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第四章

19. 都合の良い存在は誰が為に

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 すでにずいぶんと遅い時間になってしまっている。だから食後のお茶の準備はすぐさま行われた。

 蜂蜜漬けの果実が入っているのだろうか。
 飾り気のない白いティーポットから、揃いのカップへと琥珀色をした紅茶が注がれるにつれ、甘酸っぱい香りが広がって来る。

 話したいこと、聞きたいことはたくさんあった。けれど今は時間がない。ロゼリエッタは躊躇いながらも本題をそのまま問いかけた。

「私を捕らえようとした衛兵は、私がマーガス王太子殿下の暗殺を企てたと言っていました。そのような恐ろしい事件が起きていたことは、事実なのでしょうか」

 単刀直入に尋ねられると予想してはいなかったのか。シェイドは少し驚いたような反応を見せ、それから頷きで答える。

「殿下に出された紅茶に何らかの薬物が仕込まれていたことは事実です。幸いなことに異変にはすぐ気がつかれたので、口になさりはしませんでしたが」
「では王太子殿下はご無事なのですね」
「普段と変わらずに過ごされております」

 やはり、先程いたもう一人の青年はマーガスだったのだ。
 わざわざ彼が同行していた理由は分からないけれど、無事であることに安堵した。

 ロゼリエッタがマーガスの死を望む理由などどこにもない。
 無事であることは普通にとても喜ばしかった。クロードが巻き込まれた武力抗争の起こった隣国の王太子ではあってもマーガスに非はない。それくらいの判別はついているつもりだ。

 本当にクロードが命を落としていたのだとして。
 その死を引き金に誰かの命を確実に奪いたいと願うほどの絶望と毒物をロゼリエッタが手にしたのなら、他でもなく自分の命を絶つ為に使っていた。

 そもそもロゼリエッタが毒を盛れるような距離でマーガスに接触したことなど一度だってない。先週の夜会で遠目に見たのが最初で最後だ。ほんの短い間に何をどうしたら、自国の王女の婚約者でもある隣国の王太子に一介の侯爵家令嬢が近寄れるというのか。

 他国の王太子を招いた状態で人払いをするほど警備は甘くないし、マーガスだって身元が確かな侍女が淹れたお茶以外を飲むような警戒心が薄い人物ではないだろうに。

「事件の起こる数日前、マーガス殿下宛てに差出人の署名のない手紙が届いています」

 そう言ってシェイドは一通の手紙を差し出す。
 これが、実際に送られて来た手紙なのだろう。上部がすっぱりと切り開かれており、とうに中身を改めた後だと物語っている。

 ロゼリエッタにとって嬉しくないことが書かれていると察しがつく。震える手で受け取った。封筒の表には女性の筆跡と思しき文字で"マーガス王太子殿下へ"と書かれている。だけどもちろん、ロゼリエッタの文字ではない。

 裏返し、封筒を取り落としそうになる。

 可愛らしい桃色の封蝋に刻まれた白詰草。それはロゼリエッタが使用しているデザインと同じだったからだ。
 この世に二つとないものであることは自分がよく知っている。

 クロードが、お守りのお礼にとプレゼントしてくれたものなのだから。

(どうしてなの)

 まさか、これもアイリが?

 他にもまだ裏切りがあっただなんて信じたくない。でもロゼリエッタの愛用する印璽いんじを持ち出せるのは、アイリしかいないのではないか。いや、デザインを知っていたら複製することだって出来るかもしれない。――だけど、複製なんて手間やお金のかかる手段を取るだろうか。

 次々と湧き上がる疑問を否定し、便箋へと目を落とす。

 『あなたをずっとお慕いしております。この恋が報われずとも、せめて金曜日に二人だけの逢瀬の願いを叶えてはいただけませんか』

 ロゼリエッタは身体が冷えて行くのを感じていた。

 今だって名目上のものではあるけれど、ロゼリエッタはクロードと婚約中だ。ましてや自国の王女の婚約者でもある隣国の王太子に懸想するわけがない。
 でもこれでは、ロゼリエッタがひどく不誠実でだらしのない令嬢だと言っているも同然だ。

「それで、マーガス殿下は……」

 あの理知的な目をした王太子がこんな文面を信じるはずがない。
 分かっていても、恐ろしかった。
 マーガスやレミリアがロゼリエッタからの手紙ではないと思ったって、証明できるものがない。

