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第五章✪歯止め
歯止め
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グラベンが蛇威丸の城に幽閉されてから、二週間が過ぎた。
カツン...カツン...
甲高いヒールの音が鳴り響く。
グラベンが幽閉されている場所は、城の一番上の部屋だ。
ギィィ..
重々しい鉄の扉が開き、蛇威丸が入室する。
「―――王子..」
蛇威丸の登場と共に、
見張りをしていた者達が深々と礼をした。
「気分はどうだ?グラベンとやら」
沢山の鎖に繋がれたグラベンは、
頭しか動かすことができない状態だが、しっかりと顔を上げ、蛇威丸を睨み付けた。
「くそ野郎がぁ...!」
「ふぅん..まだ憎まれ口を叩く余裕があるのか。
たかが人間のクセに、生意気な奴だな..」
蛇威丸はグラベンに会うなり、
いきなり腹部に蹴りを食らわせる。
ドッ!!!
「ぐはっ..!」
グラベンは十字架のように鎖に繋がれ、
抵抗することもできない。
豪華な服に身を包んだ蛇威丸の目は殺気が込められていた。
まさに『毒蛇』だ。
「この男、未だベルカイヌンの居場所を吐きません」
見張りの者達は二人いる。
苛立つ顔で蛇威丸に報告をした。
「何をグズグズしてんだ。
さっさと居場所を吐かせろ」
蛇威丸が見張りの者達にさえも、ガンを飛ばす。
「けっ..!!!いくら聞いたって、
てめぇの思い通りに吐くかってんだ!馬鹿やろ...!!!」
ドカッ!!!
蛇威丸に情けはない。
グラベンの顔面に荒々しく蹴りをぶち込む。
「イイ度胸だ..!貴様がその気なら、殺すまでだ」
「王子..こやつ絶対に口を割りません!いかがなさいますか!?」
見張りの者は、蛇威丸に指示を仰ぐ。
「とっとと殺せ。こんな奴に聞かずとも、
ベルカイヌンの居場所はいずれわかることだ!」
蛇威丸の目は瞳孔が小さく、
切れ長の目は冷たく恐ろしかった。
「裏切り者...!!!」
グラベンも負けじと蛇威丸を睨み付ける。
「クラーザが離れたがったのも当然だぜ...!」
「黙らぬか!虫けらがっ!!!」
ドンッ!!!ドカッ..!!
狂暴な蛇威丸は、すぐに手をあげる。
「ぐっ...!」
グラベンは血を吐いた。
「貴様のような虫けら、
生きているだけで目障りだ!」
蛇威丸は『殺れ』と合図をし、
見張りの者達に止めを刺すように指示する。
「....蛇野郎っ!待ちやがれ!!」
グラベンはそこら中から血を流し、
部屋から出ていこうとする蛇威丸に叫んだ。
カツン..カツン
蛇威丸はもう一度と振り返る。
「―――なんだ?
命乞いなどしても聞き入れやしないぜ?」
「だ..誰がそんな真似するか!」
「おい、グラベンとやら」
蛇威丸の視線が痛い程に、グラベンに突き刺さる。
「どれだけ意気がっていても貴様の負けだ。
この俺様には誰も敵わないのさ!!!
よく覚えておけっ!ははははははははっ!!!」
ギィィ―――バタンッッ!!!
蛇威丸は言い切って、部屋から姿を消した。
カツン...カツン...カツン...
蛇威丸の足音は気分を表している。刺々しい足音。
「王子、本気で殺す気でございますか?」
後ろからタカとカラスが着いてきた。
最終確認を求めてくる。
ザッ―――!
蛇威丸はいきなり後ろに振り返り、タカの首を鷲掴みにした。
「うるせぇ!!!黙れ!!!
この俺が殺すと言ったら殺すんだ!わかったか!!!」
「うぐっ..」
タカは息を詰まらせたまま、首を上下に振る。
隣にいたカラスは、すぐに蛇威丸の前にひざまずき頭を下げた。
「しっ..失礼致しました!!!」
ドッ!!!
蛇威丸はタカの腹を蹴り上げて、タカを突き飛ばした。
「俺の命令は絶対だ!
二度と同じことを言わせんじゃねぇぞ!!!!!!」
蛇威丸の怒りが爆発している。
「はっ!!!」
カラスも、一瞬よたついたタカも同時に返事をした。
「..蛇威丸?」
すると、近くで弱々しい声が響いた。
「――――」
蛇威丸はすぐに目の色を変える。
「蛇威丸...タカさん、カラスさん、何しているの..?」
「アキ」
そこには亜紀が立っていた。
何も知らぬ顔で、不思議そうにこちらを見ている。
「ア...アキ様!」
タカが慌ただしく立ち上がる。
カラスも亜紀に一礼した。
「...どうしたの?」
亜紀が現れると、そこは花が咲くように、
空間がぱぁっと明るくなる。
「何でもないさ」
蛇威丸の声が優しくなった。
亜紀を見つめる目も信じられない程に優しくなる。
「嘘..何かあったの??どうしたの?」
亜紀はなんとなく違和感を感じ取っていた。
タカとカラスの硬い表情を交互に見つめる。
「タカがいらぬことをしでかしただけさ。
説教をしていたところだ」
蛇威丸はグラベンの存在を隠し通した。
「そうなの...??」
亜紀の心配そうな顔。
タカも蛇威丸に合わせ、頭をバリバリと掻きながら苦笑いした。
「ご心配に及びません」
「でも...とても大きな声、聞こえた..」
亜紀がタカに手を伸ばそうとすると、
その手を蛇威丸が奪い取る。
「気にするな。それより、こんな所までどうしたのだ?」
「あ...」
亜紀は蛇威丸に来た理由を尋ねられ、恥ずかしそうに答えた。
「散歩...していたら、迷ってしまって...」
「あはは...」
蛇威丸は無邪気に笑い、亜紀の肩に手を回した。
「そうか城を散歩していたのだね?ならば俺も付き合おう」
「でも...」
「ああ、もう用はいいのさ。終わったことだから」
「そう..」
蛇威丸の言葉には偽りが感じられなかった。
亜紀は何も疑わずに信じる。
蛇威丸は上機嫌に変わり、亜紀と共に歩き始めた。
「―――それで、どこか気に入った場所は見付かったかい?」
亜紀の顔を覗き込んで、蛇威丸は笑顔を見せる。
亜紀といる蛇威丸は不機嫌になることが一度もなかった。
「うん..!とても素敵な場所を見つけたの。
でも、一人じゃ淋しくて、
誰かに会ったら一緒に散歩しましょって…言いたくて…」
「ああ、喜んで」
亜紀の素直さに、蛇威丸は自然と笑顔になっていた。
蛇威丸と亜紀の後ろ姿を見送って、タカは安堵した。
「よ..良かった...」
ズルズルと腰を抜かすように、しゃがみ込むタカ。
「お前、アキ様に救われたな。
あのままだったら確実に王子に殺されていたぞ?」
カラスもそう言いながら、緊張の糸を解く。
「最近、王子の機嫌がいいから、
つい偉そうに口出ししてしまったよ..」
今までは、蛇威丸に『聞く』ことすら恐れていた。
蛇威丸が言ったことに、ただ従うだけだったのだ。
「確かに..」
カラスは腕を組んで、タカに同意する。
「アキ様が来られてから、王子は本当に人が変わられた..」
「それも恐ろしいくらいにな」
「だが、王子を変えれるだけの器が、アキ様にはあるように見えるな。
あまりに美しいし、行動も、発する言葉も、めちゃくちゃ可愛い..」
タカが亜紀を絶賛する。
「おいおい、そんなこと言ってるとまた王子の反感を食らうぞ?」
カラスは呆れ顔を作った。
「何言ってんだ!
別に横取りしようなんて、これっぽっちも頭にない!
このまま王子の為に、アキ様には絶対に城から出られても困るしな!」
タカとカラスは亜紀の有り難みを身に染みて痛感した。
蛇威丸は亜紀のお気に入りの場所だという庭の隅に案内された。
「ああ...確かにこの場所はいい。
ここから見る庭が一番美しく見えるかもしれない」
庭といっても何の整備もされていないので、
ほとんど草むら状態である。
掃除されていないベンチに、二人は腰掛けた。
「―――それに、とっても空気が澄んでいるの」
亜紀はすぅぅっと深呼吸をしてみせる。
「あなたの為に、ここに花壇を作ろう..」
「本当!?アタシも手伝う!!!」
亜紀は健気だ。
想像を膨らませ満面の笑みを作った。
蛇威丸と亜紀は出会ってから、二人でよく話した。
蛇威丸は、亜紀の手を取る。
「...ベルカイヌンからはどんな花を貰った?」
蛇威丸が微笑みながら亜紀に聞いた。
亜紀はクラーザの名にドキッとしたようだったが、すぐに平静を保つ。
「ううん...何も」
「花もくれなかったのかい?」
「だって..彼とはこんなに平和な時間は過ごせなかったんだもの..
いつも何かに追われていて..
いつも誰かと戦っていた」
亜紀は悲しそうに笑っていた。
「そうだったのか..ベルカイヌンといても、幸せはない」
「....」
蛇威丸は亜紀の両手を取り、顔を近付ける。
「俺なら、あいつ以上のことをしてあげられる。
幸せな時間も、楽しませてあげることもできる。
あなたに美味しい物も、美しい洋服も与えることができる。
アキを悲しませるようなことは、絶対にしない..」
「蛇威丸..」
蛇威丸はそのまま唇を近付け、口づけをしようとした。
が、亜紀は顔を背けた。
「アキ?」
蛇威丸は不安そうな表情で、亜紀の目を見つめる。
亜紀は微かに笑っていた。
「クラーザとあなたと...比べることはできないわ..」
「なぜ?もうあいつのことなど..」
蛇威丸が亜紀を言いくるめようとしたが、
亜紀はすぐに口を挟む。
「あなたはとても優しくて素敵。
あの人と比べるなんてできない」
「じゃあ..」
「でも、あの人を..クラーザを忘れることなんてできないの」
亜紀の笑みは、もう何かを割り切っている様だった。
亜紀は蛇威丸から視線を反らし、
庭の遠くを見つめた。
遠く遠く...ずっと遠く。
「クラーザとこんな風に、
長い時間を一緒にしたこともないの...
ゆっくり話する時間なかったし、
彼のこと...アタシ、本当は何も知らない..」
知っていることと言えばなんだろう..
そう寂しく呟いた亜紀の表情はなぜか明るかった。
蛇威丸は亜紀の心理が読めない。
「けど、大好きなの....変ね」
亜紀は蛇威丸の顔を見て、幸せそうな表情を見せた。
「なぜ?なぜなんだ?」
「うん...」
亜紀は首を傾げて考え始めた。
「クラーザは..」
クラーザの名を口にして、亜紀は笑った。
「クラーザはね、アタシが眠れるように手をずっと握っててくれたの。
それから、寒がるアタシを黙って温めてくれた。
いつ死ぬかわからないのに、
アタシを側においてくれて..
ずっとずっと守ってくれたの」
亜紀の言葉は止まらなくなる。
「クラーザがアタシの名前を呼ぶと、アタシの心臓はドキドキするの。
アタシはすぐにクラーザが好きになった。
クラーザはそんなアタシのこと突き放さないで、一生懸命に受けとめてくれたの。
アタシは世間知らずで、
恐がってすぐ泣くと涙を拭いてくれて、絶対に守ってくれた」
まだあの時のクラーザが生きているようだ。
「泥だらけで、血みどろで、
傷だらけで、食べる物さえなかったけど..
クラーザが隣にいると、そんなことどうでも良くなったの」
蛇威丸は何も言わず、亜紀の話を聞いた。
「クラーザはアタシに大切な心をくれたの。
たった一つの、一番大事な..」
亜紀は自分の胸に手をあてた。
まだ、クラーザは亜紀の中にいる。
「アタシも...クラーザに心をあげちゃった」
「心ってなんだ...?
心をあげたり、もらったりなど、
できやしないじゃないか..
形などないし、目にも見えないだろう?」
不思議な感覚だった。
亜紀の言葉は新鮮で新しい。
「顔を見なくても、声を聞かなくても、
彼のことばかり考えてるの。
アタシの頭の中は、いつでもクラーザでいっぱいなの。
それが心をあげたってことなの。
アタシは何をするにしても、クラーザのことばかり考えるの」
亜紀は遠くを見ているのではなく、
遠くにあるクラーザの存在を見ているのだ。
「今も...そうなのか?」
「..うん」
「ベルカイヌンの何を考えてる?」
蛇威丸の口調は穏やかだ。
クラーザへの憎しみも、亜紀には感じ取らせない。
「単純なこと..
