96 / 177
六章
1.後悔
しおりを挟む
こちらに戻ってきてから一体どのくらいの日が過ぎたのだろうか。
魔道書に取り込まれていた影響なのか、寝ても寝ても眠くてたまらない。起きている時間の方が短いのではないかと思うほど。父が連れてきた医師は二人いて、どちらもしばらくは様子見をするしかないと言っていた。体調が良くなったら、と父は言うが、体調がよくなったところで何年も姿を消していたイーディスが外に出られるはずもない。良いところで田舎に飛ばされるのがオチだろう。イーディスもそうした方がいいと思っている。あちらの世界にいた時のようにフライド家の屋敷を使わせてもらう訳にはいかないので、行き先は別の場所になるだろうが、住み続けていればいつか慣れる。それよりも両親に迷惑をかけ続けることの方が嫌だった。そして友人にも。
待っていてくれたことは純粋に嬉しかった。空白の十年間を背負ったイーディスにとって、彼らの存在が心の支えになっていたのも確かだ。
けれど寝て、食事をして、手紙を書く生活を送るうちに彼らの負担になっているのではないかと感じるようになった。ローザは王子妃になり、マリアはキースの妻となった。そしてバッカスに至ってはカルドレッド特別領の研究員となっていた。ゲームの中の彼はヒロインと結ばれても結ばれずとも王子に仕えていた。きっと本来この世界の彼もそうなる予定だったのだろう。実際、学園在籍中の彼は何かしらの仕事を請け負っていた。タイミングや動きから察するに王子や聖女関連の仕事に違いない。バッカスの未来を変えたのはおそらくイーディスだ。友人が魔道書に取り込まれたから。図書館にいたメンバーを大切に思っていてくれた彼はイーディスを切り捨てられなかったのだろう。
今だって手紙から伝わる思いやりが優しくも、イーディスの心に突き刺さる。
いっそこちらから関係を断ってしまえば……と思う。マリアはともかく、せめて付き合いの短かったバッカスとローザだけは解放するべきではなかろうか、なんて考えが頭を過るようになった。けれど「手紙を送ることをやめようと思います」と記した手紙を送る勇気は出ない。ぐちゃぐちゃに丸めた紙をくずかごに投げ捨て、まっさらな便箋に文章を綴る。そんな日々が続いたある日のことだった。
「ここ、どこ?」
いつものように目が覚めたイーディスは手洗いに向かおうと立ち上がり、ドアを開けた。そして目の前に広がる長い廊下に自分の目を疑った。一度ドアを閉め、もう一度開いてもやはりフランシカ屋敷ではない。かといって部屋の中は変わらずイーディスの自室なのだ。夢かと疑って頬をつねってみたが、痛い。魔道書の影響を受けたかと思ったが、それはやはりイーディスの枕元にある。取り込まれていたとすれば前回のように姿を消すはずだ。一体どうなっているのか。
「そうだ、外は!」
帰ってきてから窓にはカーテンがかかったまま。外から見られないように、同時にイーディスが外の変化を目にすることで変化を目の当たりにし、気落ちしないようにだろう。両親の気遣いを無碍にすることも出来ず、自ら手を伸ばすことはなかった。だが今はそうも言っていられない。勢いよくシャッと音を立てて、目隠しを外した。
そして呆然とした。
「何、これ」
窓の外は一面の荒野。窓を開けて見下ろしても花壇や馬車もなく、玄関すらない。そもそも屋敷の外観が違う。フランシカ家は西洋建築であり、こんな木で建てられた小屋のような壁ではなかったはず。
十年間で住む場所が変わった?
両親はこの光景をイーディスに見せたくなかった?
