?」

名前も知らぬ者。

普段のクラーザならば、仕事前に全ての者の名と情報を得るようにしているが、今回はそういえば、そんなことに気が回らなかった。

誰だ..こいつ..

「誰かがそう言っているのか」

「そういう訳では...
ですが、皆がそう思っているはずです。
皆、あなたと共に任務を果たすことに、少なからず期待しています。
あなたが一人で別行動を取ると、なんだか期待はずれだ..」

最近、世に名を広め始めた『覚醒者』のクラーザ。
そんなクラーザに興味を持ち、共に仕事をしてみたいと任務に参加する者は多い。

「そんなこと俺が知るか」

クラーザは無責任にも、その者の言葉を一途両断にする。

「それでもあなたは今回のチームリーダーですか?呆れてしまう..」

「仕事は計画通り。何が不服だ。
俺に戦の何かを教わろうなど、お門違いだぞ」

クラーザはその者に眼も合わそうとしなかった。

「いい加減な言い草ですね?
そうおっしゃるのならば、
もう二度とあなたの下で仕事をするのは御免だ」

声を荒上げてきた。
クラーザは振り返りもしない。

「...」

クラーザは前に歩き出した。

勝手に言っておけばいい。
他人の面倒まで見ていられるか。
こっちも目的をはき違えている奴などと一緒に仕事をしたくはない。

二人のちょっとした口論を聞き付けた他の者たちが、何名か近付いてきた。

「何をもめているのだ?」

「ベルカイヌンがいい加減なことを言ったので、つい気持ちが高ぶってしまったのです」

「ベルカイヌンが..?」

「自分さえ良ければ、他の者はどうなってもいいようですよ」

クラーザの悪口をあからさまに口にする。
他の者も小さくどよめいた。

「ベルカイヌン..!この者が言っていることは真実か?」

ス...

クラーザはふいに足を止める。
皆がクラーザに視線を集めた。

「...俺は自分の目的を果しに来たまでた。
仕事が失敗に終わったのならば小言は聞くが、予定通りに成功したのだから、文句を言われる筋合いはない」

確かにそうだ...と、その場は納得しているようだが、何か異様な空気が流れ始めた。

ザザッ..

「ベルカイヌン...!そなたに、届け物が来たぞ」

すると、別の方から新羅が駆け寄ってきた。
片手にはなにやら白い筒のような物。

「...」
「...」

騒ついていた男達が、黙ってその様子を見つめる。

「そなた宛じゃ。名が記してある..!」

新羅はその筒をクラーザに手渡した。

カサ..

クラーザはすぐ様、筒を受け取り、中に入っていた手紙を広げた。
そこには、見知らぬ暗号。

「...なんじゃ?なんと書いてある?」

新羅は中に書かれてある文字を読み取ろうと、手紙を覗き込む。

「.....」

クラーザには、その暗号がわかった。
イルドナからのメッセージだ。

内容は、こう書かれていた。

『すぐに戻れ。かの女、容体、急変』

亜紀のことだ!

クラーザの眼の色が、一気に変わった。

冷酷な切れ長の眼が、
大きく動揺し、眼が全開に開かれる。
そして、顔が引きつる。

「ベルカイヌン...!?どうしたのじゃ?
なんと書かれておるのだ!?」

新羅がむきになって問い掛ける。
クラーザは手にした紙から、一瞬も目を離すことができなかった。

手が....微かに震える...

「....」

カサ...

擦れた紙は二枚に分かれた。
クラーザは、もう一枚の方に気付き、紙をめくる。

そこには...


『クラーザ...あなたのいない世界なんて、私は考えられない。
クラーザのずっと側にいたい。

あなたが私を知らなくても、
私と過ごした記憶が何度なくなったとしても、私は、そんなあなたの側にでもいい。
クラーザの近くにいて、クラーザの姿を見ていたい..

あなたを愛してる。
クラーザ以外、私は誰も愛せない。愛したくない。

死ぬのが怖いよ..

でも...
あなたに会えなくなるのが、
何よりも不安で恐ろしくて、怖いの..

クラーザ..離れたくないよ...』





見知らぬ文字だった。
そこに書かれていた『日本語』はクラーザには全く読めなかった。

たぶん..この世界の誰もが読めないだろう。

「これは...?」

新羅は眉間に皺を寄せた。
何の暗号かと懸命に考えるが、さっぱり分からない。

「...」

クラーザも同じだった。
つらつらと書き記された文字の一文も、読むことすら出来ない。

「ベルカイヌン、そなたの暗号か?」

新羅はクラーザの顔を覗き込む。

「いや..」

クラーザは微かに首を横に降った。
新羅は『なんだそうなのか』と肩を落としたようだった。

だが...

ス――...

クラーザは手紙に手を触れる。
所々が、凸凹になっている。
何かに濡れて乾いた跡。

あいつの『涙』...

泣きながら、またこの俺に何かを一生懸命に伝えようとしていたのか。

クラーザの心が亜紀でいっぱいになった瞬間だった。

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