クラーザがこの景色を見たら、何て言うかな..?
きっと明日のことばっかり考えて見ていないんだろうな..って。
でもきっとアタシが、ここにお花を咲かせたいねって言ったら、
クラーザは微笑んで『そうだな』って一言だけ、そう言ってくれるの。
そしてきっと、こんな景色を見るたびに、アタシのことを思い出してくれるの」
「....」
想像を遥かに越えた、亜紀の例え話だ。
サワサワサワ...
柔らかい風が吹いている。
「ねぇ...どうして、クラーザと喧嘩しているの?」
亜紀はずっと気になっていたことを、
ようやく口に出すことが出来た。
亜紀はクラーザと蛇威丸が、
互いにいがみ合っていることしか知らない。
包み隠さず話ができるようになった今の蛇威丸になら、
それを聞くことができる。
「....ベルカイヌンは、俺のことを何と言っていたのだ?」
「何も..アタシも聞かなかったし..」
「そうか...あなたは、未来から来たと言っていたね?
一体、何年後の未来から来たのだ?」
今すぐ、クラーザを消し去ろうとしている蛇威丸。
未来から来た亜紀の話を聞くと、
どうやら未来の自分は、
クラーザを殺せていないということになる。
「よくわからなくて...たぶん5年後くらいから..」
「5年後かぁ...」
5年経っても、クラーザを始末できないのか。
..いや、亜紀の存在により、
亜紀が来た未来よりは、少し変化があるはずだ。
亜紀に出会わなければ、
こんなに穏やかな自分にもなれなかったはずなのだから。
「どうやって、この世界に?」
その質問で亜紀の表情は暗くなる。
蛇威丸はまずかったか、と心配になった。
「わからないの...
気が付いたら世界を越えちゃうの。
もしかしたら、またいつの間にか、アタシ、いなくなるかもしれない..」
「そんな...!」
亜紀が消えてしまうなど、
今の蛇威丸には考えたくないことだ。
「....」
亜紀自身もとても不安そうな顔をしているので、蛇威丸は話題を戻すことにする。
「ベルカイヌンは...」
「クラーザ??」
クラーザの名で、一瞬にして表情を変える亜紀。
少し憎らしく思える。
「ベルカイヌンは俺の部下だった。
とても信頼していたのに、あいつは俺を裏切ったのさ」
「え...」
わざとに暗い話題にする。
少しでも亜紀に心配させたい。亜紀の気を引きたい。
「この俺を闇に追いやる気だ。
次の王の座を...俺の居場所を奪い取る気なんだ」
クラーザの悪の部分を、亜紀に教えたくなった。
クラーザは善人ではないのだと、
遠回しに伝えたい。
「クラーザは...王様になりたいの?」
まさか、というような表情。
蛇威丸は亜紀に嫌われたくはないので、
あからさまに『クラーザは悪だ』とは言わない。
「一国の王ともなれば、
大勢の者を従えることができるだろう?
暮らしも楽になるだろうし、ベルカイヌンは欲深い奴だからな。
俺とは違って、頭も切れるし、
国だけじゃなく、もっと大きなモノを狙っているんだろう」
「....」
亜紀は何かを考えているようだ。
クラーザの頭が良いことも、
常に上を目指していることも、なんとなくは感じていた。
まさか、蛇威丸を押し退けて、
一国の国王になろうとしていたとは..
「もう、この話は止めにしよう。
俺はあなたの笑顔を見たいから、こんな馬鹿らしい話は、これ以上したくない」
あえて蛇威丸が話を避けようとすると、
亜紀の方から、この話題を続ける。
「クラーザを悪く思いたくないけど..
あなたは大丈夫なの...?
好きだった人に...その...裏切られて...」
亜紀の目は蛇威丸を心配する色に変わり始めていた。
「良くはないさ。
だが、もうどうしようもないことだろう?」
「でも...」
蛇威丸は心の中で『よし』と反応を実感する。
「ベルカイヌンを失ったのはとても残念だが、
今の俺にはアキがいる。
あなたがいれば、俺は辛くない」
蛇威丸はふわっと笑った。
その作り笑いが、また亜紀を切なくさせる。
可哀想...と、亜紀を思わせる。
「うん..」
その日の夜、
亜紀はクラーザと蛇威丸のことを思った。
蛇威丸がクラーザに殺意を向けていたのは、
仕方ないことなのではないかと、亜紀は深く考えていた。
「...」
夕食の手が進まない。
フォークとナイフを手に持ったままだ。
今までクラーザの視点で蛇威丸を見ていたので、
完全に蛇威丸が、理不尽にクラーザの命を狙っているのだと思っていた。
蛇威丸から聞いた話なら、クラーザが悪者に思える。
「アキ様?先程から、何も口にしていませんが、
どこか具合が悪いのですか?」
後ろで控えていた召使が、亜紀の様子を伺ってくる。
「あ...いえ..」
亜紀は、はっと我に返った。
そして、ふと思いつく。
「あの..どうして蛇威丸は食事を一緒にしないの?
アタシ、彼のところ、行ってくる」
亜紀が席を立ち上がると、
召使は慌てて、亜紀を引き止めた。
「王子は食事の時間を1人で過ごされたいのです」
「どうして..?」
「それは...」
召使が言葉に詰まると、亜紀は笑った。
「アタシ、彼に直接聞いてみる…」
亜紀は用意された食事を大事そうに抱えて、
蛇威丸の部屋に向かった。
蛇威丸の部屋には入ったことはないが、城を案内してもらった時に、場所を聞いたので迷わずに行けた。
少し...日影にあたる部屋。
コンコンコン..
ノックしてみる。が、返事は聞こえないので、
声をかけながら、部屋の扉を開けてみた。
「蛇威丸...?」
ギィィ..
ソロリソロリと、亜紀は部屋の中に入ってゆく。
「アキ..」
蛇威丸は扉のすぐ側にいた。
食事をテーブルに置いたままで何か別のことをしている。
「夕食がまだなら、一緒に..」
亜紀は抱えていた食器を見せた。
蛇威丸は、顔を引きつらせる。
「悪いが...食事は1人でしたいんだ...」
「どうして..?皆で食べた方が、
もっと美味しくなるのに..」
亜紀は肩をすくめた。
なぜか今の蛇威丸には、落ち着きがなく、視線を合わせようとしない。
「あなたの気持ちは、本当に嬉しいのだが..」
亜紀が真っすぐに視線をぶつけてくるので、
蛇威丸は理由を言わざるを得なくなった。
「アキと楽しく食事をしたいのは山々なんだが、
実は...俺の食事は人とは違うから、きっとあなたに見せたら、あなたは俺を軽蔑する..」
「けい..べつ..??」
聞いたことのない単語に亜紀は眉をしかめるが、
話の流れからして、意味がなんとなくだがわかった。
「だから、食事は栄養を蓄えるだけの物で、楽しみの時間などいらないのさ。
食べ終わったら、すぐにアキの部屋に行くから、少し待っていてくれないか?」
「....うん」
亜紀は深くは追求せずに、来た道を引き返した。
ガヂャ..
亜紀が扉を開けて、足を一歩、出した時..
「アキ..?」
蛇威丸がいきなり亜紀に駆け寄ってきた。
亜紀は食事を抱えたまま、蛇威丸の目を見つめた。
「ああ...その...」
蛇威丸は瞬間的に『亜紀を帰してはいけない』と思った。
徐々に心を開いてきていて、
自分から部屋に訪れてきたのだ。
帰す訳にはいかない。
蛇威丸は亜紀の二の腕を掴んだ。
「この俺と食事をする為に、
わざわざ出向いてくれたのか?」
「うん...でもいいの。気にしないで」
亜紀は無理に食事を誘わない。
もう少し強く押してくれればな...と思うが、それは仕方がない。
「あなたが構わないなら..
アキがいいと言うなら、一緒に食事しよう..」
蛇威丸は亜紀に了承を求めた。
亜紀は蛇威丸の淋しそうな目を見て、頷く。
「うん。アタシ気にしないよ..」
「骨を―――人骨なんだが...それでも平気か??」
蛇威丸は、亜紀の手を引く。
今更『いいえ』とは言わせないつもりだ。
「骨??」
亜紀はさすがに驚くが、割り切ることに決めた。
「す..すっごいカルシウム!!!いいと思う!」
亜紀の笑顔に蛇威丸はほっとした。
「本当か?嫌じゃないのか?」
「...だって...だって、
アタシ昔は『ハムスター』を飼ってたことがあるの!
ひまわりの種がご飯だったの。ちっとも変じゃないよ」
「なんだ『ハムスター』とは??」
亜紀の必死な慰め方なのだと思い、蛇威丸は嬉しくなった。
亜紀を部屋の中央に案内する。
見た目はキレイな物だった。
人の物とは思えない『骨』で、
まるで、犬が骨の形をしたおやつを、かじって食べているようだった。
「誰かとこんな風に食事するのは、生まれて初めての経験だ..」
蛇威丸は赤いワインを片手に、亜紀の顔を眺めた。
「アタシ、誰かと一緒じゃないと食事が進まないの。
だって楽しくないもの」
亜紀は優しく微笑む。
蛇威丸は悲しくなる程に嬉しくなった。
こんなにも心が軽くて、ふわふわした気持ちになることなど、生まれて初めてだ。
今すぐ亜紀を抱き締めて壊してしまいたくなる。
可愛過ぎて、破壊したくなる。
「どうしたの..?」
ぼぉっとしている蛇威丸に亜紀は問い掛けた。
「あ―――なんでもないさ。
ただ、なんか幸せな気分で..」
「本当?良かったぁ...!」
亜紀は胸を撫で下ろした。
食事の時間は、あっという間に過ぎていった。
初めての時間だったので、
なぜか二人とも遠慮がちになり、あまり会話も弾まなかった。
「ご馳走さまでした..」
亜紀は両手を合わせた。
蛇威丸は次のことを、もう考えている。
「今から...どうする?散歩でもしようか?」
亜紀を外に連れ出してやろうかとも考えた。
だが、亜紀は首を横に振った。
「ううん..
お昼に庭で散歩できたし、今夜はもう部屋に戻る..」
少し疲れた顔をしていた。
無理して元気そうにしているように見えたので、蛇威丸は心配になった。
「大丈夫かい?
なにか心配事でもあるんじゃないのか?」
蛇威丸の発言で、亜紀はずっと口にしようと思っていた言葉を言い始める。
「お昼の...話なのだけど」
「...ベルカイヌンのことかい?」
蛇威丸はすぐにピンときた。
亜紀は頷く。
「あなたの気持ちを考えると、とても辛くなるの...
クラーザは悪い人ではないし、
きっと仲直りできるハズじゃないかって...」
「仲直り?」
蛇威丸の中で『和解』という文字はない。
亜紀はもうクラーザを嫌うかと思っていたのに..
「何も力になれなくて、ごめんなさい...
だけどアタシも、あなたとクラーザが、
何とかうまくいくように、祈っているから...」
亜紀の瞳は、憎らしい程に、
希望に満ち溢れて輝いていた。
パタン...
亜紀の去った部屋で蛇威丸は悶々と考えていた。
なぜこんなに俺は、
他人のことで悩まなければいけないのだろう。
そう思いながらも亜紀のことが頭から離れなかった。
そして憎らしいクラーザのこと。
「クソッ...!」
蛇威丸は頭を掻きむしった。
苛立ちから、テーブルに置いてある食器を床へと叩きつける。
「なんでベルカイヌンなんだっ!」
どいつもこいつも、
ベルカイヌンベルカイヌンベルカイヌン...!!!
いい加減に聞き飽きた!
蛇威丸は決して、クラーザより劣っている訳ではないはずだ。
「くそぉぉ....!!!!!!」
蛇威丸は握り締めた拳をテーブルに叩きつける。
ドンッッ!
蛇威丸が弱気になれば、
国王の座も、亜紀も、クラーザに奪われてしまう。
どうしても、諦める訳にはいかない。
ホォウ―..ホォウ―..
梟が鳴く真夜中。
ギシ..
「...」
亜紀は寝返りをうった。
深く眠っていて、蛇威丸の足音には気が付かなかった。
コツ..コツ...コツ...
蛇威丸は息を潜めて、
亜紀の眠るベッドの方へと近付いた。
「―――」
ギシィ――...
蛇威丸はベッドに腰を下ろして、亜紀の寝顔を覗き込む。
亜紀が部屋を出ていってから、
随分と時間が経ったが、苛立ちは抑えられなかった。
だが、なぜだろう..
