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第二章
10. 拭われることのない涙
しおりを挟む 驚くべきことに、科学のなかで医学はもっとも遅れておりました。
なんと18世紀にいたるまで、紀元2世紀のガレノスの四体液説(人間の健康は四つの体液のバランスで成立しているというもの)が主流で全く発展していなかったのです。
医療行為というのは瀉血(しゃけつ)といって、悪い部分の血を抜くというもので、全く効き目のないものでした。
そんな遅れに遅れていた(そのため誰も医者にかかろうとせず、漢方のような薬に頼っていた。実はコカ・コーラも最初はジョン・ペンバートン博士がコカインを使った薬として開発した)医学会に登場したのが奇人ジョン・ハンターであります。
彼は現在の高須医院長のごとく、自らの身体を使って人体実験を繰り返した。
当時の患者でもっとも多かったのは性病の患者である。そして性病には二種類、梅毒と淋病があった。
まず最初にジョンは淋病の患者を二つにわけ、片方には偽薬を与え、もう片方には本物の薬を与えた。
ところがこの二つのグループはほぼ同時に回復してしまう。
そのためジョンは淋病の治療に必要なのは薬ではなく、体力の回復だと考えた。
もうひとつ、当時の医学会では淋病と梅毒は同じ病気……すなわち淋病が重症化したものが梅毒ではないかと考えられていた。
そこでジョンは自らの精器にナイフで傷をつけ、淋病患者の膿を毎日こすりつけるという暴挙にでる。
そのうえで一切治療をせず、自らの身体で経過観察を行おうとしたのである。
結果、首尾よく淋病にかかったジョンは数週間後自らに梅毒の症状が現れたことを発見した。
やはり俺の予想は間違っていなかった!梅毒は淋病の重症化したものなんだ!とジョンは踊りあがって喜んだが、実はジョンは膿を採取した患者が、淋病と梅毒両方に感染していたと後に判明する。
可哀そうにジョンはその後死ぬまで梅毒に苦しむことになる。
まあそんなジョンだが、彼が世界にその名を轟かせたのはその実験についてではない。
兄であるウィリアム・ハンターと出版した妊娠した女性の人体解剖図の発表によってである。
当時妊娠中の女性の解剖は不可能であると考えられていた。
なぜなら合法的に解剖できるのは死刑囚の死体のみであったからだ。
確かに窃盗でも死刑、詐欺も死刑と非常に死刑になりやすい環境ではあったが、妊娠中の女性は出産まで死刑を延期するよう法律で定められていた。
しかもハンター兄弟が発表した解剖図は、妊娠初期から臨月までの段階ごとの解剖図が網羅されており、その経過ごとの死体が都合よく手に入ったことを意味していた。
あたりまえだが、そんな都合のよいことがあるはずがない。
ではどうやって手に入れていたかというと、それが墓荒らしであった。伊達に墓守などという職業があったわけではなかった。
しかもジョン・ハンターはそのなかでも当時スコットランド最大の墓荒らし組織のリーダーにまでなってしまう。
さらに解剖図を作成するために必要な人体を切り分けるのだが、ジョンは天才的な才能を発揮して、筋肉の繊維一本一本を切り分けそれにニスを塗って標本にするようなことまでやり始めた。
なぜかこの時代までローマ時代の学説が信じられていて、妊娠初期から赤ん坊は小さな赤ん坊の姿で生まれてくる思われていた。まさか人間か何かわからないような奇怪な姿をしているなど思ってもみなかったのである。
まさに医学界は大パニックとなった。
しかしここで大きな問題にジョンは直面する。
いかにスコットランド最大の墓荒らし組織といえど、やはり都合よく各段階の妊婦の死体など手に入らなかった。
そこでジョンは、対立する他の墓荒らし組織にまで依頼を出して、妊婦の死体に賞金をかける。
するとたちまち死体が集まった。
読者の皆様にはもうおわかりだろう。
それは墓荒らしで得たものではなく、殺人で得たものであった。
当時のロンドン紙にはロンドンバーカーズ連続殺人事件という、解剖用のために殺人を犯す事件が発生して大きな社会問題となった。
ところがそんな社会の喧騒をよそに、さらにジョンは暴走する。
鶏のトサカに人間の歯を移植してみたり、山羊の頭に水牛の角を移植したり、と人類初の移植手術に興味を示したと思ったら、再び自分の体で人体実験である。
その結果わかったのが、抜いたばかりの新鮮な歯は、移植すると長持ちするという事実であった。
当時悪くなった歯を抜いたあとには、象牙で作った人工の歯を埋め込むのが一般的であったが、当たり前だが下手をすると一か月も保たなかった。
免疫抗体というものはまだ理論すらなかった時代である。そのため拒否反応をジョンは知らなったが、彼はその類まれな発想で、組織というのは移植できるのではないかと考えた。
そして理由はわからないが、抜いたばかりの歯は移植が成功する確率が高いことをつきとめたのである。
これは現在でも近代歯科医師学の基礎として残されている。
貧乏な子供たちが広告で集められ、金持ちの歯に移植するために小銭で歯を抜かれるのがジョンの医院の日常であったという。
その後ジョンは世界初の人工授精にまで成功してしまうのだが、実験のためには手段を択ばないその無慈悲さは長く批判を浴びた。
こと個人の善悪でみればジョンは完全に悪人であり、彼のために死んだ無実の善良な人々が両手の指では到底きかないであろう。
しかしこうした奇矯な人間の無慈悲な行動が、数万数十万の命を救うきっかけになったことも事実である。
戦争が文明を加速させるように、技術の発展には人間の良心は必要不可欠な要素ではないという、認めたくない現実をジョンは体現していた。
