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第五章

27. 幕引きはせめて自分から

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 玄関から外へ出て、家から持って来ていたお気に入りの白い日傘を差す。
 ここでは開く機会などないと諦めていたから、こうして差せることは純粋に嬉しかった。

 特注で作ってもらってもらった白詰草モチーフの可憐なレースが、心をよりいっそうと明るく弾ませてくれる。はしたないけれど頭上に差した状態で日傘をくるくると回すほど浮かれてしまって、それを見ていたらしいシェイドの笑い声が横から小さく聞こえた。

「どうせ、子供ですから」

 日傘の下で頬を膨らませながらそっぽを向く。
 表情を見られなくて良かった。なのにシェイドは何を思ったのか、ロゼリエッタの視線の先に回り込んで身を屈めた。

 驚きに目を見開いた顔が、緑色の目の中に映っている。ロゼリエッタは何かを言おうとして、でも何を言えばいいのか分からなくて結局、口を閉ざした。

 にこりと穏やかにシェイドが微笑む。
 せめて仮面をつけていなかったら、どれだけ良かっただろう。
 すぐ欲張りになるロゼリエッタが自己嫌悪で表情を曇らせるより早く、シェイドが笑みを浮かべたまま告げた。

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。この庭の景色を楽しんでいただけそうで光栄です」

 滑らかに磨かれて肌触りの良い白木の柄を両手で握りしめ、ロゼリエッタは小さく頷く。
 綺麗な庭園は楽しみではあるけれど、嬉しいのはシェイドと――クロードと一緒に散策出来るからだ。けれどまだやっぱり言葉を見つけられないでいると、行きましょう、とシェイドが優しく促して歩きはじめた。歩幅はいつもの、ロゼリエッタをエスコートしてくれる時のそれだった。

 後を追うロゼリエッタの目は、自然とシェイドの指先に吸い寄せられた。
 日傘を差していなかったら手を繋ぐ為に差し伸べてくれただろうか。
 少し前を歩く横顔を見やり、日傘を差したことを少し後悔した。



 シェイドの母君とされる女性がいつまでここで暮らしていたのか分からないけれど、花々を愛していた女性ではあったらしい。主がいなくなってもその意思を汲んで、長年ずっと細やかに手入れされている様子は一目だけでも見て取れた。

「寒くはありませんか?」
「大丈夫です」

 降り注ぐ日差しも、頬を撫でる風も、沈黙さえも優しく感じられる。

 このまま時が止まってしまえばいいのに。

 そう願っているからだろうか。熱を出したことが嘘のように、体調は普段と変わらず――むしろ普段以上にとても良かった。時折立ち止まっては花に顔を寄せ、その鮮やかな色彩と甘い香りをいっぱいに楽しむだけの余裕もある。

 ロゼリエッタはとうに失ったはずの幸せな風景を、一つも取りこぼすことのないよう懸命に心に焼きつけた。

 間違いなく、クロードと共にある最後の幸せな思い出になると予感があった。

 ずっと思っていた。
 こんな歪な生活は長く続けられるものではない。そう遠くない未来に終わってしまうだろう。そして、具体的な日時はもちろん分からないけれど、もうすぐ"そう遠くない未来"の日が確実にやって来る。

 そして気がついてしまった。
 だから今日のシェイドはクロードであった時のように、それ以上に優しく接してくれるのだと。

 でも何も気がついていないふりをした。たとえ偽りのものであろうと、柔らかな笑顔を向けてくれることがとても嬉しかったから。

 まばたきの時間さえ惜しく感じながら庭園の奥へと進めば、色とりどりに咲き誇る花々の向こうにこじんまりとした四阿が見えて来た。

 おそらく昼食はそこで摂ることになるのだろう。働くメイドたちの中にオードリーの姿もあった。
 楽しそうに甲斐甲斐しく働く様にアイリの面影が重なる。アイリはシェイドの仲間――やはりレミリアなのだろう――が丁重に保護してくれると最初に聞いた。その言葉をシェイドが違えるとは思いたくない。だから無事でいてくれると信じるしかなかった。

 オードリーがふいに顔を上げる。
 仕事の邪魔になってしまうかもしれない。そう思ったけれどロゼリエッタはオードリーに見えるよう、日傘の下で大きく手を振った。はにかんだ笑顔で会釈をしてくれるのを見て手を戻し、背中を向ける。

(このお屋敷での暮らしが終わるということは、オードリーともお別れになるのね)

 もう一つの事実も胸を締めつけた。

 ロゼリエッタは家族と離れ、見ず知らずの場所で過ごす今の生活も決して嫌いではなかった。
 冷たい態度でもシェイドが傍にいるし、優しくて温かいオードリーもいる。

 王太子暗殺を企んだ大罪人のはずなのに、取り巻く環境はとてもそうは思えない。
 場所は変わっても、形は変わっても、ロゼリエッタを包む世界は根本的に綺麗で優しいままだった。

