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「はい」
「義姉さん、少しいいかな?」
やって来たのはラウス様の弟さん。伺いを立てているようではあるが彼は私が答えるよりも先に入室している上、なぜか壁に手をついて部屋の出口を塞いでいた。これでは応じる以外の選択肢を塞がれたようなものだ。
「あ、はい」
そう返すと弟さんの背中の後ろで何やら動き出す。そして彼がドアを開くとラウス様のお母様が嬉しそうな顔を浮かべてこちらを見つめていた。
「サキヌ、だから言ったでしょう? モリアちゃんなら快く開けてくれるって」
「お母様はいつも強引だから」
どうやら弟さんの腕は私の脱走を防いでいたわけではなく、ラウス様のお母様の侵入を防いでいたらしい。言い合いをしている最中も彼が壁から腕を離すこともなければ、手を壁から外そうとするお母様に屈することもない。この二人の会話で弟さんの名前を知ったわけだが、おそらくは初日の食事で自己紹介をされていたのだろう。
私が忘れていただけで……。
こんなことがある度に、早々にこの悪い癖を直さなければと思いはする。だが中々直らないというのが現状である。ここは何事もなかったかのように振る舞うしかあるまい。とりあえず一ヶ月後にはラウス様の妻となるわけだから、ラウス様のお父様とお母様のことは『お義父様』『お義母様』と呼べばいい。その二人は名前がわからなくともどうにかなりそうである。
問題はここにいない妹さんである。呼ぶ機会が早々にないこと。そして彼女に遭遇する前に、誰かが彼女の名前を呼ぶことを心の底から祈っておく。
「モリアちゃん?」
サキヌさんの腕を挟んでではあるが、出来る限りで寄せられたお義母様の顔はこれから話すことの深刻さを表していた。
「はい、何でしょうか?」
そう当たり障りのない言葉で返したものの、自ずと力が入る。
「……ハーヴェイから聞いたのだけど、実家に帰りたがっているって本当かしら?」
もうすでに伝わっているのか……。
さすがカリバーン家の使用人は仕事が早いと感嘆するしかない。
「ええっと……」
材料を取りに行きたいという目的があったにしても、やはり誰が聞いても実家に戻りたがっているとしかとれないだろう。ましてやカリバーン家に来てまだ丸二日も経過はしていないのだ。取り繕ったところで、彼らからしてみれば言い訳に過ぎないのだろう。だからと言って正直にいうのもな……と何というべきか迷っていると優しく声をかけられる。
「別に責めているわけじゃないのよ? マリッジブルーなら私も経験してるし、モリアちゃんの気持ちはよくわかるの!」
もともとラウス様と結婚したいと思っていたわけではないから、マリッジブルーというのは違うような気がする。マリッジブルーっていうのは多分お姉様がなっていたような、結婚へ対する不安のようなものだろう。だがそんな私の違和感は伝わることなく、私以外の二人は次々に言葉を交わしていく。
「お母様はそんな繊細じゃないだろ……」
「お黙りなさい! 私だって結婚する時は悩んだものよ。ドレスのデザインとか色とか本当にこれでいいのかって眠れなくなったわ……」
「それはマリッジブルーじゃないんじゃ……」
「それでね、モリアちゃんさえよければゆっくりお茶でもどうかしらと思って」
「都合の悪いことは聞こえないふりか……。義姉さん、嫌なら遠慮なく断ってくれてもいいよ?」
「ちょっとサキヌ、あなたねぇ」
「義姉さんが来た翌日のお兄様の顔、お母様だって見ただろ! ただでさえサンドリア領から王都に行ってすぐにドレス作って食事して疲れてただろうに……」
「まぁ、そう……よね……」
あからさまにお義母様は落ち込んだように顔と声のトーンを下げる。目の前で繰り出されていた言い合いには絡んでいないものの、お義母様を落ち込ませてしまった根本的な原因は私にある。
「あ、あの私なら大丈夫ですから。是非ご一緒させてください」
まだまだこの二人相手に緊張はするものの、断ることも出来ずに出した答えがこれだった。お茶なんて招待された二、三度しか経験はない。初めは朝と昼の間の水分補給のための休憩みたいなものだろうかと思って、気軽な気持ちで出席したら痛い目を見たのを未だに覚えている。
ケーキ一つ食べるのにもマナーがあるらしく、隣の人のを見ているだけで食べる気をなくすものだった。
「本当に!? 実はもう用意はさせてあるの。早速行きましょう! って何でサキヌが真ん中なのよ。普通ここはモリアちゃんが真ん中でしょう?」
「お母様は強引だから義姉さんが疲れちゃうだろ?」
「とかいいつつあなた一人だけモリアちゃんと仲良くしようなんて思ってないでしょうね!」
「それは、思って……ない」
「嘘をつくんじゃありません! 私だってずっとモリアちゃんがお嫁さんに来てくれるの楽しみにしていたんだからそうはいきませんからね!」
「別にいいだろ? 俺は休みが終わったらまた寮に帰らなきゃいけないんだから譲ってくれたって……」
「ダメです! 女同士で仲良くするんだから!」
だけど今回はそう気負わなくてもいいのかもしれない。
目的地がどこなのかはよくわかっていないのだが、とりあえず二人に合わせて歩き出す。隣の二人は未だに並び順についての口撃戦を交えている。どうやら私を、というよりはラウス様の妻を二人とも歓迎しているようだ。
