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謝肉祭前日
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「まあほら、お前もそろそろ彼女くらいは作った方が良いんじゃないか」
空のまま握りしめ、体温の移りつつあるグラスに酒を注ぎながら言われ、クルヴィス・ローウィンは「――はあ」と気のない言葉を返した。
けぶるような金髪の奥に見える青紫の目は憂いに満ちており、中性的な顔立ちの悩める美丈夫は実に絵になった。偶然通りかかった給仕の女性が思わず見惚れ、足を止めてしまったくらいだ。もっとも、クルヴィスは周りの目を気にするどころではなく全く気がついてはいなかった。
「――恋人とか」
作りたくて作れるものなら、とうに作っている。
半ば捨て鉢な気分で一息に酒を煽ると、馴染みのない苦い味のアルコールは瞬く間に身体中に広がった。酒の度数などまるで分からないが、たちまち胃の辺りが熱くなる。いきなりガツンと殴りつけられたかのような、鈍い痛みも後頭部に走った。
クルヴィスの体内で起こった反応などいざ知らず、おとなしそうな見た目からは想像もつかない豪快な飲みっぷりに、目の前の男は気を良くしたようだ。
年こそ彼の方が四歳上だが、同僚のズッカは「いいねえ」と楽しげな声を上げ、再びグラスに酒を満たす。本能的に勢いで口にしてはいけない気がして、クルヴィスはグラスに口をつける代わりに言葉にならない何事かをもごもごと口の中で呟いた。
「ん? 何だって?」
案の定ズッカは聞き返して来る。クルヴィスは正直めんどくさいな、と思いつつ眉を寄せた。
しかし、酒の力を借りなければ相談できないことだ。この場に誘ったのは他でもない自分だったし、結局は二杯目も勢いで煽る。
「少し前に殿下が……ご成婚なさっただろう」
「うん?」
ようやくクルヴィスが話す気になったのは良いが、前後の流れが全く分からずにズッカは首を傾げた。
昨年、魔法国家たるこの国の王太子が結婚してからというもの、この国における価値観はがらりと変わった。
何しろ建国以来屈指の魔力を誇るとされる王太子の妃に選ばれたのは、自身の魔力を全くと言っていいほど持たない伯爵令嬢だったからだ。
王太子が自ら魔術師団を率いるのは膨大な魔力が飽和しないよう、適度に消費する為だと団内では有名な話だった。その魔力量故に王太子の妃選びはずっと難航してもいた。
そこに現れた令嬢は、本来なら破棄されるだけの王太子の魔力をそっくりそのまま所持できていることは誰の目にもあきらかだった。つまるところ、王太子と同等の魔力を持っているということだ。令嬢は魔術師団長の師事を受けて王太子の魔力を完璧に制御できるようになり、二人の婚姻はさしたる反対もなく認められたという。
「あー、殿下もいつ婚約者決まるのかって状況だったけど、婚約が決まってからは早かったな」
「――ああ、それは別にいいんだけど」
「何だよ、珍しく回りくどいな」
話を聞こうとしてくれているズッカの不満はもっともである。さすがに少しだけ申し訳ない気持ちになって、クルヴィスは軽く肩をすくませた。
王太子の婚姻は国の中枢に関わることだけあって、大きな衝撃と影響を国中に与えた。こと貴族同士の結婚となれば魔力の有無だけではなく、それまでは軽視されていた魔力同士の相性も重視されるようになったのだ。
もちろん王太子の婚姻が特殊ではある。
だが魔力自体は少なくとも有力な魔術師の、より運命的な存在である"魔力の器"となりえるのではないのか。
そんな純粋かつ邪な考えが瞬く間に年頃の令嬢たちの間に広まった。結果、元より人気のあった魔術師たちはさらに人気が上がったのだ。
「そのせいで、こっちに面倒な事態にもなった」
「ご令嬢たちが魔術師とお近づきになろうと、前にも増して詰所や公式行事に殺到するようなことになったことか?」
うんざりした表情のクルヴィスに、ズッカも察するところがあったらしい。頷いたクルヴィスを見て、今度は彼が酒を煽る。
「俺はもう妻子がいるから縁がないけど、もてるのは結構なことじゃないか」
「別に、手辺り次第にもてたいわけじゃない」
「ぜいたくな悩みだなあ」
二十歳と、魔術師団内では比較的若いクルヴィスも例外ではない。自分で言うのも何だが、どちらかと言えばもてる方だ。
彼の実家のローウィン伯爵家は貴族としてはさほど有力な地位に就いているわけではなかったが、三男の彼は幸か不幸か、爵位を継げない代わりに政略による結婚を強いられてもいない。だから恋人になりたいと積極的にアプローチして来る異性は周囲にそれなりにいて、相手には困らない自負もある。
だが特に理想が高いわけでもないのに、異性と付き合ったことなどまるでなかった。
「手紙とかもらってるのを俺ですら何度か見たぞ。試しにとりあえずお付き合いしてみようとかなかったのか」
「なかった」
これまでに可愛いと思う女の子は何人かいた。
いたが、それだけだ。
特別な関係になりたいだとか、男としての欲は微塵も湧かなかった。
性欲がないわけでもない。年も年だし普通にある。
だが――それこそ相性の問題なのだろうか。誰を見ても心が揺れなかったのだ。
「顔が良すぎるのも時として欠点になるってことか」
