【R18】破滅の王子は無垢な天使に跪く

瀬月 ゆな

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白と黒の葛藤

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!  後半にヒーローがヒロインの身体に傷をつける描写があります  !





「っふ……」

 男の手がフィーナをうつ伏せに寝かせる。
 まだ、何かをするつもりなのだろうか。だけどもう抗う力はどこにも残ってはいない。

 ひどいことはしないで。
 そう、願うばかりだ。

 希望を抱いていても良いのか分からないまま、男の動きを視線だけで追う。
 涼やかな顔で、ほとんど乱れていない衣服を直してベッドを降りる。文机に向かって歩き、途中でリュシフェルと言葉を交わした。
 ああ、そうだ。ずっと見られていたのに、他に気を配る余裕などあるはずもなく忘れていた。でももう、どうにもできないし、ならない。

 何を言われたのだろう。
 リュシフェルの声自体が聞こえなかったけれど、何かを言ったのは間違いない。男の表情がわずかに不機嫌そうなそれになった気がする。

(――怒らせないで)

 ぼんやり眺めながらそう思ったけれど、悪魔はわざと怒らせる為に言ったのかもしれない。怒りの矛先が向けられ、ひどい目に遭うのは怒らせた彼ではなくフィーナに違いないのだから。

 男は文机の前に立つといちばん上の引き出しを開けた。目当てのものが見つからなかったのか、今度は別の引き出しを開ける。
 きっと、フィーナにとっては見つからない方が良いのだと思った。ここで起きる出来事全て、フィーナの味方として作用することなんてない。そしてフィーナはやはり神の庇護を失ったらしく、願いは聞き届けられなかった。

(でも、私が本当に主からの寵愛を得ていたのなら――)

 男に見つかることなどなかったのではないか。

 神の否定という恐ろしい考えを抱きかけて思い直す。
 そんなはずない。
 神は天使の生みの親だ。子供たる全ての天使に惜しみない寵愛を注ぎ、常に庇護している。
 フィーナが見つかってしまったのは神の、そして兄の望まぬことをしてしまったからだ。誤って《下界》に落ちただけなら、きっとすぐに迎えに来てくれていた。

(――こんな目に、遭うこともなかった)

 だからやはり、罰なのだ。
 罪を償いきるまで咎を受け、でも――償いの為に、新たな禁忌を犯して永遠に許されはしない。そんな、気がした。

 身体にはまだ快楽の残り火が完全に消えずにくすぶっている。
 自分がこんな淫らな身体を持っているなんて知らなかった。素直に欲しいと言えば優しく与えてくれるのだろうか。でも、試す勇気なんてない。

 男は引き出しから取り出した何かを持って戻って来る。文机の影になっているうえ、握り込んだのか出したものは見えない。
 小さくて、フィーナを傷つけることができるもの。
 候補はいくらでもあるように思えたし、逆にないようにも思う。男の部屋にあるものなんて要素は情報の足しにもならず、想像もつかなかった。

今後の為・・・・に使っておくと良い」

 彼が手にしたもの、その目的を分かっているらしい悪魔が小さなビンを投げた。空いている手で受け取った男の口がわずかに動く。お礼を言ったのだろう。ただやはり悪魔の言う"今後の為"なんて言葉が、フィーナの心に影を落とした。

 ベッドに近づくにつれ、男が握り込んだ指を開いて上下させる。動きに合わせて手の中から銀色の光が宙を舞った。

(コイン……?)

 円形のそれはコインのように見えた。
 だけどコインなんて何に使うのか、それこそ見当もつかない。
 男と目が合う。
 また笑っている。でも目は笑っていない。ベッドまでやって来るとリュシフェルから渡されたビンを投げた。

 ビンは反射的にきつく目を閉じたフィーナの頭を越えて後ろに落ちる。おそるおそる目を開くと、ベッドに乗りあげた男はフィーナに全体を確認させるよう、銀色のそれを指でつまんで回してみせた。

 コインかと思ったそれは指輪だった。幅がかなり広めで、真ん中を黒い小さな宝石が一周している。
 本来なら煌びやかな宝石が王のごとく鎮座しているであろう台座部分には、煌びやかなそれではなく、交差する二本の短剣に絡むツルバラと思しきモチーフが彫られていた。
 おそらくは身元を証明する為の指輪なのだろう。派手な装飾こそないけれど、細やかな彫刻技術は確かなものだ。

