ノスタルジック;メトリー ①帯付く村

臂りき

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①オビツキ村

15話 石蔵

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 懐中電灯を拾った彼女を先頭に足音を忍ばせながら、名目上の侵入者を演じつつ廊下を進む。
 しかし清代さんから黙認されはしたものの、帰宅しているかもしれない麗子さんや書斎横の寝室にいるらしい旦那さんに見つかるのはバツが悪い。安らかに眠っている沙智ちゃんを起こさないためにも慎重であるに越したことはない。

 スッ――

「!?」

「……お姉ちゃん……?」
 納戸まで続く長い廊下に差し掛かった直後、突然襖が開き寝間着姿の沙智ちゃんが現れた。間違いなく懐中電灯の光は見えていただろうが、咄嗟に手水場に身を引いてしまった彼女はどう切り出すか迷った。

「――はい、ムネタカさん。ただいま参ります……」

 するといつの間にか廊下を歩み始めた沙智ちゃんがうわ言のように呟き、手水場に隠れた二人を横目にしたままふらふらと奥の書斎へと向かった。

「止めないと……!」
「いや、待て」

 ゴンッ、トサッ……

 書斎の扉に阻まれた沙智ちゃんは軽く額をぶつけ、ズルズルと扉を伝い静かに床へと沈んだ。
 物音を聞きつけ使用人部屋から清代さんが飛んでくるかと思われたが、様子見で十秒待っても一向に現れないのを見計らい彼女は急いで沙智ちゃんを抱いて書斎を後にした。

『――あらあら、今日の猫さんはずいぶんとお元気ですこと』
「……ふふ」

 使用人部屋を過ぎた辺りで再び清代さんが呟いた。
 宗孝さんが清代さんへ送るノック音にはパターンがあったはずだ。沙智ちゃんが額をぶつけた音はそのどれにも当てはまらない。故に清代さんの判断で「どこからか忍び込んだ猫が偶然書斎の扉にぶつかった」と処理することも可能という訳だ。今宵の清代さんは全面的に僕らに協力すると決めたらしく、昼間の調子とは打って変わった声色に思わず彼女も笑みを零した。

 一先ず目的の納戸を後に回し、彼女の胸で小さな寝息を立てる沙智ちゃんを部屋まで送り届けることにする。

 沙智ちゃんの隣室にあたる麗子さんの部屋にはまったく音はなく、彼女らが沙智ちゃんの部屋に入った後に中を確認してみたがやはり誰もいなかった。
 恐らく麗子さんは普段から社務所裏にある平屋の方で生活しているのだろう。御櫃家にある彼女の部屋にはまるで物という物がなく飾り気もない。勉強机と椅子、ベッドが一台あるばかりで、一面に剥き出た柱や土壁も相まってどこか独房のような空間を想起させた。

 半開きになった扉を開き中に入ると、ちょうど彼女が沙智ちゃんをベッドに横たえたところだった。
 額をそっと撫で立ち上がりかけた刹那、不自然に彼女の動きが止まる。

「……」

 一歩引いた位置から見守っていた耕太さんも彼女と同様、沙智ちゃんの枕元を凝視したまま立ち尽くした。

 白昼に見た光景が思い出される。
 初めて目にしたとき、それは不確かな「白」を目の端に移す程度に終わったが、今は確かに小さな像が浮かんで見える。透き通った白い裸体に薄い衣を羽織り、少女はじっと立ったまま二人の様子を見ていた。
 見れば見るほど沙智ちゃんによく似た少女の表情からは一切の感情が読み取れず、見る者すべてを瞳の奥に続く闇の渦へと取り込んでしまいそうに思えた。

 永遠に続くかと思われた遭遇は次の瞬間には終わり、後にはあの白い蝉衣の裾が尾を引くのが目の端に映った。僕に遅れて我に返った二人は共に剥き出た肌に汗を流し、無言のままに見つめ合い、やがて意味もなく一つだけ頷き合った。

「あれは……いや、あれが清代さんが言っていた御櫃家の『呪い』なのか……?」
「分かりません……でも、何となくですが、あの少女は悪いもののようには見えませんでした。ちょっと光ってましたし……」
「……え?」

 何をするでもなく安らかに眠る沙智ちゃんの寝顔を呆然と眺めていた二人はしばらくして正気を取り戻し、ほどなくして部屋を後にした。

 昼間見た納戸の扉には金属製の閂に南京錠が掛けられていた。しかし、今では示し合わせたかのように観音開きの取っ手だけとなった扉がそこにある。
 これについても清代さんの計らいと思いたいところだが、いずれにしてもこのな扉の先を確かめないことには他に動きようがない。
 外から見た納戸の壁が取って付けたように古めかしい蔵とつながっていたのも気になるところだ。

