ブラフマン~疑似転生~

臂りき

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31話 夜戦②

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「ブトキン! イシヤを頼む!」

 カイムは茂みから一足飛びで棚木に接近し、腰から得物を抜き放った。

 ガッ!

 勢い付いたカイムの一撃を棚木が持つ「何か」が寸でのところで受け止める。

「ははっ、いきなり切り付けるなんて卑怯じゃないか」
 腰丈ほどの見えない得物でカイムを振り切った棚木は沈んだ声で言った。

 突然カイムに声を掛けられた武徳院はようやく森から離れ、石屋の元に近付く。

「棚木先生!?」

 石屋とカイム以外の存在に初めて気付いた武徳院は、その場に佇み心底驚いた声を上げた。

「こんばんは、武徳院さん。少し手を貸してくれないか?」

 棚木は武徳院の前に指を立て、その指で石屋を差し示し手繰るような仕草をしてみせた。

「はい、それは構いませんが……先生はどうかされたんですか?」
「どうやら足を怪我したみたいなんだ。すまないが彼をこっちまで連れてきてほし――」

 ガギッ!

 すかさず第二撃を繰り出したカイムを尻目に、片手で得物を抑え、もう一方で絶えず武徳院に手招きをする。

「言うことを聞くな! 近付けばお前も斬られる!」

 大きく後退し棚木の持つ得物の間合いから離れたカイムはすでに動き出した武徳院に向けて叫んだ。

「心外だなぁ。可愛い生徒、ましてや大事な妹弟子を斬るはずがないじゃないか。さ、早く石屋くんをこちらに連れてくるんだ」

「……」

 棚木の指示を受け、虚ろな目をした武徳院が石屋の肩を掴む。

 ガッ! ガッ!

 腕から即座に脚部へと続けざまに振り抜いたニ撃も難なく受け流される。

「イシヤ、逃げろ! できるだけ遠くに行け!」

 だが、カイムの声は石屋には届かなかった。気絶し脱力した状態の石屋は武徳院に抱えられたまま身動ぎ一つしない。

「残念だよ『顔のない男』。いや、穏健派の一味と言った方がいいか。どうやら私は君を買い被っていたようだ。以前見せた動きはいったいどうした――」

 再び踏み込んでくるカイムに向けて見えない得物が振り翳される。

「――っ!」

 普段であれば難なく躱せるはずの何でもない一撃をカイムの持つナイフが二本、正面からまともに受け止めた。
 その瞬間、カイムの膝が僅かに揺らぐのを男は見逃さなかった。

「確か君はアドブレインを遮断できたんだね。とすると『オーバーライド』の影響ではないか。まさか『魅了ハェレアム』が効いているという線もなくはない。しかし――そうか」

 棚木は片手の得物でカイムを抑えながら、ポケットから取り出した薄っぺらい板のような物をカイムの体に近付けた。

 ダッ!

 謎の板が触れる寸前、思うように力の入らない全身を奮い、両手のナイフで得物を振り払ったカイムは大きく後退し必要以上に間合いをとった。

「そうかそうか! 君はこれが苦手なのか!」

 黒々とした禍々しい魔素をまとった金属製の板は絶えず周囲のエーテルをその内に取り込んでいる。

 板を手にした棚木はさぞ愉快そうに不気味な笑みを浮かべる。

外殻エンベロープ! その男の動きを止めろ!」

 棚木はカイムが後退した何もないはずの空間に向けて指示を出した。

 すると突如として空間は歪み、カイムの立つすぐ後ろから見覚えのある機械が二機、指示通りにカイムを左右から挟み撃ちに掛かる。

 咄嗟に前方に飛び込んだカイムに遅れて、外殻が持つ光学ナイフはその身があった空間を的確に切り裂いた。
 対象の速度を把握した無人の外殻は、すぐさま次なる行動を割り出し、暗がりに浮かぶ単眼で正確にカイムを捉えた。

 退路は完全に絶たれた。唯一の望みであった森も、今では怪しい魔力で満たされ近付くことすら拒まれる。

 シュッ、ガギッ!

 前方で待ち構えていた棚木がすかさず体勢を崩したカイムの蟀谷に向けて得物を振るい、脱力する体で衝撃をいなすこともかなわないカイムがこれを真横から受ける。

「君がこれを嫌うのは、恐らく魔力が要因なのだろう? その尋常ならざる運動能力も強化魔法によるものだ。身にまとった魔法が削がれていくが故に、君の動きも次第に緩慢となっていく。そうだろう?」

 斬撃を受けるので手一杯のカイムの肩に、黒い板が触れる。

 ――バキッ

 その瞬間、両手首にはめていた腕輪が砕け散った。いつぞや学院で神野から押し付けられたオリハルコン製の腕輪だ。
 未だエーテル体として完全に定着していないカイムをつなぎとめていた命綱が切れた。

 しかし、意識が飛び掛けたカイムは片膝を地に着き、寸でのところで踏み止まった。

「魔法を扱うことのできる君には個人的に興味がある。しかし、尋ねたところで君が正体を現わすことはないだろう。だがいいさ。始末した後にでも、ゆっくりとその体から聞くとしよう」

 ――ここまでか。

 カイムは無様な最後を覚悟した。柄にもなく、後悔の念が脳裏をよぎった。

 だが、ほんの一瞬で終わるかと思われた最後の時がいつまで経っても訪れない。

「そういえば、武徳院さんはここ最近ずっと彼に勝つため励んでいたね。今がその時だと思わないか?」

 ――この男、三流か!?

