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①オビツキ村

12話 引間家

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 「青年」引間耕太ひきまこうたは二十年前までこの村で暮らしていた。
 生まれてこの方村から出たこともなかった彼が家族に勘当を言い渡されるまでに至った理由があった。それは『御櫃沙智を村の因習から解放すること』。

 古くから御櫃家と共に栄えてきた引間家だが、信仰により実質的に村の実権を握る御櫃家の傍らで農業や採掘業を中心に取り仕切っていた引間家は、主要産業である採掘事業の低迷に伴い村人からの信用を失っていた。
 その折りに持ち上がったのが御櫃麗子との婚姻の話だった。失墜した引間家を引き入れることが御櫃家にどのような利点があるかは不明だが、如何ともしがたい引間家にとっては願ってもない申し出だった。

「家の復興ばかりに気を取られた父は何としても俺を婿入りさせようと躍起になった。だが俺にはどうしても御櫃家に裏があるように思えてしまい、幾度も足踏みしていた」
「どうしてですか? いい人じゃないですか、麗子さん」
「その麗子から聞かされたことが原因と言っていい。聞かされた後に身をくらませた俺はしばらく父と御櫃家とのやり取りに探りを入れていた。思いの外厳重な交信だったせいか詳細までは分からなかったが、一つだけ確かなことが明らかになった」

 『祭りの夜、御櫃沙智は何らかの儀式の犠牲となる』。
 信じ難い話ではあるが、引間耕太は今の状態の村に来たのは二度目であり、お祭りの翌朝、神社本殿前には呆然自失の沙智ちゃんが一人立っていたらしい。朝日が昇る頃にはそれまでのことが幻となり、辺りには廃墟と化した神社や家屋の残骸だけが草木の間に残されていたという。

 二十年前の事件直後、行方不明となった御櫃宗孝、麗子、耕太さんの父耕之助こうのすけ勝呂雅樹すぐろまさきの捜索が行われ、三日後、当時彼らが着ていたと思われる衣服と遺体の一部のみが山中の小屋から見つかった。
 だが、彼は「幻」の中で遺品が見つかったとされる山小屋はおろか、祭事中でさえ行方不明となった彼らを見つけることは叶わなかった。

 話が長引くと見た彼は一度引間家に寄ることを彼女に提案した。
 未だ彼が信用に足る人物かは分からない。しかし今のところ彼以上にこの村の現状を把握している者がいないことも事実。
 二つ返事で提案に乗った僕らは勝呂さんを飲み込んだ暗闇のトンネルを後にし、耕太さんに従って小学校まで続く道を歩く。

 時刻は二十一時を回ろうかということもあり、やたらと周囲を気にする多嬉ちゃんに、彼はバケモノの習性について話して落ち着かせた。
 多面多臂のアレは深夜零時を過ぎた頃、思い出したかのように森の奥からやってくる。あれだけの巨体を日中どこに隠しているかは不明だが、およそ神社下の辺りから出現することが確認されている。
 光と音に敏感で、より強く大きな方を優先して接近する。はっきりと物を分別しているかは不明。虫や獣であろうと、捕らえ次第に口の中へと入れる。そのため虫はアレが現れるなり鳴くのをやめ、獣たちは総じて息を潜める。

 小学校前の坂を手前にして躊躇いなく雑木林を進み石塀に突き当たったところで、彼からそこが引間家であることを知らされる。
 表の通りより少し奥まった場所に位置するここは一帯が雑草や背の低い木々に覆われているものの、御櫃邸に負けず劣らず広大な敷地を有している。

 鍵のかかっていない裏の勝手口から入り居間へと通される。広さは申し分ないが、長いこと外気が乏しかったからなのか妙に埃臭いような息苦しさを感じさせた。
 元より客をもてなす用意など整っておらず、彼は卓上に置かれた蛍光灯のランタンを点け話を続けた。

「結局、警察は『自殺』で事件を処理した。以前から精神的に参っていたとの村人の証言があったことに加え、小屋に残されていたのが衣服や僅かな爪と毛髪だったからだ。遺体は山中のどこを探しても見つからなかった」
「お悔やみ申し上げます……でも沙智ちゃんは助かったんですよね?」
「……あれが助かったと言えるかどうか――。事件当時に比べれば意思もはっきりしているが、どういう訳か、それ以前の沙智としての記憶が失われている。それに言動も沙智とはまるで違っていた」
「……もしかして、麗奈さんに似てたりしていませんでしたか?」
「麗奈さん……? そうか、洗脳まがいのことをされていた話を聞いたんだな。
いや、なにぶん彼女には数えるほどしか会っていないし、幼い頃に会ったくらいで、好みや仕草などほとんど覚えていない。
 ただ言えるのは、他人を模している風ではないということだ――つまり、まったくの別人だ。事件直後はまるで何も知らない赤子のような状態だった」

 事件後、身寄りのなくなった沙智ちゃんは児童養護施設に入所し、十八を迎えた年に卒業し「今」に至っている。耕太さんは時折施設まで沙智ちゃんの様子を見に行っており、彼女の高校卒業にも立ち会った。しかし沙智ちゃんが地元の会社に就職してから十年近くの間に電話での通話以外に会って話すことはなかったという。

