王子と半分こ

瀬月 ゆな

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親友の恋

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 年の暮れの忙しい時期を前にしながら、キースもバーバラも行動は迅速だった。キースは昼過ぎには八人もの衛兵をディアモント家に配置し、バーバラからの返事も翌日の朝届いた。そして金曜にリリーナに会いに来てくれるとのことだ。

「わざわざ王城からこちらまで足を運ばせてしまって申し訳ありません」

 ディアモント家にやって来た衛兵は、八時間ごとのローテーションを組んで二十四時間体制で警備に当たるというものものしさだった。王太子妃の警備となれば、これくらいは普通なのかもしれない。けれどリリーナはもちろんのこと家族の誰にもいささか馴染みがなく、事態の大きさに申し訳ない気持ちになる。

 唯一の救いは全員王城で見たことがあり、先日街へ行った際に護衛を務めてくれていた二人もいたことだ。彼らはそれだけキースからの信頼も厚いということなのだろう。リリーナとしても一度も話をしたことはなくても、顔を知っている人物が来てくれたことはとても心強い。

 機動性を重視しているのか、あるいはディアモント家の家臣同様に住み込みになるということで過剰な重圧感を抱かせない為か。彼らは腰に短剣こそ携えてはいるものの、王城に勤務している時とは違って全身鎧は着ておらず至って軽装だった。

 先日も護衛をしてくれた二人のうち明るい茶色の髪をした衛兵がレイノルド、一方、赤毛の衛兵はアンドリューと名乗り、王族に対するものと全く遜色のない敬礼を深々とした。リリーナの護衛自体は基本的に彼らが一日交代で請け負うらしい。

「殿下が何を謝罪なさることがおありでしょうか。未来の国王陛下と王妃陛下をお守りすることこそが我々の任務でもあり、誇りでもあるのです」
「殿下がいつもと変わらぬ平穏な暮らしをお送りできるよう、我々はキース王太子殿下から固く申しつかっております。遠慮なく御身の手足のようにお使い下さい」
「あの、殿下とお呼び下さるのはやめていただきたいのですが」

 リリーナからレイノルドとアンドリューに対する初めての要望は、殿下という呼び名を改めてもらうことだった。


 午前と午後に一回ずつキースと連絡を取っている二人の話によると、キースの周辺は特に変わりないらしい。リリーナに送られた手紙の文面はあきらかにリリーナへ悪意を向けていたし、動機はやはり王太子妃の座にまつわるものと見て良いだろう。それでもキースを巻き込んでしまうことに変わりはないけれど、リリーナはほっと安堵の息をついた。

 そして年明けの夜会も予定通りに開かれるということだった。もっとも、それに関しては毎年の恒例行事でもある。国内の貴族の多数が集まる場で正式な婚約発表も行おうというものであったから、脅迫騒ぎの影響はほとんどない。リリーナを安心させる為か、アンドリューがそう説明してくれた。

 王家からの要請を受け、バーバラの父であるシャルドネイト伯爵も列席者の一覧をすでに提出したらしい。皆が、リリーナの為に行動してくれている。優しい人々を思えばなおさらに、見えない悪意になんて絶対に屈したりしないと気持ちが強くなれた。

「お嬢様、シャルドネイト伯爵家ご令嬢・バーバラ様がいらっしゃいました」

 金曜日を迎え、久し振りの友人の訪問を客室で心待ちにしているリリーナの元へ、メイドが友人の到着を告げる。

「どうぞこちらへご案内して差し上げて」
「畏まりました」

 ソファーに座っていたリリーナは立ち上がり、すぐに出迎えられるように嬉々として扉へと向かった。その様子に扉の左側に立っていた衛兵が微笑ましげに目を細める。自らに向けられた視線に気がつき、リリーナは頬を染めて今日の担当であるレイノルドを見た。

「さすがに子供っぽい態度かしら?」
「ご自宅でご友人にお会いするのですから問題ないと思いますよ」
「そうよね。でも外ではキース様に恥をかかせたりすることのないよう、気をつけます」
「それがよろしいでしょう」

 リリーナはこの数日の間で彼らともずいぶん打ち解けていた。新しく兄が二人も出来たような感覚に近い。ヘンリーも昼間は仕事で家にいないことが多いから、余計に懐きやすいというのもおそらくはあるのだろう。彼らと親しくなったことを話した時、兄は「僕の妹がそんなに人たらしだったとは知らなかったよ」と揶揄やゆするように笑った。

