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どうぞご安心なさって
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「君がイングリット? 初めまして、僕はエリアス。今日から君の義兄になるんだ」
母を亡くした五歳のイングリットの元に身なりの良い紳士と共に現れた少年は、柔らかな笑みでそう言った。
義兄だと名乗った彼をまだ涙の残る目で見つめれば、陽光を受けて煌めく金色の髪のあまりの眩さに目を細める。
太陽のようだと子供心に思った。
存在を感じるだけで暖かくて優しくて――自分だけの光にしたくなる。
「ここが今日から新しく君の部屋になるんだ。気に入ってくれると嬉しいな」
光の差し込む廊下を手を繋いで歩き、案内された部屋は母と過ごした部屋と広さも内装の豪華さも大きな違いはなかったけれど、まるで違う世界へとやって来たように思えた。
「――様……の……お部屋も近くていらっしゃるの?」
エリアスを何と呼べばいいのか分からなくて曖昧に誤魔化すと、彼は屈託のない笑顔を向ける。
「今はまだ義兄だと受け入れてもらえないかもしれないけど、君の気持ちが落ち着いたらでいいから家族として呼んでくれる?」
「お義兄様と、お呼びしても……よろしいのですか?」
イングリットがおずおずと尋ねればエリアスはさらに笑みを深めた。
「もちろんだよ。僕たちは兄妹になったんだからね。それで僕の部屋だけど、ここからは少し離れているから後でまた案内するよ」
その言動全てが穢れなく真っすぐなエリアスに、イングリットの心はどんどん引き寄せられるのが分かった。
幼いながらも、王族の一員として王城に入れば様々なことを知って行く。
知りたいこともあったけれど、その大半は知るつもりのなかったこと、知らない方が良かったことだ。
たとえば反王家派である母の実家が権力を持つ前に掌握しようとした貴族たちが王妃にしようとしていた過去があったり、それを快く思わない貴族たちもいたり、イングリットが迎えられた理由の一つに今もなおそれらの政治目的が紛れ込んでいたり、義父と義母や義兄は善良であっても周りは決してそうではなかったり。
もっとも、国王の代わりに周囲が非情であることで、この国はバランスが取れているのだろう。
(お義兄様をわたくし一人だけのものにする為には、どうしたらいいの?)
イングリットは成長するにつれ強くなる義兄への想いが収まるべき場所を探しはじめた。
母の血筋は悪くない。
それだけの価値がある家の娘が母であれば、王家派と反王家派のどちらにしろ野心を秘めた有力な貴族を後ろ盾につけられたなら、イングリットがエリアスの正妃になることも望めるのではないか。
最も安全で確実な方法を模索しながらイングリットが十八歳となったある日、正妃に娶りたいと隣国の王太子から打診があった。
小さく、とりたてて強みもないのに周辺国の侵略を免れているこの国が――その事実こそ、王の性善説を根強い思考にしているのだけれど――大陸いちばんの大国の王太子に見初められるのはとても名誉のあることだ義両親だけでなく義兄さえも、我がことのようにまたとない良縁だと喜んでくれた。
たくさん贈られて来るドレスやアクセサリーは一目で最上質の品だと分かるほどに豪華で綺麗なものばかりで、さすが大国に嫁ぐ姫への贈り物だと誰もが感嘆の息を禁じ得ない。中にはドレス一着だけでもこの国の一年分の国家予算を費やしかねない品もあり、それほどまでに隣国との間には圧倒的な差があった。
だけど国も民も未来も――両親も例外ではなくイングリットは求めてはいない。彼らの為に自らを犠牲にするなんてまっぴらごめんだ。
国王夫妻である義父も義母も、手にかけるのはとてもたやすかった。
未だに仲の良い彼らは夫婦揃ってのティータイムを欠かさない。そこで飲む紅茶の中に毒を混ぜるだけで良かった。国王と王妃の死因が特定される前に、彼らと最後に会っていたのがイングリットだと証言が出て嫌疑を向けられしまう前に、エリアスと二人きりで話す時間が欲しいイングリットには、これ以上なくおあつらえ向きの習慣だ。
スプーン一杯にも満たない毒は、けれどイングリットの明確な悪意を持って彼らを内側から蝕んで命を奪う。
自らの手が恐ろしいものを扱うことに、恐ろしい結末へと導くことに、イングリットは何の恐れも抱かなかった。それどころか欲しいものをようやく掴み取れると高揚した。
何も気がつかず、あるいは何も気がつかないふりをして毒を呷ったのは彼らなりの贖罪の気持ちもあったかもしれない。
願いを叶えてやれない代わりに命をかけて償うことで許して欲しい、と。
もし本当にそう考えていたのだとしても、結局は無駄死にだ。それでイングリットの心が慰められることなどないし、命を擲つほどの覚悟があるのなら最初から願いを叶えて欲しかった。でも義父がそう選択できる人物であれば、何も苦労はしていなかったとも思う。
「お前……何を」
「どうぞご安心なさって。お義兄様に盛ったのは睡眠薬です。お義兄様を殺したりなんてしませんわ」
