モブ令嬢は脳筋が嫌い

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六章

1.後悔

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 こちらに戻ってきてから一体どのくらいの日が過ぎたのだろうか。

 魔道書に取り込まれていた影響なのか、寝ても寝ても眠くてたまらない。起きている時間の方が短いのではないかと思うほど。父が連れてきた医師は二人いて、どちらもしばらくは様子見をするしかないと言っていた。体調が良くなったら、と父は言うが、体調がよくなったところで何年も姿を消していたイーディスが外に出られるはずもない。良いところで田舎に飛ばされるのがオチだろう。イーディスもそうした方がいいと思っている。あちらの世界にいた時のようにフライド家の屋敷を使わせてもらう訳にはいかないので、行き先は別の場所になるだろうが、住み続けていればいつか慣れる。それよりも両親に迷惑をかけ続けることの方が嫌だった。そして友人にも。



 待っていてくれたことは純粋に嬉しかった。空白の十年間を背負ったイーディスにとって、彼らの存在が心の支えになっていたのも確かだ。

 けれど寝て、食事をして、手紙を書く生活を送るうちに彼らの負担になっているのではないかと感じるようになった。ローザは王子妃になり、マリアはキースの妻となった。そしてバッカスに至ってはカルドレッド特別領の研究員となっていた。ゲームの中の彼はヒロインと結ばれても結ばれずとも王子に仕えていた。きっと本来この世界の彼もそうなる予定だったのだろう。実際、学園在籍中の彼は何かしらの仕事を請け負っていた。タイミングや動きから察するに王子や聖女関連の仕事に違いない。バッカスの未来を変えたのはおそらくイーディスだ。友人が魔道書に取り込まれたから。図書館にいたメンバーを大切に思っていてくれた彼はイーディスを切り捨てられなかったのだろう。



 今だって手紙から伝わる思いやりが優しくも、イーディスの心に突き刺さる。

 いっそこちらから関係を断ってしまえば……と思う。マリアはともかく、せめて付き合いの短かったバッカスとローザだけは解放するべきではなかろうか、なんて考えが頭を過るようになった。けれど「手紙を送ることをやめようと思います」と記した手紙を送る勇気は出ない。ぐちゃぐちゃに丸めた紙をくずかごに投げ捨て、まっさらな便箋に文章を綴る。そんな日々が続いたある日のことだった。



「ここ、どこ?」

 いつものように目が覚めたイーディスは手洗いに向かおうと立ち上がり、ドアを開けた。そして目の前に広がる長い廊下に自分の目を疑った。一度ドアを閉め、もう一度開いてもやはりフランシカ屋敷ではない。かといって部屋の中は変わらずイーディスの自室なのだ。夢かと疑って頬をつねってみたが、痛い。魔道書の影響を受けたかと思ったが、それはやはりイーディスの枕元にある。取り込まれていたとすれば前回のように姿を消すはずだ。一体どうなっているのか。



「そうだ、外は!」

 帰ってきてから窓にはカーテンがかかったまま。外から見られないように、同時にイーディスが外の変化を目にすることで変化を目の当たりにし、気落ちしないようにだろう。両親の気遣いを無碍にすることも出来ず、自ら手を伸ばすことはなかった。だが今はそうも言っていられない。勢いよくシャッと音を立てて、目隠しを外した。



 そして呆然とした。



「何、これ」

 窓の外は一面の荒野。窓を開けて見下ろしても花壇や馬車もなく、玄関すらない。そもそも屋敷の外観が違う。フランシカ家は西洋建築であり、こんな木で建てられた小屋のような壁ではなかったはず。



 十年間で住む場所が変わった?

 両親はこの光景をイーディスに見せたくなかった?



 だがそうだとすればあの廊下の謎が解けないままだ。

 少なくともイーディスが寝る前、正確には手洗いから戻ってくる際に通った廊下とは異なる。一度、窓とカーテンを閉め、ベッドの上で考え込む。



「魔道書が前回とは違う形で作動したか、寝ている間に場所を移されたか」

 寝ている時に移動させたとすれば、せいぜい数刻、といいたいところだが、イーディスは自分の睡眠時間を正確に把握していない。朝昼晩を判断するのさえも部屋を出た際に窓から見えた光景でそうだろうと思っていただけ。朝と昼、夕方の判別がついていたかと聞かれると怪しいもので、多くは夜かそれ以外で判断していた。外に出ることも、家族と数人の使用人以外関わることもなかったイーディスにはそれで良かった。手紙に時間は関係ない。数刻寝ていたつもりが、数日寝ていたなんてこともあり得ない話ではない。



 この状況でただ一つだけ確定しているのは、イーディスを移動させた相手は危害を加えるつもりはないということ。

 傷つけたければそれこそ寝ている間にナイフか何かでぐっさりと行けばいいだけだ。食事に薬物を仕込むのでもいい。少なくとも全く同じ部屋を作って移動させるなど手間のかかることはしないだろう。



「とりあえず手洗い場の場所だけ確認しておくか」

 イーディスは悩むことを止め、立ち上がった。鍵がかかっていなければ、中にも外にも見張りがいない。うろついても問題ないだろうと判断した。とはいえ、抵抗の意思があると勘違いされても困る。下の階は目指さずあくまで手洗い場の確認だけを目的として、寝間着のまま外に出た。



 それらしい場所があればドアをノックしては開けを繰り返し、ようやく手洗い場を発見した時だった。



「嬢ちゃん、何してんだ?」

 振り返れば、スキンヘッドの強面の男が立っている。右手にはスパナを持っている。彼に頭を殴られたら気を失うどころではすまないだろう。チャレンジ精神なんて出すものじゃないな。せめて誰かが部屋に来るのを待つべきだったか。イーディスは己の無駄な行動力を後悔し、ゆっくりと目を閉じた。
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