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二章
2.幸せは弱き者には微笑まない
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周りの環境が大きく変わった訳ではない。父の手前、鍛錬は欠かせない。それでもイーディスと会えるだけでリガロは息が出来るようになった。肺いっぱいに新鮮な酸素を吸い込み、そして笑えるのだ。彼女と会えるのは週に一度。会えない時間を埋めるように手紙を書いた。
「お母様から綺麗な花畑があると聞いたんだ。よければ一緒にいかないか」
母から教えて貰ったアネモネの花畑へ一緒に足を運び、二人で並んで過ごしたゆったりとした時間は何よりの宝物だ。
「この花が恋しくなった時はまた来ればいい。俺がまた、連れてくるから」
思い出を摘み取れないと悲しむイーディスにかけた言葉はお母様が教えてくれたもの。『こうすれば次の約束が出来るでしょう?』との母の言葉は正しかったようで、彼女は嬉しそうに手を重ねてくれた。幸せだった。こんな時間が永遠に続けばいいと思った。
ーーけれど幸せは弱き者には微笑みかけてくれないのだ。
「なぜ負けた」
「すみません」
「もういいじゃないか。負けたなら次に勝てば良い」
「お父様は黙っていてください。リガロなら勝てたはずだ。最後、なぜ相手の腹に突っ込まなかった」
「それは……」
父の評価は間違ってはいない。リガロ自身、途中までは確実に勝てると思っていた。けれど最後の一撃を入れようとした瞬間、足が動かなかったのだ。ピクピクと震え、それ以上の行動を拒否した。普通の日ならきっと問題なく、かつ危なげなく勝利したことだろう。けれど今回はイーディスと婚約をしてから初めての剣術大会だった。良いところを見せようと彼女を招待し、前日はいつもよりも鍛錬に励んだ。敗因は休息不足によるものだった。父はそれすらも見抜いていたのだ。分かっていて、リガロの口から言葉を引きだそうとする。けれどそれを口にするのはリガロのプライドが許さなかった。ぎゅっと口を結び「すみません」と謝罪の言葉を繰り返す。父は「そんなことが聞きたいんじゃない」と深くため息を吐き、右手で頭をかきむしる。
「……婚約者を作ろうとしたのは失敗だったか」
「それは!」
「なぁリガロ。俺はお前に俺のように惨めな思いはさせたくないんだ。…………剣聖の血縁者として相応しい騎士になれ」
「……はい」
父に叱責された日からリガロはますます剣術に励むようになった。イーディスを失わないように。剣聖の孫に相応しい男になれるように。リガロは貪欲に強さを求めた。勝って勝って勝って勝って。父や大人達にも勝利出来るようになるまで時間はかからなかった。けれど一度背中に張り付いた恐怖感はいつまで経っても拭えない。そんな惨めな姿をイーディスに見せたくなくて手紙を出すのが怖くなった。綺麗な瞳から目を逸らすようになった。そして会う度に何かに追われるように剣を振るうようになった。
全ては彼女のためーーだった。
「リガロ様に相応しい女性になれるように頑張りますわ」
それはイーディスが他のご令嬢達に向かって伝えた言葉だった。剣聖の孫の婚約者になり損ねた令嬢達から身を守るための盾。冷静になれば分かることだが、リガロの胸には鋭い剣のように突き刺さった。
「相応しいってなんだよ……」
傷口からどろりとした何かがリガロの中に流れ込む。イーディスまでも剣聖の孫にこだわるつもりなのか。リガロの疲弊しきった精神は冷静な思考が出来ず、代わりにギリギリの状態で保っていた大事な思いを簡単に折ってしまった。あんなに幸せだった時間は全てまがい物に思えて、途端に息が苦しくなった。
支えを失ったリガロは剣以外どうでもよくなった。あれほど気にしていた彼女の目も視界に入らなくなり、淡々と決められたことだけをこなす。父の言った通り、イーディスは剣術の邪魔をしてくることはなった。まるで使用人のようにリガロを褒め、そして令嬢達からの嫌みに耐える。そんな姿を見る度にそこまで剣聖の孫の婚約者で居続けたいかと暗い感情ばかりが胸に広がっていく。
けれどイーディスの周りを囲む令嬢達が標的をこちらに変えても面倒で、王子達から婚約者との仲を聞かれる度に「妹のようで愛らしい」と答えるようになった。同じ年の彼女を『妹』と表せば大抵の者の反応は同じ。困ったように愛想笑いを浮かべるか、チャンスとほくそ笑むか。その結果、イーディスへの風当たりが強くなってしまっていることはなんとなく理解していた。さすがに、と助け船を出したこともあるが、余計に火に油を注ぐ形になってしまった。馬車で俯く彼女の姿を目にしてからというもの、リガロは『令嬢達の話』に口を挟むことを止めた。徐々に、けれど確実にリガロの視界は狭まっていく。だからイーディスの変化に気付かなかった。
