Unknown Saga

にゃご

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第一部

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 「ミイラ化、ですか?」
 「そ。自然死ではないっぽいけど、殺人なのかも分からない」
 運転席でグレイは応じ、青になっても動き出さない前の車に向けて、表情を変えずに二度、クラクションを鳴らした。
 「何にしろ死因は、司法解剖の結果待ちだろうな」
 遺体発見が午前6時。ダウンタウンの裏通り、人も入り込まぬような細い路地に、その身体は横たわっていた。発見したのはホームレスの男で、身分を示すものを何も持たぬその遺体が何者か、手がかりを示したのも彼だった。
 「多分、いつもあそこを通っていた耳つきの女だろうって話だ。服装から女性なのは間違いないし、尾の特徴も一致してる。どこかの娼婦だろうな」
 あの辺は耳つきを入れてるアパートメントも多いから。
 なるほど確かに、あの辺りも混血mixが多い。ダウンタウンと一口に言っても、そこにはまたいくつかの区画がある。観光客が多く訪れる移民街や再開発が進んだモダン地区、違法ドラッグと犯罪が横行するスキッド・ロウ。それらのモザイクがダウンタウンだ。新しいものと古いもの、きらびやかなものと腐敗したもの。寄せ集めてかき回して、そうして作られた集合体には、一種ノスタルジックとでも言えそうな、独特の雰囲気がある。車で入り込んだのはモザイクの境目。とはいえ、境目は闇の領分だ。きらびやかな中心地で用が足りるのに、わざわざ治安の悪い場所に近づいていこうという物好きはいない。いや、アーテイストかジャーナリストなら話は別か。数年前、この街のスキッド・ロウをおしゃれに写した海外の写真家の作品が話題になったことがあった。彼女は元々ファッション業界で仕事をしていて、何の因果かこのダウンタウンにたどり着き、どういうわけか、その美しさに魅了されたらしい。ネットで紹介された彼女の写真は、なるほど確かに美しかった。白くて四角いのっぺりとした建物は、青い空を背景に爽やかさすら漂わせ、乱雑に干されたぼろ切れのような原色の服が色のアクセントになってはっと目を引く。そうしてその画面の真ん中を歩くのは、真っ黒な尾を地面に引きずる混血mixの若い男で、背中を丸めてこちらを見遣る、その目は深い闇を宿して淀み、ユヅキの目には“終わりが近い”と見えた。しかし、彼女はその作品に“神秘”とタイトルをつけた。それはユヅキの内にちょっとした感動を呼び、同じ風景も、それを写す目が変わればこうも変わるものかと感心した。彼女にはこれほど美しく写ったスキッド・ロウも、ユヅキにとっては、見回りに気を遣う要注意地区でしかない。彼女が“神秘”と呼んだ男の姿も、ユヅキにとっては、搾取され枯れゆく混血mixの日常でしかない。国を出たことがないため本当のところは知らないが、混血mixは外国にはいないらしい。ユヅキにしてみれば、その事実の方がよほど神秘だった。
 午前10時の貧民街は沈鬱で満ちていた。人通りはほとんどない、が、街の至るところから息を潜める人々の気配が覗いている。姿は見えない。ただ、人はあらゆる場所にいる。建物の中にも、外にも。地面に並び敷かれた段ボールの一つ一つは彼らの“家”で、不在の者はコインを投げ入れる缶を持って今まさに“勤務中”だろう。
 「あそこだ」
 グレイは言ったが、言葉など不要だった。数台止まった警察車両。KEEP OUTの文字。閑散とした街の中で、そこだけが明らかに異質だった。
 車通りなどほとんどありはしないと、グレイは自身の車を遠慮なく現場に横付けし、先に止まっていた車両数台でほとんど目一杯になっていた道を完全に行き止まりにした。
 「お疲れさま」
 「お疲れさまです」
 二人で規制線を抜けざま、見張りに立つ制服警官に声をかけると、彼は綺麗な敬礼で応じた。昔、何度か立ったことがある。誰かが立たないわけにはいかないのだが、実際、規制線の中に入ってこようとする人間などほとんど皆無だ。中の会話に聞き耳を立てても、興味深い情報が得られる可能性があるのは、精々最初の30分くらいのもので、そこから先は新しい話も上がらなくなる。だから、残りの時間やることと言えば、周囲の人々を観察すること位のものなのに。これだけ何の刺激もない場所に立ち続けるのもなかなかに苦痛だろうと、彼の心中を慮り気の毒になった。