 筆跡は代筆を頼まれたからだと言い訳が立つ。
 けれど印璽は誤魔化しようがなかった。
 ロゼリエッタが実際に何度かそれを使って友人たちに手紙を出した過去があるのだ。彼女たちは、問われればありのまま素直に本物だと証言するだろう。それだけでロゼリエッタが差出人だという、紛れもない証拠になる。

「ただ、あなたが殿下に接触する機会を得ようとしていた。その事実だけが必要だったのでしょう」
「違います! このような手紙を私は差し上げてはおりません……!」
「分かっています。全て分かっているうえで、殿下はあなたを僕の監視下に秘密裏で置くことを望まれたのです」

 シェイドの静かな声を受け、ロゼリエッタは瞬間的に感情を露呈してしまった自らを恥じた。蝋燭が燃えて短くなったことで、やはり炎の向こうではあってもシェイドの顔が夕食時よりもよく見える。
 その表情はロゼリエッタが声を乱しても変わりなかった。何らかの反応を期待していたわけではない。それでも勝手に心は傷つく。紅茶を飲み、カップを置くふりをして俯いた。

 シェイドに、どうして欲しいのだろう。
 分からない。
 分からなくなって、何を言えば良いのかさえ見失ってしまう。

「ロゼリエッタ嬢」

 名を呼ばれて顔を上げる。目が合うとシェイドはどこかほっとしたように表情をわずかに緩ませた。いや、そう見えたのは蝋燭の炎のせいなのかもしれない。

「いかに稚拙なやり口で本人には何ら痛くないものでも、他人から見たらそうであるとは限りません。たとえ火のない場所であろうと、無理やり煙を出して貶めようとする卑劣な人物は存在します。残念ながら……こと王位を巡る貴族たちはそういう人物の集まりなのです」

 ロゼリエッタの周囲の人々がそうではないだけで、中にはそういう人物も確かにいるのだろう。
 だから何らかの手段を用いて印璽を入手し、利用した。シェイドはそう言っているのだ。

「でも、どうして私を利用しようと……?」
「おそらく、あなたがレミリア王女殿下に近しいからでしょう」
「レミリア王女殿下に?」

 問いかけてから、ある事実に思い至った。

 マーガスが滞在中、彼に何かあったとしたらこの国の警備態勢に非難が集まることは想像に難くない。
 そしてマーガスは母国で王位継承争いの真っ只中にいる。レミリアは国内の貴族以上に有用な後ろ盾だ。対立する貴族たちにとっては最も面白くない存在だと言っても良いだろう。

 だけど国力がほぼ同程度である以上、隣国の貴族がレミリアを貶めることはできない。そんなことをしては国同士の戦に発展しかねなかった。

 戦になれば内部分裂などしている余裕はなくなる。王位を争いながら他国と戦をするなど、どちらが勝つか目に見えていた。結果、祖国が滅ぼされてしまってはその玉座には何の意味もない。下手をしたら王族は全て処刑されることも十分にありえる。

 とは言えマーガスと敵対する勢力にとって、レミリア及びこの国が疎ましい存在であることも事実だろう。要は自分たちに一切の非がない状態へ持ち込めば良いのだ。そうしたら逆に、レミリアを追い払うこれ以上ない建前が産まれる。

 レミリアに仕えるクロードは有力貴族の三男であり、世間知らずな三歳年下の婚約者がいる。ロゼリエッタが利用されたのは、おそらくそういうことに違いない。
 何も知らずにいつもと変わりなく過ごしていたその裏で、マーガスやレミリアを陥れる為の駒に選ばれていた。これほど便利な存在がなかなかいないのは事実だからだ。

「――向こうが用意した証拠は、印璽の残る手紙だけではありません。二重三重に手を回しているはずです」

 心が、魂ごと凍って行くのが分かる。

 マーガスの敵対者にとって都合の良い存在は、マーガスやレミリア――強いては彼女を主とするクロードにとってひどく都合の悪い存在だ。
 だからクロードは、本人の意思に拘わらずロゼリエッタが利用されてレミリアの立場を悪くする前に切り捨てた。

 そういう、ことなのか。

「大丈夫です」

 ロゼリエッタに向け、シェイドは強い口調で告げた。

「この先何があったとして、あなたは僕が守る。その為だけに――僕は今、ここにいるのです」

 嬉しいはずの言葉なのに悲しくて涙が潤む。

 だってその言葉は"クロード・グランハイム"から聞きたかった。
 "シェイド"は、そういう役目を与えられたから、守ると言ってくれているだけなのだろう。

「――分かり、ました」

 もう聞きたくない。

 ロゼリエッタは涙を見せないように俯き、話を切り上げるしかできなかった。

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