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一週間薬湯の刑を執行す

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「こちらが本日分になります。これから毎日お渡ししますので、ゆっくり浸かってくださいね」
「三年前にプレゼントしてくれたものよりも香りが濃いように思うのだが」
「一ヶ月も離れていたからそんな気がするのではないでしょうか」
「うっ」
「この話を提案した時から他の王子達も随分と薬湯を楽しみにしてくださっていて」
「兄上達も浸かるのか!?」
「これからしばらく激務が続くだろうから今のうちにお風呂くらいゆっくり浸かっておきたいとのことです」
「そ、そうか。今回の件で兄上達には本当に迷惑をかけてしまった」

 激務が続くのは事実だが、それはただの建前。
 シンシアと同じく、この一ヶ月交流を制限させられていた兄王子達もまたマティアス不足に陥っていた。いくら写真などのデータが取れるとはいえ、愛する弟が変わってしまったら寂しいものだ。

 それでも多くの男子生徒達にかけられた魔法や呪いを解き、マリーアを確実に捕縛するには必要なことだった。

 だからちゃんと待ったし、待たされた分だけちゃんと楽しむことにしたのだ。

 兄王子達は楽しみすぎて、誰がいつを担当するかと前々から話し合っていたほどだ。ちなみに人気は初日と最終日だそうだ。

「マティアス、帰っていたのか。それにシンシアも。お疲れ様」
「あ、兄上」
「初日は第一王子に決まったのですね」
「運の良さには自信があるからな! じゃあこいつもらっていくから」
「よろしくお願いします」


 薬湯の刑、執行初日。
 マティアス王子は言葉にならない叫び声を上げ、引きずられていった。
 第二王子のお誘いでお茶をご馳走になっていると、四半刻と経たずにマティアス王子が運び込まれてきた。

 なんでも湯船に浸かって数分で鼻血を出して倒れたらしい。
 第一王子は大笑いしながら教えてくれた。血は止まったが、今もまだうわごとのようにシンシアと繰り返している。
 初日なので香りは抑えめにしたのだが、今のマティアスには刺激が強かったらしい。
 明日以降はもう少し気をつけなければ。



 薬湯の刑、執行二日目。
 シンシアとの仲を隠さなくても良くなったからか、マティアスは学園でもシンシアにピタリとくっついて離れなくなった。男女問わず睨みを効かせ、まるで番犬のよう。

 といっても学園内には男子生徒がほとんどいない。人数が多いため、聞き取り調査が済んでいないのだろう。

 いるのは主にマリーアの標的として選ばれなかった者達だ。
 また女子生徒の欠席も目立つ。特に婚約者と仲が良いとして知られていた令嬢達の姿はない。

 ただでさえ堪えていたところに、見抜けなかったショックも重なったのだろう。

 相手がマリーアに熱を上げたことでこれ幸いと自らも別の相手を探し始めた令嬢もいるが、そちらは大変逞しいことに平然とした表情で出席している。

 今回の件は男女ともに意外な一面を見せた者も多い。

 特に衝撃的だったのは二週間前の裏庭で見た光景。
 そこにいたのはとある男女。片割れの女子生徒は身分の釣り合いが取れていないと、令嬢達からよく嫌みを言われていた。立場としてはシンシアとよく似ている。

 だから通り過ぎるだけのつもりが、足を止めた。
 男が傲慢な態度を取り、ましてや暴力なんて振るい始めたら先生を呼んでこようと思ってのことだった。

 けれど手を上げたのは女子生徒の方。身体を回転させる要領で思い切り男を蹴り飛ばしたのである。一瞬、自分の目を疑った。

 なにせその蹴りはご令嬢の脚力とは思えぬほど鋭く、大男を飛ばすほどに重い。飛ばされた男は弧を描き、近くの花壇へと吹っ込んでいった。ピクピクと震える令息に、さすがにこれは先生を呼んだ方がいいかと悩みもした。

 けれどすぐに復活した令息は素早く令嬢の元へと走り寄った。

「駄犬なんていらないわ。去りなさい」
「もう一度チャンスをくれ!」
「聞こえなかったの?  去りなさい」
「君がいなければ、君の蹴りがなければ生きていけないんだ……」
「そう? 楽しそうだったけれど」
「悪魔に取り憑かれていただけ。一時の気の迷いだったんだ」
「触らないでちょうだい」
「はぁうぅ鋭く急所を付いてくる~」

