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獄(シェラフィリア視点)
再会
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その後、夜会であの青年を見かけることはなかった。
何しろシェラフィリアが社交界にデビューしたこの四年の間に、顔を合わせた記憶がただの一度もないのだ。それを多少気にかけるようになったところで再会できるほど、世の中狭くはなかった。
それでも無意識の内に探してしまっている自分に嫌悪と戸惑いを感じながら、同じ場所にいるかどうかも分からないたった一つの姿を自然と追いかけている。
そんな日々を三か月も過ごす頃、そもそもの交友範囲が違うのではないかと思いはじめた。
あの夜会だって父に言われて仕方なしに出席した夜会だ。普段のシェラフィリアなら招待主の名を見ただけで捨て置いている。
「ごきげんようシェラフィリア様。まさかブライド伯爵の夜会でお会いするなんて思いませんでしたわ」
「ごきげんよう」
試しに交友のない相手から招待された夜会へ行ってみれば、友人と呼んでも良い程度には親しくしている令嬢が一人いただけだった。
夜会自体も、伯爵家主催のものにしては良く言えば慎ましい、悪く言えば質素なものだ。
そんな場ではシェラフィリアはなおさら人目を惹き、夜会の間は絶えず令息や令嬢に囲まれた。
でも求めるものはそんなものではない。
自らへの称賛なら人前に出ればいつでも、いくらだって得られるのだ。
(やっぱり退屈なものね)
ふとした弾みで吐息がこぼれそうになるのを懸命に押し殺す。
本来なら気乗りしないであろう人物に招待された夜会に出るのは、三回目の今回でもう終わりにしよう。
不確かな要素に縋ることに疲れた、そんな最中でのことだ。
あの青年が夜会に姿を見せた。
「ねえ、あの殿方がどなたかご存知?」
どこでシェラフィリアの予定を仕入れて来るのか。
彼女の背後には以前、夜会に招待されて社交辞令の挨拶を交わしてからというもの、頻繁に夜会で顔を合わせる伯爵令嬢が侍女のように控えていた。
未だ彼女の名前を覚えてはいないし、覚えようともしていない。それでも取り巻き気取りでくっついて来る令嬢にさりげなさを装って尋ねる。
シェラフィリアに話しかけられて令嬢は嬉々としてその視線を追ったが、青年を見るや否や眉をひそめた。
「アインザック伯爵家の方ですわ。確か四男の――お名前はミハエル様だったかしら」
「そうなの」
「伯爵家と言っても元は商人の成金上がりですし、名門貴族筆頭のラドグリス侯爵家のご令嬢であるシェラフィリア様がお気にかけるようなお相手ではないかと」
商人上がりの成金。
そこに明確な嫌悪を込めていることを令嬢は隠さなかった。
アインザック家についてはシェラフィリアも多少の噂は耳にしている。
鉱山絡みで莫大な利益を得て、社交界へ進出する足掛かりに没落しかけていた伯爵家の令嬢を娶ることで爵位を得た家だ。
それはもう何代も前の話だつたが、金の力だけで爵位を得た家に貴族たちからの風当たりが強いというのは時代を問わずに見られる光景だ。
ほとんどの場合、そういった家を目の敵にするのは格式はあっても財産を食い潰す一方の、斜陽を迎えた貴族である。永く続いていることが唯一の取り柄と言うような家が緩やかに、けれども着実に沈みゆこうとしていることもまた、何ら珍しくない。
この伯爵令嬢の実家もそんな貴族の一つだった。
だから娘が名門侯爵家の一人娘と同年代であることさえも幸運とばかりに利用していた。シェラフィリアの機嫌を常に窺い、覚えを良くして取り入ろうとしている。
これまでの振る舞いを見ていれば見返りなど得られないと分かっているだろうに、ご苦労なことだ。
だが両親の言いつけを、ある意味愚かしいまでに守っているのだろう。報われる日を夢見てシェラフィリアにつき従う彼女のことは、お世辞にも気に入っているとは行かずとも嫌いではない。
「成金上がりだなんて、そんな下品な表現をするものではないわ」
「も、申し訳ありません」
「今後はそのように仰ってはだめよ」
やんわりと嗜めれば令嬢は身を小さくし、すぐさま頷いた。
シェラフィリアの不興を買うことを何よりも恐れていて、自分の意見など持ってはいない。
(でも貴女はきっと、わたくしが彼をパートナーに連れ歩いたら掌を返して褒めちぎるのでしょう?)
分かっている。先週の夜会で令嬢が頻りに羨んでいた、シェラフィリアの真紅のドレスを賭けてもいい。
もっとも、あのドレスは令嬢が着たところで、まるで似合わないだろうけれど。
シェラフィリアは今日も身につけているブレスレットをそっと押さえた。
何と言って話しかけようか。
そう考え、目を見開く。
話しかける?
シェラフィリアの方から?