 一尋はある木製の扉を二人で同時に両開きにする。すると、二メートルほどの空間を挟んですぐにまた金属製の扉が行く手を阻んだ。緑青の浮いた古めかしい扉は漆喰壁にきっちりと納められている。納戸から扉までをつなぐ短い壁の継ぎ目は漆喰のものと比べて新しく、やはり納戸から母屋の先が「蔵」を囲うようにして後付けされたことが見て取れる。

「――びくともしません」
「代わってくれ。少し離れていた方がいいかもしれない」

 ガチャンッ、ガッ――ギギギギギギ……

 鈍い音を立てて開いた扉から一気に中にこもった埃臭い空気が流れ出てくる。
 蔵の内部をぐるりと明かりで照らしてみると、壁伝いに配置された棚に所狭しと箱や布に納められた品々が置かれていた。内部は思っていた以上に広く、二階に掛けるであろう急な階段が端の方に追いやられている。

「手分けして目ぼしいものを探しましょう。全部見ていたら日がいくらあっても足りません」
「しかしこれだけ物が多いとどれから見たものか」
「そうですね……御櫃家や『儀式』に関する文献があればいいんですけど。できればアレとは別のバケモノに関する書物とか」
「とにかく書物を漁ればいいんだな」

 多嬉ちゃんは清代さんが置いていった懐中電灯を耕太さんに渡し、リュックから取り出したタクティカルライトで耕太さんとは逆側から物色に取り掛かった。

 ざっと二十畳はある蔵に置かれた大半の物が箱に納められている。初めの小一時間、一々開けて閉じて元の位置に戻すことを繰り返していた二人はやがて中身を確認し次第閉じてすぐ床に積むようになった。それでも棚一つを見終えることはできず、棚三つを見る頃には夜明けとなるのは必至だった。

「耕太さん、ちょっといいですか?」
「なにか見つかったのか」
「いいえ。ふと思ったんですが、『儀式』そのものを壊してしまえばすべて解決しませんかね」
「……俺もそのことを『彼ら』に相談したことがあった。そもそも事件に巻き込まれるであろう者たちを儀式から遠ざければ良いのではないかと。だが、彼らはただ『無意味だ』と言った」
「どうしてですか? わざわざ悪影響があると分かっている怪し気な儀式に関わる必要なんてないじゃないですか」
「そこなんだが、俺たちは何か忘れていることがあるんじゃないか?」

 多嬉ちゃんは彼の言葉に首を捻りながら、いつの間にかポケットに忍ばせていたトンボ玉を片手でまさぐった。
 ポケットの中には確かにひんやりとしたガラスの玉がある。しかしそのトンボ玉でさえ元々村の一部であり、感触はあれども実体があるかは定かでない。

「ここは『幻』でしたね」
「ああ。たとえ幻の中で事を為したところで何も変わらない。行方不明になった者たちを儀式から遠ざけたところで、現実での彼らはすでにこの世を去っている。
 であるならば、現実にあった日と同様に儀式を遂行させ、事の『真相を知る』ことの方が有意義だろう。せめて遺体の場所でも分かれば供養もしてやれる。
 それに『彼ら』はこうも言っていた――『儀式はすでに始まっている。中断すれば他にどんな影響があるか分からない』と」

 儀式によっては中断された際の対策も含まれている可能性がある。下手に手を出して害を被ってしまっては面白くない。よって彼の言う通り事件の真相を知るために傍観を決め込むのも一つの手ではある。
 が、どうにも「何も変わらない」と言った点については疑問が残る。耕太さんの話では、沙智ちゃんは何らかの儀式が原因で過去の記憶をなくし、まるで別人のようになったという。現実にいる沙智ちゃんは今でもお祭りやそれ以前の記憶を取り戻そうと動き続けている。更に言うと、この村の不可解な現象、これについては今回を含め少なくとも二回は同じ時間をループしている。
 もしかすると耕太さんが気付かない内にもう数え切れないほど同じ現象が繰り返されてきたかもしれない。

『儀式はすでに始まっている』

 そもそもこの村自体がすでに儀式の内に組み込まれ、同じ時を繰り返していると解釈することもできる。ならば、現実の沙智ちゃんが喪失した記憶を他者の過去にはたらきかけることによって少しずつ取り戻せているように、繰り返し続ける過去から現在にはたらきかけることができないと決め付けるのは早計である。
 夢や幻、記憶や意識において時間軸とは一つの指標でしかない。

