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どうして幸せになどなれましょうか

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「何故、嫁ぎたくないと言わなかった。お前が拒否したら父上だって」
「わたくしが拒否したからと、話がなかったことになると本当にお考えですか」

 立場が逆転したように、イングリットは苦し気に顔を背ける。
 彼我の差は圧倒的だ。要求を断ることなどできない。もしかしたらイングリットは大切にしてもらえるかもしれない。でも、所詮は王太子の興味がある間だけだ。義兄の元を離れてまで、好きでもない男に嫁いだイングリットが得るものは束の間の寵愛と、愛玩姫というの何の足しにもならない地位だけ。下手したらエリアスを盾に、屈辱的な要求をされる可能性も十分にあった。
 何しろ王太子の正妃は、イングリットが知る限りでもこの五年で三人が・・・死んでいる・・・・・。それがただの偶然だと片付けるには無理が多すぎた。

 もっとも、それが大国に嫁ぐ小国の王女に求められる役割だと言うのであれば、そうなのだろう。

「確かに王太子殿下の正妃は相次いで不幸な事故・・・・・に見舞われているかもしれない。だが、お前なら殿下の寵愛を一身に受けて丁重な扱われていたはずだ」
「お義父様もきっと、そうお考えだったのでしょうね」

 善良な義父は、愛する娘が誰からも等しく愛されると信じて疑ってはいなかった。
 愛してくれていたことは嬉しく思う。けれど、そのせいで盲目になられても被害を被るのはイングリットなのだ。

「でも現実はそんな優しいものではありませんの。わたくしは愛してもいない相手に矜持を捨てて媚びを売って、望まれて嫁いだはずがいつ尽きるともしれない寵愛をみじめに乞い続けて……そんな屈辱に耐えるなら、嫁ぐ前に殺された方がずっとましです」
「お前は、僕に殺されたかったのか」
「かも、しれません」

 イングリットは薄く笑った。

 エリアスが欲しくて身体を繋いだ。
 でも本当は軽蔑され、死に誘ってもらうことがいちばんの目的だったのかもしれない。今だってエリアスが望めば首を差し出せる。彼の手にかかれるのなら、それがいい。

「だが僕にお前は殺せない」
「そうね。わたくしはお義兄様自ら手を汚すに相応しい人間ではありませんもの」
「そうじゃない。僕は」

 エリアスの言葉を遮り、地の底から重く響くようなすさまじい爆発音が聞こえたかと思えば衝撃で部屋が揺れた。時間がやって来たのだ。エリアスと永遠に別れる為の。
 部屋の空気が熱を持ち、淀んで来る。先程の爆発音からして城内で火が上がっているのは明白だった。

「――ここにもいずれ火の手が襲いかかる。今なら、まだ」

 逃げられる――。

 その言葉は口に出せなかった義兄へと向けて、イングリットは優しく微笑んだ。

 両親に毒を盛って殺した後、そのまま部屋に発火装置を仕掛けた。
 もっと遅い時間に作動する予定だったけれど、早まったのは神の意思によるものだろうか。でもイングリットはもう欲しいものを得た。死んだ方がましだと口にした言葉に嘘はない。胎内の奥深くにまで刻みつけたエリアスの痕跡も生々しいままに死ねるのであれば、むしろ本望だ。これ以上の散り際もない。
 最後に知った、エリアスの手で終わりを迎えたいという願いが叶えられないのも、イングリットにお似合いだ。

「わたくしはここを離れませんわ」
「何故だ」
「民を見捨てたわたくしが、どうして幸せになどなれましょうか」

 死を前にしてもの心は凪いでいた。
 政略結婚が決まった時、イングリットは死んだようなものだ。
 幸いだったのは義兄の婚約者が今も決まらずにいること。誰よりも優しくて、誰よりも残酷な人だから、イングリットが嫁いで幸せになるまでは誰も娶らないと決めているに違いない。家族や故郷を離れて隣国に嫁ぐイングリットを憐れみ、贖罪のつもりで。
 そんな優しさはいらなかった。いっそ隣国になど送りたくもないと義兄の手で殺してくれた方がずっと良かった。
 でも解放される為の優しさは決して与えてはくれない。

