私とへーちゃんと子どもたち

斯波

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 事の発端は今から1週間前。
 私のおばあちゃん――斉藤 幸子さいとう ゆきこ――のお葬式でのこと。
 おばあちゃんは120歳まで生き、人生を終えた。死因は老衰。親族の誰もが悲しむどころか『大往生だ』『めでたいな』と喜ぶほど。普通ならしんみりとするはずのお葬式も悲しみに暮れて俯くなんてことはなく、むしろ長寿を祝う会のようになっていた。

 葬儀場から一番近い、長男の泰司叔父たいじおじさんの家での食事だって黒飯とお寿司の他になぜかお赤飯も用意してあった。さらに120と数字のろうそくが刺さったホールケーキはテーブルの真ん中を陣取り、綺麗に人数分カットされている。子ども達の分といくつかしか減っていないが、すでに2個目を狙っている子も多いため残るということはなさそうだ。残る心配のなさで言えば山積みのからあげとテーブルのいたるところに設置された枝豆。この二つはビールや日本酒のつまみとして大人達によって着々と切り崩されている。
 私もお酒は飲める年齢ではあるけれど、あまり好きではない。乾杯で用意されたビールも乾杯直後に口をつけただけ。私はもっぱらオレンジジュースなのだが、今日は子ども達がオレンジジュースを速攻で空にしてしまったため、コップに注がれているのはウーロン茶だ。30分ほど前に従兄弟のお兄ちゃんがスーパーに飲み物の買い出しに行くと出て行ったが、奥の方で「ジュース……」と悲しげにコップをのぞき込んでいる子がいる辺り、おそらく追加のボトルも早々にぺしゃんこに潰されてしまうことだろう。さすがに今日はオレンジジュースを諦めて、私は兄に取ってもらったお寿司とからあげの相棒をウーロン茶にすることにした。


 追加の飲み物もほとんどが空となり、おじさん達の顔も赤く染まってきていよいよお開きかと思い始めた時のこと。家主である泰司叔父さんがいきなり席を立ち、部屋を出て行った。そしてしばらくすると何やら手紙のようなものを手にして戻ってくると、部屋の真ん中で大きく手を打った。

「みんな聞いてくれ」
 叔父さんの行動に誰もが首を傾げたが「ばあちゃんから手紙を預かっている」と言えば、誰もが背筋をピンと正した。斎藤家ではおばあちゃんの言うことは絶対なのだ。それはおばあちゃんがこの世を去った後でも変わることはない。

 親戚の誰もが叔父の言葉もといおばあちゃんからの手紙の一言一句を聞き逃さないように耳を澄ませた。

『親族一同へ 
 おばあちゃんは今年で120歳を迎えました。まだまだ記録を更新していきたいとは思ってますが、いつ倒れるかも分からないので遺書という形で手紙を残しておこうと思います。
 遺産は弁護士の井上さんに任せてあるのでそれに従ってください。
 でも一つだけ例外があります。私が住んでいた斉藤のお屋敷です。
 これは昔から伝えてある通り、はるちゃんに渡したいと思います。
 大丈夫だとは思いますが、売ったり、はるちゃんから取り上げたりしたら斉藤のご先祖様が総出で呪いに行かなければならなくなってしまいます。身内だろうと容赦はしないので変な考えはおこさないように。
 はるちゃん、おばあちゃんの家を頼みましたよ。へーちゃんと仲良く暮らしてください。
 斉藤 幸子』

「だってさ」
 そう締めくくった泰司叔父さんは手紙を丁寧にたたんだ。その途端、私や子ども達を除く親戚一同はドッと笑い出した。
「なんというか、ばあちゃんらしいな」
「心配しなくても、ばあちゃんの家ははるちゃんのものだってここにいるみんなが知ってることなのにな」
「ああ、当たり前だろ」
「家にはるちゃん以外が住んだら、ご先祖様が呪うどころかへーちゃんに呪われちまうよ」
「ちょ、ちょっと待って! 私が斉藤のお屋敷に住むだなんて勝手に決めないでよ」
「ん? 何が不満なんだ? 斉藤のお屋敷は広いぞ~」
 私が何か意見するなんて思っていなかったのか、泰司叔父さんは首を傾げた。いや、泰治叔父さんだけではない。他の叔父さんや叔母さん達も「どうしたの、はるちゃん」なんて言い出している。まるで私が変なことでも言っているみたいだ。
 けれど私は何一つとして可笑しなことは言っていないつもりだ。
「不満なんてあるに決まってんじゃない! いろいろあるけど、まずへーちゃんって誰?」

