ブラフマン~疑似転生~

臂りき

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11話 乖離

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「……はぁ」

 男は否応なく思い出される記憶と、どうしようもないほどに惨めな現状に溜息をく。

 照明も点けず、窓すら閉め切られた真っ暗な部屋で布団に埋もれる男。
 スマホの光を頼りに現実から目を背けるのが日課となってしまっていた。

 事件を目の当たりにして以来、自暴自棄の時を経て無気力の状態へとおちいった男厨和希くりやかずきは、中学を自動的に卒業した後、すでに内定していた公立高校へ進学するも二日目で断念し、その後二か月間の内に体得したソーシャルゲームへの課金を生きがいとしていた。

「さて、今日もガチャるか。おっ――!」

 外出はおろか部屋から出るのもたまの入浴と排泄時のみとなり、中学校時代に二年半所属していたバスケ部で鍛えた体は見る影もない。

 布団に埋もれたらしいスマホを探し回った拍子に、バランスを崩した和希は盛大にベッドから転げ落ち、騒音と地響きを立てた。

 ――ガンッ! ガンッ!

 すかさず隣人からの壁ドンおしかりを受ける。

 はたから見れば自堕落で、贅肉をこさえるだけの生活も楽ではないのだ。

『――ええっ? 困りますっ! 待ってください!』

『大丈夫、ダイジョウブだよお母さん』

 階段と廊下の方から複数の足音が近付いてきた。
 声の内の一つは和希の母のものであるが、もう一方の、どこかふざけているかのような、気の抜けた女の声に聞き覚えはなかった。

 差し詰め気掛かりなのは、その声の主が自身の部屋のすぐ近くまで来ていることだった。

「やぁ、和希くん! 元気してる?」

 あろうことか、勢いよく開け放たれた扉からくだんの女が侵入してきた。

「ちょ、何なんだあんたは!?」

 これには堪らず和希も全力で抗議する。
 しかし突然点けられた照明の光に目がくらみ、振りかざした手も虚しく空を切り、再び目を開いた時にはすでに女の更なる侵攻を許していた。

 しかも、ベッドのすぐ脇には白衣を着た黒髪ツインテールの女ばかりでなく、メイド服を身にまとった銀髪の女まで立っていた。

 白衣の女は先程からベッドに釘付け状態にある和希の全身を舐めるように見回している。

「んんっ、実に素晴らしい。素体は健康かつ肥沃であるほど好ましいものだ。適合者ドナーとしては申し分ない。半年でこれだけ肥え太れるのも、ある意味才能だねぇ」

 女は舌なめずりにも似た不気味な引き笑いをしながら、手元ではしきりに注射器のような物を取り付けた何かをいじくり回している。

「聞かずとも知れていると思うが、君は厨和希くんで間違いないね?」

「……だったら、なんだ」

 和希は曖昧な返答により最大限の抵抗を試みるが、答えに満足したのか、満面の笑みを浮かべた女は大きく何度も頷いてみせた。

「ありがとうっ! ありがとう、和希くん。君の反応は期待していた以上のものだった。その疑り深さ、生体反応、共にデータにあるものと実に近似している。まさに、この上ない適合者と言えるだろう!」