「義姉さん、少しいいかな?」
やって来たのはラウス様の弟さん。伺いを立てているようではあるが彼は私が答えるよりも先に入室している上、なぜか壁に手をついて部屋の出口を塞いでいた。これでは応じる以外の選択肢を塞がれたようなものだ。
「あ、はい」
そう返すと弟さんの背中の後ろで何やら動き出す。そして彼がドアを開くとラウス様のお母様が嬉しそうな顔を浮かべてこちらを見つめていた。
「サキヌ、だから言ったでしょう? モリアちゃんなら快く開けてくれるって」
「お母様はいつも強引だから」
どうやら弟さんの腕は私の脱走を防いでいたわけではなく、ラウス様のお母様の侵入を防いでいたらしい。言い合いをしている最中も彼が壁から腕を離すこともなければ、手を壁から外そうとするお母様に屈することもない。この二人の会話で弟さんの名前を知ったわけだが、おそらくは初日の食事で自己紹介をされていたのだろう。
私が忘れていただけで……。
こんなことがある度に、早々にこの悪い癖を直さなければと思いはする。だが中々直らないというのが現状である。ここは何事もなかったかのように振る舞うしかあるまい。とりあえず一ヶ月後にはラウス様の妻となるわけだから、ラウス様のお父様とお母様のことは『お義父様』『お義母様』と呼べばいい。その二人は名前がわからなくともどうにかなりそうである。
問題はここにいない妹さんである。呼ぶ機会が早々にないこと。そして彼女に遭遇する前に、誰かが彼女の名前を呼ぶことを心の底から祈っておく。
「モリアちゃん?」
サキヌさんの腕を挟んでではあるが、出来る限りで寄せられたお義母様の顔はこれから話すことの深刻さを表していた。
「はい、何でしょうか?」
そう当たり障りのない言葉で返したものの、自ずと力が入る。
「……ハーヴェイから聞いたのだけど、実家に帰りたがっているって本当かしら?」
もうすでに伝わっているのか……。
さすがカリバーン家の使用人は仕事が早いと感嘆するしかない。
「ええっと……」
材料を取りに行きたいという目的があったにしても、やはり誰が聞いても実家に戻りたがっているとしかとれないだろう。ましてやカリバーン家に来てまだ丸二日も経過はしていないのだ。取り繕ったところで、彼らからしてみれば言い訳に過ぎないのだろう。だからと言って正直にいうのもな……と何というべきか迷っていると優しく声をかけられる。
「別に責めているわけじゃないのよ? マリッジブルーなら私も経験してるし、モリアちゃんの気持ちはよくわかるの!」
もともとラウス様と結婚したいと思っていたわけではないから、マリッジブルーというのは違うような気がする。マリッジブルーっていうのは多分お姉様がなっていたような、結婚へ対する不安のようなものだろう。だがそんな私の違和感は伝わることなく、私以外の二人は次々に言葉を交わしていく。
「お母様はそんな繊細じゃないだろ……」
「お黙りなさい! 私だって結婚する時は悩んだものよ。ドレスのデザインとか色とか本当にこれでいいのかって眠れなくなったわ……」
「それはマリッジブルーじゃないんじゃ……」
「それでね、モリアちゃんさえよければゆっくりお茶でもどうかしらと思って」
「都合の悪いことは聞こえないふりか……。義姉さん、嫌なら遠慮なく断ってくれてもいいよ?」
「ちょっとサキヌ、あなたねぇ」
「義姉さんが来た翌日のお兄様の顔、お母様だって見ただろ! ただでさえサンドリア領から王都に行ってすぐにドレス作って食事して疲れてただろうに……」
「まぁ、そう……よね……」
あからさまにお義母様は落ち込んだように顔と声のトーンを下げる。目の前で繰り出されていた言い合いには絡んでいないものの、お義母様を落ち込ませてしまった根本的な原因は私にある。
「あ、あの私なら大丈夫ですから。是非ご一緒させてください」
まだまだこの二人相手に緊張はするものの、断ることも出来ずに出した答えがこれだった。お茶なんて招待された二、三度しか経験はない。初めは朝と昼の間の水分補給のための休憩みたいなものだろうかと思って、気軽な気持ちで出席したら痛い目を見たのを未だに覚えている。
ケーキ一つ食べるのにもマナーがあるらしく、隣の人のを見ているだけで食べる気をなくすものだった。
「本当に!? 実はもう用意はさせてあるの。早速行きましょう! って何でサキヌが真ん中なのよ。普通ここはモリアちゃんが真ん中でしょう?」
「お母様は強引だから義姉さんが疲れちゃうだろ?」
「とかいいつつあなた一人だけモリアちゃんと仲良くしようなんて思ってないでしょうね!」
「それは、思って……ない」
「嘘をつくんじゃありません! 私だってずっとモリアちゃんがお嫁さんに来てくれるの楽しみにしていたんだからそうはいきませんからね!」
「別にいいだろ? 俺は休みが終わったらまた寮に帰らなきゃいけないんだから譲ってくれたって……」
「ダメです! 女同士で仲良くするんだから!」
だけど今回はそう気負わなくてもいいのかもしれない。
目的地がどこなのかはよくわかっていないのだが、とりあえず二人に合わせて歩き出す。隣の二人は未だに並び順についての口撃戦を交えている。どうやら私を、というよりはラウス様の妻を二人とも歓迎しているようだ。
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