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34話 夜戦⑤
しおりを挟む闇に包まれた森の中、背後から発せられる異様な魔素の流れを察知した角折がふと立ち止まる。
「姐さん?」
前を行く志崎は角折が不意に動きを止めたことを不思議に思い、そっと後ろを振り返る。
「なぁ、カズ」
「え――あれって」
元来た方、森の木々の間から垣間見えるものに目を疑った。
うっすらと光を放つ無数の細い木の幹が集まり、まるで大木のように聳え立っている。
ガサッ、ガサッ
「誰だ!」
「――俺だ。外殻を片付けたんで援護に来たんだが」
暗闇から現れた巨体は大剣を下ろし、二人から武徳院の身を預かる。背にはすでに石屋の姿もある。
「あの様子じゃ、あらかた終わったんじゃないか?」
「いや、私たちにも何がなんだか――それより外殻を片付けたって、相当いただろうが」
「五十はいたな。しかし、ほとんどあの姉ちゃんがやっつけちまった」
出番と見たのか、先よりも更に布を失った銀髪女が木の陰から現れる。
「うわぁ……また、ずいぶん派手にやったなー」
「こちらは問題ありません。一刻も早く和希さんの元へ急ぎましょう」
「問題だよ! ほとんど全裸じゃねぇ―か!」
角折は有無を言わせず銀髪の腰に上着を巻き、彼女の断りを撥ねつけた。足りない上部は沼尾の大きな布が覆った。
身辺を整えた一行は満を持して厨の元へ向かう。
その間角折は沼尾の背にある武徳院に対し、先より強力な治癒魔法を施し続けた。
「しかし、角折。あれはお前の魔法だろう?」
「うーん……確かに私のだけど……」
世界樹を模した木々、うっすらと光る様など、外見上は間違いなく覚えのあるものだった。
ただ、あの場で行使した魔法は飽く迄簡易的なものであり、規模の違いからして別物であることは明らかだった。
「あれに気があるとは言え、少し張り切り過ぎじゃないか?」
「はぁ!? 誰が、何に気があるって!?」
「そこのところ、詳しく聞かせてください」
辺りに蔓延る魔法の元を辿るはずが、何故か魔法とはほとんど縁のない女が食い付いたところで、地面が大きく揺れ動く。
ギギギギギギギッ……
木々が幹を擦り犇めき合っている。その繁茂は一帯を埋め尽くすほどの広がりを見せる。
「カズは二人を見ていてくれ」
終わりの見えない異常事態に新たな脅威を知った一行は負傷した二名と志崎を残し、鬱蒼とした森を抜け、その元凶がいるであろう木々のふもとまで急いだ。
*
「これまで、生徒を襲っていたのはお前一人か?」
「――薄汚い手を放せ! くっ、このっ!」
棚木は先と同様に黒い板をカイムに近付けるが、その腕を掴んだ両手は予想に反して一向に脱力しないばかりか更に締りが強くなる。
次第に腕全体が痺れ出し、腕ごと上半身を拘束されているせいか苦し紛れに放った蹴りがカイムの腹部を何度も打った。
「質問に答えろ。生徒を襲っていたのは」
「ああ、私だ! 中には任務で動く者もいたがな……」
「ならば『タカマガハラノゾミ』を殺したのもお前だな」
「何を言っているんだ? 私はそんな――」
「いや、お前が殺したんだ。『タカマガハラノゾミ』はお前が殺した」
――こいつ、狂ってやがる!
腕の感覚が失われつつある棚木は、一先ず不明な言葉を並べ立てる狂人に話を合わせることにした。
両腕の安全のためならば、多少の矜持など秤に掛けるまでもなかった。
「殺した相手など覚えていないが、生徒に関する件であれば関わっているだろうな」
「……殺したと言え……!」
棚木の眼前に、これまでカイムが見聞きしてきたあらゆる憎悪を詰め込んだ形相が晒される。
腕を掴む力はここぞとばかりに更に強さを増す。
「!? あ、ああ! 私が殺した!」
「……それでいい」
期待通りの答えを得たカイムは薄れ行く意識の中、自身が出し得るすべての力で棚木を締め上げ、やがて無意識の内に脱力していくのを感じた。
「ん――? おお! ようやく落ちたか!」
その変化に気付いた棚木はさっそくカイムの手を振り払い、手にした板をその身に押し付ける。
「ふはははっ! なんだ、効くじゃないか! 焦らせやがって!」
脱力し俯いた状態にあっても尚、未だに片手でぶら下がるカイムの体の至るところを棚木の持つ刃が襲った。
「どうだ!? 痛いだろうが!」
全身から悍ましいほど大量に血を滴らせるカイムだが、どんなに斬ろうが蹴られようが、棚木を掴んだ右手が離れることはなかった。
「こいつ――! さっさと放せ!」
「カズキ……お前の敵は、今ここにいるぞ……」
揺さ振られながら、カイムは幾度も意識の内に潜んだ少年へと呼び掛け続けた。
――希実を殺したやつが……ここに?