 令息は恍惚とした表情で令嬢の蹴りを甘受する。気持ちが悪いと言いながらも、彼女の瞳はどこか光を宿している。

 一瞬にして裏庭は調教の場と化したのである。
 どうやらあの行為は彼らなりのコミュニケーションだったようだ。
 これ以上は見てはいけない気がして、そそくさとその場を後にした。

 だが彼らによって強い絆さえあれば魔法を解くことが出来ることを知った。
 といっても蹴り好きの彼がかけられていたのは魅了魔法と簡単な精神干渉の魔法だけ。

 マティアス王子は本命だけあって、他の男性よりも数段難しい魔法や呪いがかけられている。だが彼との絆は裏庭の二人にも劣らない自信がある。

 結果、解呪魔法でも解けなかった洗脳はシンシアの言葉によってあっさりと解けた。裏庭の二人様々である。

 そんな二人は今日も揃って登校している。
 男子生徒の首には首輪と鎖がついている。そして近寄ってくる女子生徒に「俺の主人は彼女しかいないから」と物凄く良い笑みを振りまいている。

 彼からすれば他の男よりも早く、かつ愛する女性の力で魔法が解けたことが嬉しくてたまらないのだろう。
 話しかけた令嬢達はぽかんとした表情だが、そんなこと関係ないらしい。婚約者もとい主人の彼女に見えない尻尾をブンブンと振っている。


「ではこちらを」
 帰りの馬車の中。
 昨晩新しく調合した薬湯の粉を渡す。

「今日は城まで来ないのか?」
「お風呂から上がってこられるのを待っていてもいいなら」
「ふ、風呂上がりはダメだ。シンシアの香りに包まれながら本物のシンシアを近くに」
 わたわたと手を動かしながら、顔を真っ赤にする。頭から湯気のようなものが見えた気がした。そのままフリーズしてしまったマティアスを残し、馬車を降りた。



 薬湯の刑、執行三日目。
 朝、登校の準備をしていると城からの使者がやってきた。
 なんでも昨晩、マティアス王子が高熱を出したらしい。原因は知恵熱。シンシアのことを考えすぎて熱を出してしまったようだ。

 だがそれでもシンシアを一人で登校させれば他の男が寄りつくかもしれん! とベッドから這い出たところを兄王子達に捕獲された。手紙には彼を熟睡させるためにも休んで欲しいとの旨が書かれていた。

 シンシアが想定していた以上の重症である。

 すぐに返事を書き、制服から私服へと着替える。今日渡すために作っておいた薬湯は香りを変え、休息効果を高めた配合にしなければ。

 思えばシンシアが初めてマティアスに薬湯を贈ったのは疲労回復のためだった。

 あれは三年前のこと。
 令嬢達の間でとあるロマンス小説が流行ったらしい。ヒーローが姫を守る騎士で、その影響から令嬢達はこぞって『頼り甲斐のある男性』というものに熱を上げたそうだ。そしてマティアスは物語の騎士のように強くなろうと鍛錬に励み始めた。

 シンシアはロマンス小説に興味などはなく、ましてやマティアス以外の相手に恋愛感情を抱いたことはない。

 だが王子である彼が鍛えることは良いこと。
 シンシアは特に否定をせず、彼を応援し続けた。
 そして元来真っ直ぐな性格が大変好ましいマティアスは、来る日も来る日も剣を振るい、ついに倒れてしまった。

 薬湯はそんな彼を休ませるもの。
 その予定だったのだが、思春期真っ盛りのマティアスには逆効果だった。シンシアの好みを勘違いして多くのロマンス小説を読み漁ったのも良くなかったのだろう。

『シンシア、そ、それ以上はまだ!』などと良からぬことを叫んで失神してしまった。その後、マティアスの想像の中でシンシアがどのような行為を行ったのかは本人しか知らぬこと。

 だが彼はそれを機に薬湯を恐れるようになってしまった。

 二度と作ることはないと思っていたが、シンシアは再び回復目的の薬湯を作ることにした。勘違い失神を起こされても困るので、色も緑からオレンジへと変えた。


 夕方。
 マティアスの見舞いに行くと、すっかり熱は下がっていた。作ってもらった粥をモリモリと食べていたので明日には完全回復していることだろう。

 兄王子達の話によれば汗をかきながらシンシアの名前を呼んでいたらしい。『マティアス知恵熱記念』の写真はバッチリ撮ってあるので、後日ベルカハザール家に届けてくれるそうだ。

