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①オビツキ村
17話 地下牢
しおりを挟む「これだけの穴を掘るのにどれほど掛かったのでしょう」
「ノミやツルハシで削ったような跡を見る限り、十年は下らないだろう。仮に何かを隠すために掘られたのだとすれば更に少数の人員で掘り進めたことになる」
秘密を共有する者は少ない方がいい。それにただでさえ狭い横穴にいくら人員を割いてもあまり意味がない。いくら採掘技術が発展した村とはいえ、一〇〇メートルは越えるかという穴を穿つには相当の年月を要したことは想像に難くない。
最奥部に到達した二人は先と同様に開けた空間をライトで照らして回る。
しかし先とは違い、横穴を通った時よりも獣臭が濃くなったことを警戒し探り方もより慎重になった。むせ返りそうなほど空間に充満した「臭い」は常に「何か得体の知れない存在が傍にいる」かのように錯覚させた。
「……!?」
壁伝いにライトを照らしていた多嬉ちゃんが不意に立ち止まった。
光を辿って見てみれば、壁の一角には古びた鉄格子がはまっていた。格子の幅は粗く、小さな子供であれば難なく通れてしまうほどだった。錆び切った扉には当然のように厳つい南京錠が掛けられている。
そこに座すものの存在を認知した途端、僕は本能的にそれを見ることを拒絶した。耳鳴りを通り過ぎてから数秒もの間、僕の視界からその空間だけがぽっかりと抉り取られていた。
「……耕太さん……」
ようやく言葉を絞り出した彼女はその異様な光景をありのまま彼に伝えようとした。だがどうあってもソレは僕らの知る世界のものではなく、形容するのも躊躇われた。
全身が黒く長い毛で覆われたソレは三メートルは裕に越えるかという巨体を抱え込み、じっとこちらを凝視していた。
頭部と思われる個所に大きく縦に割けた口を物言いたげに開き絶えず呼気を発す。口を中心にしてやけに離れたいくつかの目玉が不気味に動き、しかし確実に僕らを捉えている。全身から漏れ出す臭気はやがて麻痺した僕らの嗅覚によって芳香に変わり、紡ぐことはないかと思われた言葉は自ずと僕らの神経を伝って明らかとなった。
「――腕を返さないと!」
「おい、待て! いったいどうしたんだ!?」
叫びと共に唐突に走り出した彼女を寸でのところで彼が抑える。
どういう訳かは分からないが、僕にも彼女が「そうしなければならなかった」理由が理解できた。だがどうやら平静を保っているらしい彼にはそれが分からず、頻りに腕を振り解こうと藻掻き続ける彼女の行動が理解できなかった。
ソレの言い分は概ねこうだ。
『腕を返せ。さもなければ無数の同胞たちがお前たちを許さない。身を裂くだけでは飽き足らず、神々に祈りお前たちを永遠に呪い殺すだろう』
言葉にならないそれらの信号は夢中において自明となる真理のような明確さでイメージと共に伝えられた。途切れ途切れのイメージの中で、ソレに酷似した「同胞たち」は人々の肉を割いては深い闇に紛れ、古の時から祈り奉る神々にそれらを捧げている。
だが同時に、ソレらが奉る神々の大半はその行為に対し怒りを露わにしてもいる。
多嬉ちゃんは蔵で見た腕の一つをソレに返そうとしたのだ。返すことによって少なくともソレらが僕らを襲うことはない。
在るべきものは在るべき場所へ。ソレは欠いた一部を補うことで、すぐさまここを去るだけの力を取り戻す。
それと、『絶対にその人間を近付けてはならない』。ソレは表面上では何でもない風を装ってはいるが、イメージの奥深くでは酷く耕太さんを恐れていた。
どうやらその感覚は僕らがソレを本能的に恐れる感覚に似ている。
「落ち着いたか?」
「……はい、もう大丈夫です。いずれにしても彼には腕を返すべきかと」
「『腕』というのは蔵の箱にあったものか? 何故奴に返す必要があるんだ?」
どうやら本当にソレが発する信号のようなものを理解できていない、もしくは受信できていないらしい耕太さんに彼女はソレから受け取ったメッセージをできる限り伝えた。話を聞いた彼は納得がいった様子で頷き不用意に鉄格子へと近付いた。
ガタガタガタッ!