「心配なんですよね? なぜ会わないんですか?」
「何度か会おうと試みたことはあった。だが、すべて仕事を理由に断られた。なんでも各地を『営業』して回っているらしい。それなりに元気そうな姿を見掛けることもあったから、さほど心配はしていなかった……つい二年前まではな」
「……それは『祭りの夜の儀式』と何か関係があるんでしょうか」
「関係している、とは断定できない。しかしあの夜に関係していることは間違いないだろう。
 俺はこの村が廃村となった後も自分なりに行方不明事件について調べ続けていた。その際、二年前に偶然見つけた『沙智の奇妙な行動』、『父が残した手記』、『御櫃家に出入りしていた医師』が行方不明事件の大きな手掛かりになると確信した」

 事件当時の村に住んでいた村人を一人ひとり訪ね回っていた耕太さんは御櫃家の使用人であった清代さんを訪ねた際、彼女の口からすぐに沙智ちゃんの話題が出てきたことを不審に思った。
 唯一の家族を失ったショックから次第に認知症を患い高齢者施設に身を置く彼女の元には、すでに沙智ちゃんが訪れていたのだ。幼い頃の育て親とも言える彼女を訪ねるのはごく普通のことだが、その内容というのが『記憶を失った直前の詳細を求めるもの』だった。
 それについては彼も望むところであり、麗奈さんの他界に伴い宗孝さんが病んでしまったことや、御櫃邸で起きていた怪異についても聞かされた。

 では、なぜその頃になって沙智ちゃんは情報を集め始めたのだろうか。大人になってから不意に思い立つ自分探しのようなものだろうか。

「沙智と一度村についての情報共有をはかろうと思い、その頃には何故沙智が俺と会うのを嫌うかを知っていた俺は不本意ではあるが沙智の後を付けてみた。
 するとどういう訳か、この山の麓からそう遠くない市街地に通っていることが分かった」
「昼間に沙智ちゃんを付けていたのも耕太さんですよね」
「ああ、そうだ。まぁ、あれだ……そんなに警戒しないでくれ。
 沙智が俺を嫌う、いや、警戒するのは、麗子との破断を理由に俺が村を飛び出したことを快く思わなかった元村人が入れ知恵したせいらしい。この村にいる小さな沙智にとっては『ただのオッサン』だろうけどな」

 耕太さんが「小さな沙智ちゃん」や他の村人と接触しない理由は、向こうの空間に戻れた際に何らかの矛盾やそれに伴う弊害が生じる恐れがあるためだという。いわゆるタイムパラドックスというやつだ。その点で言うと初来訪である僕らは事件に迫るにはどこか有利であるかのように思える。

「沙智ちゃんは街で何をしていたんですか? まさか観光ではないですよね」
「観光できるほど大層なものはない。どこにでもあるようなただの田舎町だ。沙智はその住宅街にある古いマンションの一室に通っていた」

 住人について調べてみると驚愕の事実が判明した。
 あの夜以来行方不明になったとばかり思われていた勝呂雅樹さんが平然と居を構えていたのだった。早速沙智ちゃんが帰るのを見計らい一室を訪ね、本人から事情を聴く内に興味深い言葉が幾つか浮き上がってきた。

「勝呂さんは清代さんと同様に認知症を患っていたが、日常生活をする上で不便をすることはなさそうだった。しかし、いざ俺の素性や村のことについて話題に出すなり彼は急に黙り込んでしまい、終いには娘さんの名前を叫びながら軽い錯乱状態になってしまった。
 埒が明かないと思いその場は後にしたが、どうしても諦め切れず、しばらく町に滞在して他の情報を集めつつ彼から話を聞く機会を窺った……。
 勝呂さんは二年前まで市街地を回るバスの運転手をしていたんだが、ある日そのバスに乗り合わせた俺は初めてこの『歪んだ村』に辿り着いた」

「古くから村に根付いた家系である勝呂さんと耕太さんが『村』につながる鍵となった訳ですね。でもバスにいた他の乗客はどうなったんですか?」
「偶然なのか、その時も山に入る頃には俺だけになっていた。戸惑ってばかりでろくに情報を得られなかった前回を踏まえて、その後二年を準備に費やした。同じ日、同じような気候条件、同じバス、同じ二人を用意したことで再び俺はこの村に戻った。ただ前回と違うのは最後までバスに君が残っていたことだ」

 彼は勝呂さんが二年前まで運転手をしていたと言った。ならば僕らが出発した「今」はどうかと問えば、今は会社を退職し静かに年金暮らしをしているとのことだった。
 そんな勝呂さんに彼は「葵さんに会える」とうそぶき、バス会社の事務所から奪った鍵を握らせ車庫を抜け町を出てきたらしい。
 先程トンネルに消えたのは僕らと共にあちら側からやってきた勝呂さんで、こちら側の勝呂さんはすでに失踪していた。つまり、行方不明事件においてお祭りの夜に失踪したのは三人ということになる。