「ところでそれは」
「今日の分の薬湯です」
「き、今日くらいは休みでも……今入ったら俺は今度こそシンシアを」
「今日のは疲労回復用なのでご心配なく」
 ほらと蓋を開けて見せれば、マティアスは安心したような、同時にガッカリとしたように肩を落とした。



 薬湯の刑、執行四日目。
 シンシアを迎えに来てくれたマティアスの顔色はすっかりと良くなっていた。昨晩はグッスリと眠れたらしい。念のために今日の分の薬湯は二つ作ってきたのだが、今日からまたシンシアブレンドに戻しても良いか。

 まだ身体にシンシアの香りは移っていないが、彼の鼻にはしっかりとあの香りが記憶されているのだろう。先程からシンシアの鞄をチラチラと見ているのが良い証拠だ。

「今日はどっちか気になりますか?」
「い、いや別に」
「そうですか。なら今日も帰りにお渡ししますね!」
「あ、ああ」
 残念そうに眉を下げるマティアスはとても愛らしい。愛らしくて、つい意地悪してしまいそうになる。

 だが薬湯の刑の立案者であるシンシアが一週間を待たずして折れてはいけない。馬車を降りてすぐ、指を絡めるように手を繋がれたとしても、折れてはいけないのだ。

 心を強く持ち、構内を歩く。聞き取りが終わったらしい男子生徒達が帰ってきている。

 だが彼らの明暗はぱっくりと分かれている。
 すげなくされる者や他の男の元に向かう令嬢の背中を見つめる者もいれば、魔法なら仕方がないと割り切って普段通りに戻っている者も多い。

 明暗に家格は関係ない。婚約者との日頃の関係性が問題なのだろう。

 仲の修復が大変そう、なんて他人事のように考える。
 実際、他人事だ。シンシア達が解くまでもなく、自力で回復した婚約者を目にしている以上、不運な出来事と流すつもりはない。



 薬湯の刑、執行五日目。
 ついに彼が学園に帰ってきた。
 数ヶ月前まで社交界を騒がせていた女好きの侯爵令息、レオンである。

 彼への聞き取りは他よりも長くかかった。
 それもそのはず。彼は三ヶ月前からなぜか今まで見向きもしなかった幼馴染のカレンを口説き始めたのである。逆に転校初日から口説いていたマリーアのことは見向きもしなくなった。

 レオンとカレンの両親は親友同士で、二人は婚約こそしていないものの、結婚は確実と言われていた。それでも学園時代だけは……と二人とも自由に過ごしていたのだが、二人の両親はこれ幸いと結婚させてしまった。

 この半年、婚約を解消したペアは何組かあれど、結婚したのは彼らだけ。

 レオンの行動には何か裏があるのではないか。
 彼こそいち早くマリーアの作戦に気づいていたのではないか。

 そう考えていたのだが、レオンは多くの令息と同じく魔法にかかっていた。
 ではあの行動は一体なんだったのかと聞き取りが長引いたという訳である。

 レオンの行動の意味が分かったら教えて欲しいと頼んでいたシンシアだが、報告を聞くまでもなかった。

「待てよ!」
「あんたなんて他の女と遊んでればいいわ!  あんたのことが好きな女なんてたくさんいるんだから、一人くらいと世継ぎを生んでくれる女だっているでしょ」
「カレン!」

 人目も憚らず廊下で喧嘩を始める姿は舞台の一幕のよう。学園一の色男と絶世の美女のペアなのでとても絵になる。釘付けになる観客は息を呑みながら二人の行く末を見守っている。止めに入るようなものはいない。

 ここにいる誰もがショーに飢えているのだ。

「私は関係ない。バカにするのもいい加減にして!」
「バカになんてしてないだろ!」
「シンシア様の活躍で魔法も呪いも解けたんだから、私のことなんて口説く必要ない!」
「それはカレンが離縁して修道院に入るなんていうからだろ!  そんなことになったら俺はカレンの親父さんに顔向けができない……」
「私のお父様はね、娘を女遊びが趣味の男と結婚させるような人よ。私が居なくなったらきっと清々するわ。だから退いてちょうだい」
「親父さんは俺の気持ちを知っていたから協力してくれただけで……本当に愛しているんだ」

