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三章
27.『カルバス』
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さすが超有名作。三冊も並んでいる。奥付を確認すればどれも版が違う。とりあえずその全てを抜き出し机に戻れば、四人は話を弾ませていた。
「終盤の右手の傷はどう受け取りました?」
「あれは難しいよな。意図的に見ないようにしていた、かな」
「私は記憶を失う前とのリンクかなと」
「別れの後悔で付けたものと受け取った。あったか?」
「はい。版違いが何冊かあったのでとりあえず全部持ってきました」
「イーディス様はあの傷、どう思いましたか?」
持ってきた本を机に並べるが、パッと見た感じではどれも同じように見える。マリアに指摘されなければ些細な色の違いなんて気付かなかっただろう。いやもしもイーディスが初めに気付いたとしても、個人出版ということもあり保管状況や印刷所の違いと流したかもしれない。やはり友人は良い。楽しさだけではなくいろんな気づきを与えてくれる。それにここにいる誰もがそれぞれの考えを否定しない。だからイーディスも彼らと同じように自分の考えを迷うことなく口にする。
「私はあの傷は彼が見た幻影という解釈です。ローザ様はどう思いましたか?」
「ヒロインが付けたものだと思いました」
「ヒロインが付けた?」
「ええ、直前に夜のデートシーンがありましたでしょう? 別れ際にカリッと」
「ああ、その可能性もあるのか。俺はてっきり暗闇の中での痛みは胸の痛みだと思っていたが、ズキリと痛んだ場所は書かれていない。それに傷自体も魔が入り込む小さな傷としか書かれていなかったな」
「『魔』を何と定義するかによっても見方が変わってくる。そのまま悪意と取るなら身体に傷を負う必要はない。心の傷をこの物語の鍵である右手に映したという考え方もある。これはマリアやイーディス嬢の考えが近いか」
バッカスとキースは顎に手を当て、ローザ様の考えを物語に当てはめていく。彼らもまたそれが本物の傷と考えていたからこそ、何によって傷ついたもしくは誰によって傷付けられたかは思考を深める要因となったのだろう。それにイーディスの前世にはなかった『魔』は今世では世界の謎とされており、まだ解明されていない。魔素と同じものだと考える者もいれば全くの別ものだと考える者もいる。だからこそこの本の解釈は多くの可能性で溢れている。
「ですがその『魔』が形を持った物の場合、傷口が本当にある三人の考え方が近いですよね」
「バッカスのだけ少し異なるがな。見ないようにしていたというのはいつからだと考えている?」
「最初から。表紙にある彼の手が不自然に隠れているのが気になったんだ。それに物語に重要な右手は不自然なくらい描写が少ない。それに主人公の感情には初めから少し不自然なところがある。本当に魔が入り込んだのはあのシーンが初めてなんだろうか。元々傷口があって、魔が入り込んでいて、作者は意図的にそれを隠したのではないか」
表紙に描かれた主人公の右手は長めの袖によって手の甲が隠れてしまっており、さらに胸元で本を抱えているため右手のほとんどが隠れてしまっている状態だ。本文中には主人公の袖の長さについて触れたものはないが、主人公は服に頓着しない性格だ。身体よりもやや大きめの服を着ていてもおかしくはない。だがよく見てみれば左側とのバランスが悪い。作者もしくは表紙を担当した絵師が意図的に隠した可能性は否定出来ない。
「魔が入り込んだタイミングですか」
「そう書いているのはあの一カ所だけだけどな。だが初めから傷があり、魔が入り込むことが出来るとしたら……」
「物語の解釈が大幅に変わる」
「ああ今から読み直したい」
どれほどの可能性を見逃していたのだろう。何周も読み直したつもりだったのに十分に楽しめていなかったとは……。読書好きとしてこれほど悔しいことはない。だが同時にわくわくもしている。カルバスを初めて読んだ時と同じ、いやそれ以上の興奮が待っているかもしれないのだから。
「その気持ちは痛いほど分かるが、今は表紙の違いだ。まだ手がかりはあるようだ」
「手がかりってまさか!」
