モブ令嬢は脳筋が嫌い

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番外編

ローザの逃避①

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 ローザはシンドレアの三大名家の一つ、ヘカトール家に生まれた。
 三大名家は公爵家の中でも強い力を有する家であり、王族との結婚が多い。三つの家はそれぞれ権力が集中しないように常にバランスを取り合っており、本来であればローザは第一王子の婚約者になることはなかった。

 本来ならば。
 事情が変わったのは剣聖ザイル=フライドの孫が剣の才能を引き継いでいると発覚したから。
 元より二十年前の活躍の際、フライド家を公爵家に格上げしようという動きがあったそうだが、ザイル本人がそれを辞退。以降、王家はフライド家の格上げのチャンスを狙っていた。そして彼の孫、リガロ=フライドにもその才があると分かったため、王家は彼を取り込もうとした。けれど王家には年の近い女児がいなかった。リガロの才が発覚してから数年経っても王妃様が女の子を身ごもることはなかった。ならば三大名家のどこかに婿入りさせ、その子どもを王家に迎えようとするのは至って当然の流れであると言えよう。それぞれの家が彼と年の近い令嬢を何人も連れ、フライド家に縁談の話を持ちかけた。当主は乗り気で、すぐに話が決まると思われたが、意外にも話が難航した。なんでもリガロ本人が彼女達との婚約を嫌がったのだという。その話を耳にした父はすぐにローザとの話をなかったことにし、様子を窺うことにした。結果として、父の判断は正しかった。フライド家は三大名家の令嬢全ての婚約を断ったのである。すぐに他の家との話を受けるようになった。だがどの家もすぐに決まるということはなく、必ずリガロ本人と会って、彼の反応を見て答えが告げられる。どの令嬢も断られ続け、ついに決まったのはフランシカ男爵家の令嬢だった。

 リガロの婚約者が決まるまでの三年間、フライド家との関係を密にしようとした他の二家と、王子との交流を大事にし続けたヘカトール家ーー王子の婚約者に選ばれたのは後者だった。こうしてローザはスチュワート王子の婚約者に選ばれた。

 婚約者が決まってからもリガロの成長は止まらず、むしろ拍車がかかっていたとも言える。彼の噂を耳にしない日はないとさえ言われ、とある剣術大会であと一歩のところで敗れた時には『何かの間違いだ』『不正があったのではないか』とさえ騒がれた。その時、リガロはまだ六歳。いくら剣術の才があるとはいえ、彼はごくごく普通の子どもだ。お茶会の席で婚約者とどこへ行ったのだと話す彼は本当に楽しそうで、だからこそ周りの反応の異常さに吐き気を覚えた。

 リガロが変わってしまったのはそれからまもなくのことだった。
 婚約者の話どころか自分の話さえもしなくなり、目からは徐々に光が消えていった。彼の婚約者とは身分の差もあり、顔を合わせる機会はなかったが、日に日に回りからの当たりは強くなっているらしい。お茶会でそのことを教えてくれた令嬢は『剣聖の孫の婚約者なのだから』『男爵令嬢のくせに』とまるで相手が虐げられることが当然で、自分は正義を貫いているのだと主張するかのように胸を張っていた。リガロと共に変わっていく周りに、ローザは恐ろしさを感じた。お茶会から戻ってすぐ、今日の報告のために父の書斎に向かった。報告を済ませた後は父の仕事の邪魔にならぬよう、いつもならすぐに下がるところだが、ローザはこのまま誰にも話さずに気味の悪い何かを抱き続けることなど出来なかった。作業を再開させようとする父の迷惑になるかもしれないと承知で口を開いたのだ。

「リガロ様は、その……大丈夫なのでしょうか? 今日は少し目が虚ろでいらっしゃいましたわ」
「昨日夜遅くまで大会があったそうだから、疲れているだけだろう」
「ですが、最近婚約者であるイーディス様の話もめっきりしなくなってしまって。それどころか話を振ろうとすると彼は顔を歪めて……」
「何かあったのだろう」

 父はローザの心配など軽く流すだけ。
 だがその後に小さくため息を吐いて「相手はフランシカの娘だ。心配いらんだろ」と続けた。どういう意味だろうか? 分からず問おうとするローザだったが、仕事があるからと追い出されてしまった。

 なぜ父はリガロ本人でもフライド家でもなく、フランシカ家の、婚約者の家を挙げたのか。しばらく悩んだがその理由は分からなかった。ただ父の言葉を何度も繰り返す度、ローザも不思議と心配はいらないような気になってくる。

「フランシカ家、か……」
 特に目立ったところのない、ごくごく普通の男爵家と聞いている。イーディス本人も地味な令嬢で、だからこそ気に入らないのだと。だがフランシカには父に心配いらないと言わせる何かがある。その日からフランシカ家の令嬢、イーディス=フランシカは気になる存在となった。周りが彼女の嫌みを言う度に「イーディス様はフランシカ家の娘だから心配いらない」なんて会ったこともないくせに頭の中で繰り返す。すると少しだけ心が楽になるのである。現実逃避でしかないのかもしれない。それでもローザは恐怖に飲まれるわけにはいかなかった。
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