 そう、ハッピーエンドが決まりきったショーを。

 レオンの気持ちなんて有名だった。彼が女性を名前ではなく、相手をイメージした花の名前で呼ぶのはカレン以外の女性の名前を呼びたくないから。

 女好きや女遊びが趣味だというのも、カレンの気を引くために彼本人が言い出したこと。それを知った上で女性達は彼との一時に浸っていたのだ。

 シンシアも誘われたことがあるが、彼の誘いに淫靡なことなどない。お話しして、買い物に行って、劇を見に行き。ただの友人と違うのは、彼が誰よりも親身に話を聞いてくれること。

 他の男との関係を悩んでいるなら特に。
 好きな女性に素直になれない彼だからこそ、気持ちがよく分かる。

 彼のおかげで婚約者との仲を良くしたものもいるほどだ。女好きで有名である手前、公に付き合うことはないが、男性の友人も多い。

 カレンを口説きだした時なんて、ついに!  と拳を固めた者もいた。
 だが彼が素直になったきっかけが分からない。だがその謎が解けてしまえば、紐を解くのは簡単。

 魅了魔法をかけられた途端、マリーアを口説くのをやめ、逆に今まで口説かなかったカレンを口説きだしたのは彼女への好意が一時的に封じられたから。

 悪い言い方をすれば、その他の女性と同じレベルまで引き下げられたから。思えば彼はカレンを口説く時に彼女の名前を一度だって呼んでいなかった。

 ここまで筋金入りだとは思わなかったが、マリーアだってこんなこと予測もしていなかっただろう。


「はぁ……仕方ないわね」
「カレン、信じてくれるか?」

 渋々ながらも結婚し、愛を叫ばれ。
 今度こそ陥落したか。最高のハッピーエンドを前に誰もが生唾を飲む。

 けれどカレンは難攻不落のご令嬢ーー幼馴染とはいえ、陥落は難しかった。

「私がおじさんに話つけてきてあげるわ。困った時に私を頼る癖はいくつになっても変わらないのね。もうこれで最後なんだからちゃんとしなさいよ?」
「そうじゃない、そうじゃないんだ……」

 幼馴染だからこそ越えられぬ壁が出来てしまった。半ば強引にでも結婚できたことが正しかったのかは分からない。

 だがレオンには多くの協力者と理解者がいることだけは確かだ。

 愛する女性に手を引かれた先で掴むのは幸運か不運か。
 部外者のシンシアには分からない。それでも最悪が訪れる前に、レオンの元には沢山の友人は駆けつけることだろう。

 なにせレオンが親身になった婚約者達は揃って魅了にかけられていないのだから。

 意気地はないが、絶望に打ちひしがれるだけの令息たちとは今まで築いてきた人望が違う。あまり交流のなかったシンシアだが、良い方向に進めば良いと願っている。レオンはなんとなく応援したくなってしまう男なのだ。


「シンシア。今日、城に来ないか?」
「どうしたんですか、急に」
「あの二人を見ていたらなんだか少しでもシンシアと一緒に居たくなった」

 マティアスはシンシアの肩に頭を乗せて甘えてくる。
 たった一ヶ月だが、長期間にわたって彼から思いを伝えられなかったのは今回が初めて。一ヶ月ぽっちでシンシアの気は変わらないのだが、マティアスは少し心配になってしまったのかもしれない。彼の柔らかい髪を梳くように撫でる。

「なら、お邪魔させていただきますね」
「シンシア、愛してる」
「知ってます」

 放課後、城でマティアスの風呂上がりを待つ。
 今日は少し香りを濃くしてみたのだが、マティアスは失神せずにシンシアの待つ部屋へとやってきた。

「俺も随分慣れたものだろう?」
「ええ、素敵です」
「す、す、す、すて、すてき?」
 様子がおかしい。
 カクカクと動き出し、目はあらぬ方向を向いている。

「マティアス王子、一旦こちらに」
 ソファに座らせようと、マティアスの腰に手を回す。するとビクビクっと身体が跳ねた。

「そんなところ、ダメだ、あああ!」
 そしてソファにパタリと倒れ込んでしまった。遅れてやってきた第三王子はあちゃーと額を抑えながら「キャパシティーオーバーだな」と呟いた。