ズッカは悟ったようなことをしみじみと呟く。クロヴィスは何と答えたら良いか思いつかず、代わりに酒を飲んで誤魔化した。
空のまま握りしめ、体温の移りつつあるグラスに酒を注ぎながら言われ、クルヴィス・ローウィンは「――はあ」と気のない言葉を返した。
けぶるような金髪の奥に見える青紫の目は憂いに満ちており、中性的な顔立ちの悩める美丈夫は実に絵になった。偶然通りかかった給仕の女性が思わず見惚れ、足を止めてしまったくらいだ。もっとも、クルヴィスは周りの目を気にするどころではなく全く気がついてはいなかった。
「――恋人とか」
作りたくて作れるものなら、とうに作っている。
半ば捨て鉢な気分で一息に酒を煽ると、馴染みのない苦い味のアルコールは瞬く間に身体中に広がった。酒の度数などまるで分からないが、たちまち胃の辺りが熱くなる。いきなりガツンと殴りつけられたかのような、鈍い痛みも後頭部に走った。
クルヴィスの体内で起こった反応などいざ知らず、おとなしそうな見た目からは想像もつかない豪快な飲みっぷりに、目の前の男は気を良くしたようだ。
年こそ彼の方が四歳上だが、同僚のズッカは「いいねえ」と楽しげな声を上げ、再びグラスに酒を満たす。本能的に勢いで口にしてはいけない気がして、クルヴィスはグラスに口をつける代わりに言葉にならない何事かをもごもごと口の中で呟いた。
「ん? 何だって?」
案の定ズッカは聞き返して来る。クルヴィスは正直めんどくさいな、と思いつつ眉を寄せた。
しかし、酒の力を借りなければ相談できないことだ。この場に誘ったのは他でもない自分だったし、結局は二杯目も勢いで煽る。
「少し前に殿下が……ご成婚なさっただろう」
「うん?」
ようやくクルヴィスが話す気になったのは良いが、前後の流れが全く分からずにズッカは首を傾げた。
昨年、魔法国家たるこの国の王太子が結婚してからというもの、この国における価値観はがらりと変わった。
何しろ建国以来屈指の魔力を誇るとされる王太子の妃に選ばれたのは、自身の魔力を全くと言っていいほど持たない伯爵令嬢だったからだ。
王太子が自ら魔術師団を率いるのは膨大な魔力が飽和しないよう、適度に消費する為だと団内では有名な話だった。その魔力量故に王太子の妃選びはずっと難航してもいた。
そこに現れた令嬢は、本来なら破棄されるだけの王太子の魔力をそっくりそのまま所持できていることは誰の目にもあきらかだった。つまるところ、王太子と同等の魔力を持っているということだ。令嬢は魔術師団長の師事を受けて王太子の魔力を完璧に制御できるようになり、二人の婚姻はさしたる反対もなく認められたという。
「あー、殿下もいつ婚約者決まるのかって状況だったけど、婚約が決まってからは早かったな」
「――ああ、それは別にいいんだけど」
「何だよ、珍しく回りくどいな」
話を聞こうとしてくれているズッカの不満はもっともである。さすがに少しだけ申し訳ない気持ちになって、クルヴィスは軽く肩をすくませた。
王太子の婚姻は国の中枢に関わることだけあって、大きな衝撃と影響を国中に与えた。こと貴族同士の結婚となれば魔力の有無だけではなく、それまでは軽視されていた魔力同士の相性も重視されるようになったのだ。
もちろん王太子の婚姻が特殊ではある。
だが魔力自体は少なくとも有力な魔術師の、より運命的な存在である"魔力の器"となりえるのではないのか。
そんな純粋かつ邪な考えが瞬く間に年頃の令嬢たちの間に広まった。結果、元より人気のあった魔術師たちはさらに人気が上がったのだ。
「そのせいで、こっちに面倒な事態にもなった」
「ご令嬢たちが魔術師とお近づきになろうと、前にも増して詰所や公式行事に殺到するようなことになったことか?」
うんざりした表情のクルヴィスに、ズッカも察するところがあったらしい。頷いたクルヴィスを見て、今度は彼が酒を煽る。
「俺はもう妻子がいるから縁がないけど、もてるのは結構なことじゃないか」
「別に、手辺り次第にもてたいわけじゃない」
「ぜいたくな悩みだなあ」
二十歳と、魔術師団内では比較的若いクルヴィスも例外ではない。自分で言うのも何だが、どちらかと言えばもてる方だ。
彼の実家のローウィン伯爵家は貴族としてはさほど有力な地位に就いているわけではなかったが、三男の彼は幸か不幸か、爵位を継げない代わりに政略による結婚を強いられてもいない。だから恋人になりたいと積極的にアプローチして来る異性は周囲にそれなりにいて、相手には困らない自負もある。
だが特に理想が高いわけでもないのに、異性と付き合ったことなどまるでなかった。
「手紙とかもらってるのを俺ですら何度か見たぞ。試しにとりあえずお付き合いしてみようとかなかったのか」
「なかった」
これまでに可愛いと思う女の子は何人かいた。
いたが、それだけだ。
特別な関係になりたいだとか、男としての欲は微塵も湧かなかった。
性欲がないわけでもない。年も年だし普通にある。
だが――それこそ相性の問題なのだろうか。誰を見ても心が揺れなかったのだ。
「顔が良すぎるのも時として欠点になるってことか」
ズッカは悟ったようなことをしみじみと呟く。クロヴィスは何と答えたら良いか思いつかず、代わりに酒を飲んで誤魔化した。
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