やがて全身の奥底から途方もなく大きな何かが湧き上がり、もう一つの意識が徐々に覚醒して行く。
カイムはその身に残った僅かな残滓として、それをこれまでのどの瞬間よりも頼もしく感じた気がした。
「貴様はこのガラクタ一つで無力となる無能だ! 劣等種らしく地面に這いつくばれ!」
無数の雨粒と伴にその頭部へと刀が振り降ろされる。
ガッ!
刃先は寸前に構えられた前腕へとめり込んでいく。
しかし勢いを失った刀が腕一本を落とすことはなかった。
刀を受けた腕は下がらずに、再び棚木の腕を抑えつける。
「まだ抵抗するか!? そんなにこれが欲しいのか!」
「……それがどうした。たとえ俺が消えようとも、この男が地獄の果てまでお前を追い続けるぞ!」
厨の身に在った魔素の大半は失われた。だが、それを遥かに凌駕する魔力が体中を満たし、その内に納まり切るはずもない横溢が無尽蔵に体外へと流れ出す。
「――お前がやったのか?」
「ぅっ……なんだ、この力は!?」
先とは比較にならないほどの力に、棚木は焦りを通り越し恐怖した。
その力は腕が痺れるほどでは飽き足らず、もはや「千切れる」と錯覚するまでに強大なものだった。
黒い塊によってエーテル体を削がれ続けていたカイムは、単に意識という司令塔の機能が低下していたために本来の力を発揮することができなかった。
しかし本体の主たる和希が戻った今、カイムの日課をこなし続けてきた肉体をフルに活かすことができる。カイムほどの繊細な動きはともかく、単純な力比べであれば戦闘経験の乏しい和希にも十分に扱うことができた。
「お前が希実を殺したのかって聞いてんだよ!!」
「ぐぁあああああっ! ウデガ、腕が千切れるぅ!」
これまで蓄積されてきた疲労や各部の損傷は、無意識の内に角折の活性魔法を増幅したカイムによって解消された。
故に、和希の意識は覚醒と同時に途切れることはなく、むしろ平常時より格段に熱を帯びている。
鍛え上げられた和希の腕力により藻掻き苦しむ棚木は「対カイム用」と化していた黒い板がすでに砕け散り、霧散していることにさえ気付かなかった。
「ゼッテェゆるさねぇ!! お前は俺が殺す! 必ず殺す!!」
「くぁあっ……くそっ、劣等種の、分際で……!」
棚木の二の腕に和希の指がその形のままにめり込む。
日々コンクリートブロックと鉄棒によって鍛えられたピンチ力は遺憾なく発揮され、軟弱な肉が千切られるのも時間の問題だった。
ギギギギギギッ……――ボゴォオオオオッ!
辺りに蔓延る木々の間から更に新たな木々が発生し、至る所で破片が飛び散り爆発を起こし始めた。
「殺す殺す殺す殺す殺ぉおおおすっ!! 逆水平で殺すっ!!」
突然の覚醒と煮え滾る怒りによって今まで抑圧されてきたすべてが爆発し、その原因が目の前の男にあると断定した和希は錯乱状態にあった。
和希の脳内ではすでに、逆水平チョップの連打によりミンチになった男の姿が想像されている。
「おい、クソ鳥ぃ! 早く、私を引き上げろ!」
上空を仰ぎ見た棚木はその遥か先にいるらしい何者かに向けて叫んだ。
「がぁああああっ!」
「ぐぁあああああああ!」
暗雲を掻き分け、何かか二人の頭上に振ってきた。
翼を持った人型のそれが中空に制止すると、その者を追ってきた風圧が辺りに生えた若い木々をなぎ倒した。
「がぁああああっ!」
「――はやくしろ! この男を上から叩き落とせ!」
鳥人が姿を現した直後、一方の沼尾らも二人が立つ巨木の下に到着した。
「こりゃ、まるで世界樹そのものじゃねぇか――見たことはないが」
「……それもそうだが、あいつの周りにあるアレはなんだ!?」
角折は森の中で感じていた違和感の原因がすぐそこにあることを知った。
正確には和希の身辺、もっと言えば和希そのものから発せられていたのだ。
「私にも分かります。途轍もなく大きな渦の流れが――」
魔法の素養のない者に魔素の流れを視認することはできない。
だが、魔法書によれば<龍脈>と呼ばれる莫大な魔素の流れが空間に露出したときに限り、多くの非魔法師が同時に「大きな渦」を見たとの報告が確認されている。
「おい! あの鳥人、二人とも引き上げようとしてないか!?」
「――間に合えっ!」
沼尾とウーちゃんはすぐに大木の側面から駆け上り、頂上にいる和希を目指した。
頂上ではすでに男の肩を両足で掴み上昇姿勢を取り始めた鳥人の姿がある。
「姉ちゃん、投げるぞ!」
「お願いします――」
鳥人の飛行力は凄まじく、殊に上昇時に関して言えば大人数人を軽く吹き飛ばせるほどの威力がある。加えて高速で飛行するため追うことができない。
つまり、飛び立たれてしまえば翼のない者共には対処のしようがないのだ。
ブンッ!