「初版だけじゃなくて、少しずつ違うようだ。ほらここ、靴紐の先が少し違う」
「嘘!? 模造品の可能性は?」
「確かにカルバスの模造品自体は出回っているが、学園がそれを掴まされる可能性は低いだろ」
「あ、ここ木目が微妙に違う。カルバスの流通量は桁違いだ。なのによく見ればボロボロと出てくる違いにファンが気付かないだろうか?」
「意図的に変えられている?」
「その違いに気付いた者が話を広めない理由がある?」
「だとすれば隠されているのは物語の中ですわ。探せば見つかるかもしれない」
カルバスは小説だ。作者の素性が謎ならば尚のこと全てを本文で語ろうとすることだろう。読者に考えさせる場面も多いこの本だが、今はイーディスだけではない。三人寄れば文殊の知恵と言うが、この場にいるのは五人。二人も多いのだからきっと一人では見えなかった『何か』にたどり着けるはずだ。
「……よし、もう一回読み直そう! ローザ嬢、今度いつ来れそうだ?」
「あ……その、少し空いてしまうかもしれないのですが」
前のめりになっていたローザだったが、バッカスの問いに勢いを失った。だが彼女の解答に顔を歪める者などいない。三人ともイーディスと同じように優しく笑う。
「気にするな。俺たちはほぼ毎日ここにいる」
「私達が毎日カルバスを持ってくればいいのでは?」
「それもそうだな」
「何周読んでも面白いですからね! でも話し合うのは全員揃ってから」
「! すみません、私のせいで……」
「楽しく話せるのが一番ですもの。それにローザ様はもうお友達ですから」
「マリア様……」
マリアの言う通りだと首を振れば、ローザの緊張は和らいでいく。
「カルバスだけではなく、ラスカシリーズについて話せるのも楽しみにしていますわ」
「あ!」
「急がなくていい。今日は無理でも時間はまだまだある」
「ありがとうございます。来週の真ん中の辺りならなんとか!」
「なんかあったらイーディス嬢に手紙を出してくれ。四人で読んで手紙返すからさ」
「はい!」
「じゃあその時に各々自分の持つカルバスを持ち寄って、感想を話そう!」
バッカスの言葉に全員が頷いた。そしてローザは他の人に見られないように一足先に図書館を後にした。その背中は真っ直ぐと伸びていて、茂みの中で丸めていた時よりもずっと彼女らしいと思えた。
「終盤の右手の傷はどう受け取りました?」
「あれは難しいよな。意図的に見ないようにしていた、かな」
「私は記憶を失う前とのリンクかなと」
「別れの後悔で付けたものと受け取った。あったか?」
「はい。版違いが何冊かあったのでとりあえず全部持ってきました」
「イーディス様はあの傷、どう思いましたか?」
持ってきた本を机に並べるが、パッと見た感じではどれも同じように見える。マリアに指摘されなければ些細な色の違いなんて気付かなかっただろう。いやもしもイーディスが初めに気付いたとしても、個人出版ということもあり保管状況や印刷所の違いと流したかもしれない。やはり友人は良い。楽しさだけではなくいろんな気づきを与えてくれる。それにここにいる誰もがそれぞれの考えを否定しない。だからイーディスも彼らと同じように自分の考えを迷うことなく口にする。
「私はあの傷は彼が見た幻影という解釈です。ローザ様はどう思いましたか?」
「ヒロインが付けたものだと思いました」
「ヒロインが付けた?」
「ええ、直前に夜のデートシーンがありましたでしょう? 別れ際にカリッと」
「ああ、その可能性もあるのか。俺はてっきり暗闇の中での痛みは胸の痛みだと思っていたが、ズキリと痛んだ場所は書かれていない。それに傷自体も魔が入り込む小さな傷としか書かれていなかったな」
「『魔』を何と定義するかによっても見方が変わってくる。そのまま悪意と取るなら身体に傷を負う必要はない。心の傷をこの物語の鍵である右手に映したという考え方もある。これはマリアやイーディス嬢の考えが近いか」
バッカスとキースは顎に手を当て、ローザ様の考えを物語に当てはめていく。彼らもまたそれが本物の傷と考えていたからこそ、何によって傷ついたもしくは誰によって傷付けられたかは思考を深める要因となったのだろう。それにイーディスの前世にはなかった『魔』は今世では世界の謎とされており、まだ解明されていない。魔素と同じものだと考える者もいれば全くの別ものだと考える者もいる。だからこそこの本の解釈は多くの可能性で溢れている。