亜紀の顔を見ると、
心はみるみるうちに洗浄され、穏やかな気分になる。
「――――」
スッ――..
蛇威丸はそっと手を伸ばし、亜紀の顔に触れた。
「ん...」
亜紀の小さな声が漏れる。
滅茶苦茶にしたい...
亜紀の身体を、壊してやりたい..
そうやって、自分だけの物にしてしまいたい...
「―――」
蛇威丸はゆっくりと顔を近付け、亜紀の唇を奪った。
ググ..
最初は軽く口づけるつもりが、
やはり深く唇を重ねるようになる。
こうして、毎夜、
亜紀の寝ているうちに、もう何度も口づけをしてきた。
亜紀の夕食には深く眠れる安眠剤を調合している。
そう簡単に起きるわけもなかった。
「ぁ....ん..」
亜紀は息苦しさからか、
蛇威丸をそそるような声を漏らした。
クチュ..
蛇威丸は、亜紀の顔を固定し、
ゆっくりと唇を押し開き、口の中へと舌を侵入させた。
「アキ...」
蛇威丸は亜紀の歯をなぞるように、口の中を掻き回す。
「ぁ...クラーザ...」
必ずと言っていいほど、亜紀はクラーザの名を呼んだ。
「...アキ...アキ..」
蛇威丸は亜紀の耳に口づけ、名をそっと囁き続ける。
蛇威丸は亜紀を離さない。
無意識にクラーザの名を呼ぶのがとても屈辱的に思えた。
だが、妬ましい。
「ぅ...ん...ラーザァ...」
亜紀をベッドに押し付けて、もう一度、唇を塞いだ。
「クラ……」
蛇威丸が想いを込めて、舌を絡ませる。
すると、亜紀の手が、
蛇威丸の頬に触れてきた。
「―――!」
蛇威丸はまさか起きてしまったのかと思ったが、
亜紀の蛇威丸に応えるような仕草をみて、眠っているのだと思った。
亜紀の細い手は、
蛇威丸の首に周りキスに応じ始めた。
クラーザと間違えている...
「クラーザ...」
寝惚けているので、力は抜けている。
蛇威丸の舌の動きに合わせ、
亜紀の小さな舌が絡まってきた。
「――――!」
蛇威丸は満面の笑みを浮かべて、亜紀をまじまじと眺めた。
ニタァ…
口先が裂けるように、笑う不気味な蛇威丸の笑み。
翌日。
「.....」
亜紀は胸元が乱れているのに気付き、肩を震わせた。
驚くことに、白い肌には沢山のキスマークが残されている。
「いやっ.....」
亜紀は身震いした。
胸元を見るまで、何も気付かなかった。
スッ...
亜紀は唇に手を当てた。
なにか違和感がある。唇が腫れていた。
「....やだ....」
身に覚えのないことに亜紀は恐怖を感じた。
心配になって、
身体中を見たが、キスマークは首筋と胸元だけだった。
犯されては....いない....
『んだっ!!!この野郎!!!』
遠くから、騒ぎ声が聞こえ始めた。
ガヤガガヤ...!!!
ドヤドヤ!!!
乱闘騒ぎが起きているようで、
人の声と同時に、殴りあう鈍い音が聞こえる。
「....?」
亜紀は何の騒ぎかと心配になり、
あちこちと耳を傾けた。
カタ..
亜紀はベッドから出て、窓際に立つ。
窓から外を見ると、庭の方で人混みができていた。
「きゃっ....!」
亜紀はその様子を見て、悲鳴を上げる。
ガタッ―――タッタッ...
亜紀は窓から離れ、部屋を飛び出した。
「グラベンさん――!グラベンさん!どうして....!!!」
亜紀は庭に向かって走りながら、一人呟いた。
庭にはグラベンの姿があったのだ。
そして、蛇威丸や蛇威丸の護衛達が彼を取り囲み、
暴力をふっていたのだ。
亜紀は裸足のままで庭に飛び出した。
寝間着のまま、グラベン達のいる場所に駆け付ける!
「やっ...やめて....!!!」
亜紀は輪のなかに割って入り、
蛇威丸の腕にしがみ付いた。
「アキ...!?」
蛇威丸は亜紀の登場に驚き、
グラベンに振りかざしていた拳を下げた。
「何しているの..!やめてよ..!!!やめてっ!」
人々の輪の中央で、
血だらけになったグラベンが、
こちらに睨みをきかせながら倒れている。
両腕には自身で引きちぎったと思われる鎖が。
「アキ、離せ!今は取り込み中だ!」
蛇威丸がそう言うと、
近くにいたタカが、亜紀を蛇威丸から引き離す。
「アキ様、ここは危険です!」
「いやだ!やめてよ!!!蛇威丸、やめてっ―――!!!」
亜紀は恐怖に掻き立てられた悲鳴でわぁわぁと騒いだ。
「やだ!!!この人を傷付けるのはやめてっっ!!!」
蛇威丸は亜紀を制しようとしたが、
今の亜紀には何を言っても伝わりそうにない。
「アキ、こいつは敵だ!油断できない!」
そう言ったそばから、
亜紀はタカの腕を擦り抜け、迷わずグラベンの身体に覆いかぶさった。
「アキ様!!!!!!」
タカは亜紀を手放してしまったことに焦りを感じる。
ググ....
力なく地面に身体を伏せているグラベンを守るように、
亜紀はグラベンを抱き締めた。
「――――アキ!」
蛇威丸も危険の迫る思いになる。
「アタシ知ってるの!
この人を――グラベンさんを傷付けてはダメなの...!」
「なっ...」
蛇威丸の注意が一瞬グラベンから離れた時。
グラベンは隙を見計らっていたかのように、
亜紀を人質に捕え立ち上がった!
「あっ――!」
亜紀は後ろから、グラベンに腕を回され首を絞められる!
「へっ..蛇野郎...!!!
この...妖魔女の首の骨を..へし折られたく..なかったら..
今すぐ...こいつら全員を..引き下がらせろ....!!!」
命からがら状態のグラベンは闘士を燃やす。
「貴様っ―――!!!」
蛇威丸がギリギリと唇を噛み締める。
「さっさと...ご自慢の護衛達を、
引き下がらせろっつってんだよ!!!」
グイッ!
グラベンは怒りを込めて、亜紀の首を絞め上げる!
「はぁっ.....ぅぅ....」
亜紀の顔は苦痛の色に染まる。
蛇威丸は狼狽えて、
護衛の者達にすぐに下がるようにと指示を送った。
ザザザ...
タカやカラスを含めた15人もの護衛達が、一気にグラベンから離れる。
「蛇野郎...!てめぇもだ!!!」
「....生意気な...!」
偉そうな態度は変わらないが、
蛇威丸はグラベンの言う通り、30メートル程離れた。
「――――――」
グラベンは辺りを確認し、
亜紀を思いっきり突き飛ばすと、
一目散にその場から走って逃げて行った!
「あぅ..」
亜紀はガクンと膝を落とした。
蛇威丸はすぐに亜紀に駆け寄り、大声で叫ぶ!
「奴を追え!!!絶対に逃がすな!」
蛇威丸は亜紀の身体を支えながら、無事かを確認した。
亜紀は絞められていた首に手を当てて、息を整える。
「蛇...威丸..!彼を逃がしてあげて...!」
まだも亜紀は、グラベンを庇って言う。
「何を言ってるんだ!?
たった今、殺されかけたんだぞ?あいつは敵だ!!!」
亜紀がグラベンを守ろうとする理由がわからない。
クラーザを自分から奪うように連れ去った男なので、
亜紀が味方をするようなことを言うのは、また無性に腹が立つ。
「敵じゃないの...!お願い!蛇威丸!!!」
「何を訳のわからぬことを..」
「――あなたがそう言うの!
何年後かに...あなたはグラベンさんと一緒に戦うの..!
グラベンさんが作る『ディアマ』にあなたも入るの!!!」
亜紀は死に際の蛇威丸を思い出した。
両手足がなくなって、首と胴体だけの蛇威丸。
亜紀に向かってこう言った。
『例え、時を戻せたとしても俺様は『ディアマ』に入る!
必ずそうする!!』
グラベンと何があったのかは亜紀は知らない。
だが、静かに横たわるグラベンの屍の横に蛇威丸はいた。
グラベンから離れようとしていなかった。
「嘘だ....」
今の蛇威丸には、受け入れがたい話だった。
だが、亜紀が未来から来たということを知っているので、事実なんだろうと思う気持ちもあった。
「今は...色んなことがあって許せないかもしれない..
でも、どうかグラベンさんを傷付けないで...!」
亜紀は懸命に願い出る。
きっと亜紀がこの時代にタイムスリップしなければ、
グラベンが蛇威丸の城に捕らえられることもなかったのだろう。
亜紀が泉の力で、パザナの村から蛇威丸の元に飛んできた時に、
グラベンは来るはずのない場所に来てしまったのだから。
ここで、グラベンを死なせてしまったら未来は大きく変わってしまう。
『ディアマ』は世の中に誕生せず、
フッソワやゾードやクラーザやランレートが集まることはない。
ああ..でもそうか..
そうなれば、アダの裏切りもない...
亜紀は首を横に振った。
グラベンを死なせていい訳がない。
「蛇威丸...アタシが見てきた未来の世界の話を聞いて..」
未来を変えよう。
アダの裏切りを止めたり、
謎のチーム『ヴァンガーナ』を押さえ込んでしまえばいいんだ!
「.....」
蛇威丸は亜紀の目を見つめた。
未来を知ることに、多少の興味はあるが、
大半は不安でしかない。
―――だが、うまくいけば、クラーザの今後の動きが、
手に取るようにわかるかもしれない。
未来では葬れなかったクラーザを、今の自分ならいとも容易く倒せるかもしれない。
「話を聞こう....」
蛇威丸はグラベンのことは護衛達に追わせておいたまま、
城の中に戻ることにした。
大きなソファが幾つも置いてある談話室。
床には、何の獣かわからない動物の毛が絨毯にされており、フカフカだった。
「さぁ...そこに座って」
蛇威丸は今にも埋まってしまいそうなフカフカのソファに亜紀を座らせる。
「ねぇ...グラベンさんは...」
「心配するな。殺しはしない。
あいつらがすぐに生きたまま捕らえて来るさ」
「....」
亜紀はブルブルと震えていた。
蛇威丸がじっと見つめる。
「先程の話は...一体どういうことだい?」
蛇威丸の口調はいつも通り穏やかだが、どこか刺があるようだった。
亜紀は早く本題に入らねばと思う。
早く苛立つ蛇威丸を説得してなんとかしなければと。
「アタシ...アタシ...未来であなたにも会っているの」
「だから...俺の名を知っていたんだな..」
やっと話が繋がる。
最初、亜紀に名を呼ばれた時、蛇威丸は驚いた。
「全然..あなたとは一緒にいなかったのだけど、
あなたのことを知っていた..」
「アキは、ベルカイヌンと共にいたんだったな。
俺のことを知っていても不思議じゃない」
クラーザを消し去る為に、蛇威丸はクラーザを追い回すのだ。
未来で亜紀に出会うのは、自然の流れだろう。
「クラーザやグラベンさん達と、あなたは対立してたんだけど、
いつかは手を取り合って、力を合わせる日が来るの..」
亜紀の言葉次第では、蛇威丸の機嫌を損ね、
未来があらぬ方向に変わってしまうかもしれない。
亜紀は言葉には充分に気を使い、
蛇威丸の表情を確かめながら話を始めた。
「なぜ、奴らと手を組まなければならない?」
「それはね、すごく大きな敵が現れるの..!
とっても強くて..得体の知れない大きな大きな敵なの..!!」
亜紀はまず、未知の敵から話を進めた。
アダが率いる『ヴァンガーナ』は、
とてつもないモノを召喚し、この世を破滅に導く..
「ふっ...下らない...
そんな連中、聞いたことがない」
蛇威丸は鼻先で笑った。
そんなことを言われても、
『はい、そうですか』と真に受けることは難しい。
「本当なの..!
グラベンさんは殺されて、きっとあなたも...」
亜紀は蛇威丸の無残な姿を思い出し、目を潤ませる。
まだ生きていたのに、置き去りにしてしまった..
「この俺が、そいつらに殺されると言うのか?
