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①オビツキ村

2話 平岡車庫

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「お嬢さん、お嬢さん!」

 もう何度目かになる運転手さんの呼び掛けによって彼女の目がうっすらと開いた。
 僕と同じ悪夢を見ていたのか、額にじんわりと汗を浮かべている。
「ここは……?」
 ゆっくりと辺りを見回した彼女はようやく夢の世界から戻り、周囲の異変に気付いた。

平岡ひらおか車庫。終点なんだけども」
「ごめんなさい! いますぐ降ります!」

 即座に荷物を抱え苦笑する運転手さんに急かされるようにして降車する。

 降り立ったバス停から見えるのは、元来た方と思われるトンネルとバス停の裏手にある大きな車庫、それから一車線の道が少し先の集落へと続く。
 集落を囲うようにして広がる鬱蒼とした森からは絶えず蝉の声が降り注いでいる。

 森へと傾いた日の具合から今は夕時と言ったところだ。
 異様な暑さに堪らず上着を脱いだ多嬉ちゃんは一先ず荷物を整理してからスマホの電波を確認する。
「電波無し」
 これまた嬉しそうに微笑んだ彼女は荷物を背負い、白Tシャツに黒のカーゴパンツ、バイクブーツといった出で立ちで次なる行動を思案した。

 ――現在時刻は二一時三六分。うん、時計もダメみたいだね。

 バイカーからバックパッカーへと瞬時に切り替えられる彼女の逞しさは心強いけれど、立派な膨らみがシャツに若干透けて見えることが気掛かりである。
 しかし、それほどまでに暑いということなのだろう。何せまだ三月だと言うのに蝉が鳴いているくらいなのだ。

「すみませーん!」
 ちょうど停車したバスまで駆け寄り運転手さんを捕まえた。
「この辺りに泊まれるところってありませんか?」
「うーん、無いねぇ。お嬢さんは祭りを見に来た人?」
 帽子を脱いだ運転手さんは白髪交じりの頭を掻きながら車庫で出来た日陰の方を指差した。

「お祭りがあるんですか?」
「お、違うんかね。てっきり見物に来た人かと思ったよ。でもね、残念だけどうちの村はド田舎だからね。ホテルなんて大層なもんはないよ」
「バスはもう出ないんですか? 近くの村に行ったりとか」
「あちゃー、しばらくバスは出ないよ? 近くの村っつっても山越えなきゃね」

 刹那の逡巡の末、手の平を合わせた彼女は運転手さんを拝み倒すことに決めた。

「お願いします勝呂すぐろさん! 今日一日だけ泊めてください!」

 突然名指しされた運転手さんは面喰らい、懇願の低姿勢へと固めに掛かる彼女の阻止に一瞬出遅れてしまった。バスに乗り合わせた時点で座席前に貼り付けられた運転手さんの情報は把握済みだったのだ。
 さすが多嬉ちゃん、クールだぜ。

 運転手さんの顔写真が随分と鯖を読んでいたらしいのはご愛嬌というやつだ。

「泊めたいのは山々なんだけどねぇ……何せ男所帯だから」
「全然気にしません! むしろいいと思います!」

 ――それは僕が気にする。そしてあまり良くはないと思うよ。

「お嬢さんには見せられねぇな。申し訳ないけど――」
「そこを何とか! 物置でもなんでもかまいませんので!」

 引いても尚食い下がる多嬉ちゃんに根負けした運転手さんは「ちょっと待って」と言い残し、急いで事務所に入って行った。

 姿勢を解いた彼女は手近に設置された自動販売機をざっと眺める。
 某精密機器メーカーの『写るんデス』のロゴの入った古めかしい箱の隣にはこれまた劣化した飲料サンプルが納まる錆びた箱が佇んでいる。

 カシャンッ――……カラッ

 すかさず財布から取り出した五百円玉を投入するも、すぐに異物と判断した箱から吐き出された。

「お待たせ、連絡取れたよ」
 自販機と数度格闘したところで運転手さんがお茶の缶を持って戻ってきた。

 勝呂さんの話によると、やはり年頃の娘さんを男所帯に泊めるのは忍びないとのことで、代わりに引き受けてくれる家を探してくれたようだ。
 泊まり先は気の良い老夫婦「安戸やすどさん」のご自宅とのこと。
 ありがたいことに今すぐ近くの交番まで迎えを出してくれるそうだ。

「何から何までありがとうございます!」
「いいよイイヨ。祭りじゃなきゃうちの村も閉じこもってばかりだからね。来てくれるだけでありがたいよ」

 運転手さんはそう言って柔和な笑みを浮かべ、快く僕らを迎え入れてくれた。

「まぁ祭りまで少しあるけど、ゆっくりしていってよ」
「え、祭りは今日じゃないんですか?」
「うん。明後日だよ。バスは取り敢えずその次の朝、八時が始発だから」

 色々言いたそうな彼女にバス停前の道先に見える建物を指し示した勝呂さんはそそくさと事務所に戻ってしまった。

 教えてもらった交番へと向かう足は重い。
 バスは早くても三日後の朝、歩いて元来た道を戻るにしてもどれだけ時間が掛かるか分からない。おまけに不案内な土地柄とくる。
 電波がないのではすぐに祖父母との連絡もつかない。予定していた一泊を大幅に過ぎてしまうことに、文具店の経営も相まって不安になるのも仕方のないことだった。

 こんな時こそ僕が一言でも掛けられればと切に思う。

「……明後日まで何して過ごそう」
 思案顔で彼女は呟く。少し上がった口角がどこか楽し気に見えるのは気のせいではないだろう。彼女はこの状況すら楽しむつもりでいるらしい。

 ――あれ、僕、いらなくない?
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