 「ジャック」
 「あぁ、来たか」
 現場で待っていた鑑識官はグレイの知人らしく、呼びかける声は気安かった。振り向いたのは、ひょろりと背の高い知的な眼差しをした優男で、初めましてと名乗ったユヅキの手を握る形式的な動作から、さして興味を持たれていないことはすぐに分かった。だからと言って、それを別段不快とも思わなかったが、気安い声をかけたグレイに向けいた男の視線も同様に冷めており、興味のある無し以前にこれがこの男の平生なのだと思い至った。
 「じゃ、説明するぞ」
 ジャックに連れられて、揺らしたら崩れそうな二棟の建物の狭間の細い通路に入り込む。人一人歩くには苦はないが、人間二人が横並びになることは出来ず、自然、三人一列になって進む格好になった。案内のジャックを先頭に、グレイ、ユヅキと後に続く。途中、作業を継続していた鑑識官二人と、お互いに壁に張り付くようにしながらすれ違い、十数秒で歩みが止まる。距離にして20メートル弱。
 「遺体はここ」
 ジャックの声が無感動に告げ、彼は半身になって道を譲った。グレイの背後から覗き込むようにしてその場の状況を確認すると、錆びた非常階段下の室外器にもたれ掛かる形で、遺体があったことを示すマーカーが引かれていた。かなり小柄な人物。砂地の地面には身悶えたような跡はない。亡くなるまでには多少の猶予があったのかもしれない。物に身体を預けるだけの時間的な余裕がある。少なくとも即死ではない。だが、腰を下ろすほどの時間はなかった。屈み込んで、そのまま息絶えている。
 「被害者の身元は不明。ただ、耳と尾が確認されたから、混血mixで間違いない。女性。服装は赤のワンピース。発見者の言葉を信じるなら、“若い”女性。外傷なし。不審なゲソ痕も、今のところなし……というか、ほとんど取れない。地面が固すぎるし、砂は細かくてすぐ飛んでっちまう」
 「ミイラっていうのは?」
 「そのままの意味だよ」
 いいながら、ジャックは記録用のカメラを差し出した。
 「死因は失血性ショック、だそうだ」
 グレイがカメラを受け取り、デジタル画面に視線を落とす。ユヅキは背後から彼の手元を覗き込み、息を呑んだ。
 「……#御伽話__fairy tail__かよ」
 呆然と、グレイが呟いた。その画像は、酷く異様だった。場所は、まさにここだ。日がまだ昇りきらない早朝に撮影されたため、画面の中のこの場所は今よりも全体に薄暗くはあるが、角度もおおむね同じ。恐らく、今グレイやユヅキが立っている場所から写された写真だろう。発見直後の現場も、足場の乱れはない。遺体の姿勢はユヅキのイメージ通りで、ちょっとくらっときて近場のものに手をつき、そのまま息絶えたといった風情で、折り畳まれた膝は地面についており、腰を曲げて、胸を室外器に預けるようにして倒れていた。イヌ科の混血mixだろうか。力無く投げ出された尾は比較的短く、全体に黒くて長めの毛を纏っており、尾の先だけが僅かに白い。外傷は、ないのだろう。確かに流血はない。しかし、死因は失血死。本来であれば、その死因そのものに疑問を抱くようなシチュエーションだが、今回に限っては。その見立ては間違いなく、真だと言えた。
 「……まんま吸血鬼伝説ですね。フェアリーテイルじゃ可愛すぎる」
 形容するなら。ストローを突き刺して中身が空になるまで吸い上げられた、その後。パウチのゼリー飲料のゴミとか、紙パックジュースのひしゃげたのとか、そういうイメージ。真っ赤なワンピースから覗く脚も腕も、枯れ枝のようにかさついて、骨の形がはっきりと見てとれた。首筋は健や骨が浮いて痛々しく、首を捻る形でこちらを向いた顔面は、頬や眼窩が落ちくぼみ、頭蓋骨に皮膚一枚被せたような不気味さだった。先程ジャックが“若い”女性とわざわざ言った意味が、ようやく理解できた。若いのか、年寄りなのか。乾燥した肌と骨が浮くほど痩せぎすの身体からは、一見して判別することはできなかった。
 「体内の血液が干上がってるって話だ。原因は不明」
 「……殺し?」
 「それも今はなんとも言えない」
 肩を竦めたジャックに、だろうなと応じ、グレイはカメラを彼に差し出して続けた。
 「でも、他殺でないとも言い切れない。そこで俺たちの出番、って訳だ」
 「……何か分かったら連絡するよ」
 カメラを受け取ったジャックが言い、宜しくと応じたグレイはすぐにくるりと身を翻した。
 「戻る」
 「もういいんですか?」
 「ここはもう手が足りてる」
 一応訊ねはしたが、確かに。ここで這いずり回っても得られる情報は少ないだろうし、情報収集は彼らに任せた方が得策だ。被害者に通ずる手がかりも、仮にいるとするならば、犯人に通ずる手がかりも、今この場には何もない。だとすれば、自分達がここにいる必要は、もうなかった。
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