しかも、グラベン達と手を組み、仲良く死ぬと??」
「蛇威丸...」
口調が荒くなる蛇威丸に、
亜紀はどう説明すればいいのか、険しい表情をした。
「アキ、あなたが本当に未来から来たというならば、
証拠を見せてほしい」
「え...」
まただ。また証拠を求められる。
「俺はアキを疑っちゃいない。
つい今まで、アキをどこの者なのか、問いただそうと考えてもなかった」
確かにそうだった。
どこの馬の骨かもわからない亜紀を、蛇威丸は無償で歓迎してくれた。
「うん...」
「だが、あなたが未来が何だの、行く末がどうだのなどと言うならば、話は別だ」
しかも話の内容は、蛇威丸には理解し難いことばかりだ。
この先、どう転んだとしても、
クラーザと手を組む気はさらさら無い。
「俺は高名な占い師さえも信じない主義なんだ。
未来など誰にもわからない。
それに、適当な嘘をつかれていても俺にはわからない。
そんなものを信じたくないのさ」
「アタシ、嘘はついてない...!」
蛇威丸は、コクンと頷く。
「わかっている。
アキがそんな卑怯な女だとは思っていないさ。
だが、かりにもアキはクラーザと共にいた。
クラーザをひいき目で見ている。
クラーザの良いように、俺を導こうとしていることは間違いないだろう?」
「それは...」
亜紀は俯いた。
蛇威丸の言う通り、自分はクラーザを一番に考えている。
蛇威丸のことを一番に思うならば、もっと他の言葉を言っていたハズだ。
...クラーザを死なせたくないから、
蛇威丸に『ディアマ』に入ってもらうよう仕向け、
得体の知れない生命体と、戦わせようとしている。
「ごめんなさい...その通り…だと思う」
亜紀はもうどうしていいのか、わからなくなった。
蛇威丸の言葉を否定しない亜紀に、蛇威丸はなんだか虚しくなる。
「そんなに、ベルカイヌンが大切か..」
「クラーザが苦しむのが嫌なの...ごめんなさい...」
亜紀はどうしようもない自分の顔を隠して、蛇威丸に詫びた。
「アキ...」
愛しいはずの亜紀が、なぜかとても憎らしく感じる。
手に入らないのかと思うと、怒りが込み上げてくる。
「...」
「―――ならば...やはりあなたの言葉は信じない。
その辺の口からでまかせを吐く占い師と同じだとみなす」
亜紀はバッと顔を上げた。
蛇威丸の機嫌を損ねてしまった。
一番、気を付けなければいけなかったことなのに..!
「あ..待って...!」
亜紀はソファから立ち上がり、蛇威丸にしがみ付いた。
「....」
「本当に世界が滅んでしまうの!
みんな...みんな死んじゃうの!!」
蛇威丸は亜紀を冷たい目付きで見下げた。
「だからなんだと言うのだ?」
「蛇威丸...」
亜紀の大きな瞳を、蛇威丸は覗き込む。
「....でも、そうだなぁ..
そんな赤く腫らした唇でお願いされたら、
ついあなたの言うことを聞いてしまいそうだ」
「え...?」
亜紀も蛇威丸の目を見つめた。
ニヤリと不気味な笑みをこぼす蛇威丸に、亜紀は背筋をしゃんとする。
「そんなに嬉しそうに、キスマークを見せ付けて..
皆が見ていたぜ?アキの胸元を」
蛇威丸は笑みに緩ませた口を、亜紀の耳元に近付けた。
いやらしく囁く。
「...ぁ..」
「誰に付けられたのか、わかっているんだろう..?」
亜紀は魔法にかけられたように身体が動かなくなる。
スッ..
すると蛇威丸の手が、亜紀の胸元にへと伸びてきた。
「昨夜のアキは、可愛かったよ。
俺の名を呼んで...あなたから腕を回してきたんだ。
仕方がないから、あなたの身体を存分に舐めてあげたんだよ..」
ゴツゴツした蛇威丸の手が、
しなやかに亜紀のドレスの中に侵入していく。
「...やっ..!」
亜紀は抵抗して、後退った。
ドサッ―――!
ソファに足をとられ、先程のように座りこんでしまう。
ギシ...
亜紀を跨いで、蛇威丸もソファに乗ってくる。
向き合った姿勢で、蛇威丸は亜紀をソファに押さえ付けた。
「やだ!――蛇威丸、やめて!」
亜紀は必死に蛇威丸を避けようとする。
亜紀の危険信号が、今頃になってから作動する。
「俺の言う通りにすれば、
俺もあなたの言うことを聞いてやるさ。さぁ...」
蛇威丸は亜紀の肩を押さえ込み、
唇を重ねようとしてきた。
「いやっ....!!!」
こんな交換条件は間違ってる。
これは脅しだ。
亜紀は両手をバタバタとさせ、蛇威丸を寄せ付けないようにした。
「聞き分けの悪い人だね..」
蛇威丸は余裕な表情。
どこからかスッと黒い紐を取出し、亜紀の両手首を縛った。
亜紀は頭上で手首を縛られ、動けなくなる。
「いやだっ..!いやぁ!!!やめて!蛇威丸やめてぇ!!!」
蛇威丸は跨いだ格好で、亜紀の膝の上に座り、
亜紀の動きを完全に封じ込める。
「泣いてもいいよ..
この俺の前でなら、いくらでも泣くがいい..
でもせっかくなら狂おしい程に泣いてくれよ..」
蛇威丸の両手は、縛り上げられた亜紀の腕に。
そして、スルスルと下に降りてゆく。
肘を伝い、脇を伝い、胸元に降りてゆく。
ビッッ...
蛇威丸は手つきは優しいままに、
亜紀の服を引き裂いた。
「やっ..何するの....!!!」
亜紀の白い胸が顔を覗かせた。
まだ蛇威丸の唇の痣を残したままの、柔らかい肌。
「ああ...もう一度、味わえるのか..」
蛇威丸はニヤニヤと笑い、亜紀と目を合わせたまま、
長い舌をダラリと伸ばした。
「いっ...いやっ!!!」
亜紀の嫌がる顔を楽しむように、
蛇威丸は亜紀の首筋を舐めながら、視線は反らさなかった。
蛇威丸はわざとらしく音を立てる。
亜紀は見ていることができず顔を背けた。
「ぅっ.....うぅ...」
亜紀の泣き出しそうな顔を蛇威丸は片手で固定する。
「ほら...ちゃんと見るんだ...」
蛇威丸の変質者ぶりに亜紀はとうとう泣き出した。
「お願い..やめてぇ...やだぁ...うっ...ぁ...」
だが、蛇威丸は全く態度を改めない。
ニタニタと笑ったまま、亜紀の唇に自分の唇を強く重ねた。
「いやぁぁ....うっ...―――クラーザぁ...クラーザぁぁ..」
亜紀は叫び出した。
じたばたと身体を揺らし、懸命にクラーザに助けを求める。
「....」
蛇威丸の顔色が変わった。
「いやぁぁ!!!クラーザ助けて―――――!!!」
バシッ!!!
いきなり蛇威丸は、亜紀の頬を殴りつけた。
「―――」
亜紀を睨み付け、また再び胸元に顔を埋める。
「....やっ....ク..ラーザ...」
亜紀の声が震える。
蛇威丸はクラーザの名に敏感に反応し、また亜紀の顔を打つ。
バシンッッ!!!
「あぅ...」
恐ろしい顔付きに早変わりした蛇威丸は、今度はことあるたびに亜紀を殴りつけた。
バシンッッ!!!バシッ!!!
鈍い音が部屋中に響く。
「ぁ....はぁはぁ...うっ..」
亜紀は口から血を流し、視界をぼやけさせていた。
「....」
ピチャピチャ...
蛇威丸は無言で、亜紀にキスを浴びせる。
「....ク..クラーザぁ...」
亜紀は泣きながら、
何度も何度もクラーザの名を呼んだ。
バシッ!!!
また顔に熱いものを感じ、亜紀は表情を曇らせた。
グッッ
すると今度は、
殴りつけた亜紀の顔を蛇威丸は引き寄せた。
「これ以上――――あいつの名を呼ぶことは許さない....!」
「やっ...クラー..」
亜紀が何かを言い終える前に蛇威丸は亜紀の唇を塞いだ。
濃厚なキスを浴びせる。
「んっ...やっ....」
亜紀はキスの合間に、悲鳴を上げるが..
「蛇...威丸...んんっ...」
蛇威丸の乱暴なキスに、
亜紀は意識を失いそうになる。
「アキ...可愛いいよ..すごく可愛い....」
蛇威丸の唇は亜紀の首筋に伝う。
蛇威丸の手が、優しく亜紀を撫でる。
「うん...いやっ...」
亜紀は首を横に振った。
蛇威丸が亜紀の股下に手を忍び込ませ、もう一度唇を重ねた時...
ガブッ!
「...痛っ..」
亜紀は蛇威丸の舌に、思いっきり食いかかった!
サドスティック的な行為だと思われて、興奮してほしくないので、
亜紀は狂犬のように、近付く全てに狂暴に噛み付いた!
ガブッ!!!
「....あっ..」
蛇威丸は手を噛まれ、
しまいには近付ける顔まで噛み付かれた。
「うう――!うぅぅ―――!!!」
亜紀は犬のように威嚇してみせる。
少しでも気を緩めると、恐怖から涙が溢れて、声が震えるので言葉も発せず吠える!
「ぐぅぅー!!!!!!うぅうぅうぅうう……!!!!!!!!」
「――――」
蛇威丸は容易に近付くことができなくなり、
それまで盛り上がっていた気分が落ちていった。
「―――――王子」
すると、扉の外からタカの声がした。
蛇威丸は我に返り亜紀の両手首を縛る紐を解いた。
「...痛かったね..アキ、悪かった...」
「―――!」
亜紀はすぐに胸元を覆い隠した。
険しい目付きの亜紀を見て、蛇威丸は今更、後悔した。
「ベルカイヌンを慕うあなたが、どうしても耐えられなかった..
無理強いしたこと許してほしい..
本当はあなたを大切にしたいんだ」
まるで二重人格のような蛇威丸。
いきなり優しくなる。
「王子...!いらっしゃるのですか!?」
部屋の外では、急せるようにタカが呼ぶ。
そしてまた蛇威丸の顔が怖くなる。
「黙れ!殺されてぇのか!!!」
「....」
蛇威丸の荒々しい口調に、亜紀は身を縮込めた。
「申し訳ございません...!」
タカは扉の前で深々と頭を下げて、
その場から去っていった。
外が、シンと静かになるのを待って、
蛇威丸は亜紀の顔に触れた。
「さっ....わらないで..!」
亜紀は手を振り払う。
蛇威丸に恐れを感じているが今は怖がっている場合ではない。
「アキ..怒らないで...」
「こっ殺され..たいのっ!?」
亜紀は蛇威丸の言葉を咄嗟に真似する。
蛇威丸は驚いた顔をして、いきなり吹き出して笑った。
「はははは....!アキに殺せる訳がなかろう。
あなたのそんな脅し、この俺には可愛いものさ」
亜紀は冷や汗を流した。
手にも汗を握る。
「....」
「腹を刺されても、腕や足を引きちぎられても、
俺は死にはしないよ。
あなたを追い回す。ははは...」
亜紀を完全に馬鹿にしている。
そうだ..
蛇威丸はいつだって、
死ぬことを恐れず、いつだって偉そうな態度だった。
それはなぜか...?
亜紀は恐る恐る蛇威丸の首筋に両手を当てた。
「アキ...??」
蛇威丸は亜紀の不信な行動に笑いを止める。
「蛇は――首を斬らねば、殺せない..」
「―――!!!」
蛇威丸は雷に撃たれたように、身体をびくつかせた。
「あなたが...未来のあなたが教えてくれたことよ...」
「そんな..まさか..」
蛇威丸は亜紀を疑えなくなった。
そのことを知るのは、
この世に唯一、自分しかいないからだ。
もし知る者が在るとすれば、自分が他言した者にだけ。
が、しかし、蛇威丸は誰一人として教えたことはなかった。
もし知るとすれば..
未来の自分が教えた者だけだ..
「あなたを殺したいなんて..アタシ思わない...」
亜紀は自分が放った恐ろしい言葉に、涙を流す。
「でも..あなたが乱暴するなら、アタシはアタシの身を守る...」
蛇威丸は亜紀の涙に目を見張る。
亜紀が未来から来たことは、間違いない...
自分しか信じないこの俺が、
自分の殺し方を、亜紀に伝えるということは、
よっぽどのことがあったとしか考えられないじゃないか...
「アキ…許せ…
今なら…、あなたがいた未来を信じることが…できる…」
蛇威丸はグッと亜紀を引き寄せ、力強く抱き締めた。
それは先程のような、いやらしさはなく、
ただ、今まで苦しかったであろう亜紀を守りたいと思う力しかなかった。
「蛇威丸...」
「世界が破滅するところを見たあなたは、
本当に恐怖だったはずだ...ああ...アキすまない...」
蛇威丸は乱暴したことを悔やみ、
小さな亜紀を心から守ってやりたいと思った。
カツン...カツン...