 知っている。
 だから、その愛情が欲しかったのだ。

「ごめんなさい、お義兄様」

 イングリットがどれだけ跪いて地べたに頭を擦りつけて詫びようと、その命を差し出そうと何の意味もない。ただの自己満足でしかない謝罪の言葉を告げる。

「本来なら王族に連なる資格すらないわたくしが、お義兄様の大切なご家族を失わせて、愛する祖国と民草を奪おうとして、本当にごめんなさい。でも、お義兄様はどうぞ一人でお逃げになって」

 誰もいない、誰も知らない遠い場所まで逃げて、そして――どうか時々でいいから思い出して。
 決して結ばれはしない義兄を心から愛してしまった、愚かで哀れな義妹のことを。

 ところがエリアスは首を振った。

「ここにいるよ」
「ど、どうして……。お義兄様は天国へ行けなくなってしまうわ」
「――今さら何を」

 エリアスは自嘲気味に笑う。

「血の繋がりがなくとも、婚姻の許されない義妹と姦通した身で行ける天国がどこにあるというんだ」

 それに、と言葉を続ける。

「この国の民全てかお前一人、どちらかを必ず犠牲にしなければならないのなら、僕は迷わず前者を選ぶ」
「嘘……だってお義兄様は」
「成人を迎えたのに妃を娶って血を受け継ぐ意思も見せない王太子が、心から国を憂いているとでも思うのか」
「それ、は」

 イングリットは掠れた声を振り絞った。

 だけど国王は毒殺され、王太子も行方をくらませたとなれば、空いた玉座を巡って諍いが起きることは疑いようもない。
 自らが新しく王となるべく争うか、イングリットが嫁ぐはずだった隣国や周辺国家にわずかな国土を売り飛ばすか、選択は貴族によって様々であっても、どれもが民の平穏な暮らしを脅かす、望まざるものだ。
 エリアスに逃げて生き延びて欲しいと願うイングリットが言えたことではないけれど。

「大国に嫁ぎ、僕の手が届かない場所で幸せになってくれたら諦められると思っていたのに」

 エリアスは笑った。
 諦念と希望、どちらも見える、ひどく美しい笑みだ。

「だが、そんなことはできないと分かっていたんだ。いくら距離を置いたところで忘れられるはずもない。お前がいない世界こそ、僕にとって等しく地獄だ」

 何て甘く、罪に溢れた言葉だろう。
 この後にむごたらしい殺され方をしたっていい。
 誰でもいいから、幸せなイングリットの時間を今すぐ永遠に止めて欲しい。

「ひどい義妹でごめんなさい」
「本当に――悪魔のような女だ」
「でもお義兄様を道連れにするつもりなんてなかったの。それだけは本当よ。信じて」

 幸せに、なって欲しかったから。

「別に道連れにされたとは思ってない。僕が自分で決めたんだ」
「お義兄様、手を繋いで下さる?」

 手を差し出せば強く握られた。
 指と指が絡む。離れないように。離さないように。

「ありがとう、お義兄様――」

 大好きよ。

 無垢な笑顔を浮かべて声もなく伝えた言葉が、その部屋で交わされた最後のものになった。



 白亜の城はあっという間に炎に飲み込まれ、小国には有り余るほどの栄華を誇りながらも陰では少しずつ斜陽していたように、そこには何も残らなかった。

 美しい王太子と王女も生き延びた人々による懸命の捜索も虚しく、その魂ごと焼き尽くされてしまったのか、どれだけ探しても遺体は見つからなかったという。


   -END-


 最後までお付き合い下さりありがとうございました!
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