「お前がどういう理由でここに入ったかは知らん。だが、俺たちに危害を加えるようなことがあったら承知しないぞエテ公」
「――シューッ、ヒュッ……シュー……」
鉄格子が九の字に曲がるほど大きく揺らした彼は中にいるソレに向かって威圧的に言った。
ソレにとっては狭すぎる檻において巨体は更に縮こまった。ヘビが威嚇の際に発するような呼気も、その様子からしてヒトが極度の緊張の際に過呼吸に陥る様に似ていた。
ソレの監視役として耕太さんを残し、多嬉ちゃんは元来た横穴を往復して腕が入れられていた箱ごと檻の前に運んだ。その間耕太さんの持つライトの僅かな光を頼りに檻の中を観察してみたところ、鉄格子の四隅と岩を穿った内部に籠目模様が描かれた無数の札があった。鉄格子に貼られた四枚は比較的新しく、定期的に張り替えられていることが窺える。御櫃家が封印、もしくは使役している『物の怪』は檻のソレと見て間違いない。
では、野放しになっていたアレはいったい何なのだろうか。
「耕太さん、すみませんがこの腕を彼に渡していただけませんか? 彼の影響を受けていない耕太さんなら、ある程度の耐性があるんじゃないかって……」
「気にするな。俺もバケモノだってことをさっき自覚したばかりだ」
彼女の手にある箱から毛むくじゃらの腕が放られる。
鈍い音を立てて地面に転がった腕はソレが手を伸ばせばいつでも拾える位置にある。しかし、ソレは耕太さんのことを凝視したままいつまで経っても拾おうとしない。
拾い上げる瞬間、その隙を狙って殺されるかもしれない。ソレが抱いているであろうそんな危惧がイメージとして僕らにも伝わってきた。
「あの、耕太さ――」
「早くしろエテ公! さっさと村から出て行け!」
――ガンッ、ガシャッ! ドドドドドドドドドッ……ガリガリッ……!
彼の怒声に飛び跳ねて動き出したソレは腕を抱えたまま形振り構わず鉄格子に体当たりして突き破り、狭い横穴に身をねじ込み時折外壁を崩しながら外を目指していった。
「これで『儀式』を阻止できるでしょうか」
「……いや、儀式はすでに始まっている。まぁ多少の邪魔はできただろうがな」
彼はソレが居座っていた場所に残された無数の骨を見詰めたまま沈んだ口調で言った。骨は明らかにヒトのものであったり、奇妙にねじ曲がったりしたものもあった。
二人は物の怪が通った後の横穴を戻った。
途中見た空井戸に続く縦穴は見事に粉砕され、封じられていた蓋が吹き飛んだおかげで夜空の星がいくつか遠くに見えた。
蔵に通じる縦穴を登り切る頃には時刻は四時を回ろうとしていた。
「まずいな。もうすぐ清代さんが起き出す頃だ」
「大丈夫じゃないですかね。一応黙認されているわけですし」
「そういうわけにもいかんだろ。仮にそれを置いても宗孝さんに見つかるのは避けたい」
「恐らくそれも大丈夫なんじゃないかと思います――」
何らかの儀式を交わした二人、宗孝さんと耕太さんの父耕之助さんは例の医師によってどこかに隔離されているのではないか。
引間邸にはすでに耕之助さんがいないことは分かっている。誰にも知らせず忽然と姿を消したことからして「失踪」。耕之助さんの手記からは、耕之助さん自身が儀式に対して「受け身」であることが読み取れる。
ならば「主体」となるのは勿論もう一方の宗孝さんになるわけだが、如何せん彼の精神はボロボロであり他者と意思疎通をはかるのも困難な状態にある。
そこで暈原医師が仲介し儀式を執り行うわけだ。儀式を成功させるには「誰にも邪魔されない状況」、「人目につかない場所」が好ましい。
よって、訳の分からない因習に否定的な清代さんがいる御櫃邸は儀式に相応しくない。
「昨日の清代さんと医師のやり取りから見ると納得がいきます。清代さんは『呪い』といった言葉を選んでいましたし、医師はそんな清代さんのことを『迷信深い女』と言っていました……。なんだか思い出したらイライラしてきました」
「少し休むか?」
「いえ、冗談です。しかし今更気付いたんですが、彼らの『儀式』には麗奈さんが関わっているんじゃないでしょうか」
「何故だ? 手記には引間家が生き残るために儀式の『分け前』が必要だと書かれている。当然村の発展を願うのだろう。麗奈さんが関わっている理由が分からない」
「先ず儀式の目的が一つとは限りません。確かに宗孝さんは村の長的存在ですが、麗奈さんを亡くした後の憔悴具合を考慮すると村を必ずしも第一に取るとは思えないんです」
「……そうか。沙智の枕元に立ったあの少女、どこか麗奈さんの面影があった。目の前であれだけの怪異を見せられては理屈など言っている場合ではないな。儀式による影響と考えた方が筋が通る」
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