甲高いヒールの音が鳴り響く。
グラベンが幽閉されている場所は、城の一番上の部屋だ。
ギィィ..
重々しい鉄の扉が開き、蛇威丸が入室する。
「―――王子..」
蛇威丸の登場と共に、
見張りをしていた者達が深々と礼をした。
「気分はどうだ?グラベンとやら」
沢山の鎖に繋がれたグラベンは、
頭しか動かすことができない状態だが、しっかりと顔を上げ、蛇威丸を睨み付けた。
「くそ野郎がぁ...!」
「ふぅん..まだ憎まれ口を叩く余裕があるのか。
たかが人間のクセに、生意気な奴だな..」
蛇威丸はグラベンに会うなり、
いきなり腹部に蹴りを食らわせる。
ドッ!!!
「ぐはっ..!」
グラベンは十字架のように鎖に繋がれ、
抵抗することもできない。
豪華な服に身を包んだ蛇威丸の目は殺気が込められていた。
まさに『毒蛇』だ。
「この男、未だベルカイヌンの居場所を吐きません」
見張りの者達は二人いる。
苛立つ顔で蛇威丸に報告をした。
「何をグズグズしてんだ。
さっさと居場所を吐かせろ」
蛇威丸が見張りの者達にさえも、ガンを飛ばす。
「けっ..!!!いくら聞いたって、
てめぇの思い通りに吐くかってんだ!馬鹿やろ...!!!」
ドカッ!!!
蛇威丸に情けはない。
グラベンの顔面に荒々しく蹴りをぶち込む。
「イイ度胸だ..!貴様がその気なら、殺すまでだ」
「王子..こやつ絶対に口を割りません!いかがなさいますか!?」
見張りの者は、蛇威丸に指示を仰ぐ。
「とっとと殺せ。こんな奴に聞かずとも、
ベルカイヌンの居場所はいずれわかることだ!」
蛇威丸の目は瞳孔が小さく、
切れ長の目は冷たく恐ろしかった。
「裏切り者...!!!」
グラベンも負けじと蛇威丸を睨み付ける。
「クラーザが離れたがったのも当然だぜ...!」
「黙らぬか!虫けらがっ!!!」
ドンッ!!!ドカッ..!!
狂暴な蛇威丸は、すぐに手をあげる。
「ぐっ...!」
グラベンは血を吐いた。
「貴様のような虫けら、
生きているだけで目障りだ!」
蛇威丸は『殺れ』と合図をし、
見張りの者達に止めを刺すように指示する。
「....蛇野郎っ!待ちやがれ!!」
グラベンはそこら中から血を流し、
部屋から出ていこうとする蛇威丸に叫んだ。
カツン..カツン
蛇威丸はもう一度と振り返る。
「―――なんだ?
命乞いなどしても聞き入れやしないぜ?」
「だ..誰がそんな真似するか!」
「おい、グラベンとやら」
蛇威丸の視線が痛い程に、グラベンに突き刺さる。
「どれだけ意気がっていても貴様の負けだ。
この俺様には誰も敵わないのさ!!!
よく覚えておけっ!ははははははははっ!!!」
ギィィ―――バタンッッ!!!
蛇威丸は言い切って、部屋から姿を消した。
カツン...カツン...カツン...
蛇威丸の足音は気分を表している。刺々しい足音。
「王子、本気で殺す気でございますか?」
後ろからタカとカラスが着いてきた。
最終確認を求めてくる。
ザッ―――!
蛇威丸はいきなり後ろに振り返り、タカの首を鷲掴みにした。
「うるせぇ!!!黙れ!!!
この俺が殺すと言ったら殺すんだ!わかったか!!!」
「うぐっ..」
タカは息を詰まらせたまま、首を上下に振る。
隣にいたカラスは、すぐに蛇威丸の前にひざまずき頭を下げた。
「しっ..失礼致しました!!!」
ドッ!!!
蛇威丸はタカの腹を蹴り上げて、タカを突き飛ばした。
「俺の命令は絶対だ!
二度と同じことを言わせんじゃねぇぞ!!!!!!」
蛇威丸の怒りが爆発している。
「はっ!!!」
カラスも、一瞬よたついたタカも同時に返事をした。
「..蛇威丸?」
すると、近くで弱々しい声が響いた。
「――――」
蛇威丸はすぐに目の色を変える。
「蛇威丸...タカさん、カラスさん、何しているの..?」
「アキ」
そこには亜紀が立っていた。
何も知らぬ顔で、不思議そうにこちらを見ている。
「ア...アキ様!」
タカが慌ただしく立ち上がる。
カラスも亜紀に一礼した。
「...どうしたの?」
亜紀が現れると、そこは花が咲くように、
空間がぱぁっと明るくなる。
「何でもないさ」
蛇威丸の声が優しくなった。
亜紀を見つめる目も信じられない程に優しくなる。
「嘘..何かあったの??どうしたの?」
亜紀はなんとなく違和感を感じ取っていた。
タカとカラスの硬い表情を交互に見つめる。
「タカがいらぬことをしでかしただけさ。
説教をしていたところだ」
蛇威丸はグラベンの存在を隠し通した。
「そうなの...??」
亜紀の心配そうな顔。
タカも蛇威丸に合わせ、頭をバリバリと掻きながら苦笑いした。
「ご心配に及びません」
「でも...とても大きな声、聞こえた..」
亜紀がタカに手を伸ばそうとすると、
その手を蛇威丸が奪い取る。
「気にするな。それより、こんな所までどうしたのだ?」
「あ...」
亜紀は蛇威丸に来た理由を尋ねられ、恥ずかしそうに答えた。
「散歩...していたら、迷ってしまって...」
「あはは...」
蛇威丸は無邪気に笑い、亜紀の肩に手を回した。
「そうか城を散歩していたのだね?ならば俺も付き合おう」
「でも...」
「ああ、もう用はいいのさ。終わったことだから」
「そう..」
蛇威丸の言葉には偽りが感じられなかった。
亜紀は何も疑わずに信じる。
蛇威丸は上機嫌に変わり、亜紀と共に歩き始めた。
「―――それで、どこか気に入った場所は見付かったかい?」
亜紀の顔を覗き込んで、蛇威丸は笑顔を見せる。
亜紀といる蛇威丸は不機嫌になることが一度もなかった。
「うん..!とても素敵な場所を見つけたの。
でも、一人じゃ淋しくて、
誰かに会ったら一緒に散歩しましょって…言いたくて…」
「ああ、喜んで」
亜紀の素直さに、蛇威丸は自然と笑顔になっていた。
蛇威丸と亜紀の後ろ姿を見送って、タカは安堵した。
「よ..良かった...」
ズルズルと腰を抜かすように、しゃがみ込むタカ。
「お前、アキ様に救われたな。
あのままだったら確実に王子に殺されていたぞ?」
カラスもそう言いながら、緊張の糸を解く。
「最近、王子の機嫌がいいから、
つい偉そうに口出ししてしまったよ..」
今までは、蛇威丸に『聞く』ことすら恐れていた。
蛇威丸が言ったことに、ただ従うだけだったのだ。
「確かに..」
カラスは腕を組んで、タカに同意する。
「アキ様が来られてから、王子は本当に人が変わられた..」
「それも恐ろしいくらいにな」
「だが、王子を変えれるだけの器が、アキ様にはあるように見えるな。
あまりに美しいし、行動も、発する言葉も、めちゃくちゃ可愛い..」
タカが亜紀を絶賛する。
「おいおい、そんなこと言ってるとまた王子の反感を食らうぞ?」
カラスは呆れ顔を作った。
「何言ってんだ!
別に横取りしようなんて、これっぽっちも頭にない!
このまま王子の為に、アキ様には絶対に城から出られても困るしな!」
タカとカラスは亜紀の有り難みを身に染みて痛感した。
蛇威丸は亜紀のお気に入りの場所だという庭の隅に案内された。
「ああ...確かにこの場所はいい。
ここから見る庭が一番美しく見えるかもしれない」
庭といっても何の整備もされていないので、
ほとんど草むら状態である。
掃除されていないベンチに、二人は腰掛けた。
「―――それに、とっても空気が澄んでいるの」
亜紀はすぅぅっと深呼吸をしてみせる。
「あなたの為に、ここに花壇を作ろう..」
「本当!?アタシも手伝う!!!」
亜紀は健気だ。
想像を膨らませ満面の笑みを作った。
蛇威丸と亜紀は出会ってから、二人でよく話した。
蛇威丸は、亜紀の手を取る。
「...ベルカイヌンからはどんな花を貰った?」
蛇威丸が微笑みながら亜紀に聞いた。
亜紀はクラーザの名にドキッとしたようだったが、すぐに平静を保つ。
「ううん...何も」
「花もくれなかったのかい?」
「だって..彼とはこんなに平和な時間は過ごせなかったんだもの..
いつも何かに追われていて..
いつも誰かと戦っていた」
亜紀は悲しそうに笑っていた。
「そうだったのか..ベルカイヌンといても、幸せはない」
「....」
蛇威丸は亜紀の両手を取り、顔を近付ける。
「俺なら、あいつ以上のことをしてあげられる。
幸せな時間も、楽しませてあげることもできる。
あなたに美味しい物も、美しい洋服も与えることができる。
アキを悲しませるようなことは、絶対にしない..」
「蛇威丸..」
蛇威丸はそのまま唇を近付け、口づけをしようとした。
が、亜紀は顔を背けた。
「アキ?」
蛇威丸は不安そうな表情で、亜紀の目を見つめる。
亜紀は微かに笑っていた。
「クラーザとあなたと...比べることはできないわ..」
「なぜ?もうあいつのことなど..」
蛇威丸が亜紀を言いくるめようとしたが、
亜紀はすぐに口を挟む。
「あなたはとても優しくて素敵。
あの人と比べるなんてできない」
「じゃあ..」
「でも、あの人を..クラーザを忘れることなんてできないの」
亜紀の笑みは、もう何かを割り切っている様だった。
亜紀は蛇威丸から視線を反らし、
庭の遠くを見つめた。
遠く遠く...ずっと遠く。
「クラーザとこんな風に、
長い時間を一緒にしたこともないの...
ゆっくり話する時間なかったし、
彼のこと...アタシ、本当は何も知らない..」
知っていることと言えばなんだろう..
そう寂しく呟いた亜紀の表情はなぜか明るかった。
蛇威丸は亜紀の心理が読めない。
「けど、大好きなの....変ね」
亜紀は蛇威丸の顔を見て、幸せそうな表情を見せた。
「なぜ?なぜなんだ?」
「うん...」
亜紀は首を傾げて考え始めた。
「クラーザは..」
クラーザの名を口にして、亜紀は笑った。
「クラーザはね、アタシが眠れるように手をずっと握っててくれたの。
それから、寒がるアタシを黙って温めてくれた。
いつ死ぬかわからないのに、
アタシを側においてくれて..
ずっとずっと守ってくれたの」
亜紀の言葉は止まらなくなる。
「クラーザがアタシの名前を呼ぶと、アタシの心臓はドキドキするの。
アタシはすぐにクラーザが好きになった。
クラーザはそんなアタシのこと突き放さないで、一生懸命に受けとめてくれたの。
アタシは世間知らずで、
恐がってすぐ泣くと涙を拭いてくれて、絶対に守ってくれた」
まだあの時のクラーザが生きているようだ。
「泥だらけで、血みどろで、
傷だらけで、食べる物さえなかったけど..
クラーザが隣にいると、そんなことどうでも良くなったの」
蛇威丸は何も言わず、亜紀の話を聞いた。
「クラーザはアタシに大切な心をくれたの。
たった一つの、一番大事な..」
亜紀は自分の胸に手をあてた。
まだ、クラーザは亜紀の中にいる。
「アタシも...クラーザに心をあげちゃった」
「心ってなんだ...?
心をあげたり、もらったりなど、
できやしないじゃないか..
形などないし、目にも見えないだろう?」
不思議な感覚だった。
亜紀の言葉は新鮮で新しい。
「顔を見なくても、声を聞かなくても、
彼のことばかり考えてるの。
アタシの頭の中は、いつでもクラーザでいっぱいなの。
それが心をあげたってことなの。
アタシは何をするにしても、クラーザのことばかり考えるの」
亜紀は遠くを見ているのではなく、
遠くにあるクラーザの存在を見ているのだ。
「今も...そうなのか?」
「..うん」
「ベルカイヌンの何を考えてる?」
蛇威丸の口調は穏やかだ。
クラーザへの憎しみも、亜紀には感じ取らせない。
「単純なこと..