「ですがその『魔』が形を持った物の場合、傷口が本当にある三人の考え方が近いですよね」
「バッカスのだけ少し異なるがな。見ないようにしていたというのはいつからだと考えている?」
「最初から。表紙にある彼の手が不自然に隠れているのが気になったんだ。それに物語に重要な右手は不自然なくらい描写が少ない。それに主人公の感情には初めから少し不自然なところがある。本当に魔が入り込んだのはあのシーンが初めてなんだろうか。元々傷口があって、魔が入り込んでいて、作者は意図的にそれを隠したのではないか」
表紙に描かれた主人公の右手は長めの袖によって手の甲が隠れてしまっており、さらに胸元で本を抱えているため右手のほとんどが隠れてしまっている状態だ。本文中には主人公の袖の長さについて触れたものはないが、主人公は服に頓着しない性格だ。身体よりもやや大きめの服を着ていてもおかしくはない。だがよく見てみれば左側とのバランスが悪い。作者もしくは表紙を担当した絵師が意図的に隠した可能性は否定出来ない。
「魔が入り込んだタイミングですか」
「そう書いているのはあの一カ所だけだけどな。だが初めから傷があり、魔が入り込むことが出来るとしたら……」
「物語の解釈が大幅に変わる」
「ああ今から読み直したい」
どれほどの可能性を見逃していたのだろう。何周も読み直したつもりだったのに十分に楽しめていなかったとは……。読書好きとしてこれほど悔しいことはない。だが同時にわくわくもしている。カルバスを初めて読んだ時と同じ、いやそれ以上の興奮が待っているかもしれないのだから。
「その気持ちは痛いほど分かるが、今は表紙の違いだ。まだ手がかりはあるようだ」
「手がかりってまさか!」
「初版だけじゃなくて、少しずつ違うようだ。ほらここ、靴紐の先が少し違う」
「嘘!? 模造品の可能性は?」
「確かにカルバスの模造品自体は出回っているが、学園がそれを掴まされる可能性は低いだろ」
「あ、ここ木目が微妙に違う。カルバスの流通量は桁違いだ。なのによく見ればボロボロと出てくる違いにファンが気付かないだろうか?」
「意図的に変えられている?」
「その違いに気付いた者が話を広めない理由がある?」
「だとすれば隠されているのは物語の中ですわ。探せば見つかるかもしれない」
カルバスは小説だ。作者の素性が謎ならば尚のこと全てを本文で語ろうとすることだろう。読者に考えさせる場面も多いこの本だが、今はイーディスだけではない。三人寄れば文殊の知恵と言うが、この場にいるのは五人。二人も多いのだからきっと一人では見えなかった『何か』にたどり着けるはずだ。
「……よし、もう一回読み直そう! ローザ嬢、今度いつ来れそうだ?」
「あ……その、少し空いてしまうかもしれないのですが」
前のめりになっていたローザだったが、バッカスの問いに勢いを失った。だが彼女の解答に顔を歪める者などいない。三人ともイーディスと同じように優しく笑う。
「気にするな。俺たちはほぼ毎日ここにいる」
「私達が毎日カルバスを持ってくればいいのでは?」
「それもそうだな」
「何周読んでも面白いですからね! でも話し合うのは全員揃ってから」
「! すみません、私のせいで……」
「楽しく話せるのが一番ですもの。それにローザ様はもうお友達ですから」
「マリア様……」
マリアの言う通りだと首を振れば、ローザの緊張は和らいでいく。
「カルバスだけではなく、ラスカシリーズについて話せるのも楽しみにしていますわ」
「あ!」
「急がなくていい。今日は無理でも時間はまだまだある」
「ありがとうございます。来週の真ん中の辺りならなんとか!」
「なんかあったらイーディス嬢に手紙を出してくれ。四人で読んで手紙返すからさ」
「はい!」
「じゃあその時に各々自分の持つカルバスを持ち寄って、感想を話そう!」
バッカスの言葉に全員が頷いた。そしてローザは他の人に見られないように一足先に図書館を後にした。その背中は真っ直ぐと伸びていて、茂みの中で丸めていた時よりもずっと彼女らしいと思えた。
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