モブ令嬢は脳筋が嫌い

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七章

15.褪せる色とイーディスの罪

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『はじめまして、イーディス=フランシカと申します』

 力を使い果たしたイーディスは気付けば椅子に腰掛けて大きなシアターを見ていた。真っ暗な空間にイーディスがぽつんといるだけの簡素な空間で上映されているのは、幼少期の思い出。前世で死んだ時は見たことがなかったが、これが世に言う走馬灯か。これが終わった時、今度こそ命が尽きるのだろう。だがシアターに映るリガロと自身の姿に微笑ましさを覚えた。この光景が長く続くことがないと知りながら、幸せだったと短い今世を噛みしめる。



『イーディス! 見せたいものがあるんだ、一緒に出かけよう』

 二人でアネモネの花畑に出かけた。しばらく眺めて、思い出にと花を摘み取ろうとしたら毒があるからと止められて。また一緒に来ようと言ってくれたのが嬉しかった。次なんてなかったけれど、後日贈ってくれたアネモネの栞はイーディスの大切な宝物となった。



『今度の剣術大会、よければ見に来てくれないか?』

 このとき、初めてリガロの剣術大会に足を運んだ。惜しくも最終戦で負けてしまったけれど、年上相手に果敢に挑む姿が格好よくて惚れ直したのだ。けれど、この辺りから彼との関係は少しずつ変わっていった。剣聖の孫と期待されていた彼を支えたくて、ワガママは言わなかったけれど寂しくて。使用人との手紙のやりとりには空しさや悲しさが募っていった。



 それも今では懐かしい記憶でしかない。そんなこともあったな、と小さく頷いていたイーディスだが、少しずつ映像に違和感を持つようになっていった。



「なんでマリアとの思い出がごっそり削られているんだろう?」

 流れる映像はどれもリガロとのことばかり。それもちょこちょことイーディスの記憶にはないはずの、リガロ一人が足を運んでいたお茶会の光景まで流れてくる。なのにマリアと出会った日のことは全カットである。それ以降の文通や読書もなく、誕生日のお祝いでさえここまで一度も流れていない。なぜ? と首を傾げながらもそのまま流れ続ける映像を眺める。



 そして十二歳の誕生日から数カ月が経った辺りではたと気付いた。



「もしかしてこれ私じゃなくて、リガロの記憶?」

 剣の素振り中に『マリア』の名前を耳にしたリガロはイーディスに興味を持ち始める。そして変わったことに気付いて絶望する。マリアの素性を調べだし、空いてしまったイーディスとの距離と関係の修繕を試みた。その結果が遠駆けであり、あのテンションだった。そのまま彼の悩みが続き、イーディスとの関係に一喜一憂する映像が流れてくる。特に驚いたのはずっと前に彼に欲しいとねだられたぬいぐるみは、マリアとの関係を羨んで欲しがったものであったこと。イーディスはあげたことなんてすっかり忘れていたが、その後流れる映像でも必ずリガロのベッドの上に鎮座している。大切にしてくれていたらしい。



 そして映像は学園入学後に差し掛かる。

 イーディスと完全に別行動をしていた頃だ。メリーズや他の攻略対象達と出逢い、関係を深めていくーーと思いきや西棟の部屋でリガロが気にしているのは窓の外。イーディス達が集まっていた図書館で、教室移動の時は護衛に徹していた。なにより一番楽しそうにしていたのは通学時間、イーディスと共にいられる時間だった。それでも共に過ごせなかったのは、メリーズに向けられた悪意の矛先がイーディスに変わることを恐れたからだ。夜会を欠席させたのも危険から守るため。フランシカ屋敷の周りに警備担当の人が複数人配置されていたらしいと知ってひどく驚いた。あの日、イーディスの身に何事もなければ関係が修復出来たのだろう。披露出来なかった青のドレスはきっと他の夜会で着ていくことが出来ただろうし、ネクタイだって渡せたかもしれない。いや、あの大会の日にもっと勇気を出していれば何かが変わったのかもしれない。だがもしもを重ねたところで現実は変わらない。



 リガロの感情とリンクしているのか、イーディスが消えた直後から映る色が少なくなっていく。それでも彼が必死にイーディスを解放しようと頑張ってくれていたことは伝わってくる。いや、リガロだけではない。メリーズは定期的にフランシカ家を訪れて癒やしの力を使ってくれたし、マリアとキースは結婚しギルバートに戻って度々シンドレアに足を運んでくれた。ローザは王子との婚約を解消し、バッカスと共に魔の研究に励み始めた。

 みんなの時間が進む中、リガロだけが停滞してしまっていた。公爵令息となった彼は儀式の後、引きこもるようになってしまったのだ。それからしばらく経って学園に通うようになったと思えば、その手にはまだ魔導書が抱えられていた。