クラーザがこの景色を見たら、何て言うかな..?
きっと明日のことばっかり考えて見ていないんだろうな..って。
でもきっとアタシが、ここにお花を咲かせたいねって言ったら、
クラーザは微笑んで『そうだな』って一言だけ、そう言ってくれるの。
そしてきっと、こんな景色を見るたびに、アタシのことを思い出してくれるの」
「....」
想像を遥かに越えた、亜紀の例え話だ。
サワサワサワ...
柔らかい風が吹いている。
「ねぇ...どうして、クラーザと喧嘩しているの?」
亜紀はずっと気になっていたことを、
ようやく口に出すことが出来た。
亜紀はクラーザと蛇威丸が、
互いにいがみ合っていることしか知らない。
包み隠さず話ができるようになった今の蛇威丸になら、
それを聞くことができる。
「....ベルカイヌンは、俺のことを何と言っていたのだ?」
「何も..アタシも聞かなかったし..」
「そうか...あなたは、未来から来たと言っていたね?
一体、何年後の未来から来たのだ?」
今すぐ、クラーザを消し去ろうとしている蛇威丸。
未来から来た亜紀の話を聞くと、
どうやら未来の自分は、
クラーザを殺せていないということになる。
「よくわからなくて...たぶん5年後くらいから..」
「5年後かぁ...」
5年経っても、クラーザを始末できないのか。
..いや、亜紀の存在により、
亜紀が来た未来よりは、少し変化があるはずだ。
亜紀に出会わなければ、
こんなに穏やかな自分にもなれなかったはずなのだから。
「どうやって、この世界に?」
その質問で亜紀の表情は暗くなる。
蛇威丸はまずかったか、と心配になった。
「わからないの...
気が付いたら世界を越えちゃうの。
もしかしたら、またいつの間にか、アタシ、いなくなるかもしれない..」
「そんな...!」
亜紀が消えてしまうなど、
今の蛇威丸には考えたくないことだ。
「....」
亜紀自身もとても不安そうな顔をしているので、蛇威丸は話題を戻すことにする。
「ベルカイヌンは...」
「クラーザ??」
クラーザの名で、一瞬にして表情を変える亜紀。
少し憎らしく思える。
「ベルカイヌンは俺の部下だった。
とても信頼していたのに、あいつは俺を裏切ったのさ」
「え...」
わざとに暗い話題にする。
少しでも亜紀に心配させたい。亜紀の気を引きたい。
「この俺を闇に追いやる気だ。
次の王の座を...俺の居場所を奪い取る気なんだ」
クラーザの悪の部分を、亜紀に教えたくなった。
クラーザは善人ではないのだと、
遠回しに伝えたい。
「クラーザは...王様になりたいの?」
まさか、というような表情。
蛇威丸は亜紀に嫌われたくはないので、
あからさまに『クラーザは悪だ』とは言わない。
「一国の王ともなれば、
大勢の者を従えることができるだろう?
暮らしも楽になるだろうし、ベルカイヌンは欲深い奴だからな。
俺とは違って、頭も切れるし、
国だけじゃなく、もっと大きなモノを狙っているんだろう」
「....」
亜紀は何かを考えているようだ。
クラーザの頭が良いことも、
常に上を目指していることも、なんとなくは感じていた。
まさか、蛇威丸を押し退けて、
一国の国王になろうとしていたとは..
「もう、この話は止めにしよう。
俺はあなたの笑顔を見たいから、こんな馬鹿らしい話は、これ以上したくない」
あえて蛇威丸が話を避けようとすると、
亜紀の方から、この話題を続ける。
「クラーザを悪く思いたくないけど..
あなたは大丈夫なの...?
好きだった人に...その...裏切られて...」
亜紀の目は蛇威丸を心配する色に変わり始めていた。
「良くはないさ。
だが、もうどうしようもないことだろう?」
「でも...」
蛇威丸は心の中で『よし』と反応を実感する。
「ベルカイヌンを失ったのはとても残念だが、
今の俺にはアキがいる。
あなたがいれば、俺は辛くない」
蛇威丸はふわっと笑った。
その作り笑いが、また亜紀を切なくさせる。
可哀想...と、亜紀を思わせる。
「うん..」
その日の夜、
亜紀はクラーザと蛇威丸のことを思った。
蛇威丸がクラーザに殺意を向けていたのは、
仕方ないことなのではないかと、亜紀は深く考えていた。
「...」
夕食の手が進まない。
フォークとナイフを手に持ったままだ。
今までクラーザの視点で蛇威丸を見ていたので、
完全に蛇威丸が、理不尽にクラーザの命を狙っているのだと思っていた。
蛇威丸から聞いた話なら、クラーザが悪者に思える。
「アキ様?先程から、何も口にしていませんが、
どこか具合が悪いのですか?」
後ろで控えていた召使が、亜紀の様子を伺ってくる。
「あ...いえ..」
亜紀は、はっと我に返った。
そして、ふと思いつく。
「あの..どうして蛇威丸は食事を一緒にしないの?
アタシ、彼のところ、行ってくる」
亜紀が席を立ち上がると、
召使は慌てて、亜紀を引き止めた。
「王子は食事の時間を1人で過ごされたいのです」
「どうして..?」
「それは...」
召使が言葉に詰まると、亜紀は笑った。
「アタシ、彼に直接聞いてみる…」
亜紀は用意された食事を大事そうに抱えて、
蛇威丸の部屋に向かった。
蛇威丸の部屋には入ったことはないが、城を案内してもらった時に、場所を聞いたので迷わずに行けた。
少し...日影にあたる部屋。
コンコンコン..
ノックしてみる。が、返事は聞こえないので、
声をかけながら、部屋の扉を開けてみた。
「蛇威丸...?」
ギィィ..
ソロリソロリと、亜紀は部屋の中に入ってゆく。
「アキ..」
蛇威丸は扉のすぐ側にいた。
食事をテーブルに置いたままで何か別のことをしている。
「夕食がまだなら、一緒に..」
亜紀は抱えていた食器を見せた。
蛇威丸は、顔を引きつらせる。
「悪いが...食事は1人でしたいんだ...」
「どうして..?皆で食べた方が、
もっと美味しくなるのに..」
亜紀は肩をすくめた。
なぜか今の蛇威丸には、落ち着きがなく、視線を合わせようとしない。
「あなたの気持ちは、本当に嬉しいのだが..」
亜紀が真っすぐに視線をぶつけてくるので、
蛇威丸は理由を言わざるを得なくなった。
「アキと楽しく食事をしたいのは山々なんだが、
実は...俺の食事は人とは違うから、きっとあなたに見せたら、あなたは俺を軽蔑する..」
「けい..べつ..??」
聞いたことのない単語に亜紀は眉をしかめるが、
話の流れからして、意味がなんとなくだがわかった。
「だから、食事は栄養を蓄えるだけの物で、楽しみの時間などいらないのさ。
食べ終わったら、すぐにアキの部屋に行くから、少し待っていてくれないか?」
「....うん」
亜紀は深くは追求せずに、来た道を引き返した。
ガヂャ..
亜紀が扉を開けて、足を一歩、出した時..
「アキ..?」
蛇威丸がいきなり亜紀に駆け寄ってきた。
亜紀は食事を抱えたまま、蛇威丸の目を見つめた。
「ああ...その...」
蛇威丸は瞬間的に『亜紀を帰してはいけない』と思った。
徐々に心を開いてきていて、
自分から部屋に訪れてきたのだ。
帰す訳にはいかない。
蛇威丸は亜紀の二の腕を掴んだ。
「この俺と食事をする為に、
わざわざ出向いてくれたのか?」
「うん...でもいいの。気にしないで」
亜紀は無理に食事を誘わない。
もう少し強く押してくれればな...と思うが、それは仕方がない。
「あなたが構わないなら..
アキがいいと言うなら、一緒に食事しよう..」
蛇威丸は亜紀に了承を求めた。
亜紀は蛇威丸の淋しそうな目を見て、頷く。
「うん。アタシ気にしないよ..」
「骨を―――人骨なんだが...それでも平気か??」
蛇威丸は、亜紀の手を引く。
今更『いいえ』とは言わせないつもりだ。
「骨??」
亜紀はさすがに驚くが、割り切ることに決めた。
「す..すっごいカルシウム!!!いいと思う!」
亜紀の笑顔に蛇威丸はほっとした。
「本当か?嫌じゃないのか?」
「...だって...だって、
アタシ昔は『ハムスター』を飼ってたことがあるの!
ひまわりの種がご飯だったの。ちっとも変じゃないよ」
「なんだ『ハムスター』とは??」
亜紀の必死な慰め方なのだと思い、蛇威丸は嬉しくなった。
亜紀を部屋の中央に案内する。
見た目はキレイな物だった。
人の物とは思えない『骨』で、
まるで、犬が骨の形をしたおやつを、かじって食べているようだった。
「誰かとこんな風に食事するのは、生まれて初めての経験だ..」
蛇威丸は赤いワインを片手に、亜紀の顔を眺めた。
「アタシ、誰かと一緒じゃないと食事が進まないの。
だって楽しくないもの」
亜紀は優しく微笑む。
蛇威丸は悲しくなる程に嬉しくなった。
こんなにも心が軽くて、ふわふわした気持ちになることなど、生まれて初めてだ。
今すぐ亜紀を抱き締めて壊してしまいたくなる。
可愛過ぎて、破壊したくなる。
「どうしたの..?」
ぼぉっとしている蛇威丸に亜紀は問い掛けた。
「あ―――なんでもないさ。
ただ、なんか幸せな気分で..」
「本当?良かったぁ...!」
亜紀は胸を撫で下ろした。
食事の時間は、あっという間に過ぎていった。
初めての時間だったので、
なぜか二人とも遠慮がちになり、あまり会話も弾まなかった。
「ご馳走さまでした..」
亜紀は両手を合わせた。
蛇威丸は次のことを、もう考えている。
「今から...どうする?散歩でもしようか?」
亜紀を外に連れ出してやろうかとも考えた。
だが、亜紀は首を横に振った。
「ううん..
お昼に庭で散歩できたし、今夜はもう部屋に戻る..」
少し疲れた顔をしていた。
無理して元気そうにしているように見えたので、蛇威丸は心配になった。
「大丈夫かい?
なにか心配事でもあるんじゃないのか?」
蛇威丸の発言で、亜紀はずっと口にしようと思っていた言葉を言い始める。
「お昼の...話なのだけど」
「...ベルカイヌンのことかい?」
蛇威丸はすぐにピンときた。
亜紀は頷く。
「あなたの気持ちを考えると、とても辛くなるの...
クラーザは悪い人ではないし、
きっと仲直りできるハズじゃないかって...」
「仲直り?」
蛇威丸の中で『和解』という文字はない。
亜紀はもうクラーザを嫌うかと思っていたのに..
「何も力になれなくて、ごめんなさい...
だけどアタシも、あなたとクラーザが、
何とかうまくいくように、祈っているから...」
亜紀の瞳は、憎らしい程に、
希望に満ち溢れて輝いていた。
パタン...
亜紀の去った部屋で蛇威丸は悶々と考えていた。
なぜこんなに俺は、
他人のことで悩まなければいけないのだろう。
そう思いながらも亜紀のことが頭から離れなかった。
そして憎らしいクラーザのこと。
「クソッ...!」
蛇威丸は頭を掻きむしった。
苛立ちから、テーブルに置いてある食器を床へと叩きつける。
「なんでベルカイヌンなんだっ!」
どいつもこいつも、
ベルカイヌンベルカイヌンベルカイヌン...!!!
いい加減に聞き飽きた!
蛇威丸は決して、クラーザより劣っている訳ではないはずだ。
「くそぉぉ....!!!!!!」
蛇威丸は握り締めた拳をテーブルに叩きつける。
ドンッッ!
蛇威丸が弱気になれば、
国王の座も、亜紀も、クラーザに奪われてしまう。
どうしても、諦める訳にはいかない。
ホォウ―..ホォウ―..
梟が鳴く真夜中。
ギシ..
「...」
亜紀は寝返りをうった。
深く眠っていて、蛇威丸の足音には気が付かなかった。
コツ..コツ...コツ...
蛇威丸は息を潜めて、
亜紀の眠るベッドの方へと近付いた。
「―――」
ギシィ――...
蛇威丸はベッドに腰を下ろして、亜紀の寝顔を覗き込む。
亜紀が部屋を出ていってから、
随分と時間が経ったが、苛立ちは抑えられなかった。
だが、なぜだろう..
亜紀の顔を見ると、
心はみるみるうちに洗浄され、穏やかな気分になる。
「――――」
スッ――..
