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四章
3.いつかの約束
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恐怖と嫌悪が入り交じったような名前の付けようのない感情を抱くリガロにとって、三日の猶予はあっという間に過ぎてしまった。これからしばらくイーディスと長く居られなくなるというのに、何を話したのか覚えてすらいない。それでも彼女を抱きかかえるように馬を走らせている時だけは胸は温かい何かでいっぱいになる。本当は入学式の日だって馬に乗りたかった。あの聖女の元に行く直前まで温もりに触れていたかった。けれどそんなことをすれば手が離せなくなりそうで、彼女を連れ去ってしまいたい衝動に駆られてしまいそうで怖かった。
何度も逃げ出したいと願ったリガロだったが、イーディスは違った。馬車で迎えに行くと彼女の頬は緩んでいた。この数年で何度と見て来た表情に、見覚えのないリボンを揺らす彼女に、何があったのか理解した。
「イーディス、そのリボンは」
「マリア様が贈ってくださったんです! 入学式にって!」
「……そうか。良かったな」
「白いアネモネの花言葉は希望・期待、晴れの日にぴったりですよね! さすがマリア様!」
「今日くらい……」
拳を固めてマリアの魅力を熱弁するイーディスに、リガロは泣きたくなった。今日くらい自分を選んで欲しかったと、悲しさもある。けれどそれ以上にホッとしたのだ。自分がいなくても大丈夫だと。彼女にはいつだってマリア嬢が付いているのだ。ふがいないことこの上ないが、いつだってリガロはマリアに助けられてきた。そしてこれから何度だって顔も知らない彼女に頼り続けるのだ。
「何ですか? 今日はいつもよりも距離開いているのでもう少し大きな声で」
「何でもない」
「そうですか?」
マリア嬢さえ居れば大丈夫。上機嫌のイーディスの顔を見ていればそう思えた。けれど彼女の表情は一気に深刻なものへと変わっていく。
「リガロ様」
「どうかしたのか?」
「明日から別々に登校しましょう」
「馬車が嫌だというなら安心しろ。明日からは馬で登校する」
「は?」
「すでに許可は取ってある。いやぁ言ってみるものだな。学園に馬小屋があって良かった」
「いや、私が学園案内を見た時にはそんなものはなかったはずですが」
イーディスはすぐにバレるような嘘を吐くんじゃないと睨むが、すでに馬小屋は王子に頼んで設立済みである。このタイミングで言い出したのは少し意外だったが、それでもいつか彼女が別行動をしようと言い出すだろうことは予測していた。
「馬ブームにより急遽設立された」
「冗談でしょう!?」
「入学式後に確認に行くか?」
目を丸くして驚くイーディスになんとか作り上げた笑みを向ければ、彼女の顔は少しだけ歪んだ。
「……これを機に私も自分の馬を「もちろん毎朝迎えに行くからな」
「なんで学園に通ってもあなたの馬に乗らなきゃいけないんですか……」
「早くて楽じゃないか」
「……人目が気になるでしょう」
「今さら気にする者もいないと思うが」
「王都周辺以外からも貴族のご令嬢・ご令息が来るんです」
「そのうち見慣れるだろ」
「慣れたくないんです!」
いつも通りのイーディスだ。そう、いつも通り。これが『いつも』ではなくなることを想像すれば、耳にこびりついた冷たい声が聞こえてくる。軽く頭を振って窓の外を眺めれば、学園の門が目に入った。
「そろそろ着くぞ」
着いて、しまう。窓にぴったりとくっつくイーディスの隣に移動すれば、イーディスの香りがした。太陽をいっぱい吸い込んだ元気な大地の香り。化粧や香水を好まない彼女らしい香りだ。
外に並ぶ馬車を眺める彼女を眺めていると、馬車が止まった。リガロの指定通り、講堂から少し離れた場所。初日くらい一緒に歩きたかったのだ。馬車から降りると彼女は何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回す。そして目的のものを見つけると大きな一歩を踏み出した。イーディスがそのままどこかへ行ってしまいそうで、気付いたら手が伸びていた。
「どうかしましたか?」
「イーディス。俺はイーディスが望む物は全て与えてやりたいと思っている」
「馬飼う許可をくれる気になったんですか?」
「だが馬だけはダメだ」
「言ってみただけです。私だって今さら期待してません」
期待されていないことなんてもうずっと前から気付いているのに、彼女の言葉が胸に刺さった。
