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第三章

17. もう一つの名

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「騎士様のお名前をお教えいただくことは叶わないのでしょうか」
「シェイドと。そうお呼び下さい」
「分かりました」

 ロゼリエッタは頷いた。そうして、精一杯の勇気を振り絞って言葉を紡ぐ。

「――シェイド様」
「はい」

 名前を呼び、返事がある。
 目の前の人物がクロードと分かっているのにクロードと呼べない。クロードの名でなければ呼ぶことを許してもらえる。相反する二つの感情が胸の中を強くせめぎあった。

 嬉しさと寂しさ、どちらから来るものなのか。あるいは両方を含んでいるのか。分からないままに涙がこぼれそうになる。
 騎士――シェイドは重たげなドアを簡単に開き、ロゼリエッタを促した。

「移動でお疲れでしょうから部屋にご案内致します」

 ゆったりと余裕のある内部は、外から見るより遥かに広々として見える。品良く落ち着いた色合いでまとめられ、通路に時折置かれた調度品も派手さはないけれど手が込んでいた。

 クロードなのだと思い込みがあるからだろうか。
 屋敷の中も、どことなくグランハイム家と雰囲気が似ていた。

 そうして二階の最も奥の部屋へと案内される。やはり客人を迎える時と変わらないようで、自分の立場を錯覚してしまいそうだった。

「この屋敷でしばらく生活するに当たり、あなたの着替えはクローゼットにご用意しております」

 指で壁際を示され、ロゼリエッタは遠慮がちに近づいた。
 クローゼットは大きな二枚の板を横に張り合わせた折り戸が二つはめ込まれ、どちらにも銀色の細い持ち手が取りつけられている。左側の折り戸をゆっくりと開き、ロゼリエッタは驚きに息を飲み込んだ。

 着替えだというそれらは、さすがにドレスはないものの可愛らしいワンピースがたくさんハンガーにかけられていた。
 ロゼリエッタの為に急遽用意されたとは思えない数だ。ならば、シェイドの母親が少女だった時に着ていたものだろうか。個人を偲んで片付けられずにいたものなのかもしれない。

 もしそうだとしたら、ロゼリエッタが軽々と袖を通して良いものではなかった。着替えだと用意されても躊躇ためらってしまう。

「そこにかけられたものは、気に入りませんか」
「え?」

 ロゼリエッタは振り向いた。いつの間にか近くに寄って来ていたシェイドがハンガーを無造作に一つ手に取り、ワンピースをロゼリエッタに合わせるように身体の前に掲げてみせる。

「こちらにかけられた品々はもしかして騎士様のお母様の」
「いえ、あなたの為だけにご用意したものです。お好みではありませんでしたか」
「そんなことは……」

 ロゼリエッタは口ごもりながらも小さく首を振った。
 白と淡いピンクを中心に、普段から好んで着ている色ばかりだ。フリルやレースにリボン、刺繍といったデザイン一つ取っても少女らしい要素が入っている。好みではないどころか、どれも可愛らしくてとても好ましい。

 だからこそ、不安と疑問が湧き上がる。
 こんなにたくさん、いつ用意したと言うのだろう。既製品を買いつけたのだろうけれど、それにしても相当な数だ。

「どうして、こんなにも親切にして下さるのですか。私の着るものなど別になくったって」
「年頃の令嬢が何日も同じ服を着たままというわけには行かないでしょう」
「お名前やお姿が変わっても、私に何もお話しして下さらないところは変わらないのですね」

 誰に会うでもないのに、おかしなことを言う。
 適当な言い訳であしらわれた気がしてしまって、ロゼリエッタは泣き笑いを浮かべるとシェイドに背を向けた。

「シェイド様が仰るように、無力な私は一人ではここから家へ帰ることもできません。ですから何もせずおとなしくしています。王太子殿下を手にかけようとした、まるで覚えのない罪に関しても、私が話せることはいつだって全てお話し致します。だけど――」

 一度口をつぐみ、目を伏せる。

「今日は色々なことが起こりすぎて疲れてしまいました。叶うのなら少し休ませて下さい」
「――分かりました。すでにベッドのご用意も済ませてありますから、そちらで遠慮なくお寛ぎ下さって構いません」

 シェイドは何の感情も読み取れない声で答え、ワンピースをクローゼットに戻した。
 たくさんの服は気を遣ってのことなのかもしれない。でも、何故そのような気を遣わなければいけないのか。理由を聞かない限りは素直に喜ぶこともできないのも事実だ。

「何か必要とあらば遠慮せずお呼び下さい。すぐさま駆けつけます」
「お心遣いありがとうございます。でも大丈夫です。シェイド様のお手を煩わせるようなことは決して致しません」
「では夕食はあなたの目が覚めたらにしましょう。胃に優しいものを用意させます」

 次がある。
 数時間後には果たされる約束にロゼリエッタは期待を抱いてしまった。胸の前で指を握りしめて夢ではないことの確認を取る。

「一緒に、召し上がって下さるのですか?」
「食事の席は出来るだけ一緒にします。それでは――また、後程」

 一人残されたロゼリエッタは大きく息をついた。改めて部屋の中を見回せば、確かに奥に立派なベッドが置かれている。
 それよりも手前にゆったりとしたソファーもあるけれど、そちらで眠ってしまえば体調を崩さないとも限らない。来て早々体力を失うのは得策とも思えず、騎士の言い残した言葉に甘えてベッドの中に潜り込ませてもらった。すべらかなリネンの心地良さに目を細め、額に手の甲を押し当てて天井を見つめる。

 家族もダヴィッドも、アイリもいない。
 これからどうなってしまうのだろう。どうしたら、いいのだろう。

 ロゼリエッタにできることなど知れている。ましてや、こんな状況でできることとなればさらに限られた。
 それに、ロゼリエッタが今いるのは領地ではないのだ。予定通り到着していないとあっては、みんなも心配しているに違いない。

 手紙を出すことはできるだろうか。
 後でシェイドに聞いてみよう。
 それから――。


 疲労は思っていた以上に蓄積していたらしく、ロゼリエッタの意識はほどなくして沈み込んで行った。

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