 よく分からないことを淡々と口にする女は恍惚とした表情のまま、どこぞに向かって大きく両手をかかげている。

 和希の母陽子ようこは常軌を逸したその場の状況に終始呆気に取られていた。

「さっきからうるさいんだけど!」

 ついに先からの騒動に痺れを切らした妹の加来かこまでも部屋に乗り込んできた。

「――え、なに!?」

 普段は気丈な彼女でさえこの場の状況判断に迷い、扉を越えてすぐに立ち止まり大きく目を見開いた。

 わずかな間隙かんげき
 和希はここぞとばかりに起き上がり、肉を躍らせ逃走を試みた。

 が、扉の方へと突進する体は、横で控えていた銀髪の女によって難なく抑えられた。

「いいぞウーちゃん! そのままベッドの上で押さえておいてほしいっ!」

 白衣の女はメイドに指示を出し、再び持参した何かの調整に取り掛かっている。

 捕まった瞬間からもう何度も逃れようと抵抗している和希だが、銀髪女の腕力が強すぎるせいかピクリとも動くことができない。

 横目でチラと見る和希の目には、どこか異国風の整った顔立ちの女性が映る。
 その女性は、百キロ近い男を顔色一つ変えずに押さえつけ、直立しているのだ。
 
 華奢きゃしゃな銀髪メイドという甘い外見に反して、彼女は明らかに超人染みた力を有しているようだった。

「あ、あのー……あなた方はいったい?」

 銀髪によってベッドで羽交い絞め状態にされる息子を前に、ようやく我に返った母がそう切り出した。

「名乗るのが遅れてしまったね。私は神野美景かのみかげ。和希くんが通う学校で養護教諭をしてい
る。そこの彼女はウーちゃん、私の頼れる助手だ」

「あら、学校の。今日はどういったご用件でいらしたんでしょうか?」

「用件――……んんー、そうだな、よし。『和希くんのクラスの担任から様子を見に行くように言われた』んだ」

「そんな雑な用事があってたまるか!」

 思わずついて出てしまった叫びに応じるように、和希を捕らえる腕が心なしか更に強くなった気がした。

「そうでしたか、とても安心しましたわ。家庭訪問のようなものですよね。加来ちゃんのときも先生、来てくれたもんね?」

 何故か合点がいったらしい陽子は、腕を組みつつ怪訝顔で謎の二人を見据える加来の背を押し、何事もなかったかのように部屋を後にする。

『ねぇ、母さん? あの人たち絶対おかしいって!』
『おかしくなんてないわ。わざわざ見に来てくれるなんて、すごくいい先生じゃない。もしかして、急にお兄ちゃんのことが心配になっちゃった?』
『――ちがっ、そんなわけないじゃん!』

 閉められた扉越しに、廊下から二人のやり取りが響いてくる。

 自称先生をかたる白衣の女と母との先の会話から、和希は唯一頼れる存在であった母親からも見限られてしまったのだと悟った。
 と同時に、幼い頃から疑っていた母の天然ぶりが本物以上であることを確信した。

「とても、いいご家族ですね」

 和希はぎょっとして振り返った。

 回り切らない首の先にあるのは、間違いなく和希を羽交い絞めにする銀髪メイド。
 無表情かつどこか常人が放つ生気のようなものが欠けた女性が、唐突に口を開いたのだ。

「……」
「そう警戒しないであげてくれ。こう見えてウーちゃんはとても繊細な女の子なんだ」

 白衣の女はこれまでになく感情のこもった口調で言う。

 準備万端といった様子で近付いてくる彼女の手には見るからに危険そうな「銃」が握られている。

「こんなかわいい子に羽交い絞めされるなんて、君は本当に果報者だねぇ。おまけに美人教師から愛のお注射まで受けられるんだから!」

 迫り来る神野はツインテールの端を自慢気にクルクル指で巻きながら、銃を片手に不敵な笑みを浮かべている。

「……やめろ」
「いいや、やめないね。これはあるいは君のためにもなることなんだ。これを打って、もしもまだ君の自我が残っていたとしたら、そのときは改めて説明させてもらおう。安心してくれ、きっと残る――……たぶんね」

 不穏な言葉と伴にゆっくりとその手が動く。

「……めろ! やめろぉおおおお――!!」

 もはや男の叫びなど女には届いておらず、剥き出しにされた鳩尾に銃口がヒヤリと冷たかった。

 間髪入れず引き金が引かれるも音はなく、勢いよく射出された針状の塊が和希の体内へとめり込む。

 しばらくの間これといった異常もなく、油断し切っていた矢先、突如いつになく冴えていた和希の意識が混濁し始めた。

「君の友人、いや、幼馴染と言うべきか。『高天原希実は何者かによって殺された』。我々<ネクロ>の知るところでは、ネクロの一派でもある<過激派アグロ>によるものとみて間違いない。それを知り、この力を活かすも殺すも君に任せる。もし君が真実を知りたいというのなら、<穏健派ミッド>は全力で君をサポートしよう」

 やがて薄れ行く意識の中、和希は次第に拘束されていた体が解放されていくのを感じた。

「あっ、ちなみに私も君と同じ十五歳だからね。ウーちゃんはちょうど三十路」
「恥ずかしいです、ミカちゃん」
「――……なんだって?」
「ん? 私も十五歳ってとこかね? そうだとも。実は学院の生徒も兼ねていてね」

「そこじゃねぇ!」

「おや、まだ元気じゃないか。ではその元気に免じてもう一つヒントをあげよう――君が通うことになる学院、その中に君の大切な人を殺した連中とつながる者がいる――」

 コンコンコンッ

『――先生、お茶をお持ちしました』
「いやぁ――お構いなく――……我々もそろそろおいとまするところでね――」
『――せっかくですので――白衣をお召しになる方にはコーヒーがよろしいと――……』
『――――旦那様は実に分かってらっしゃる――そういうことなら――――』
『――――――頂戴します――――……』

「――じゃ――――また学院で」
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