だがそうだとすればあの廊下の謎が解けないままだ。
少なくともイーディスが寝る前、正確には手洗いから戻ってくる際に通った廊下とは異なる。一度、窓とカーテンを閉め、ベッドの上で考え込む。
「魔道書が前回とは違う形で作動したか、寝ている間に場所を移されたか」
寝ている時に移動させたとすれば、せいぜい数刻、といいたいところだが、イーディスは自分の睡眠時間を正確に把握していない。朝昼晩を判断するのさえも部屋を出た際に窓から見えた光景でそうだろうと思っていただけ。朝と昼、夕方の判別がついていたかと聞かれると怪しいもので、多くは夜かそれ以外で判断していた。外に出ることも、家族と数人の使用人以外関わることもなかったイーディスにはそれで良かった。手紙に時間は関係ない。数刻寝ていたつもりが、数日寝ていたなんてこともあり得ない話ではない。
この状況でただ一つだけ確定しているのは、イーディスを移動させた相手は危害を加えるつもりはないということ。
傷つけたければそれこそ寝ている間にナイフか何かでぐっさりと行けばいいだけだ。食事に薬物を仕込むのでもいい。少なくとも全く同じ部屋を作って移動させるなど手間のかかることはしないだろう。
「とりあえず手洗い場の場所だけ確認しておくか」
イーディスは悩むことを止め、立ち上がった。鍵がかかっていなければ、中にも外にも見張りがいない。うろついても問題ないだろうと判断した。とはいえ、抵抗の意思があると勘違いされても困る。下の階は目指さずあくまで手洗い場の確認だけを目的として、寝間着のまま外に出た。
それらしい場所があればドアをノックしては開けを繰り返し、ようやく手洗い場を発見した時だった。
「嬢ちゃん、何してんだ?」
振り返れば、スキンヘッドの強面の男が立っている。右手にはスパナを持っている。彼に頭を殴られたら気を失うどころではすまないだろう。チャレンジ精神なんて出すものじゃないな。せめて誰かが部屋に来るのを待つべきだったか。イーディスは己の無駄な行動力を後悔し、ゆっくりと目を閉じた。
魔道書に取り込まれていた影響なのか、寝ても寝ても眠くてたまらない。起きている時間の方が短いのではないかと思うほど。父が連れてきた医師は二人いて、どちらもしばらくは様子見をするしかないと言っていた。体調が良くなったら、と父は言うが、体調がよくなったところで何年も姿を消していたイーディスが外に出られるはずもない。良いところで田舎に飛ばされるのがオチだろう。イーディスもそうした方がいいと思っている。あちらの世界にいた時のようにフライド家の屋敷を使わせてもらう訳にはいかないので、行き先は別の場所になるだろうが、住み続けていればいつか慣れる。それよりも両親に迷惑をかけ続けることの方が嫌だった。そして友人にも。
待っていてくれたことは純粋に嬉しかった。空白の十年間を背負ったイーディスにとって、彼らの存在が心の支えになっていたのも確かだ。
けれど寝て、食事をして、手紙を書く生活を送るうちに彼らの負担になっているのではないかと感じるようになった。ローザは王子妃になり、マリアはキースの妻となった。そしてバッカスに至ってはカルドレッド特別領の研究員となっていた。ゲームの中の彼はヒロインと結ばれても結ばれずとも王子に仕えていた。きっと本来この世界の彼もそうなる予定だったのだろう。実際、学園在籍中の彼は何かしらの仕事を請け負っていた。タイミングや動きから察するに王子や聖女関連の仕事に違いない。バッカスの未来を変えたのはおそらくイーディスだ。友人が魔道書に取り込まれたから。図書館にいたメンバーを大切に思っていてくれた彼はイーディスを切り捨てられなかったのだろう。
今だって手紙から伝わる思いやりが優しくも、イーディスの心に突き刺さる。
いっそこちらから関係を断ってしまえば……と思う。マリアはともかく、せめて付き合いの短かったバッカスとローザだけは解放するべきではなかろうか、なんて考えが頭を過るようになった。けれど「手紙を送ることをやめようと思います」と記した手紙を送る勇気は出ない。ぐちゃぐちゃに丸めた紙をくずかごに投げ捨て、まっさらな便箋に文章を綴る。そんな日々が続いたある日のことだった。
「ここ、どこ?」
いつものように目が覚めたイーディスは手洗いに向かおうと立ち上がり、ドアを開けた。そして目の前に広がる長い廊下に自分の目を疑った。一度ドアを閉め、もう一度開いてもやはりフランシカ屋敷ではない。かといって部屋の中は変わらずイーディスの自室なのだ。夢かと疑って頬をつねってみたが、痛い。魔道書の影響を受けたかと思ったが、それはやはりイーディスの枕元にある。取り込まれていたとすれば前回のように姿を消すはずだ。一体どうなっているのか。
「そうだ、外は!」
帰ってきてから窓にはカーテンがかかったまま。外から見られないように、同時にイーディスが外の変化を目にすることで変化を目の当たりにし、気落ちしないようにだろう。両親の気遣いを無碍にすることも出来ず、自ら手を伸ばすことはなかった。だが今はそうも言っていられない。勢いよくシャッと音を立てて、目隠しを外した。
そして呆然とした。
「何、これ」
窓の外は一面の荒野。窓を開けて見下ろしても花壇や馬車もなく、玄関すらない。そもそも屋敷の外観が違う。フランシカ家は西洋建築であり、こんな木で建てられた小屋のような壁ではなかったはず。
十年間で住む場所が変わった?