 纏っているスーツの仕立てや部屋の調度品、そして粗暴な振る舞いでも男の持つ雰囲気が、彼が非常に高い身分にあるのだと教えてはいた。けれどそれ以上に、たった一つの指輪が雄弁に物語っている。

 男の右手に炎が灯った。
 魔術も使えるとは思わず、フィーナは純粋な驚きに目を見開く。魔術を、それも詠唱もなしに瞬時に使える人間なんてそう多くないはずだ。
 拳大の炎は決して大きくはないけれど、鮮やかな真紅に――血の色に輝き、男の玲瓏な美貌を照らしあげていた。

 フィーナと目を合わせながら、男は指輪の刻印部分にそっと唇を寄せる。そして自分の魔力で作りだした炎で炙った。

 炎が消え、強い光を失った視界を一瞬だけ暗闇が包み込む。光が戻るにつれ、フィーナの心を逆に暗雲が覆った。

 まさか。
 恐ろしい想像に背筋が震える。そんなことをするだろうか。でもそんなことはありえないと払拭できる要素もなくて、身を起こそうとしたフィーナは片手でいともたやすくベッドに引き倒された。

「あ……っ」

 再び男にのしかかられ、身動きが取れなくなる。耳の後ろ辺りに熱を感じた。金色の髪と羽とを左側に寄せ、肩が顕わになる。

 ――そして、そこへ。

 右肩に恐ろしいまでの痛みが走った。聞いたことのない音がして、焼けつくように熱い。嗅いだことのないにおいが漂って来る。何が起きたのか分からなくて、肩に凝縮する恐怖に頭が混乱していた。

「きゃああああああああ!」

 喉が最後の力を振り絞って悲鳴をあげる。もがきながら苦痛を声にして逃がそうとするも、苛立ちのこもった男の手がフィーナの頭を枕に押しつけた。息が詰まり、くぐもった声が漏れる。すると何故か舌打ちが聞こえた。

(怒らないで。ひどいことをしないで。ごめんなさい。許して。ごめんなさい)

 伝わらずとも声に出して許しを乞うて良いのか分からない。フィーナの発する声そのものが彼の神経を逆なでしてしまうかもしれない。

 しゃくりあげると、肩口に粘度のある液体を塗りこめられる。冷たさが心地良く、身体にじんわりと染み込んで行く。薬だろうか。ほんの少しだけ、熱と痛みが引いた気がする。

 でも――自分で、傷つけておいて。

 涙がとめどなく溢れる。抵抗もできず、ただ泣いた。
 身体も心も、魂すらも汚されてしまった。
 もう《天界》には帰れない。このまま《下界》でぼろぼろに朽ちて行くだけだ。

 それは絶望などという言葉すら生ぬるく、すさまじいまでの速度でフィーナの思考を未知の恐怖で黒く塗りつぶした。

 床に固いものが落ちる音が聞こえる。
 視界の隅に指輪が転がった。
 太く頑丈な装飾部分のところどころが黒く変色している。

 心臓がどきりとした。
 フィーナの肩には、あの指輪に刻まれたレリーフと同じ図柄が焼きつけられている。男は家畜にそうするように、烙印代わりにフィーナの肩に焼いた指輪を押しつけたのだ。

「っ、く……。ふ……っ」

 何て恐ろしく、おぞましいことを。

 新たな涙が潤んだ。喉が震えて嗚咽が漏れる。

 男が耳元に顔を寄せて何かを囁く。何を言われたのかは分からない。けれど、良くない言葉であることは分かる。それは呪詛にも似て、フィーナの心を黒く覆った。

(――だけど)

 フィーナは濡れた瞳で男を見つめた。

(どうして、あなたまで……泣きそうな顔をしているの?)

 ひどいことをした男なのに。
 それとも、身も心も傷ついたせいで幻覚を見ているのだろうか。

 現実にはこぼれなかった彼の涙は、黒く染まり行くフィーナの心にほんの一雫落ちて、そのまま小さな白い点になった。

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