沼尾の巨体からウーちゃんが射出される。
大半は彼女の脚力により飛び出したため、実質ただの「踏み台」となった沼尾はバランスを崩し木から真っ逆さまに落ちていく。
「しまった!」
大木の中間地点から頂上までを銀髪が一直線に飛ぶ。と同時に、鳥人顔負けの速度は多大な負荷を生み出し、身にまとった布を容易に吹き飛ばした。
スタッ
見事に頂上へと到達したウーちゃんは全速力で和希の元へ走り、背後からその身を抱き寄せた。
信じ難いことに、初撃の上昇飛行を腕力で阻止した和希は相変わらず男の両腕を掴み続けていた。
掴まれた当の棚木は痛みに意識を朦朧とさせながら、変色した腕にだらりと全身をぶら下げ呻き声を上げている。
恐らく次はない。初撃である程度の引力を把握した鳥人は、確実に第二の上昇で威力を上げる。
「和希さん、手を放してください!」
「うるせぇええ!! 必ず殺ぉすっ!!」
ウーちゃんは仕方なく、錯乱し言葉が通用しない和希の両手をこじ開けに掛かる。
しかし、ウーちゃんの腕力をもってしてもその手を除けるのに難儀した。
頭上の鳥人は翼をはためかせ、次の上昇に向けて準備体勢に入る。
「私たちは和希さんの味方です。どうか、信じてください」
珍しく抑揚を利かせた懸命な呼び掛けも、当然聞く耳を持たない和希に届くはずがなかった。
――このままではいけない。傷付けてしまう……
『……――あー、あー、あー……』
諦めかけたウーちゃんの耳にノイズ交じりの音声が入り、途切れていた指示が新たに下される。
「はい、私です」
『――よし。彼にこのインカムを渡してくれ。どうやらどこかに落としたらしい』
「うぉおおおおっ!!」
「……ぁあ……うぅ……」
雄叫びを上げる和希。痛みに呻くことしかできない棚木。
「和希さん、失礼します」
ウーちゃんは自身が装着したインカムを和希の耳に掛け替え、その時に備えて握る手に力を込める。
『――ズキ、和希、聞こえる?』
「うぉおおお……! お――?」
和希の耳元で、かつて飽きるほどに聞き慣れた懐かしい声が囁く。
『今何してるの? もしかして、隣に誰かいる?』
「……ノゾミ……?」
反射的に録音に反応した刹那の間、和希の体に若干の緩みが生じる。
「ハル、今です! ――あっ」
ブチッ
隙を見計らったウーちゃんは和希の手を強く引き頭上の鳥人に向けて合図を送る。
その拍子に、和希が摘まんだ二の腕の肉が握った分だけ綺麗にえぐり取られた。
白い面で顔を覆った小さな鳥人は一つ頷くと、大きく翼を広げ瞬く間に上空へと舞い上がった。
「ぎゃぁあああああっ――!」
上昇していく男の流血と断末魔が、降りしきる大粒の雨と共に振ってくる。
「ごめんなさい、ミカちゃん……標本を傷付けてしまいました」
鳥人が飛び立っていったであろう空の先を見送るウーちゃんは、それを心待ちにする変人に向けてそっと謝罪した。
「――あれ、どこだここ?」
無意識の内に彷徨い、存在するはずのない人物を探し求めていた和希がようやく正気に戻った。
手に残った生温い謎の塊を捨て、中空に設けられた即席の舞台からぼんやりと浮かぶ夜闇の景色をじっと眺める。
「お疲れ様です、和希さん。今日はもう遅いですし、家までお送りしましょう」
散々辺りを騒がせた雨は止み、空には星々が垣間見える。
そして、木々が発する淡い光と星明りに照らされた女が颯爽と歩み寄ってくる――全裸で。
「おまっ、確かマッド女と一緒にいた――おい、それ以上近付くんじゃねぇ! なんで全裸なんだよ!?」
「少々衣服が消えただけですから、何も問題ありません」
「それが問題なんだよ!」
和希は甚大な筋疲労と怪我を負った体に鞭打ち、何としても同行したいウーちゃんから全力で距離を置いた。
しかしその脚力に敵うはずもなく、回り込まれては距離を詰められ、さほど広くはない大木の頂上で次第に追い込まれていく。
ズルッ
「おっ」
不覚にも頂上の縁に気付かず足を踏み外した和希は木々の枝に身を打たれながら、大地に向けて落下を始める。
