モブ令嬢は脳筋が嫌い

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三章

29.モブは無力

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『最近、常に誰かに見られている気がします。皆さんにも危害が加わるかもしれませんので、しばらく図書館の方には顔を出せません。手紙も場所を変えましょう(ローザ)』

 そう書かれた手紙は今までのように封筒には入れられていなかった。代わりに便せんの端が糸で縫われている。二人だけで交わす手紙の封筒と同じ桃色の糸だ。

 ローザのお気に入りである『オデットの騎士』にも同じような、洋服の内側にメモを縫い付けるシーンがあった。そこからアイデアを得たのだろう。封筒の場合、中を読んでから同じ形の封筒に入れられれば覗かれたことに気付かない。こちらも同じ穴に糸を通せばいいので復旧が不可能という訳ではないが、少しばかり時間がかかる。以降は手紙の最後で次の受け渡し場所を指定しつつ、この方法で文通をしようと書かれていた。



 図書館の本棚に、とある教室の引き出しの中。花壇の中やベンチの裏側に潜ませていたこともある。宝探しのようだが、一つだけ気になることがあった。リボンがある日とそうでない日があるのだ。初めは隠し場所の違いかとも思ったが、手紙と一緒に挟まれている日もある。何かの意味があると知らされている訳ではないが、たまたま入れ忘れにしては徐々に頻度が増えていく。それだけ忙しく、謎の人物による監視が厳しいのかもしれない。後一週間もせずに夜会が行われる。幸運というべきか、イーディスは不参加だが、ローザは騒ぎのど真ん中に押し出される可能性もある。たかがリボンの有無とはいえ、不安があるなら打ち明けて欲しい。吐き出すだけでも心は軽くなるはずだ。そう思って聞いてみたのだが、ローザからの返信はイーディスの想像していたものとは違った。

『私が目印としてリボンを置いたのは初めの物だけです』

 彼女の返答にもっと早く聞いておくべきだったかと頭を抱えた。一番初めからイーディス達の文通は何者かによって見られていたのだ。場所を変えても手法を変えても。内容までは見られていないのかもしれない。けれど文通の存在は知っているのだと示すために置いていた。それに何の意味があるかは分からない。案外、もっと早くどちらかが気付いて焦りを覚えることが目的だったのかもしれない。

 相手側の意図がなんであれ、もう行動を起こすための十分な時間はない。イーディスは唇を噛みながら、少しでも彼女の気持ちが軽くなりますようにとの願いを込めて『夜会が終わったらオススメの本に手紙を挟みますね』と記す。そして桃色の糸でいつもよりも多めに手紙を縫った。







「そろそろ夜会も始まってるのかな」

 早めの食事を済ませたイーディスは窓の外を眺める。空は夕焼けから暗闇に変わりつつあり、空気も少し冷え込んできた。チラリと時計を眺めれば針は夜会開始の少し前を指していた。乙女ゲーム通りに進むとすれば、そろそろヒロインが一人で会場へと足を踏み入れることだろう。リガロ色のドレスを身にまとって会場中を魅了するに違いない。

 正直、イーディスはもう彼女が青色のドレスを着ようがそれで構わなかった。問題はどのルートに入っても他の攻略対象者との絡みがあることだ。来ないでくれと言われたイーディスとは違い、ローザは王子の婚約者として会場入りをしているはずだ。当然、スチュワートも、だ。彼女は今日、一層強い悪意に触れることとなる。けれど悪役令嬢である彼女がその場から逃げることは叶わない。茂み代わりの隠れ場所となってくれる人もいないのだろう。



 イーディスがいれば、きっと一番馬鹿にされるのはイーディスだったのに。

 ローザがいらぬ恥を掻くことなんてなかったのに。



 愛情と尊敬を向ける相手に踏みにじられる彼女の痛みを想像すれば胸が痛んだ。初めから捨てられると分かっていたイーディスとはきっと比べ物にならないだろう。



 叶うことならば、イーディスは今からでも海色のドレスを身にまとって会場へと足を踏み入れたい。エスコートもなく、自身を見捨てた男の色を身にまとうイーディスはさぞ滑稽に映ることだろう。悲壮感溢れる表情でリガロにどうして……と語りかけでもすれば、ローザの取り巻きがヒロインを威嚇するタイミングすらなくなるだろう。

 けれどそれが実現されることはない。そもそも今からでは間に合わないし、フランシカ家の馬車は現在メンテナンス中だ。イーディスが通学に使っているのでメンテナンスに出すなら今しかないのは分かるのだが、何も王家の夜会の日に出すことはないだろう。リガロや父がどんな理由を話したのかは分からないが、少なくとも直前まで参加する予定だったという設定は使えなくなる。



 一体どんな理由で欠席したのだか。



「ほんと、モブって無力よね……」

 この先、どんな未来が待っていようともイーディスは家の意向に従うまでなのだ。例えヒビ割れたカップを処理するかのように割られても、貴族の令嬢として退場しなければならない。ローザに今度オススメの本を渡す約束をしたものの、マリアだけではなく、イーディスだって学園にいつまで居られるか分かったものではない。それでも確定するまでは、せめて友人たちとの関係だけでもこの手の中に掴んでおきたいと思ってしまうのだ。



「カルバスでも読もっと」

 イーディスはバッグの中に入れたままの自身のカルバスを手に取り、ベッドにゴロンと寝転がる。前回マリアが見つけた意地悪薬師が白衣を着ているシーンは確か……とページをめくっていると、あれ? と気付く。右下のページ数が明らかにおかしい。イーディスは真ん中以降のページを開いているはずなのに二ケタで止まってしまっている。それに数字のフォントも印字されたものではなく、途中から手書きに変わってしまっている。けれど中身は何度も読んだカルバスだ。目がおかしくなってしまったのだろうか。疲れているとの実感も、眠気もないのにおかしいなと目を擦れば文章はゆらゆらと揺れ、形を変えていく。内容は変わらない。けれど刻まれた文字はこの世界の物ではなくなっていた。日本語だ。けれど日本語版カルバスがこの世界にあるはずがない。バッと身を起こし、本を閉じる。そして本の表紙を認識するとイーディスの意識は徐々に薄れていく。

「なんで、魔導書が……」

 イーディスが手にしたものは小説ではなく、人間達が恐れる魔道具の一種だった。意識と共にイーディスの身体も透けていき、助けを呼ぶことすら叶わない。そして『悪夢の書』と書かれた本だけがベッドの上に残った。
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