蛇威丸はそっと手を伸ばし、亜紀の顔に触れた。
「ん...」
亜紀の小さな声が漏れる。
滅茶苦茶にしたい...
亜紀の身体を、壊してやりたい..
そうやって、自分だけの物にしてしまいたい...
「―――」
蛇威丸はゆっくりと顔を近付け、亜紀の唇を奪った。
ググ..
最初は軽く口づけるつもりが、
やはり深く唇を重ねるようになる。
こうして、毎夜、
亜紀の寝ているうちに、もう何度も口づけをしてきた。
亜紀の夕食には深く眠れる安眠剤を調合している。
そう簡単に起きるわけもなかった。
「ぁ....ん..」
亜紀は息苦しさからか、
蛇威丸をそそるような声を漏らした。
クチュ..
蛇威丸は、亜紀の顔を固定し、
ゆっくりと唇を押し開き、口の中へと舌を侵入させた。
「アキ...」
蛇威丸は亜紀の歯をなぞるように、口の中を掻き回す。
「ぁ...クラーザ...」
必ずと言っていいほど、亜紀はクラーザの名を呼んだ。
「...アキ...アキ..」
蛇威丸は亜紀の耳に口づけ、名をそっと囁き続ける。
蛇威丸は亜紀を離さない。
無意識にクラーザの名を呼ぶのがとても屈辱的に思えた。
だが、妬ましい。
「ぅ...ん...ラーザァ...」
亜紀をベッドに押し付けて、もう一度、唇を塞いだ。
「クラ……」
蛇威丸が想いを込めて、舌を絡ませる。
すると、亜紀の手が、
蛇威丸の頬に触れてきた。
「―――!」
蛇威丸はまさか起きてしまったのかと思ったが、
亜紀の蛇威丸に応えるような仕草をみて、眠っているのだと思った。
亜紀の細い手は、
蛇威丸の首に周りキスに応じ始めた。
クラーザと間違えている...
「クラーザ...」
寝惚けているので、力は抜けている。
蛇威丸の舌の動きに合わせ、
亜紀の小さな舌が絡まってきた。
「――――!」
蛇威丸は満面の笑みを浮かべて、亜紀をまじまじと眺めた。
ニタァ…
口先が裂けるように、笑う不気味な蛇威丸の笑み。
翌日。
「.....」
亜紀は胸元が乱れているのに気付き、肩を震わせた。
驚くことに、白い肌には沢山のキスマークが残されている。
「いやっ.....」
亜紀は身震いした。
胸元を見るまで、何も気付かなかった。
スッ...
亜紀は唇に手を当てた。
なにか違和感がある。唇が腫れていた。
「....やだ....」
身に覚えのないことに亜紀は恐怖を感じた。
心配になって、
身体中を見たが、キスマークは首筋と胸元だけだった。
犯されては....いない....
『んだっ!!!この野郎!!!』
遠くから、騒ぎ声が聞こえ始めた。
ガヤガガヤ...!!!
ドヤドヤ!!!
乱闘騒ぎが起きているようで、
人の声と同時に、殴りあう鈍い音が聞こえる。
「....?」
亜紀は何の騒ぎかと心配になり、
あちこちと耳を傾けた。
カタ..
亜紀はベッドから出て、窓際に立つ。
窓から外を見ると、庭の方で人混みができていた。
「きゃっ....!」
亜紀はその様子を見て、悲鳴を上げる。
ガタッ―――タッタッ...
亜紀は窓から離れ、部屋を飛び出した。
「グラベンさん――!グラベンさん!どうして....!!!」
亜紀は庭に向かって走りながら、一人呟いた。
庭にはグラベンの姿があったのだ。
そして、蛇威丸や蛇威丸の護衛達が彼を取り囲み、
暴力をふっていたのだ。
亜紀は裸足のままで庭に飛び出した。
寝間着のまま、グラベン達のいる場所に駆け付ける!
「やっ...やめて....!!!」
亜紀は輪のなかに割って入り、
蛇威丸の腕にしがみ付いた。
「アキ...!?」
蛇威丸は亜紀の登場に驚き、
グラベンに振りかざしていた拳を下げた。
「何しているの..!やめてよ..!!!やめてっ!」
人々の輪の中央で、
血だらけになったグラベンが、
こちらに睨みをきかせながら倒れている。
両腕には自身で引きちぎったと思われる鎖が。
「アキ、離せ!今は取り込み中だ!」
蛇威丸がそう言うと、
近くにいたタカが、亜紀を蛇威丸から引き離す。
「アキ様、ここは危険です!」
「いやだ!やめてよ!!!蛇威丸、やめてっ―――!!!」
亜紀は恐怖に掻き立てられた悲鳴でわぁわぁと騒いだ。
「やだ!!!この人を傷付けるのはやめてっっ!!!」
蛇威丸は亜紀を制しようとしたが、
今の亜紀には何を言っても伝わりそうにない。
「アキ、こいつは敵だ!油断できない!」
そう言ったそばから、
亜紀はタカの腕を擦り抜け、迷わずグラベンの身体に覆いかぶさった。
「アキ様!!!!!!」
タカは亜紀を手放してしまったことに焦りを感じる。
ググ....
力なく地面に身体を伏せているグラベンを守るように、
亜紀はグラベンを抱き締めた。
「――――アキ!」
蛇威丸も危険の迫る思いになる。
「アタシ知ってるの!
この人を――グラベンさんを傷付けてはダメなの...!」
「なっ...」
蛇威丸の注意が一瞬グラベンから離れた時。
グラベンは隙を見計らっていたかのように、
亜紀を人質に捕え立ち上がった!
「あっ――!」
亜紀は後ろから、グラベンに腕を回され首を絞められる!
「へっ..蛇野郎...!!!
この...妖魔女の首の骨を..へし折られたく..なかったら..
今すぐ...こいつら全員を..引き下がらせろ....!!!」
命からがら状態のグラベンは闘士を燃やす。
「貴様っ―――!!!」
蛇威丸がギリギリと唇を噛み締める。
「さっさと...ご自慢の護衛達を、
引き下がらせろっつってんだよ!!!」
グイッ!
グラベンは怒りを込めて、亜紀の首を絞め上げる!
「はぁっ.....ぅぅ....」
亜紀の顔は苦痛の色に染まる。
蛇威丸は狼狽えて、
護衛の者達にすぐに下がるようにと指示を送った。
ザザザ...
タカやカラスを含めた15人もの護衛達が、一気にグラベンから離れる。
「蛇野郎...!てめぇもだ!!!」
「....生意気な...!」
偉そうな態度は変わらないが、
蛇威丸はグラベンの言う通り、30メートル程離れた。
「――――――」
グラベンは辺りを確認し、
亜紀を思いっきり突き飛ばすと、
一目散にその場から走って逃げて行った!
「あぅ..」
亜紀はガクンと膝を落とした。
蛇威丸はすぐに亜紀に駆け寄り、大声で叫ぶ!
「奴を追え!!!絶対に逃がすな!」
蛇威丸は亜紀の身体を支えながら、無事かを確認した。
亜紀は絞められていた首に手を当てて、息を整える。
「蛇...威丸..!彼を逃がしてあげて...!」
まだも亜紀は、グラベンを庇って言う。
「何を言ってるんだ!?
たった今、殺されかけたんだぞ?あいつは敵だ!!!」
亜紀がグラベンを守ろうとする理由がわからない。
クラーザを自分から奪うように連れ去った男なので、
亜紀が味方をするようなことを言うのは、また無性に腹が立つ。
「敵じゃないの...!お願い!蛇威丸!!!」
「何を訳のわからぬことを..」
「――あなたがそう言うの!
何年後かに...あなたはグラベンさんと一緒に戦うの..!
グラベンさんが作る『ディアマ』にあなたも入るの!!!」
亜紀は死に際の蛇威丸を思い出した。
両手足がなくなって、首と胴体だけの蛇威丸。
亜紀に向かってこう言った。
『例え、時を戻せたとしても俺様は『ディアマ』に入る!
必ずそうする!!』
グラベンと何があったのかは亜紀は知らない。
だが、静かに横たわるグラベンの屍の横に蛇威丸はいた。
グラベンから離れようとしていなかった。
「嘘だ....」
今の蛇威丸には、受け入れがたい話だった。
だが、亜紀が未来から来たということを知っているので、事実なんだろうと思う気持ちもあった。
「今は...色んなことがあって許せないかもしれない..
でも、どうかグラベンさんを傷付けないで...!」
亜紀は懸命に願い出る。
きっと亜紀がこの時代にタイムスリップしなければ、
グラベンが蛇威丸の城に捕らえられることもなかったのだろう。
亜紀が泉の力で、パザナの村から蛇威丸の元に飛んできた時に、
グラベンは来るはずのない場所に来てしまったのだから。
ここで、グラベンを死なせてしまったら未来は大きく変わってしまう。
『ディアマ』は世の中に誕生せず、
フッソワやゾードやクラーザやランレートが集まることはない。
ああ..でもそうか..
そうなれば、アダの裏切りもない...
亜紀は首を横に振った。
グラベンを死なせていい訳がない。
「蛇威丸...アタシが見てきた未来の世界の話を聞いて..」
未来を変えよう。
アダの裏切りを止めたり、
謎のチーム『ヴァンガーナ』を押さえ込んでしまえばいいんだ!
「.....」
蛇威丸は亜紀の目を見つめた。
未来を知ることに、多少の興味はあるが、
大半は不安でしかない。
―――だが、うまくいけば、クラーザの今後の動きが、
手に取るようにわかるかもしれない。
未来では葬れなかったクラーザを、今の自分ならいとも容易く倒せるかもしれない。
「話を聞こう....」
蛇威丸はグラベンのことは護衛達に追わせておいたまま、
城の中に戻ることにした。
大きなソファが幾つも置いてある談話室。
床には、何の獣かわからない動物の毛が絨毯にされており、フカフカだった。
「さぁ...そこに座って」
蛇威丸は今にも埋まってしまいそうなフカフカのソファに亜紀を座らせる。
「ねぇ...グラベンさんは...」
「心配するな。殺しはしない。
あいつらがすぐに生きたまま捕らえて来るさ」
「....」
亜紀はブルブルと震えていた。
蛇威丸がじっと見つめる。
「先程の話は...一体どういうことだい?」
蛇威丸の口調はいつも通り穏やかだが、どこか刺があるようだった。
亜紀は早く本題に入らねばと思う。
早く苛立つ蛇威丸を説得してなんとかしなければと。
「アタシ...アタシ...未来であなたにも会っているの」
「だから...俺の名を知っていたんだな..」
やっと話が繋がる。
最初、亜紀に名を呼ばれた時、蛇威丸は驚いた。
「全然..あなたとは一緒にいなかったのだけど、
あなたのことを知っていた..」
「アキは、ベルカイヌンと共にいたんだったな。
俺のことを知っていても不思議じゃない」
クラーザを消し去る為に、蛇威丸はクラーザを追い回すのだ。
未来で亜紀に出会うのは、自然の流れだろう。
「クラーザやグラベンさん達と、あなたは対立してたんだけど、
いつかは手を取り合って、力を合わせる日が来るの..」
亜紀の言葉次第では、蛇威丸の機嫌を損ね、
未来があらぬ方向に変わってしまうかもしれない。
亜紀は言葉には充分に気を使い、
蛇威丸の表情を確かめながら話を始めた。
「なぜ、奴らと手を組まなければならない?」
「それはね、すごく大きな敵が現れるの..!
とっても強くて..得体の知れない大きな大きな敵なの..!!」
亜紀はまず、未知の敵から話を進めた。
アダが率いる『ヴァンガーナ』は、
とてつもないモノを召喚し、この世を破滅に導く..
「ふっ...下らない...
そんな連中、聞いたことがない」
蛇威丸は鼻先で笑った。
そんなことを言われても、
『はい、そうですか』と真に受けることは難しい。
「本当なの..!
グラベンさんは殺されて、きっとあなたも...」
亜紀は蛇威丸の無残な姿を思い出し、目を潤ませる。
まだ生きていたのに、置き去りにしてしまった..
「この俺が、そいつらに殺されると言うのか?
