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理想のドレス
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キースとリリーナを乗せた馬車は、前後に一騎ずつの騎馬兵を従えて城下町を南西の方角へと進んでいた。
馬車の中では、特に何の会話もない。普段通りと言えば普段通りのことだ。先日、リリーナはほとんど勢いのままに想いを伝えたけれど、キースの態度にこれと言った変化は見られなかった。
リリーナの想いを知ったことで軟化するにしても硬化するにしても、引っかかりは覚えてしまっていただろう。だから、何も変わらないでいてくれるというのは最善のように思えた。
建国に伴って真っ先に整備されたという城下町の南西は、古くから王家に仕える名家の屋敷が集まる区域として名高かった。その為、見るからに高級そうな外観をした店が立ち並んでいる。目指す場所は王家と、王家に連なる名門貴族御用達の由緒正しい仕立て屋だとリリーナも予め教えられていた。
本来なら日曜の今日は午後から登城する日だ。けれどキースが迎えに来ると先週の別れ際に聞かされ、午前中に出掛けることになった。
「リリーナ嬢、手を」
「ありがとうございます、キース様」
目的地に着いたらしい。
キースにエスコートされて馬車を降りると、一目で王家所有の馬車と分かるからだろうか。遠巻きに人々が集まっているのが見えた。いかに市民階級の中では上流にあるうと、普段は王族の姿を見ることも叶わないのだ。それが、またとない機会なのだから当然のことなのかもしれない。そのうえ王太子であるキース自らが王族に与しない令嬢をエスコートしているとあっては、注目を集めるなという方が無理な話だ。
リリーナはどうするべきか迷い、人々に向けて微笑みながら軽く会釈をした。何もしなかったところでお高く止まった鼻持ちならない令嬢と思われることもないだろうけれど、知らない振りをしてやりすごすのはどうにも落ち着かなかったのだ。
噂に聞くだけだった荘厳な造りの扉の左右に、私兵と思しき衛兵が立っている。彼らはすぐさまキースに気がつき、姿勢正しく敬礼をするとそれぞれが大きな扉の持ち手に手をかけた。
召し合わせになっている扉が中央から外に向かって開かれる様を、リリーナは胸を高鳴らせて見つめる。本来ならリリーナが足を踏み入れることさえ出来ない店だ。その内装ですら、初めて目の当たりにすることが出来る。扉の向こうは見た目よりもずっと広く、フロアの壁一面に設置された棚に筒状に丸められた布地がたくさん置かれているのが目に入った。
「キース王太子殿下並びにリリーナ王太子妃殿下、本日はご足労下いただきまして誠に痛み入ります」
支配人だろうか。王家を相手とするに恥ずかしくないスーツをさらりと着こなした初老の紳士が現れて恭しく頭を下げる。
まだ公には一切の情報が伏せられている婚約ではあったが、さすがに彼らには話が伝わっているようだった。とは言えリリーナは"王太子妃殿下"などという、耳慣れない言葉に照れと不相応な居心地の悪さとを覚えずにはいられない。そんなリリーナをよそに、キースは親子ほど年が離れた支配人相手にも堂々とした振る舞いで声をかけた。
「話はすでに聞いているだろうが、今日は年明け早々の夜会用の礼装を頼みに来た」
「もちろんクレフ様より先立ってお話を頂戴しております。――アメリ、こちらへ来なさい」
支配人がフロアの奥へと声をかけると、トルソーに着せたドレスの裾を整えていた二十代半ばと思われる女性が手を止めてやって来た。キースとリリーナとを交互に見やり、お針子用らしくポケットのたくさんついた生成のエプロンドレスの裾をつまんで挨拶をする。
「王太子妃殿下のドレスは、こちらのアメリに何なりとお申しつけ下さい。まだ年若いですが腕は確かな針子です」
「アメリ・メイディットと申します。どうぞよろしくお願い致します」