 湯上りに会うのはまだ早かったらしい。
 それにしても彼は一体何をされることを想像したのだろうか。



 薬湯の刑、執行六日目。
 マティアスの身体にも少しずつ薬草の香りがついてきた。
 薬湯の刑は明日で終わりになってしまうが、二人の関係を疑うものはもういない。すでに目的の大部分は達成されたと言えるだろう。

 一昨日くらいから同じ香りを纏う男女が増えた。お揃いのアクセサリーをしている男女も。シンシアや裏庭の彼のように『大事な人』だとアピールすることにしたのだろう。昨日のレオンの叫びに当てられたのかもしれない。

 それに明日は例の一件があってから初めての休日である。
 各々思うことはあるのだろう。シンシアもこの一週間ずっと、週末はどうやって過ごそうか考えていた。

「明日、一緒にダラダラして過ごしませんか?」
「ああ、それはいい。シンシアのブランケットも用意しておこう」

 悩んで出たのはいつも通りの週末。
 どこかに行くよりもゆっくりと、二人きりの休日を過ごしたいと思ったのだ。



 薬湯の刑、執行七日目。
 この一週間で最も薄い香りの薬湯を調合してきた。シンシアが帰った後にお風呂に入れて欲しいと使用人に託す。

 あとは予定通り、二人でのんびりと過ごすことにした。
 マティアスのベッドの上で寝転ぶ。伸ばされた手に頬を擦り寄せれば、そのまま抱き寄せられた。

「はぁ、やっぱりシンシアの香りは落ち着くな」
「昨日も一昨日も学園で一緒に過ごしたじゃないですか」
「人前と二人きりとでは全く違うだろう。二人きりが落ち着く」
「それは、私も同じですが」
「それでもシンシアの作ってくれた薬湯があったから一週間我慢できた」
「我慢出来ていましたっけ?」

 学園内ではほとんどの時間、シンシアにくっついて過ごし、散々睨みをきかせていた。誰もシンシアのことなど狙わないと言ってきかせたのだが、聞きもしない。

 むすっとして『シンシアほど魅力的な女性はいないんだぞ!』と語るマティアスを思い出し、笑みがこぼれた。本当に愛らしい人だ。彼以上に魅力的な男性はいない。

「本当なら学園なんかに行かず、ずっと部屋に囲んでいたかったくらいだ。だがシンシアが俺に香りをつけてくれたから、離れている間もずっとシンシアを感じていられた。不安もなかったわけではないが、そんな不安も薬湯で包み込んでくれた。シンシア、愛している。結婚しよう」
「卒業まで待ってください」
「もう隠さなくてもいいのだから結婚してもいいと思うんだが」
「約束は約束です。それに急いで結婚なんてしなくても私はどこにも行きませんよ。心配なら首輪でも付けますか?」

 マティアスとの婚約を決めることは、シンシアにとって平穏で平坦な道を捨てることでもあった。家が決めたこととはいえ、シンシアが心から拒絶すれば断れた婚約ーーそれを他でもないシンシアが受けると決めたのだ。

 いつも真っ直ぐに愛してくれる彼と共に生きていきたいと思ったから。
 他の男を知る機会もないほどに愛してくれるから。

「そんなことはしない!  しないが……これからもたまにシンシアの香りをつけて欲しい」
「ならこれからはご褒美にしましょうか。魔法だろうと、もう二度と惑わないで」
「ああ」

 不安なんて微塵もない。
 だがシンシアだって嫉妬くらいする。

 薬湯はシンシアの愛である。
 自らの愛でマティアスを包みこむ。子爵令嬢であり、薬師でもあるシンシアなりの愛情表現なのだ。

 この先の生涯でもシンシアがその身を捧げるのはマティアスだけ。
 彼の首に腕を回し、首筋にキスを落とす。

 薬湯に比べれば本当に些細な所有の証。
 けれど今日で薬湯の刑最終日を迎えるマティアスには刺激が強かったようだ。

「シンシア......ダメか?」
 プルプルと震えながら潤んだ瞳でシンシアを見つめてくる。
 そんな彼にシンシアは非情な言葉を返す。

「我慢してください」
 これこそがマティアスにとっての最大のお仕置きになっているとも知らずに。
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