駆け引きさえできず、今度は自ら話しかけるという浅ましくも恥知らずな行動を取ろうとしていたことに愕然とする。
固く唇を引き結び、シェラフィリアに気づく様子も見せない青年を睨んだ。
そんなシェラフィリアの横顔は伯爵令嬢にはきっと、本心では自分と同じく成金上がりを好ましくないと思っているように見えているのだろう。
青年の背後から、やはり見覚えのない一人の令嬢が恥ずかしげに顔を覗かせた。
顔立ちは愛らしく整ってはいるが、いかにもおとなしそうで社交界ではまず目立つことのない、地味なドレスを小柄な身体に纏っている。
(気に入らないわ)
ひどく親密そうに顔を寄せて笑い合う二人を見つめるシェラフィリアの心に、昏く冷ややかな炎が灯った。
(いつか必ず、この手で引き裂いて差し上げてよ)
何しろシェラフィリアが社交界にデビューしたこの四年の間に、顔を合わせた記憶がただの一度もないのだ。それを多少気にかけるようになったところで再会できるほど、世の中狭くはなかった。
それでも無意識の内に探してしまっている自分に嫌悪と戸惑いを感じながら、同じ場所にいるかどうかも分からないたった一つの姿を自然と追いかけている。
そんな日々を三か月も過ごす頃、そもそもの交友範囲が違うのではないかと思いはじめた。
あの夜会だって父に言われて仕方なしに出席した夜会だ。普段のシェラフィリアなら招待主の名を見ただけで捨て置いている。
「ごきげんようシェラフィリア様。まさかブライド伯爵の夜会でお会いするなんて思いませんでしたわ」
「ごきげんよう」
試しに交友のない相手から招待された夜会へ行ってみれば、友人と呼んでも良い程度には親しくしている令嬢が一人いただけだった。
夜会自体も、伯爵家主催のものにしては良く言えば慎ましい、悪く言えば質素なものだ。
そんな場ではシェラフィリアはなおさら人目を惹き、夜会の間は絶えず令息や令嬢に囲まれた。
でも求めるものはそんなものではない。
自らへの称賛なら人前に出ればいつでも、いくらだって得られるのだ。
(やっぱり退屈なものね)
ふとした弾みで吐息がこぼれそうになるのを懸命に押し殺す。
本来なら気乗りしないであろう人物に招待された夜会に出るのは、三回目の今回でもう終わりにしよう。
不確かな要素に縋ることに疲れた、そんな最中でのことだ。
あの青年が夜会に姿を見せた。
「ねえ、あの殿方がどなたかご存知?」
どこでシェラフィリアの予定を仕入れて来るのか。
彼女の背後には以前、夜会に招待されて社交辞令の挨拶を交わしてからというもの、頻繁に夜会で顔を合わせる伯爵令嬢が侍女のように控えていた。
未だ彼女の名前を覚えてはいないし、覚えようともしていない。それでも取り巻き気取りでくっついて来る令嬢にさりげなさを装って尋ねる。
シェラフィリアに話しかけられて令嬢は嬉々としてその視線を追ったが、青年を見るや否や眉をひそめた。
「アインザック伯爵家の方ですわ。確か四男の――お名前はミハエル様だったかしら」
「そうなの」
「伯爵家と言っても元は商人の成金上がりですし、名門貴族筆頭のラドグリス侯爵家のご令嬢であるシェラフィリア様がお気にかけるようなお相手ではないかと」
商人上がりの成金。
そこに明確な嫌悪を込めていることを令嬢は隠さなかった。
アインザック家についてはシェラフィリアも多少の噂は耳にしている。
鉱山絡みで莫大な利益を得て、社交界へ進出する足掛かりに没落しかけていた伯爵家の令嬢を娶ることで爵位を得た家だ。
それはもう何代も前の話だつたが、金の力だけで爵位を得た家に貴族たちからの風当たりが強いというのは時代を問わずに見られる光景だ。
ほとんどの場合、そういった家を目の敵にするのは格式はあっても財産を食い潰す一方の、斜陽を迎えた貴族である。永く続いていることが唯一の取り柄と言うような家が緩やかに、けれども着実に沈みゆこうとしていることもまた、何ら珍しくない。
この伯爵令嬢の実家もそんな貴族の一つだった。
だから娘が名門侯爵家の一人娘と同年代であることさえも幸運とばかりに利用していた。シェラフィリアの機嫌を常に窺い、覚えを良くして取り入ろうとしている。
これまでの振る舞いを見ていれば見返りなど得られないと分かっているだろうに、ご苦労なことだ。
だが両親の言いつけを、ある意味愚かしいまでに守っているのだろう。報われる日を夢見てシェラフィリアにつき従う彼女のことは、お世辞にも気に入っているとは行かずとも嫌いではない。
「成金上がりだなんて、そんな下品な表現をするものではないわ」
「も、申し訳ありません」
「今後はそのように仰ってはだめよ」
やんわりと嗜めれば令嬢は身を小さくし、すぐさま頷いた。
シェラフィリアの不興を買うことを何よりも恐れていて、自分の意見など持ってはいない。
(でも貴女はきっと、わたくしが彼をパートナーに連れ歩いたら掌を返して褒めちぎるのでしょう?)
分かっている。先週の夜会で令嬢が頻りに羨んでいた、シェラフィリアの真紅のドレスを賭けてもいい。
もっとも、あのドレスは令嬢が着たところで、まるで似合わないだろうけれど。
シェラフィリアは今日も身につけているブレスレットをそっと押さえた。
何と言って話しかけようか。
そう考え、目を見開く。
話しかける?
シェラフィリアの方から?
駆け引きさえできず、今度は自ら話しかけるという浅ましくも恥知らずな行動を取ろうとしていたことに愕然とする。
固く唇を引き結び、シェラフィリアに気づく様子も見せない青年を睨んだ。
そんなシェラフィリアの横顔は伯爵令嬢にはきっと、本心では自分と同じく成金上がりを好ましくないと思っているように見えているのだろう。
青年の背後から、やはり見覚えのない一人の令嬢が恥ずかしげに顔を覗かせた。
顔立ちは愛らしく整ってはいるが、いかにもおとなしそうで社交界ではまず目立つことのない、地味なドレスを小柄な身体に纏っている。
(気に入らないわ)
ひどく親密そうに顔を寄せて笑い合う二人を見つめるシェラフィリアの心に、昏く冷ややかな炎が灯った。
(いつか必ず、この手で引き裂いて差し上げてよ)
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