 この庭園と、同じように。



 四阿を左に見ながら小径をさらに進む。
 方向的に屋敷の裏側へと歩いて来たのだろうか。けれど裏門はないようで、その代わりと言っていいのか遥か前方に尖塔が見えた。
 鍛錬をするシェイドの元に行った時に見たものと同じものだろう。

 そして――王城を正門から入れば左後方に一部が見えているものだ。

 王都から出ていないのは分かっていた。
 さらに尖塔がこの大きさで見えるということは、王城にほど近い場所なのだろうか。ロゼリエッタは王城周辺の地図に詳しくないから分からないけれど父や兄、ダヴィッドなら分かるかもしれない。

 そう考えて、ダヴィッドが来た時のことをふと思い出す。

 ダヴィッドもあきらかに屋敷の所在地の明言を避けていた。知ったところでロゼリエッタに何もできないと思っていたけれど、もしかして何かできる場所なのではないだろうか。

(たとえば――王城内だとか)

 思いついた単語に自分でもどきりとした。
 尖塔の奥に連なる大きな建物は、正面から見た時の荘厳な雰囲気とはまた違う表情を持つ王城の一角だと気がついてしまった。

 確か王城内には離宮がいくつかあったはずだ。レミリアも子供の頃は離宮のうちの一つで暮らしていたと聞いたことがある。それならば今は使われていないものもあったとしても不思議ではない。

 何よりも王城内なら、そこに入るまでの警備の堅さは誰しもが知るところだ。そしてレミリアが協力しているのだから使われていない離宮を把握し、用立てることも可能ではあるだろう。――いや、レミリアが暮らしていた離宮だと考えるのがいちばん自然なのではないだろうか。

「ロゼリエッタ嬢?」

 シェイドに名を呼ばれ、いつの間にか足を止めて尖塔をじっと見つめていたことに気がつく。

 ロゼリエッタはどう振る舞えば良いのだろう。

 何も気がついていない子供のふりをしたら、少なくとも今日一日の幸せな時間は守られるに違いない。
 真実を問い質すことは後でもできる。でもシェイドと穏やかに過ごせる機会はもうない。ロゼリエッタは「何でもありません」と、ただ笑顔で振り返ればいいのだ。

 そうしたら、この暮らしがいつまで続くかは分からないけれど、シェイドだってきっとまた笑いかけてくれる。一週間後もここにいられるのなら、一緒に庭の散策も出来るかもしれない。

 決してもう二度と得られないものを得られるのだ。

 何を、迷うことが。

(クロード様……私)

 ロゼリエッタは目を閉じた。

 本当なら、ロゼリエッタの手の中に残っているはずのない時間だ。
 ロゼリエッタの時間はクロードに別れを告げられた、あの日に止まった。目の前にいるのはクロードであっても、ロゼリエッタの知るクロードじゃない。最後に優しい思い出をほんの少し与えてくれているだけに過ぎないのだ。

 それでもロゼリエッタは欲張りになってしまう。

 名前なんてどちらでもいい。
 髪の色なんて、もっとどちらでもいい。

 笑いかけて欲しい。
 優しくして欲しい。
 一緒にいて欲しい。

 明日も。明後日も。一週間後も。一か月後も。三か月後も。半年後も。一年後も。三年後も。五年後も。十年後も。ずっと、ずっと――。

(でも私は、人形じゃない)

 だめ。思い直して。今ならまだ知らないふりをできるの。
 そう泣きながら縋りつくもう一人の自分の幻影を、目を開けることで掻き消して振り返った。

 シェイドの表情は仮面に隠され、その全ては見えない。けれど、ロゼリエッタが気がついたことにシェイドもまた気がついている。表情ではなく彼の纏う空気がそう物語っていた。

「シェイド様にお聞きしたいことがあります。――答えて下さいますか?」

 思ったより声は震えなかった。
 視線を合わせ、シェイドは深く息をつく。
 その仕草や雰囲気の端々からわずかに窺える諦念は、どちらに対するものなのだろう。
 舞台装置の人形であるはずのロゼリエッタが反抗的な態度を示したからなのか。あるいは、隠し通すことへの限界を感じたのか。

 沈黙が二人の間を満たす。
 それは庭園に出た時の心地良さすら感じさせる優しいものなどではなく、張り詰めた痛みを伴ったものだった。

 ロゼリエッタは日傘の柄を強く握りしめた。血の気が失せて白くなったその細い指先を見やり、シェイドが再び息をつく。

「もうすぐ昼食の準備が整います。先に昼食を摂ってからにしましょう。あなたが今にも倒れてしまいそうです」

 場をうやむやにし、はぐらかす為に言っているのではなさそうだ。
 ロゼリエッタは柄を握る指を緩めて頷き、シェイドの後をついて四阿へと引き返した。

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