両親はこの光景をイーディスに見せたくなかった?
だがそうだとすればあの廊下の謎が解けないままだ。
少なくともイーディスが寝る前、正確には手洗いから戻ってくる際に通った廊下とは異なる。一度、窓とカーテンを閉め、ベッドの上で考え込む。
「魔道書が前回とは違う形で作動したか、寝ている間に場所を移されたか」
寝ている時に移動させたとすれば、せいぜい数刻、といいたいところだが、イーディスは自分の睡眠時間を正確に把握していない。朝昼晩を判断するのさえも部屋を出た際に窓から見えた光景でそうだろうと思っていただけ。朝と昼、夕方の判別がついていたかと聞かれると怪しいもので、多くは夜かそれ以外で判断していた。外に出ることも、家族と数人の使用人以外関わることもなかったイーディスにはそれで良かった。手紙に時間は関係ない。数刻寝ていたつもりが、数日寝ていたなんてこともあり得ない話ではない。
この状況でただ一つだけ確定しているのは、イーディスを移動させた相手は危害を加えるつもりはないということ。
傷つけたければそれこそ寝ている間にナイフか何かでぐっさりと行けばいいだけだ。食事に薬物を仕込むのでもいい。少なくとも全く同じ部屋を作って移動させるなど手間のかかることはしないだろう。
「とりあえず手洗い場の場所だけ確認しておくか」
イーディスは悩むことを止め、立ち上がった。鍵がかかっていなければ、中にも外にも見張りがいない。うろついても問題ないだろうと判断した。とはいえ、抵抗の意思があると勘違いされても困る。下の階は目指さずあくまで手洗い場の確認だけを目的として、寝間着のまま外に出た。
それらしい場所があればドアをノックしては開けを繰り返し、ようやく手洗い場を発見した時だった。
「嬢ちゃん、何してんだ?」
振り返れば、スキンヘッドの強面の男が立っている。右手にはスパナを持っている。彼に頭を殴られたら気を失うどころではすまないだろう。チャレンジ精神なんて出すものじゃないな。せめて誰かが部屋に来るのを待つべきだったか。イーディスは己の無駄な行動力を後悔し、ゆっくりと目を閉じた。
20
お気に入りに追加
385
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。
なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。
本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
訳ありな家庭教師と公爵の執着
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝名門ブライアン公爵家の美貌の当主ギルバートに雇われることになった一人の家庭教師(ガヴァネス)リディア。きっちりと衣装を着こなし、隙のない身形の家庭教師リディアは素顔を隠し、秘密にしたい過去をも隠す。おまけに美貌の公爵ギルバートには目もくれず、五歳になる公爵令嬢エヴリンの家庭教師としての態度を崩さない。過去に悲惨なめに遭った今の家庭教師リディアは、愛など求めない。そんなリディアに公爵ギルバートの方が興味を抱き……。
※設定などは独自の世界観でご都合主義。ハピエン🩷
※稚拙ながらも投稿初日(2025.1.26)からHOTランキングに入れて頂き、ありがとうございます🙂 最高で26位(2025.2.4)。
※断罪回に残酷な描写がある為、苦手な方はご注意下さい。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。
克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。


溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる