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①オビツキ村
エピローグ
しおりを挟む要石を囲う慎ましい柵の前に、一人佇む女性の姿がある。
ぼんやりと木々の間から覗く疎らな青空を見詰めながら、女性は時折どこか寂し気に「はっ」と息を吐いて薄っすら赤くなった頬をマフラーの内に埋めた。
「こんにちは」
つい女性のことが気になって声を掛けてみる。
「こんにちは。寒いですね」
上空からこちらに視線を移した女性は微笑を浮かべて少し愉快そうに挨拶を返した。
その笑顔を見ていると何だかこちらまで嬉しくなって、自然と頬が緩んだ。
「雪が降ってきました」
柵向こうの要石を見学する振りをして女性に近づいた直後、ふわふわと頼りない雪が木々の枝を縫って降りてきた。
「もう三月なのに……綺麗ですね」
上空で常に吹き続ける海風によってそれらの大半は地上に辿り着く前に消えてしまう。
辿り着いたところで地に触れた途端に溶けてなくなるほど淡く儚い結晶たち。
しかしどれも美しい。
「空は晴れてるのに、なんか珍しくないですか?」
「ええ、本当ですね――ふふ。こういう天気、狸の婿入りって言うらしいですよ」
彼女は頬を綻ばせ両手で空を仰いだ。
その拍子に手の平に落ちた小さな粒をじっと溶けるまで愛でていた。
「狐じゃなくて、ですか?」
「はい。嫁でもありません」
彼女のいたずらな笑顔を見ていると、じわりと胸が熱くなるのを感じた。
「あ、こんな所にいた! おーい、タッキー!」
話したいことが次から次へと頭の中でグルグル回り続ける最中、隣の彼女に向けているらしい声が参道の方から上がった。
「じゃ、体に気を付けてね。バイバイ!」
「はい! お姉さんも!」
友人らしき女性たちと合流した彼女はこちらに手を振り本殿に続く参道へと折れていった。
あとに残された言い様のない寂しさを紛らせるように、制服の内ポケットから手帳サイズの日記帳をまさぐり出し再度記された内容を確認する。
「こんにちは」
「――うわっ、びっくりした!」
背後から唐突に掛けられた声に反応できずにいた僕の眼前に、かなりの至近距離から声の主が現れた。
切れ長の目、風に揺れる豊かな緑の黒髪。
タイトスカートから伸びる低デニールに包まれたしなやかな脚。
彼女こそが記録にある『時空お姉さん』で間違いない。
まだ冬の寒さが残るこの時期にコートもマフラーもせず、ましてや薄手のタイツでは酷く寒かろう。
などと気遣う熱い視線を薄っすら肌が浮かび上がる脚部の方へと差し向ける。
「一応お聞きしますが、本当に記憶がないんですよね?」
「……あ、はい。まったくありません」
お姉さんはいつまでも脚部との対話をやめようとしない僕の顔を両手でそっと挟み込み、視点を正面に矯正させた。
それからしばらくの間、僕はお姉さんから一つの幽体としてのルールや心掛けについて聞かされた。
お姉さんから説明される幽体としての常識はどれも〈メモ〉や『記録』に載る事柄と重なることばかりだが、丁寧かつ根気強く優しい口調で語りかける彼女の言葉の一つ一つが自然と胸の奥に染み込んでいくのが感じられた。
「――ですから、悠さんは残り二回の忠告を受けると……ちゃんと聞いてますか?」
「はい! ありがとうございます!」
突然発せられた威勢の良い返事に思わずお姉さんが吹き出した。
ああ、今なら以前の僕が彼女たちを本当に好いていた理由が分かる気がする。
現に今、僕はお姉さんのことが好きで好きでたまらないのだから。
きっとまだ出会っていない人々も好きになる。
他でもない僕自身が熱心に書き綴った面々を嫌いになれる理由がない。
そうでなくとも、一度「死」を経験した僕は数え切れないほど多くの同志が生死を問わず存在していることを知っている。
要石の上に淡雪がそっと、落ちたそばから消えていく。
溶けた雪は水滴となり、やがて地に流れ空へと還っていく。
水が様を変え世界を駆け巡るように、人もまた同様に様を変え世界を巡り続ける。
様を変えた僕が次なる世界で一体何を知るのか。考えただけで楽しみでならない。
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