 まずはそこだ。
 『へーちゃん』とは一体誰なのか。私にとっては一番大きな疑問なのだ。

「お前、へーちゃんのこと忘れるだなんてひどいなー」
「ひどいぞ」
 次々に方々から私を責める声が聞こえてくる。酒の入った酔っ払い達のガヤがほとんどだけど。けれひどい、ひどいと責められたところで知らないものは知らないのだ。
「知らない。誰よ、へーちゃんって。親族にそんな名前の人いないはずよ」
 親戚はみんなここに集まっているはずだ。おばあちゃんの葬式だからと普段は海外に住んでいる人も休みを取ってここに集まっている。そしてここにいる全員の名前を私は当てることが出来る。こんな時くらいしか顔を合わせないとはいえ、年に一度は必ず会っていれば名前くらい覚えるものだ。そしてこの場所に『へーちゃん』なんてあだ名の人はいない。その上、この場にいるのは親族のみ。つまりこの場に出席していない『へーちゃん』が他人であることは間違いない。 親戚共通の知り合いという線もあるが、そちらにも『へーちゃん』は存在しない。つまり私が責められる云われなどないのだ。
「確かにへーちゃんは家族みたいなものではあるが親族ではないな。ほんとに知らないのか?」
 やはり親戚ではないのか。
 なぜそんな人間が斎藤のお屋敷にいることをみんな当たり前のようにしているのかが理解できない。
 ここにいる誰もが100歳を超えたおばあちゃんと一緒に住もうとはしなかった。いくら元気だとはいえ、それは他の人と比べてのことでもう立派なおばあちゃんなのだ。だんだんと体が動かなくなってきていたことは私でも知っていた。

 自分たちは世話をしないでへーちゃんとかいう人に頼っていたというの?
 私だっておばあちゃんと暮らそうとは思ったことはなかった。でもこんなにたくさんいる親戚の誰でもなく、他人のへーちゃんとかいう人が一緒に暮らしていたなんて……。
 無性に腹が立ってくる。
 当たり前のように名前が挙がるへーちゃんも。
 知っていることが当たり前のようだと責める親戚も。
 何より元気な上、働いてもいなかったくせにおばあちゃんの面倒を見ようとさえも考えなかった自分自身に。

「知らないわよ!」
 テーブルを両手で叩いて怒鳴れば、叔父さんたちは驚いたように目を見開いた。そしておじさん達は私を責めることをやめた。代わりに首をひねり始めた。

「なんでだろうな」
「親族ならだれでも知ってるはずなんだけどな」
「1歳の誕生日になる前には初めて会うはずだろ?」
「いや、会っているだろ。俺、はるちゃんがへーちゃんと会ったって話聞いたぞ」
「まぁ、1歳の時の記憶なんて普通はないからな」

 そうだ、そうだ。1歳の時の記憶なんてあるわけがないだろう。
 もっと言ってやって!!

「でも、斉藤のお屋敷に行くたびにへーちゃんには会うだろ。俺なんて1年に1回以上は会ってるぞ?」
 屋敷に行く度に会っているなんておかしな話だ。私だって年に一度以上は必ずお屋敷の方に行っているのに一度だって会ったことがない。そもそも名前を聞くのだって今日が初めてだ。
 一体どうなっているの?
 もしかして私が知らないこの状況がおかしいの?
 人生最大のミステリーに出会ってしまった私は両手で頭を抱え込んで、眠っているかもしれない記憶を呼び覚ます。それでもやはり『へーちゃん』に関する情報は見当たらず、謎が深まるばかりだ。
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