 ややあって扉がノックされた。リリーナは背筋をぴんと伸ばして返事をする。それを受けてレイノルドが扉を開ければ、メイドに連れられたバーバラが姿を見せた。

「いらっしゃいバーバラ」
「お招きありがとうリリーナ」

 友人の顔を見るなり抱きつきたい気持ちを我慢して、淑女らしく精一杯振る舞って出迎える。最後に会ってから一月ほどしか経ってないのに、まるでもう何年もの間会えていなかったかのようだった。
 何故だか泣きそうになってしまって、今にもこぼれ落ちそうな涙をぐっと堪える。バーバラの顔を見れば、彼女も同じように泣き出しそうな表情をしていた。そうすると今度は逆におかしくなって、二人で目を合わせたまま吹き出した。

「バーバラ、こっちよ」

 扉の脇に無言で控える見慣れない青年を気にした様子のバーバラと並んで窓際のテーブルセットへと歩き、左手側の椅子を勧める。バーバラは椅子に腰を下ろすと対面にリリーナが座るのを見届け、淡い笑みを浮かべた。

「本当に、会えて良かった。王太子殿下の婚約者に選ばれることはとても名誉のある素敵なことだけれど、リリーナが遠い存在になってしまったようで正直に言うと寂しかったの」

 リリーナの胸が鈍く軋んだ。
 そう、二人して泣きそうになっていたのはそれが原因だった。リリーナもバーバラも、たった一ヵ月の間に何も変わってはいない。けれどリリーナを取り巻く環境だけが大きく変わってしまった。

 リリーナは静かに首を振ると、手を固く握り込んだ。そういえば最近、今までほとんどしたことのないこの仕草を何度かしているような気がする。もしかしたら掌の中にあるものがこぼれ落ちて行かない為の、本能的な防衛反応なのかもしれない。

「そんなことないわ。ずっとバーバラの友達でいさせて」
「もちろんよ」

 すぐさま強く頷き返してくれるバーバラに、また泣きそうになる。

「リリーナったら、そんな当たり前のことなんかで泣かないで」

 そう告げるバーバラもやはり泣きそうな顔だ。本当に、先程から二人して何をしているのだろうか。けれど分かっていても同じことを繰り返してしまうのは、きっと不安だからだ。今は当たり前のことでも、この先は当たり前ではなくなるかもしれない。ずっと一緒にいたのに、年が明ければ自分の気持ちとはまるで関係ない理由で友達ではいられなくなるかもしれなかった。

 でも、と思う。
 そんなことは知らない。バーバラはリリーナにとって、大切で大好きな友達だ。キースにだって、そういう存在が一人くらいいるのではないのか。

 結局のところ、キースへの想いを自覚した時と同じだ。リリーナは何があっても「リリーナ・ディアモント」に変わりない。誰にも迷惑をかけないように振る舞えるなら、それを貫いて行きたいと願う。だから相手が家族にしろ友達にしろ恋しい人にしろ自分の気持ちは変わらないし、変えたくない。

「最近は何をしてたの?」

 いつものように笑顔で尋ねれば、バーバラも笑顔で答える。

「以前から進めていた刺繍のクッションがつい昨日完成したところなの。さすがに今日は持参して来れなかったから、また今度機会があったら家まで見に来て」
「絶対行くわ」
「約束よリリーナ」
「ええ」

 そのままいつも通り他愛のない話題に年頃の少女らしく花を咲かせていたけれど、しばらくするとどちらともなく口数が減り、ついには黙り込んだ。
 話したいことは他にもある。ただそれは言いにくいことでもあった。

「そういえばね、エドガー様のことなんだけど」

 どうやって切り出したら良いのか内心迷っていたから、バーバラの方から話題にしてくれて思わず安堵する。リリーナが初めてエドガーの名を知った時もそうだったように、穏やかな表情のバーバラはとうに過去のことと完全に割り切れているのだと改めて思った。

「最初から、リリーナは気がついていたんでしょう?」
「――バーバラが、エドガー様に想いを寄せていたこと?」

 躊躇ためらいがちに問いかける。するとバーバラは笑顔のまま頷いた。

「あまり私とエドガー様とのことに話が行かないよう、さりげなく話題を変えてくれてたものね。それで私、リリーナにはいつか自分から全て話さなきゃって思ったの」
「それは……言いたいことなら、バーバラが自分から話すことだと思ったから、私たちが好奇心だけで詮索するのも気が引けて」
「うん。ありがとうリリーナ」
「お礼を言われるようなことじゃないわ」