しかも、グラベン達と手を組み、仲良く死ぬと??」
「蛇威丸...」
口調が荒くなる蛇威丸に、
亜紀はどう説明すればいいのか、険しい表情をした。
「アキ、あなたが本当に未来から来たというならば、
証拠を見せてほしい」
「え...」
まただ。また証拠を求められる。
「俺はアキを疑っちゃいない。
つい今まで、アキをどこの者なのか、問いただそうと考えてもなかった」
確かにそうだった。
どこの馬の骨かもわからない亜紀を、蛇威丸は無償で歓迎してくれた。
「うん...」
「だが、あなたが未来が何だの、行く末がどうだのなどと言うならば、話は別だ」
しかも話の内容は、蛇威丸には理解し難いことばかりだ。
この先、どう転んだとしても、
クラーザと手を組む気はさらさら無い。
「俺は高名な占い師さえも信じない主義なんだ。
未来など誰にもわからない。
それに、適当な嘘をつかれていても俺にはわからない。
そんなものを信じたくないのさ」
「アタシ、嘘はついてない...!」
蛇威丸は、コクンと頷く。
「わかっている。
アキがそんな卑怯な女だとは思っていないさ。
だが、かりにもアキはクラーザと共にいた。
クラーザをひいき目で見ている。
クラーザの良いように、俺を導こうとしていることは間違いないだろう?」
「それは...」
亜紀は俯いた。
蛇威丸の言う通り、自分はクラーザを一番に考えている。
蛇威丸のことを一番に思うならば、もっと他の言葉を言っていたハズだ。
...クラーザを死なせたくないから、
蛇威丸に『ディアマ』に入ってもらうよう仕向け、
得体の知れない生命体と、戦わせようとしている。
「ごめんなさい...その通り…だと思う」
亜紀はもうどうしていいのか、わからなくなった。
蛇威丸の言葉を否定しない亜紀に、蛇威丸はなんだか虚しくなる。
「そんなに、ベルカイヌンが大切か..」
「クラーザが苦しむのが嫌なの...ごめんなさい...」
亜紀はどうしようもない自分の顔を隠して、蛇威丸に詫びた。
「アキ...」
愛しいはずの亜紀が、なぜかとても憎らしく感じる。
手に入らないのかと思うと、怒りが込み上げてくる。
「...」
「―――ならば...やはりあなたの言葉は信じない。
その辺の口からでまかせを吐く占い師と同じだとみなす」
亜紀はバッと顔を上げた。
蛇威丸の機嫌を損ねてしまった。
一番、気を付けなければいけなかったことなのに..!
「あ..待って...!」
亜紀はソファから立ち上がり、蛇威丸にしがみ付いた。
「....」
「本当に世界が滅んでしまうの!
みんな...みんな死んじゃうの!!」
蛇威丸は亜紀を冷たい目付きで見下げた。
「だからなんだと言うのだ?」
「蛇威丸...」
亜紀の大きな瞳を、蛇威丸は覗き込む。
「....でも、そうだなぁ..
そんな赤く腫らした唇でお願いされたら、
ついあなたの言うことを聞いてしまいそうだ」
「え...?」
亜紀も蛇威丸の目を見つめた。
ニヤリと不気味な笑みをこぼす蛇威丸に、亜紀は背筋をしゃんとする。
「そんなに嬉しそうに、キスマークを見せ付けて..
皆が見ていたぜ?アキの胸元を」
蛇威丸は笑みに緩ませた口を、亜紀の耳元に近付けた。
いやらしく囁く。
「...ぁ..」
「誰に付けられたのか、わかっているんだろう..?」
亜紀は魔法にかけられたように身体が動かなくなる。
スッ..
すると蛇威丸の手が、亜紀の胸元にへと伸びてきた。
「昨夜のアキは、可愛かったよ。
俺の名を呼んで...あなたから腕を回してきたんだ。
仕方がないから、あなたの身体を存分に舐めてあげたんだよ..」
ゴツゴツした蛇威丸の手が、
しなやかに亜紀のドレスの中に侵入していく。
「...やっ..!」
亜紀は抵抗して、後退った。
ドサッ―――!
ソファに足をとられ、先程のように座りこんでしまう。
ギシ...
亜紀を跨いで、蛇威丸もソファに乗ってくる。
向き合った姿勢で、蛇威丸は亜紀をソファに押さえ付けた。
「やだ!――蛇威丸、やめて!」
亜紀は必死に蛇威丸を避けようとする。
亜紀の危険信号が、今頃になってから作動する。
「俺の言う通りにすれば、
俺もあなたの言うことを聞いてやるさ。さぁ...」
蛇威丸は亜紀の肩を押さえ込み、
唇を重ねようとしてきた。
「いやっ....!!!」
こんな交換条件は間違ってる。
これは脅しだ。
亜紀は両手をバタバタとさせ、蛇威丸を寄せ付けないようにした。
「聞き分けの悪い人だね..」
蛇威丸は余裕な表情。
どこからかスッと黒い紐を取出し、亜紀の両手首を縛った。
亜紀は頭上で手首を縛られ、動けなくなる。
「いやだっ..!いやぁ!!!やめて!蛇威丸やめてぇ!!!」
蛇威丸は跨いだ格好で、亜紀の膝の上に座り、
亜紀の動きを完全に封じ込める。
「泣いてもいいよ..
この俺の前でなら、いくらでも泣くがいい..
でもせっかくなら狂おしい程に泣いてくれよ..」
蛇威丸の両手は、縛り上げられた亜紀の腕に。
そして、スルスルと下に降りてゆく。
肘を伝い、脇を伝い、胸元に降りてゆく。
ビッッ...
蛇威丸は手つきは優しいままに、
亜紀の服を引き裂いた。
「やっ..何するの....!!!」
亜紀の白い胸が顔を覗かせた。
まだ蛇威丸の唇の痣を残したままの、柔らかい肌。
「ああ...もう一度、味わえるのか..」
蛇威丸はニヤニヤと笑い、亜紀と目を合わせたまま、
長い舌をダラリと伸ばした。
「いっ...いやっ!!!」
亜紀の嫌がる顔を楽しむように、
蛇威丸は亜紀の首筋を舐めながら、視線は反らさなかった。
蛇威丸はわざとらしく音を立てる。
亜紀は見ていることができず顔を背けた。
「ぅっ.....うぅ...」
亜紀の泣き出しそうな顔を蛇威丸は片手で固定する。
「ほら...ちゃんと見るんだ...」
蛇威丸の変質者ぶりに亜紀はとうとう泣き出した。
「お願い..やめてぇ...やだぁ...うっ...ぁ...」
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ニタニタと笑ったまま、亜紀の唇に自分の唇を強く重ねた。
「いやぁぁ....うっ...―――クラーザぁ...クラーザぁぁ..」
亜紀は叫び出した。
じたばたと身体を揺らし、懸命にクラーザに助けを求める。
「....」
蛇威丸の顔色が変わった。
「いやぁぁ!!!クラーザ助けて―――――!!!」
バシッ!!!
いきなり蛇威丸は、亜紀の頬を殴りつけた。
「―――」
亜紀を睨み付け、また再び胸元に顔を埋める。
「....やっ....ク..ラーザ...」
亜紀の声が震える。
蛇威丸はクラーザの名に敏感に反応し、また亜紀の顔を打つ。
バシンッッ!!!
「あぅ...」
恐ろしい顔付きに早変わりした蛇威丸は、今度はことあるたびに亜紀を殴りつけた。
バシンッッ!!!バシッ!!!
鈍い音が部屋中に響く。
「ぁ....はぁはぁ...うっ..」
亜紀は口から血を流し、視界をぼやけさせていた。
「....」
ピチャピチャ...
蛇威丸は無言で、亜紀にキスを浴びせる。
「....ク..クラーザぁ...」
亜紀は泣きながら、
何度も何度もクラーザの名を呼んだ。
バシッ!!!
また顔に熱いものを感じ、亜紀は表情を曇らせた。
グッッ
すると今度は、
殴りつけた亜紀の顔を蛇威丸は引き寄せた。
「これ以上――――あいつの名を呼ぶことは許さない....!」
「やっ...クラー..」
亜紀が何かを言い終える前に蛇威丸は亜紀の唇を塞いだ。
濃厚なキスを浴びせる。
「んっ...やっ....」
亜紀はキスの合間に、悲鳴を上げるが..
「蛇...威丸...んんっ...」
蛇威丸の乱暴なキスに、
亜紀は意識を失いそうになる。
「アキ...可愛いいよ..すごく可愛い....」
蛇威丸の唇は亜紀の首筋に伝う。
蛇威丸の手が、優しく亜紀を撫でる。
「うん...いやっ...」
亜紀は首を横に振った。
蛇威丸が亜紀の股下に手を忍び込ませ、もう一度唇を重ねた時...
ガブッ!
「...痛っ..」
亜紀は蛇威丸の舌に、思いっきり食いかかった!
サドスティック的な行為だと思われて、興奮してほしくないので、
亜紀は狂犬のように、近付く全てに狂暴に噛み付いた!
ガブッ!!!
「....あっ..」
蛇威丸は手を噛まれ、
しまいには近付ける顔まで噛み付かれた。
「うう――!うぅぅ―――!!!」
亜紀は犬のように威嚇してみせる。
少しでも気を緩めると、恐怖から涙が溢れて、声が震えるので言葉も発せず吠える!
「ぐぅぅー!!!!!!うぅうぅうぅうう……!!!!!!!!」
「――――」
蛇威丸は容易に近付くことができなくなり、
それまで盛り上がっていた気分が落ちていった。
「―――――王子」
すると、扉の外からタカの声がした。
蛇威丸は我に返り亜紀の両手首を縛る紐を解いた。
「...痛かったね..アキ、悪かった...」
「―――!」
亜紀はすぐに胸元を覆い隠した。
険しい目付きの亜紀を見て、蛇威丸は今更、後悔した。
「ベルカイヌンを慕うあなたが、どうしても耐えられなかった..
無理強いしたこと許してほしい..
本当はあなたを大切にしたいんだ」
まるで二重人格のような蛇威丸。
いきなり優しくなる。
「王子...!いらっしゃるのですか!?」
部屋の外では、急せるようにタカが呼ぶ。
そしてまた蛇威丸の顔が怖くなる。
「黙れ!殺されてぇのか!!!」
「....」
蛇威丸の荒々しい口調に、亜紀は身を縮込めた。
「申し訳ございません...!」
タカは扉の前で深々と頭を下げて、
その場から去っていった。
外が、シンと静かになるのを待って、
蛇威丸は亜紀の顔に触れた。
「さっ....わらないで..!」
亜紀は手を振り払う。
蛇威丸に恐れを感じているが今は怖がっている場合ではない。
「アキ..怒らないで...」
「こっ殺され..たいのっ!?」
亜紀は蛇威丸の言葉を咄嗟に真似する。
蛇威丸は驚いた顔をして、いきなり吹き出して笑った。
「はははは....!アキに殺せる訳がなかろう。
あなたのそんな脅し、この俺には可愛いものさ」
亜紀は冷や汗を流した。
手にも汗を握る。
「....」
「腹を刺されても、腕や足を引きちぎられても、
俺は死にはしないよ。
あなたを追い回す。ははは...」
亜紀を完全に馬鹿にしている。
そうだ..
蛇威丸はいつだって、
死ぬことを恐れず、いつだって偉そうな態度だった。
それはなぜか...?
亜紀は恐る恐る蛇威丸の首筋に両手を当てた。
「アキ...??」
蛇威丸は亜紀の不信な行動に笑いを止める。
「蛇は――首を斬らねば、殺せない..」
「―――!!!」
蛇威丸は雷に撃たれたように、身体をびくつかせた。
「あなたが...未来のあなたが教えてくれたことよ...」
「そんな..まさか..」
蛇威丸は亜紀を疑えなくなった。
そのことを知るのは、
この世に唯一、自分しかいないからだ。
もし知る者が在るとすれば、自分が他言した者にだけ。
が、しかし、蛇威丸は誰一人として教えたことはなかった。
もし知るとすれば..
未来の自分が教えた者だけだ..
「あなたを殺したいなんて..アタシ思わない...」
亜紀は自分が放った恐ろしい言葉に、涙を流す。
「でも..あなたが乱暴するなら、アタシはアタシの身を守る...」
蛇威丸は亜紀の涙に目を見張る。
亜紀が未来から来たことは、間違いない...
自分しか信じないこの俺が、
自分の殺し方を、亜紀に伝えるということは、
よっぽどのことがあったとしか考えられないじゃないか...
「アキ…許せ…
今なら…、あなたがいた未来を信じることが…できる…」
蛇威丸はグッと亜紀を引き寄せ、力強く抱き締めた。
それは先程のような、いやらしさはなく、
ただ、今まで苦しかったであろう亜紀を守りたいと思う力しかなかった。
「蛇威丸...」
「世界が破滅するところを見たあなたは、
本当に恐怖だったはずだ...ああ...アキすまない...」
蛇威丸は乱暴したことを悔やみ、
小さな亜紀を心から守ってやりたいと思った。
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