すかさず木の側面を駆け抜け後を追ったウーちゃんは、地面を目前にその身を受け止めた。
「――ふぅ、危ないところでした」
「ったく、ヒヤヒヤさせんなよ」
無事に降り立った二人を見て角折が安堵の溜息を吐く。
ウーちゃんが立つ地には、角折の咄嗟の魔法によって生み出された気休め程度の茂みが用意されていた。
「俺にも用意してくれてよかったんだぞ」
「は? おっさんは死なないから大丈夫だろ」
そこに外傷の一つもない沼尾がやってくる。
かなりの高さから落下して尚見事に着地を決めた初老の男。角折の言うこともあながち間違いではないかもしれない。
「厨くん!」
意識が戻り歩けるまでに回復した武徳院が志崎の肩を借り、森から抜けて一行の元へと急いだ。
足を痛めたらしい石屋は申し訳なさそうに志崎に背負われている。
「……」
「ダメだ気絶してやがる。まぁ大体の怪我は治しておいたから心配するな。じきに起き――」
「ブトキンか。さっきは助かった」
ウーちゃんの腕に抱かれ眠りについたかと思われたカイムが開眼した。
しかし内外ともに損傷の激しい体は魔法による活性が追いついておらず、指先一つ動かすことができない。
「申し訳ありませんでした」
一行の前に倒れ込んだ武徳院は額を地に着き謝罪した。
「――もういいだろ、な? これはここにいる誰のせいでもないんだから」
角折がその肩を持ち慰めるも、武徳院は頑なに頭を垂れ続けた。
確かに此度の一件はすべて主犯格である棚木が元凶であり、この場にいる誰もがそれを承知していた。
もし騙される側にも罪があるのだとすれば、それは国にいるすべての民衆に当てはまることである。
だが潔癖かつ正義感の塊のような女には、騙されていたとは言え身内に招き入れた者が起こした不祥事をただの他人事で済ますことなど到底できなかった。
「好きにさせておけ。ブトキンにも思うところがあるのだろう」
「……ありがとう、厨くん。私は最低な女だ」
一見突き放すかのようなカイムの発言に彼女は救われた。
このまま誰からも何の咎めもなく許され、その事自体が無かったことにされたとしたら、恐らく一生心にわだかまりを残したまま朽ちていっただろう。
この場で少しでも償いをすることが、どっちつかずの罪を背負った者にとっては肝要である。
武徳院からすればもっと分かりやすい「罰」の形が欲しいところだった。
「傷付く生徒を守れなかった。知ろうと思えばいくらでも事件の真相を知る機会はあった。しかし私はそれをせず、ただ漫然と日々を過ごしていたんだ――その結果がこれだ。皆に迷惑をかけるばかりか、戦うことすらできなかった……どうして、頭を上げることができよう……?」
額を地面に押し付けたまま、武徳院は雨に濡れた地を更に濡らした。
「なら、腹を切れ」
「!? お前、何言ってんだ!?」
にべもなく言ってのけたカイムだが、当然、一行は耳を疑い納得するわけがなかった。
「――それで、許されるのであれば……」
「いや、許されない」
腹切りとはケジメをつける手段であり、必要だからするのであって、その者の罪が許されるわけではない。「罪」とは、そう判断された時点で消し去ることができないもの。形式的に贖うことはできても、すでにやったことを無かったことにはできないからだ。
「何が言いたいんだテメェ! 取り消せよ!」
「すまん、語弊があった。『腹を切れ』とは言ったが、本当に腹を切る必要はない」
「つまり、罪の意識は持ちつつも、ケジメによって区切りをつけろということだな?」
黙って話を聞いていた沼尾が話を引き継ぎ、カイムの提案に概ね賛同した。
「そうだ。手段は自由だが、罪の意識を持った者が自ら決めることは更に罪悪感をこじらせることになり兼ねない――そこで、ここは俺たちの国の作法に則りケジメをつけてもらう」
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