 首を振ったバーバラは「私にとってはお礼を言いたいことなの」と言い切った。だからリリーナもこれ以上の謙遜はやめて、ありがとうと素直に受け入れた。

「どこで私の気持ちに気がついたの?」
「雰囲気から、何となくそうなのかなって」

 自分も友人たちに隠し事をしているから分かったのだと正直には話せずにリリーナの胸が罪悪感に痛む。
 バーバラはいつかすべてをリリーナに話そうと思ってくれていた。けれど、リリーナはこの先ずっと、バーバラにさえ抱えたものについて話せない。話せばキースに迷惑をかけてしまうかもしれないから、それはリリーナの意思では出来ないことだ。だけどその秘密を守ることは、リリーナが「リリーナ・ディアモント」として在り続ける為の手段でもあった。
 漠然とした答えでもバーバラは納得してくれたのか、小さく頷く。

「とても人気のある殿方だから、私だけを見てくれるようになるなんて最初から思ってはいなかったし、望んでもいなかったの」

 でもね、とバーバラは夢を見るようにはにかんだ。
 いや……"夢を見るように"ではなく、バーバラは実際に夢を見ていたのだろう。甘いけれど苦い、朝を迎えたら覚めてしまうと分かっている夢を。

「エドガー様は確かにたくさんのご令嬢相手に浮き名を流していらっしゃる方だけれど、本当のお姿は違うのよ。優しくて紳士的で真面目な方だって、皆分かってる。エドガー様の手が早くて移り気だというのも、ご自身がそう噂が立つことを望まれていらっしゃるからなの。そうして恋人同士には決してならないとお互いに合意したうえで後腐れなく、令嬢は束の間のお姫様気分だけを味わって……だいたい一月で契約が切れるように、甘い関係もそれでおしまい」

 あれだけの浮き名を流していて、その類のトラブルが一切ないのは不思議だったけれど、そういう事情があったとは知らなかった。そしてやはりバーバラはほろ苦い恋を、そうと知っていながらも受け入れていたのだ。だから急に、大人びたような雰囲気になったのだろう。
 少なくとも自分にとっては淡い恋の記憶だったに違いない過去を振り返るバーバラの表情からは、エドガーへの恨みと言った負の感情を抱いているようにはまるで見えない。

「本当は、とても一途な方なのだと思うわ。多分だけれど、エドガー様にはずっと想いを寄せている令嬢がいらっしゃるんじゃないかしら」
「どうしてそう思うの?」
「確信のない、ただの勘だけれどね。でも叶わない恋だと最初から分かっていて、それでも惹かれてしまったのは私も同じだったから。決して届くことのない想いを抱き続けていらっしゃるんだわって、何となく分かってしまったの」
「バーバラ……」

 リリーナは、何と言葉をかければいいのか分からなかった。初めて寂しそうに笑うバーバラは何を思っているのだろう。大切な友達なのに、少しでも心を軽くしてあげられない自分がもどかしかった。

 客室にしんみりとした空気が流れる。するとバーバラが「今度はリリーナと王太子殿下のお話を聞かせて」と明るい声で促した。

「もう完全に吹っ切れたつもりでいたのに、ごめんね。でもリリーナに話して本当に気が楽になったから、リリーナの幸せな話を聞きたい」

 バーバラがにっこりと笑ってせがんだ。それでリリーナは気恥ずかしさもあって、庭園をエスコートしてもらったことをぽつぽつと話す。そうしてすっかり元気を取り戻した様子のバーバラにせっつかれるまま、先日も夜会のドレスを仕立ててもらったこと、その帰りに素敵なカフェで食事をしたことも聞かせた。

「え、殿下とご一緒に絵を描くの? そう……」

 兄と同じように、絵を描くことを聞いた途端にバーバラもどこか端切れが悪くなる。一緒に絵を描くことが、そんなにめずらしいことだろうか。リリーナが首を傾げると、バーバラは慌てて言い募った。

「きっと、上手く行くと思うし、その絵を私も見てみたいわ」

 俯きがちに話すバーバラの声と肩は、何かを堪えているのかほんの少し震えているように見えた。

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