アメリはリリーナよりやや小柄ではあったが、バイタリティに溢れているように見えた。きっと仕事が楽しいのだろう。愛嬌のある顔は、王太子を前にしても何ら臆した様子もなく輝いている。
キースはリリーナに視線だけを向けた。
「費用は全て王家が持つから君は気にせず好きなように頼めばいい」
「そう仰られると余計に気になるのですが」
リリーナは思わず眉を寄せて答える。
王家が負担するということは、すなわちこの国の民の納めた税から賄われるということだ。もちろん、王家に限らず貴族は民に尽くすことが仕事であるし、税はいわば彼らにとっては給金に値する。だからそれを使って暮らすことは、領地の資産を食い潰して人々の生活を脅かすほどの散財でなければ問題もない。
頭ではそう理解していても、国家規模の税ともなると些か尻込みしてしまう。
「そんなに気にかけることもない。今から王族としての自覚を持って欲しいという目的も含まれているのだから」
「……はい」
キースの言葉の意味を噛みしめ、リリーナは深く頷く。そんな反応にキースの目がわずかに細められた。
「俺は向こうで支配人と話をしているから、時間をかけて選んでくれて構わない」
「分かりました」
そうしてキースとは店内で別行動を取ることになり、リリーナはアメリの後をついて扉続きになっているフロアの奥へと進んだ。
フロアに何着か飾ってあるドレスは、全て何の飾り気もないものだった。どういうことか疑問に思って尋ねれば、基本のシルエットだけを見せて細かなデザインは相談のうえ決めるらしい。デザインが被ったり、あるいはわざと被らせたりといったトラブル防止の為、こういう形式にしているのだそうだ。そして同じ理由から、リリーナのドレスが仕上がるまでアメリは他の客からの制作依頼は受けないとのことだった。
「そちらの椅子におかけ下さい」
白い丸テーブルの前に置かれた客用の椅子に言われるまま腰を下ろすと、アメリがお茶の用意をしてくれる。それから自分もリリーナと向き合う形でシンプルな椅子に座った。
「何かデザインのご希望はありますか? 王太子妃殿下」
スケッチブックとペンを手にしたアメリに尋ねられ、リリーナは再び座りの悪さに小さく肩をすくませた。ドレスのデザインの相談より先に、自分に対する呼び名の方を何とかして欲しくなる。
「アメリさん、私のことはどうぞリリーナとお呼び下さい。その……今はまだ王太子妃ではありませんし、どうにも慣れそうにもなくて」
躊躇いがちに要望を出すとアメリは目を見開き、すぐに口元を柔らかく綻ばせた。
「えーと……それではリリーナ様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「はい」
「改めましてリリーナ様、ご希望はありますか?」
問いかけられ、リリーナは口を閉ざした。
まさか王家側で用意してくれるなんて思ってはいなかったけれど、夜会に着て行きたいと思っていたドレスのデザインがあるにはある。
キースは好きなようにしたら良いと言ってくれた。その言葉に甘えても大丈夫だろうか。
「限りなく黒に近い藍色か、紺色が良いです」
リリーナがはにかみながらも希望を告げると、アメリは心なしか嬉しそうに何度も頷いてみせた。
「ええ、ええ。黒いドレスはお祝いの場では身に纏えませんものね。リリーナ様の太陽のような明るい金色の髪に、夜空のような深い色はきっと良くお似合いですわ」
さすがと言うべきか、アメリはリリーナの意図を見抜いたようだった。
つまり――キースの色を、纏いたいと。
「でしたらオフショルダーかワンショルダーのシンプルな形の上半身に腰から裾にかけて重ねたレース生地でグラデーションを描いて、夜空に煌めく星に見立てたスパンコールやラメを散りばめてはいかがでしょう。スパンコールになら黒を混ぜても良いかもしれませんね」
リリーナのささやかな希望を聞いただけで、アメリは生業としているだけあってデザインが脳裏に浮かんで来るようだ。手にしたスケッチブックにペンを滑らせて行く。
「――ええ、そうしたら良いアクセントになるはずです。だったらブラックパールやオパールにすると強すぎず上品に輝いて素敵かも。せっかくですから、ドレス本体の布も飾りレースも、リリーナ様がご希望される色に染めましょう」