 ようやく手放した時はイーディスの父に婚約解消を進言された時。

 それから剣術大会に足を運ぶようになって、社交界にも顔を出すようになった。だが義務感での参加なのか、画面の色はあせたまま。心なしか彼の声が入る回数も少なくなっている。卒業後は王子の護衛となり、家を出たようだが、新たな居住先はろくに家具もない。ベッドを筆頭に生活に最低限なもののみが置かれた家は、服の数すら数えられるほど。映る映像の変化も少なくなっていき、とても剣聖の名を継いだ男の生活とは思えない。



 だが彼の生活はそこからさらに下があった。

 イーディスの死亡届けが受理されたことによって、婚約が消滅した時のことだ。その日から彼の家には少しずつ物が増えていった。家具などではない。何種類ものロープと椅子である。彼の悲壮感に満ちた表情を見ていれば、なにに使うのか気付いてしまった。ただ毎日ロープの数は増えるだけで、使用されることはなかった。使う勇気が出なかったのか、はたまた実行するだけの力さえも出なかったのか。



「止めて」

 そう、声を出したところで画面の中の彼に届くことはない。徐々に生気を失っていくリガロと、増え続けるロープからは目を逸らしたくなる。



 だがある日、救いが現れた。



『リガロ様が死ぬのは勝手です。けれどもしあなたが死んだ後、口さがない者が戻ってきたイーディス様にあなたの死の理由を告げたとしたら、私はあなたを許しません。土の下に埋まっているのを掘り起こしてでもあなたを責め続けます。一生を終えたくらいで逃れられると思わないでくださいね。魂が擦り切れてもなお、許すことはありませんから』



 マリアだ。ギルバート夫人となった彼女がシンドレアに訪れた際、リガロに告げた脅しのような言葉はリガロの心に光を灯した。ロープを捨て、代わりに少しずつ家具を持ち込むようになった。

 そしてある日を境に彼の世界に色が戻った。初めて取り戻した色は鮮やかな青。王子の護衛として足を運んだ海の色だ。そこから徐々に映像に映る物も増え、色もだいぶ初めのように戻ってきた。

 だが同時に社交界の闇にも触れるようになった。剣聖となった彼に取り入ろうとする者、娘を嫁にとごり押しする者。じっとりとした魔や下心が彼に纏わりつく。画面越しに見ても気持ち悪い空間で、彼は剣聖として笑い続けた。



 全てはイーディスが戻ってきた時に不自由を感じないように。

 一人になった部屋で「イーディス」とうわ言のように呟く彼は鎖で繋がれた囚人のよう。癒やしの聖女の儀式に協力していた彼はきっと魔についてある程度知識もあるのだろう。自分に向けられたそれらが魔であることも理解していたかもしれない。きっとイーディスを切り捨てさえすれば、ここまで苦しまずに済んだのだろう。けれどリガロはかつて魔導書を抱えていたように、イーディスから手を離すことを頑なに拒んだ。





 それはイーディスがこちらに戻って来てからも同じだ。

 涙を流しイーディスの名を紡ぎながらも別々の道を歩むと決めたリガロは、それからもイーディスを思い続けていた。ずっと。ずっと。剣聖として広く活躍するようになったのだって、イーディスが困った時に手を貸すため。イーディスが領主となり、大陸を回るようになってからは一層活動の幅を広げた。護衛の仕事もしつつ、剣聖として各国に足を運ぶ。ベッドで寝る回数はグンと減り、無理をすることも増えた。

 リガロに大量の魔が集まっていた原因はやはりイーディスにあったのだ。彼を手助けしたいとイーディスが動く度に、彼の首を絞め続けていた。



 暴走のトリガーを引いたのもイーディスがらみ。



『イーディス=フランシカなんて最も忌むべき存在をリガロ様と一緒に飾るのはやめてくれと再三申していたのですが、ようやく聞き入れてもらえました。今度は聖母なんて不審者を祀り始めましたが、あの女よりもずっとマシですよね』



 メリーズの村に置かれた像はイーディスが変更を求めたもの。あれを変えなければ、とは思わない。あの男はきっと他にもいくつも話題を用意していただろうから。けれどどれもイーディス関連だろうことも予想できてしまうのだ。



 魔に包まれた後も映像は続いていたが、彼は耳を押さえたまま『イーディス』とうわ言のように呟き続けている。ずっと同じ映像が流れ、イーディスイーディスイーディスと同じ言葉だけが繰り返される。暴走を起こし、ついに心も壊れてしまっていた。



 もしも一命をとりとめていたとしても、リガロが実際にこの映像と同じ道を歩んでいたとしたら、彼はもう……。



「私、どうすれば良かったんだろう」

 どこから間違えたのか。それすら分からない。ただ責めるように紡がれる声と蹲る彼から目を背けるようなことだけはしたくない。これはイーディスの罪だから。苦しみながら死ねということだろう。最期に走馬燈代わりに罪を見せつけるなんて神様は悪趣味だ。
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