モブ令嬢は脳筋が嫌い

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番外編

キースの描画④

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 悪夢が姿を変えたのは、イーディスがギルバート屋敷にやってきた時だ。

「今のあなたにマリア様の一番の座はあげられないんですよ! 私が一番です。勝手に精神病んで、彼女が望んでもいないのに後追って死のうなんてする男は、ぬるま湯みたいな幸せに浸かっている私よりも格付けが下です。二番手、いや六番手辺りで十分です。ベンチで身体温めてから出直してください」
 リガロとの婚約を解消されてから、剣聖の庇護下で療養しているらしいことは知っていた。だが出会い頭に喧嘩をふっかけてくるほど回復しているとは思わなかった。現実の世界で、入学式の日にキースが告げた宣言と似たそれは苦しいと喉をかきむしるだけの男の世界を変えた。

 そこから食事を摂るようになり、溜まっていた仕事を片付け、イーディスと共に出かけるようになった。彼女はマリアのためと言いながら、キースにもたくさんのものを与えてくれた。屋敷で服のデザインを考える度、旅先で絵を描く度に、世界に色がついていくようだった。マリアがいないはずの世界で、笑って過ごせるなんて思ってもみなかった。幸せだった。ずっとこの温もりに浸かっていたいと思った。

 けれど夢から覚め、隣で眠るマリアを見ると、頭から氷水をかけられたように身体が冷えていく。この世界でいないのは、イーディスだと。どちらかがいない世界でしか自分は生きられないのかと残酷な現実に打ちひしがれる。

「せめて絵の中くらい……」
 そう呟いて、キースは天井裏のアトリエへと向かう。悪夢が形を変えてから夜中に目が覚めると決まって絵を描くようになった。現実逃避でしかないことくらい自分でも理解している。それでも絵の中でくらい、二人の少女に笑っていてほしかった。それに何枚も積み重ねれば、いつか帰ってくれるんじゃないかと淡い期待もある。

「イーディス嬢、どうか帰ってきてくれ」
 星降る夜にも空を見ず、絵に乞う男はさぞ無様であったことだろう。幼い頃見た夢と同じ、身体だけが成長した無力な男である。


 だがキースの先祖が守ろうとした聖母様は哀れな男を救ってくれた。
 魔導書に取り込まれてから十年が経った頃、彼女はこの世界に戻ってきたのだ。キースの夢の中で、イーディスが帰ると決断し、聖母像の持つ本に触れた日と同じ日。これを聖母様の導きと言わずになんと呼べばいいのか。キースはイストガルム城の聖堂に何度も足を運んでは、聖母像に感謝と祈りを捧げた。
 それからいろいろあって、彼女は今、カルドレッド領主兼聖母となっている。本当にいろいろあったが、最後には全員無事生きて笑えていることを嬉しく思う。


 ただ気になることもある。
 戻ってきてからのイーディスのキースを見る目は、以前はなかった不思議な優しさが篭もるようになったことだ。それに、彼女がカルドレッドに建てた屋敷はキースの夢の中の物とよく似ていた。内部は少し手を入れているようだが、隠そうとしているものの見当がついてしまう。特に玄関の絵なんて、あからさますぎる。おそらく、彼女が過ごしていた本の中の世界はキースの悪夢と似たもの、もしくは同じものなのだろう。
 それにイーディスが本の中から出てきた後も悪夢に変化がおき続けている。退魔核の作成辺りから止まっていた研究も飛躍的に進歩し、今ではこちらと同じような発展を遂げている。退魔オーブなんて普通数カ月で作れるようなものではない。どこかに情報提供者でもいない限り。夢の中で目にした、手紙や写真の数々はきっとイーディスからの贈り物だ。こちらに帰って来てからも何らかの手段でやりとりをしているのだろう――なんてキースの空想に過ぎないのかもしれない。
 だがカルドレッド領主宛てにファファディアル星雲祭の招待状が来た時、小さく「懐かしいわ」と溢しているのを聞いてしまった。これでもしかして、と確認することは簡単だ。だが確認してどうなるというのか。悪夢を変えてくれてありがとうと礼を言ったところで、こちらのキースとあちらのキースは別の人生を歩いた人間である。なら、知らないフリを突き通すべきなのだろう。

 それでも、領主との話し合いの最中に出てきたものをスルー出来るほど割り切れてはいなかった。それはイーディスも同じこと。目が少しだけ大きく開いたことをキースは見逃さなかった。

「ほら、レモネードとクッキー」
「うわっ、焼きたて! ありがとうございます」
 会議の後、使用人に買いに行かせたものを渡せばイーディスは子どものように喜んだ。このくらいの干渉ならきっとイーディスも気に留めることはないだろう。マリアも彼女に倣って大きく口を空けて頬張る。
「おいひい」
「美味しいですわね」
 二人に続いてキースもレモネードに口を付ける。夢の中で味わったものよりも少し酸っぱい。
 リガロとバッカスを押しのけて半ば強引に勝ち取った権利ではあるが、今日は三人でファファディアル星雲祭に来られて良かった。仕事の一環ではあるが、キースだけではなく、他の二人にも素敵な思い出となったことだろう。帰ったら新たな絵を描くつもりだ。使用人に今までで一番大きなキャンバスを用意するように伝えてある。

 どんな絵を描こうか。
 幸せな悩みにキースは頬を緩ませるのだった。



キースの描画 完
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