「前回同様、停留所に乗客がいれば止まるよう指示した。やはり山中に入る頃には俺だけとなったかと思えば、まだ君が残っていた。周辺に変化がなければ無理にでも君をバスから降ろそうかと考えている内、不意に辺りが暗くなり『成功』を確信した。町に帰れば『バスジャック』のお尋ね者だ。引くことができない以上、ここで結果を出すより他はない」
「どうしてそこまで頑張れるんですか。すべて沙智ちゃんのためなんでしょうか?」
「……それもある。ただ俺は、それを理由にこの大嫌いな村の因習、いや、村に媚び続けた引間家との因縁を断ち切りたいと思っているだけかもしれない。
 そんな自分本位な都合に勝呂さんや、恐らく君まで巻き込もうとしているんだ。あるのだとしたら、俺は間違いなく地獄行きだろうな。いや、すでにここが地獄なのか……」

 耕太さんは震える体を抑えつけ自嘲気味に笑う。
 座卓が鈍く照り返す光に浮かんだ彼の顔や手の一部は火傷の跡のように爛れ、どことなく死人のように見えた。

「私は元より危険を承知の上で旅をしています。それより麗子さんのことはどう思っているんですか。話し振りから幼馴染のように聞こえたんですが、耕太さんにとって彼女とは『村の因習』で済ませてしまえるような存在なんですか」
「……いや。村がどうと言う以前に俺は初めて麗子に会ったときから気があった。しかし、彼女から御櫃家や沙智の話を聞く度に村や両家の言いなりになっているようで、次第に婚姻どころか彼女からも距離を置くようになってしまった」

「はっきり言ってください。耕太さんは麗子さんのことが今でも好きなんですか」

 彼女の口調は至って落ち着いている。冗談ですら真顔で言ってのけるいつも通りの多嬉ちゃんである。
 ただ此度の彼女はいつになく受け手に詰め寄った様子。今か今かと物理的にも即座の返答を期待している。
 これにはさすがの耕太さんもこれまで保ってきた堅苦しい表情を歪めて仰け反った。

「もしかしたら、現実の麗子さんはすでにいないかもしれません。でも今この村には確実に存在するんです。この際村や家々のしきたりなんてどうでもいいじゃないですか。『夢』の中でくらい、素直になったらどうなんですか。伝えなければきっと後悔しますよ」
「……木滝さんと言ったか。なるほど、君の言う通りだ。俺は村を出てから二十年近くもの間、この村でのことを後悔しなかった日は一度だってない。家のこともそうだが、何より俺のことを思ってくれた彼女に一言だって言えなかったことをずっと悔やんでいる……。ありがとう、ようやく目が覚めた気がするよ」

 顔を上げ真っ直ぐと多嬉ちゃんに向き直った彼の表情はどこか晴れやかで、外見通りに青年のような爽やかさを感じさせた。
 はっきりとした答えではないものの、概ね期待通りの反応を得た彼女は笑顔で彼の覚醒を祝福した。

「でも二十年って……失礼ですけど、耕太さんって今おいくつなんですか?」
「四十六になる。君に気付かせてもらうまで少し時間を掛け過ぎてしまったようだ」
「『好き』な気持ちに時間なんて関係ありませんよ。それにしても、てっきり私より少し上くらいかと思ってました。言われてみれば確かに麗子さんと同年代ですもんね」

 実年齢よりも若く見える者は多くいる。ただしいずれにしてもせいぜい十年くらいの差異であり、二十代の青年と五十手前の外見までの近似は稀と言える。どうしても時間の経過と共に肌のシワや僅かなシミとなって出てきてしまう。
 彼に至っては所々に火傷のような跡が見られる程度で他はまったく若者のそれと言っても遜色ない。

「やはりこの見た目は不自然だな。俺に力をくれた者との約束で詳細までは言えないが、これはその『お釣り』のようなものだ。
 先程伝えた『父が残した手記』から、この村にはどうやら君が遭遇した巨体以外にも厄介なバケモノが潜んでいることが分かった。俺はそのバケモノに対抗する手段として、とある場所に住む者たちから力を授かった。お陰で常人では考えられないほどの腕力を得たが、彼らの話によればいずれその副作用として全身の皮膚は爛れたように固くなり、言葉を発するのも困難になるそうだ」

 恐らく時折不随意的に体を震わせるのも、種族を違える過程で心身に何らかの影響があるためだろう。
 人とは異なる種族の「彼ら」は耕太さんが同種族となることを受け入れたが、その代償として目的を果たした暁には人としての生活を捨てることを要求した。
 とは言えそれは決して耕太さんの「屈辱」を彼らが望んだからではなく、静かな地下での暮らしを大切にする彼らの存在を公にしないようにとの苦肉の策だったという。

「これが例の手記だ。父が行方不明になったとされる祭りよりずっと前に書かれたものだが、このページで記載が途切れている。今すでにこの家に父の姿がないことからして、およそこの日付に近い段階で父はどこかに消えている。君はこれをどう見る」

 多嬉ちゃんは渡された二枚の紙をランタンに近付け目を凝らした。
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