もしかしたら、高潔なお義兄様なら死を選びたくなるかもしれないけれど。
母を亡くした五歳のイングリットの元に身なりの良い紳士と共に現れた少年は、柔らかな笑みでそう言った。
義兄だと名乗った彼をまだ涙の残る目で見つめれば、陽光を受けて煌めく金色の髪のあまりの眩さに目を細める。
太陽のようだと子供心に思った。
存在を感じるだけで暖かくて優しくて――自分だけの光にしたくなる。
「ここが今日から新しく君の部屋になるんだ。気に入ってくれると嬉しいな」
光の差し込む廊下を手を繋いで歩き、案内された部屋は母と過ごした部屋と広さも内装の豪華さも大きな違いはなかったけれど、まるで違う世界へとやって来たように思えた。
「――様……の……お部屋も近くていらっしゃるの?」
エリアスを何と呼べばいいのか分からなくて曖昧に誤魔化すと、彼は屈託のない笑顔を向ける。
「今はまだ義兄だと受け入れてもらえないかもしれないけど、君の気持ちが落ち着いたらでいいから家族として呼んでくれる?」
「お義兄様と、お呼びしても……よろしいのですか?」
イングリットがおずおずと尋ねればエリアスはさらに笑みを深めた。
「もちろんだよ。僕たちは兄妹になったんだからね。それで僕の部屋だけど、ここからは少し離れているから後でまた案内するよ」
その言動全てが穢れなく真っすぐなエリアスに、イングリットの心はどんどん引き寄せられるのが分かった。
幼いながらも、王族の一員として王城に入れば様々なことを知って行く。
知りたいこともあったけれど、その大半は知るつもりのなかったこと、知らない方が良かったことだ。
たとえば反王家派である母の実家が権力を持つ前に掌握しようとした貴族たちが王妃にしようとしていた過去があったり、それを快く思わない貴族たちもいたり、イングリットが迎えられた理由の一つに今もなおそれらの政治目的が紛れ込んでいたり、義父と義母や義兄は善良であっても周りは決してそうではなかったり。
もっとも、国王の代わりに周囲が非情であることで、この国はバランスが取れているのだろう。
(お義兄様をわたくし一人だけのものにする為には、どうしたらいいの?)
イングリットは成長するにつれ強くなる義兄への想いが収まるべき場所を探しはじめた。
母の血筋は悪くない。
それだけの価値がある家の娘が母であれば、王家派と反王家派のどちらにしろ野心を秘めた有力な貴族を後ろ盾につけられたなら、イングリットがエリアスの正妃になることも望めるのではないか。
最も安全で確実な方法を模索しながらイングリットが十八歳となったある日、正妃に娶りたいと隣国の王太子から打診があった。
小さく、とりたてて強みもないのに周辺国の侵略を免れているこの国が――その事実こそ、王の性善説を根強い思考にしているのだけれど――大陸いちばんの大国の王太子に見初められるのはとても名誉のあることだ義両親だけでなく義兄さえも、我がことのようにまたとない良縁だと喜んでくれた。
たくさん贈られて来るドレスやアクセサリーは一目で最上質の品だと分かるほどに豪華で綺麗なものばかりで、さすが大国に嫁ぐ姫への贈り物だと誰もが感嘆の息を禁じ得ない。中にはドレス一着だけでもこの国の一年分の国家予算を費やしかねない品もあり、それほどまでに隣国との間には圧倒的な差があった。
だけど国も民も未来も――両親も例外ではなくイングリットは求めてはいない。彼らの為に自らを犠牲にするなんてまっぴらごめんだ。
国王夫妻である義父も義母も、手にかけるのはとてもたやすかった。
未だに仲の良い彼らは夫婦揃ってのティータイムを欠かさない。そこで飲む紅茶の中に毒を混ぜるだけで良かった。国王と王妃の死因が特定される前に、彼らと最後に会っていたのがイングリットだと証言が出て嫌疑を向けられしまう前に、エリアスと二人きりで話す時間が欲しいイングリットには、これ以上なくおあつらえ向きの習慣だ。
スプーン一杯にも満たない毒は、けれどイングリットの明確な悪意を持って彼らを内側から蝕んで命を奪う。
自らの手が恐ろしいものを扱うことに、恐ろしい結末へと導くことに、イングリットは何の恐れも抱かなかった。それどころか欲しいものをようやく掴み取れると高揚した。
何も気がつかず、あるいは何も気がつかないふりをして毒を呷ったのは彼らなりの贖罪の気持ちもあったかもしれない。
願いを叶えてやれない代わりに命をかけて償うことで許して欲しい、と。
もし本当にそう考えていたのだとしても、結局は無駄死にだ。それでイングリットの心が慰められることなどないし、命を擲つほどの覚悟があるのなら最初から願いを叶えて欲しかった。でも義父がそう選択できる人物であれば、何も苦労はしていなかったとも思う。
「お前……何を」
「どうぞご安心なさって。お義兄様に盛ったのは睡眠薬です。お義兄様を殺したりなんてしませんわ」
もしかしたら、高潔なお義兄様なら死を選びたくなるかもしれないけれど。
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