 棚木は跪いたカイムに対して何をするでもなく、ただ武徳院を呼び寄せた。

 石屋はほとんど元の地面に下ろされる。

 すぐさま振るえば絶命させたであろう得物を武徳院に握らせ、自らは一歩離れた位置から高みの見物と洒落込むつもりらしい。

 獲物を前に舌なめずりする狩人は三流。仕留めて満足する二流。

 こうした手合いは往々にして隙を生みやすい。でき得る限り気の利いた言葉で時間を作り、脱する機会を窺うのが良いだろう。

「降参だ。こうも体が動かないのではどうすることもできん。だが、最後に一つだけ質問をしていいか?」

「滑稽だな。君のように慎重な者が素直に負けを認めるときは、決まって何かを企んでいるものだ――。いいだろう。最後くらい互いに本当のことを知ろうじゃないか」

 武徳院の持つ得物の切っ先が僅かにカイムの胸に触れる。

 先まで見えなかったそれは眼前に晒され、反りのない真っ直ぐな刀身に微かな光を映し、夜闇に黒く濡れている。
 微動でもしようものなら、今にも服を裂き皮を突き破るだろう。

「君の目的はなんだ? なぜ私の邪魔をする?」

「……お前たちが、世に不穏を撒き散らす存在だからだ」

 にべもなく応えたカイムは胸に当てられた美しい刀の匂いをじっと眺め愛でた。

「死を前にして尚その余裕、大したものだ。いい刀だろう。神宮に奉られる神剣を模したものだそうだ。私が持ち出すと言ったら快く譲ってくれたよ」

 状況に満足しているのか、どこか楽し気に棚木が言う。

 アドブレインの操作か、あるいは魔法による洗脳によって不当に神宮内に侵入した男のことだ。この刀にしても真っ当な手続きを経て持ち出したとは考えられない。
 故に、不届者の手から離れたとあれば、当然居合わせた者が拾得し保管しておく必要があるというものだ。

「……なぜ、子供に危害を加えるんだ」

「そうだなぁ。強いて言えば『暇潰し』かな。我々の目的で傷付く者が子供である必要はない。私の趣味だよ。凝り固まった大人をいたぶるよりも、子供をやる方がずっと面白いからね。分かるかい? 子供は傷付く内にも成長するんだ」

 棚木は武徳院に向けて腕を振り降ろす。

 ズッ!

 丹念に磨かれた鋼の刃が容易にカイムの胸を突き刺した。

 溢れ出る血が刀身を伝い武徳院の手を汚し、行き場を失った横溢が徐々に黒々と地を濡らす。

「残念なことに、直接身体を傷付けることはできなかった。どうやっても痕跡が残るからね。だから『己がいかに取るに足らない存在であるか』を教育し、丁寧に蠅には必要のない自尊心を無くしてあげたんだ。一人の教育者としてね――。あ、武徳院さん、君の勝ちだよ。おめでとう!」

 拍手喝采。男は突然声を張り上げ、大いに手を叩き、頻りに武徳院の行為を讃えた。

「――しかし、この間のアレは不覚だった。まさか君に見つかるなんて夢にも思わなかったよ。性欲にかまけるというのも考えものだね」

「……森でのことか」

 不意に冷めた調子で声を落とし武徳院の肩に肘を置いた棚木は、顔色一つ変えず痛みに耐えるカイムのことを見下ろした。

「はぁ。君はもう少し自分の立場を分かった方がいいよ。異界の者だと分かった以上、君は本来ここに存在しない人間なんだからね。それに前々から思っていたんだけど、教師に対する言葉遣いもまるでなってないじゃないか。素直に苦しんだらどうなんだ!?」

 男は武徳院の腕を乱暴に揺らし、刀の先で更に傷を広げる。

「ふっ――……無様だな。この程度で勝った気でいやがる。お前のように傲慢な悪党の末路は嫌と言うほど見てきたが、どういう因果か、最後は糞尿塗れと決まっている」

 カイムは思い付く限りに憎たらしい顔を選び、鼻で笑った。

 これには堪らず棚木は全身を震わせた。
「――っこの劣等人種どもがぁ! 脳味噌垂れ流して従っていればいいものを!」

 足蹴にされ後ろに倒れたカイムは更に力任せに何度も顔面を踏み付けられ、顔の至る所から血を流した。

「……どうした、もう終わりか?」
 刀を胸から天に向けて突き立てたまま、潰れた顔面を再び歪ませる。

「死にぞこないの劣等種が――」

 乱暴に引き抜かれる刀に伴って勢いよく血が噴き出る。

 ――来たか!