「登下校くらいは一緒に居たいんだ。卒業したらイーディスが気に入る馬を用意する。だから許してくれ」
「どういうことですか?」
『卒業したら』――それは聖女の役目が終わる時がいつ頃か確定していないから。期待させといて裏切りたくはない。けれどその気持ちを打ち明けることは叶わない。不確定の物しか持たぬリガロがイーディスに与えられるのはいつかの約束だけだった。眉間にしわを寄せるイーディスを直視することは出来ず、視線を逸らしてしまった。ここで逃げるような男はイーディスには相応しくないと思うのに、彼女の腕から手を離すことは出来ない。けれどイーディスはそんな惨めな男を切り捨てない。彼女から注がれる視線でリガロは前に進む勇気をもらえた。
何度も逃げ出したいと願ったリガロだったが、イーディスは違った。馬車で迎えに行くと彼女の頬は緩んでいた。この数年で何度と見て来た表情に、見覚えのないリボンを揺らす彼女に、何があったのか理解した。
「イーディス、そのリボンは」
「マリア様が贈ってくださったんです! 入学式にって!」
「……そうか。良かったな」
「白いアネモネの花言葉は希望・期待、晴れの日にぴったりですよね! さすがマリア様!」
「今日くらい……」
拳を固めてマリアの魅力を熱弁するイーディスに、リガロは泣きたくなった。今日くらい自分を選んで欲しかったと、悲しさもある。けれどそれ以上にホッとしたのだ。自分がいなくても大丈夫だと。彼女にはいつだってマリア嬢が付いているのだ。ふがいないことこの上ないが、いつだってリガロはマリアに助けられてきた。そしてこれから何度だって顔も知らない彼女に頼り続けるのだ。
「何ですか? 今日はいつもよりも距離開いているのでもう少し大きな声で」
「何でもない」
「そうですか?」
マリア嬢さえ居れば大丈夫。上機嫌のイーディスの顔を見ていればそう思えた。けれど彼女の表情は一気に深刻なものへと変わっていく。
「リガロ様」
「どうかしたのか?」
「明日から別々に登校しましょう」
「馬車が嫌だというなら安心しろ。明日からは馬で登校する」
「は?」
「すでに許可は取ってある。いやぁ言ってみるものだな。学園に馬小屋があって良かった」
「いや、私が学園案内を見た時にはそんなものはなかったはずですが」
イーディスはすぐにバレるような嘘を吐くんじゃないと睨むが、すでに馬小屋は王子に頼んで設立済みである。このタイミングで言い出したのは少し意外だったが、それでもいつか彼女が別行動をしようと言い出すだろうことは予測していた。
「馬ブームにより急遽設立された」
「冗談でしょう!?」
「入学式後に確認に行くか?」
目を丸くして驚くイーディスになんとか作り上げた笑みを向ければ、彼女の顔は少しだけ歪んだ。
「……これを機に私も自分の馬を「もちろん毎朝迎えに行くからな」
「なんで学園に通ってもあなたの馬に乗らなきゃいけないんですか……」
「早くて楽じゃないか」
「……人目が気になるでしょう」
「今さら気にする者もいないと思うが」
「王都周辺以外からも貴族のご令嬢・ご令息が来るんです」
「そのうち見慣れるだろ」
「慣れたくないんです!」
いつも通りのイーディスだ。そう、いつも通り。これが『いつも』ではなくなることを想像すれば、耳にこびりついた冷たい声が聞こえてくる。軽く頭を振って窓の外を眺めれば、学園の門が目に入った。
「そろそろ着くぞ」
着いて、しまう。窓にぴったりとくっつくイーディスの隣に移動すれば、イーディスの香りがした。太陽をいっぱい吸い込んだ元気な大地の香り。化粧や香水を好まない彼女らしい香りだ。
外に並ぶ馬車を眺める彼女を眺めていると、馬車が止まった。リガロの指定通り、講堂から少し離れた場所。初日くらい一緒に歩きたかったのだ。馬車から降りると彼女は何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回す。そして目的のものを見つけると大きな一歩を踏み出した。イーディスがそのままどこかへ行ってしまいそうで、気付いたら手が伸びていた。
「どうかしましたか?」
「イーディス。俺はイーディスが望む物は全て与えてやりたいと思っている」
「馬飼う許可をくれる気になったんですか?」
「だが馬だけはダメだ」
「言ってみただけです。私だって今さら期待してません」
期待されていないことなんてもうずっと前から気付いているのに、彼女の言葉が胸に刺さった。
「登下校くらいは一緒に居たいんだ。卒業したらイーディスが気に入る馬を用意する。だから許してくれ」
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