「きっと、みんなを助けましょうね」
 幻であっても今ここに立っているからこそ何かが変わることを知っている。だから彼女はどんな逆境にあっても状況を楽観することができる。夢であろうと現実であろうと、彼女は相変わらずその状況を楽しむだろう。「生」とは即ち斯くあるべきであり、僕はそんな彼女に全力で付いていくだけである。

「……好きにしてみろ。だが、先ずは目の前のこれをどうするかだ」
「それなんですけど、見ていて何となく気付いたことがあります」

 言って多嬉ちゃんは手近の棚から三つだけ荷物を下ろしてみせた。

「この蔵にある物の多くは木箱、段ボール、金属製の箱に入れて棚に納められています。他には布に包まれた物やそのままの状態で置かれている物もありましたが、どれも一般的に見られるような調度品ばかりで、私たちにとって目ぼしい物とは言い難いものばかりでした――もっとも、かなりお値段は張りそうですが」

 加えて段ボールに入っている物は日用品が多く、最も出入りが激しいことから棚の中でも取り出しやすい中段の手前に配置されている。これも除外してよさそうだ。

「確かに、俺が見ていた方はほとんどが消耗品や何でもない置物ばかりだったな。箱に入っている物も大したことはなかった」
「……箱の中身については耕太さんの目が肥え過ぎていないことを祈りましょう。
 見て頂きたいのは金属製の丈夫な箱です。私が見た棚にはこの他に二つ、計三つがありましたが、どれも小さな鍵が掛けられているようでした。見たところさほど複雑な造りではないようですが、変に開けると中身が爆発してしまう可能性があります」
「爆発……?」
「いえ、貴重品のことを考慮すると毒ガスとかの方が現実的かもしれませんが、念には念を入れておきましょう。それで、ここ……ここをよく見てください」

 彼女はライトの光を強め、彼が近づくのを見計らい床に置かれた箱の一部を照らして見せた。

「――ドカーン!!」
「……どうした?」
「何でもありません。この紋章、消えかかってはいますが、恐らく籠目模様、つまり御櫃家の家紋です。大事な物と見て問題ないと思います」

 およそ幅五〇センチ、奥行、高さが二〇センチ程度の金属製の黒い箱の上部にうっすらと金色の六芒星が見える。背中側は蝶番でつながっており、表には彫金細工が施された小さな鍵穴が一つある。

「開くのは一先ず後回しにして、家紋の付いた箱探しに専念しませんか?」
「それがいい。まとめて外に持ち出した後じっくり破壊するとしよう」

 多嬉ちゃんの提案通り、蔵の棚を隈なく探す方法から家紋付きの金属製の箱を探す方法に切り替えたことにより作業効率は飛躍的に上がった。
 開始から二時間経過した段階で二人合わせて約三分の一ほどの棚を見終えたとき、不意に耕太さんから声が上がった。
 この時点で家紋付きの箱は先の物と合わせて十個にまでなっていた。

「他のとは様子の違う物が出てきた。今までにない形状だ」
 一抱えもある大きな箱状の物が床に置かれる。丁寧に箱を包んでいた濃紫色の風呂敷をめくると、中にはおよそ幅、奥行八〇センチ、高さ四〇センチほどの葛籠があった。

「葛籠ですか……しかも籠目模様の。模様の数もそうですが、年季の入り具合も際立って見えますね」

 葛籠はすべて籠目模様に編まれている。つまり、これまで見た金属製の箱に印された家紋とは比較にならないほど多くの籠目に囲まれている。かなり手入れはされているようだが、外装にあたる蓋の劣化具合から見て年代物であることは間違いないようだ。

「耕太さんは何故この籠目模様が御櫃家の家紋とされているかご存知ですか」
「いや、知らないな。御櫃家がオビツキ様を撃退した巫女の家系であることと何か関係があるのか?」
「はい、恐らくあると思います。麗子さんも知らないことなのでこれは憶測に過ぎませんが、御櫃家は魔を祓う、あるいは封じる役目を持っているのではないでしょうか。その『魔』が私たちの知るバケモノである場合、誰彼構わず襲ってくるアレは祓う対象と言えます。また、耕太さんのお父様の手記によれば、他に存在するかもしれない『物の怪』は御櫃家や村に何らかの利益をもたらす存在です。
 しかし耕太さんに力を与えた『彼ら』が言うには『人の手には負えない』存在でもあります。よってこちらは『封じる』対象でしょう。そのどちらも担ってきた可能性も考えられます」

「……何となくだが、この葛籠がヤバい物だということは分かった」
「恐らく、他の箱と比較にならないほどに。心して開けましょう」

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