 ぽつりぽつりと雨の降り出した暗雲に向け大きく刀が動き始める。

「無様に死ね」

 その下で倒れ伏すカイムには最早、憎悪に満ちた男の顔など眼中にはなかった。

 朦朧とする意識の中、力の残滓を振り絞り襟首に乗せられた黒い塊を掻き出しながら、遥か上空から高速で迫る懐かしい気配に胸を躍らせる。

 シュッ――――ドゴォオオオッ!

 刀が振り切られるよりも早く、大地に到達した物体は辺り一面のアスファルトを軽々と粉砕した。

「お待たせしましたカイムさん。何はともあれ、先ずはこれをお飲みください」

 素早く衣服を整えた銀髪メイドは、身に付けたタクティカルベストから小瓶を取り出し、衝撃で吹き飛ばされたカイムを抱き起こしてからゆっくりと中の液体を飲ませた。

「……これは、カノが作ったものか?」
「はい。『愛(液)100%』だそうです」

 柑橘系の果実を感じさせる風味に、少々黄色味がかった半透明の液体。
 カイムの嗅覚により毒性はまったくないのは確認済みだが、粘性を帯びた回復薬などかつての記憶にはなく、飲んでいるそばから安全性についての疑念が湧く。

 ただし効果は確かなようで、活性化し熱を発する全身が再び統制されていくのが実感できた。実際、数分にも満たない内に大半の外傷が塞がりつつあった。

「凄まじい効き目だな。お陰で助かった」
「お粗末様でした。ですが、到着が遅れてしまい申し訳ありませんでした」

「いや、むしろ感謝する。やはり『認識阻害』というやつか」
「お察しの通りです。この鎮守の森周辺一帯が正確に認識できない状態となっています。アドブレインは元より、カイムさんにお持ちいただいた無線機やGPSすら機能していませんでした」

「どうして場所を特定できたんだ?」
「最終的には勘です。カイムさんが事前に設定してくださった十数か所の場所の候補を基に、私の中に残った微弱なエーテルの残滓を辿りました」

 自力で起き上がれるまでに回復したカイムの衣服を整えたウーちゃんは、若干足元の覚束ないカイムにそっと寄り添った。

「手間をかける」
「いえいえ。お駄賃は弾んでいただきますので」

 地を踏み締めた二人は互いに視線で頷きながら、崩れた地面を避けるように周囲を動き回る異音に耳を傾けた。

 ビュンッ!

 景色に溶け込んだ二体が一斉に空間を歪め、待ち受ける二人に向けて得物を振るった。

 シュッ、ガッ!

 元凶の持つ黒い板がない今、カイムの身のこなしは健在。繰り出された光学ナイフの間合いをギリギリの距離で前方に躱したカイムは、外殻の背後に回り男の気配を辿った。

 一方のウーちゃんは斬撃を前腕で受け止め、もう片側の手で外殻を腕ごと抑え付ける。ナイフを受けた方の衣服は見事に袖だけ消し飛ぶが、強靭な刃が華奢な女の柔肌一枚を通すことはなかった。

 本来、高速回転する微粒子をまとった光学ナイフは硬質な岩ですら豆腐のごとく切断する。
 しかし、周囲の魔素を常に取り込み続けるウーちゃんの肉体は微粒子の持つ微弱なエーテルですら見逃すことはなく、その運動すらほとんど無力化させる。

 生命エネルギーとも言える魔素以外のエネルギーによって勢い余った微粒子は、ウーちゃんの表皮を極僅かに掠めはするものの、常時活性化し続ける細胞の一つ一つの回復力がその力を上回り物体そのものを押し退ける。

 つまり、大半の攻撃は彼女に通用しない。

「バケモノがっ! 外殻、そこのやつらを足止めしろ!」

 道路の先で様子を窺っていた棚木は吐き捨て、外殻に指示を出したそばからその場を離れた。

 先より雨脚は強まり、辺りの水溜まりが次第に飛沫を上げ始める。

「カイムさん、あの失礼な男を追ってください!」

 ウーちゃんは命令通りにカイムを追う一機の背後から腕を伸ばして引き留めた。外殻が背中に装備する小銃の照門を摘まんだ指によって、ゆっくりとその巨体ごと引き摺られていく。

 いつの間にか、もう一機は彼女の片手にぶら下がっていた。

「ここは任せる!」

 まるで玩具かのごとく両手に二機を携えたウーちゃんにその場を託し、カイムは石屋を道連れに遠ざかる棚木の後を追う。



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