碧落に君は消えゆく

藤橋峰妙

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第一章 根雪

01 吹雪

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 1


 ――『エレネイアの亡霊の呪いだ』と、誰かが言った。
 
 それは水の国で囁かれる、とある一族の呪いの話。
 ある時、人々はその一族に対する恩を仇で返した。その所業に怒り狂った一族の怨念が苛烈な呪いとなって、この国に天の災害を起こしているのだという話である。

 そう、その噂の通り、狂った天気は一週間以上も続いている。黒に燻された灰色の空が、限りなく遥か遠くまで人々の頭上に被さっていた。

 吹き荒む風は白い簾となって、暗闇に包まれた不気味な森の木々を斜めに打ち付けている。それは、ちらちらと美しく翻る雪模様には程遠い。さながら一年の大半を分厚い氷に閉ざされたかの氷の国のごとく、自然の怒りを大いに買った果てに、大地が奥底から凍てついてしまったかのような狂い様であった。

 ひとたび外に出れば、呼吸さえも奪ってゆく風と雪。それは日を追うごと、殊更に激しさを増している。深緑色の景色を映していた視界はあっという間に閉ざされ、木々の間を縫った風だけが、びゅうびゅうと森の中を飛び交っていた。

 ここ数日の異常な天候に見舞われたのは、水の国の全土であった。

 ある場所では雷鳴が重なって轟き、河川を氾濫させるほどの大雨が降り続いた。また別の場所では地面に穴を開ける勢いで降りしきる雹に、日照り、竜巻などが街や村に襲いかかっているという。
 逼迫した知らせは各地からもたらされていたが、その中でも「ミエラル」という小さな村に吹き曝す風は、さながら氷の鞭のようであった。

 村は、王都があるファータノア領、その北の郊外に連なった大山脈の麓にある。
 声を大にして言えるほどの特徴もない長閑な村は、背後に馬の背のように滑らかな山々を仰ぐ。そしてその山はやがて、王領の北西にあるジュナド領とスザン領との境をなすテレジア山脈へと合わさっていくのだ。

 村の空気ははっとするほど新鮮で、村の外から人が訪れることも多かった。春には草木の青青とした香りと、白い花の色に包まれる。夏は真っ直ぐに落ちる太陽の光を浴び、秋には色づいた葉と稲の穂が揺らめき、冬は山脈から落ちてくる冷たくも優しい風と共に、多くとも踝のあたりまで雪が散る程度なのだ。

 今は雪解けが終わり、花が咲き揃う舞月まいづきの中頃である。
 一週間ほど前まで春盛りの緑美しい景色を映していたというのに、一転して、吹雪は止まないどころかさらに猛威を奮っていた。
 もとよりこの地一番の寒さがやって来る冬の沙琉衣月の話であったとしても、凄まじい地鳴りのような吹雪が村を襲ったことは、過去を遡ろうと記録にすら残っていないだろう。


◇◆◇◆◇


 村を通る一本の道。吹雪に抗いながら、その道を小さな影が動いていた。
 手にはぶかぶかの手袋を填め、小さなランタンを握りしめて、細道にてんてんと灯る暖かな光には目もくれずに、その足は村の背後に広がる黒い森へと向かう。
 ランタンが左右に揺れるたび、中の灯光石が暗闇の中に仄かな橙色の明かりを発して、白い雪に跳ね返った光は、その足元と少年の真っ赤な頬を殊更に色付けていた。

 暖を取るため何枚も着重ねていた古着は少年の体型よりも大きいものであったし、糸のほつれた粗い目の首巻は雪の上に引きずられている。一番外側に羽織っている厚手の外套も糸が崩れて、何度も直しを入れた跡が残されていた。重たい足取りで風に立ち向かうその姿は、吹雪の中ではあまりにも小さい。

 村人たちは誰一人として、少年を家の中へと引き入れようとはしなかった。けれどもそれは少年にとって、大した問題でもない。村人たちは少年を避けていたし、それを分かっている少年もまた、村人たちへの期待をすでに抱いていなかったからだ。

 両者の間に空いた溝はもはや埋まらないだろう。何故溝が生れたのか、はっきりとした理由は分からない。まるでこの吹雪のように、日を追う事に酷く、そして取り返しのつかないものになって、もう幾年と経っていた。彼らの間にあるものは必要最低限の関わりのみで、それ以上も、それ以下も、何ものも存在しなかった。

 少年は村に立ち並ぶ家々の横を、慌てた様子で通り抜けていく。
 やがてその先には、森の入り口を示す看板の一部が現れた。大昔に建てられた看板は、今にも折れてしまいそうな立ち姿で雪の中に杭を埋めている。
 
「うん。もう少しだ」
 
 少年は白い息を大きく吐き出すと、薬の入った小包を抱え直した。
 
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