ちなみにジョンはドリトル先生のモデルといわれ、またその自宅はジキル博士とハイド氏の邸宅のモデルとなった。
なんと18世紀にいたるまで、紀元2世紀のガレノスの四体液説(人間の健康は四つの体液のバランスで成立しているというもの)が主流で全く発展していなかったのです。
医療行為というのは瀉血(しゃけつ)といって、悪い部分の血を抜くというもので、全く効き目のないものでした。
そんな遅れに遅れていた(そのため誰も医者にかかろうとせず、漢方のような薬に頼っていた。実はコカ・コーラも最初はジョン・ペンバートン博士がコカインを使った薬として開発した)医学会に登場したのが奇人ジョン・ハンターであります。
彼は現在の高須医院長のごとく、自らの身体を使って人体実験を繰り返した。
当時の患者でもっとも多かったのは性病の患者である。そして性病には二種類、梅毒と淋病があった。
まず最初にジョンは淋病の患者を二つにわけ、片方には偽薬を与え、もう片方には本物の薬を与えた。
ところがこの二つのグループはほぼ同時に回復してしまう。
そのためジョンは淋病の治療に必要なのは薬ではなく、体力の回復だと考えた。
もうひとつ、当時の医学会では淋病と梅毒は同じ病気……すなわち淋病が重症化したものが梅毒ではないかと考えられていた。
そこでジョンは自らの精器にナイフで傷をつけ、淋病患者の膿を毎日こすりつけるという暴挙にでる。
そのうえで一切治療をせず、自らの身体で経過観察を行おうとしたのである。
結果、首尾よく淋病にかかったジョンは数週間後自らに梅毒の症状が現れたことを発見した。
やはり俺の予想は間違っていなかった!梅毒は淋病の重症化したものなんだ!とジョンは踊りあがって喜んだが、実はジョンは膿を採取した患者が、淋病と梅毒両方に感染していたと後に判明する。
可哀そうにジョンはその後死ぬまで梅毒に苦しむことになる。
まあそんなジョンだが、彼が世界にその名を轟かせたのはその実験についてではない。
兄であるウィリアム・ハンターと出版した妊娠した女性の人体解剖図の発表によってである。
当時妊娠中の女性の解剖は不可能であると考えられていた。
なぜなら合法的に解剖できるのは死刑囚の死体のみであったからだ。
確かに窃盗でも死刑、詐欺も死刑と非常に死刑になりやすい環境ではあったが、妊娠中の女性は出産まで死刑を延期するよう法律で定められていた。
しかもハンター兄弟が発表した解剖図は、妊娠初期から臨月までの段階ごとの解剖図が網羅されており、その経過ごとの死体が都合よく手に入ったことを意味していた。
あたりまえだが、そんな都合のよいことがあるはずがない。
ではどうやって手に入れていたかというと、それが墓荒らしであった。伊達に墓守などという職業があったわけではなかった。
しかもジョン・ハンターはそのなかでも当時スコットランド最大の墓荒らし組織のリーダーにまでなってしまう。
さらに解剖図を作成するために必要な人体を切り分けるのだが、ジョンは天才的な才能を発揮して、筋肉の繊維一本一本を切り分けそれにニスを塗って標本にするようなことまでやり始めた。
なぜかこの時代までローマ時代の学説が信じられていて、妊娠初期から赤ん坊は小さな赤ん坊の姿で生まれてくる思われていた。まさか人間か何かわからないような奇怪な姿をしているなど思ってもみなかったのである。
まさに医学界は大パニックとなった。
しかしここで大きな問題にジョンは直面する。
いかにスコットランド最大の墓荒らし組織といえど、やはり都合よく各段階の妊婦の死体など手に入らなかった。
そこでジョンは、対立する他の墓荒らし組織にまで依頼を出して、妊婦の死体に賞金をかける。
するとたちまち死体が集まった。
読者の皆様にはもうおわかりだろう。
それは墓荒らしで得たものではなく、殺人で得たものであった。
当時のロンドン紙にはロンドンバーカーズ連続殺人事件という、解剖用のために殺人を犯す事件が発生して大きな社会問題となった。
ところがそんな社会の喧騒をよそに、さらにジョンは暴走する。
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その結果わかったのが、抜いたばかりの新鮮な歯は、移植すると長持ちするという事実であった。
当時悪くなった歯を抜いたあとには、象牙で作った人工の歯を埋め込むのが一般的であったが、当たり前だが下手をすると一か月も保たなかった。
免疫抗体というものはまだ理論すらなかった時代である。そのため拒否反応をジョンは知らなったが、彼はその類まれな発想で、組織というのは移植できるのではないかと考えた。
そして理由はわからないが、抜いたばかりの歯は移植が成功する確率が高いことをつきとめたのである。
これは現在でも近代歯科医師学の基礎として残されている。
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その後ジョンは世界初の人工授精にまで成功してしまうのだが、実験のためには手段を択ばないその無慈悲さは長く批判を浴びた。
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しかしこうした奇矯な人間の無慈悲な行動が、数万数十万の命を救うきっかけになったことも事実である。
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ちなみにジョンはドリトル先生のモデルといわれ、またその自宅はジキル博士とハイド氏の邸宅のモデルとなった。
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