「お母様から綺麗な花畑があると聞いたんだ。よければ一緒にいかないか」
母から教えて貰ったアネモネの花畑へ一緒に足を運び、二人で並んで過ごしたゆったりとした時間は何よりの宝物だ。
「この花が恋しくなった時はまた来ればいい。俺がまた、連れてくるから」
思い出を摘み取れないと悲しむイーディスにかけた言葉はお母様が教えてくれたもの。『こうすれば次の約束が出来るでしょう?』との母の言葉は正しかったようで、彼女は嬉しそうに手を重ねてくれた。幸せだった。こんな時間が永遠に続けばいいと思った。
ーーけれど幸せは弱き者には微笑みかけてくれないのだ。
「なぜ負けた」
「すみません」
「もういいじゃないか。負けたなら次に勝てば良い」
「お父様は黙っていてください。リガロなら勝てたはずだ。最後、なぜ相手の腹に突っ込まなかった」
「それは……」
父の評価は間違ってはいない。リガロ自身、途中までは確実に勝てると思っていた。けれど最後の一撃を入れようとした瞬間、足が動かなかったのだ。ピクピクと震え、それ以上の行動を拒否した。普通の日ならきっと問題なく、かつ危なげなく勝利したことだろう。けれど今回はイーディスと婚約をしてから初めての剣術大会だった。良いところを見せようと彼女を招待し、前日はいつもよりも鍛錬に励んだ。敗因は休息不足によるものだった。父はそれすらも見抜いていたのだ。分かっていて、リガロの口から言葉を引きだそうとする。けれどそれを口にするのはリガロのプライドが許さなかった。ぎゅっと口を結び「すみません」と謝罪の言葉を繰り返す。父は「そんなことが聞きたいんじゃない」と深くため息を吐き、右手で頭をかきむしる。
「……婚約者を作ろうとしたのは失敗だったか」
「それは!」
「なぁリガロ。俺はお前に俺のように惨めな思いはさせたくないんだ。…………剣聖の血縁者として相応しい騎士になれ」
「……はい」
父に叱責された日からリガロはますます剣術に励むようになった。イーディスを失わないように。剣聖の孫に相応しい男になれるように。リガロは貪欲に強さを求めた。勝って勝って勝って勝って。父や大人達にも勝利出来るようになるまで時間はかからなかった。けれど一度背中に張り付いた恐怖感はいつまで経っても拭えない。そんな惨めな姿をイーディスに見せたくなくて手紙を出すのが怖くなった。綺麗な瞳から目を逸らすようになった。そして会う度に何かに追われるように剣を振るうようになった。
全ては彼女のためーーだった。
「リガロ様に相応しい女性になれるように頑張りますわ」
それはイーディスが他のご令嬢達に向かって伝えた言葉だった。剣聖の孫の婚約者になり損ねた令嬢達から身を守るための盾。冷静になれば分かることだが、リガロの胸には鋭い剣のように突き刺さった。
「相応しいってなんだよ……」
傷口からどろりとした何かがリガロの中に流れ込む。イーディスまでも剣聖の孫にこだわるつもりなのか。リガロの疲弊しきった精神は冷静な思考が出来ず、代わりにギリギリの状態で保っていた大事な思いを簡単に折ってしまった。あんなに幸せだった時間は全てまがい物に思えて、途端に息が苦しくなった。
支えを失ったリガロは剣以外どうでもよくなった。あれほど気にしていた彼女の目も視界に入らなくなり、淡々と決められたことだけをこなす。父の言った通り、イーディスは剣術の邪魔をしてくることはなった。まるで使用人のようにリガロを褒め、そして令嬢達からの嫌みに耐える。そんな姿を見る度にそこまで剣聖の孫の婚約者で居続けたいかと暗い感情ばかりが胸に広がっていく。
けれどイーディスの周りを囲む令嬢達が標的をこちらに変えても面倒で、王子達から婚約者との仲を聞かれる度に「妹のようで愛らしい」と答えるようになった。同じ年の彼女を『妹』と表せば大抵の者の反応は同じ。困ったように愛想笑いを浮かべるか、チャンスとほくそ笑むか。その結果、イーディスへの風当たりが強くなってしまっていることはなんとなく理解していた。さすがに、と助け船を出したこともあるが、余計に火に油を注ぐ形になってしまった。馬車で俯く彼女の姿を目にしてからというもの、リガロは『令嬢達の話』に口を挟むことを止めた。徐々に、けれど確実にリガロの視界は狭まっていく。だからイーディスの変化に気付かなかった。
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