本当にドレスのデザインを考えるのが好きなのだろう。アメリは手と口とを同時に、なおかつ軽快に動かしながら次々と提案を繰り出す。その仕事ぶりに思わず見惚れていると、手を止めてスケッチブックをリリーナに見せた。
紙の上には全部で三種類のドレスが描かれている。両肩を出したオフショルダーと、左右どちらかの肩のみを出したワンショルダーだ。その三種類のドレスには先程アメリが提案した装飾が全て、一つの漏れもなく描き込まれていた。
「まだ寒い時期ですからショールを羽織っていただくことになりますが、それとも袖のあるデザインの方がよろしかったでしょうか」
「デザインを良く見せていただいてもいいですか?」
「もちろんです」
どうぞ、と渡されたスケッチブックを受け取って目を通す。ペンのみで描かれたデザイン画には当然、リリーナの希望する色は塗られてはいない。そこに自分で思い描いている色を頭の中で重ねながら、実際のドレスに出来るだけ近いものを想像してみた。
ここに描かれているものが形になったら、さぞかし素敵なドレスが出来上がるだろう。どんな場に出ても恥ずかしくない自慢のドレスに、リリーナが袖を通すことが出来るのだ。そう思うだけで、とても誇らしい気持ちになった。
何度もドレスのデザインを見比べ、心を決める。
「ショールを羽織るのならオフショルダーのデザインが良いです」
「畏まりました」
スケッチブックを返しながらリリーナが希望を告げると、アメリは自分の左手側の棚を手で示してみせた。
「少しデザインを詰めさせていただきますから、よろしければその間にレース生地をあちらの棚からお選びになって下さい」
デザインを描くところをじっと見つめていたい気もするけれど、気を散らせてしまうかもしれない。リリーナはおとなしく従うと立ち上がった。壁一面に並んだ棚を上から下まで眺め、まずは一通り見て回る。
探しやすいようにだろう。棚板にはレースの端切れが貼られていた。それらを頼りに好みのレース生地がないかと探して行く。
リリーナが普段ドレスを仕立ててもらっている店より、レースだけでも品揃えの数が全然違う。良く見ると同じ織り方でも、レースの幅が何パターンもあるようだ。
こんなにたくさんあって、今日中に選べるだろうか。
グラデーションをかけたいなんて要望も通したいことだし、生地の幅自体はアメリと相談するとしてリリーナは模様を選ぶ作業にだけ専念することに決めた。
そういえば、とアメリの言葉を思い出す。
夜会とは言え婚約発表の場でもあるのだから、いかに王太子であってもキースも黒を纏うことは出来ない。そうするとキースは何色を身に着けることになるのだろうか。
丸められた布地を見上げながら再び頭の中でキースと合わせてはみたけれど、やはり黒以外はどうにもしっくりとは来なかった。
何とかレース生地を選び、その幅とグラデーションの入れ方、全体的な装飾をアメリと相談しながら決め終えてリリーナはほっと息を吐いた。
完成品を見られるのは当日までお預けとなるけれど、アメリが素敵なドレスに仕上げてくれるのは間違いない。そう思うとそれまで緊張する要素しかなかったお披露目も、楽しみなものに思えて来た。
「リリーナ様ったら、ドレスを作るのにいちばん重要で肝心な作業がまだ残っていますよ」
不思議そうな目を向けるリリーナへ、アメリは手にしていた巻き尺を引いて微笑んでみせる。
言われてみればそうなのだ。
リリーナ用のドレスを仕立てるのに、リリーナ本人の身体のサイズを知らなくては何の意味もない。
成長する度に採寸を繰り返したことを思い出し、リリーナはカーテンで区切られたフィッティングルームへと一気に重くなった足取りで歩いた。
馬車の中では、特に何の会話もない。普段通りと言えば普段通りのことだ。先日、リリーナはほとんど勢いのままに想いを伝えたけれど、キースの態度にこれと言った変化は見られなかった。
リリーナの想いを知ったことで軟化するにしても硬化するにしても、引っかかりは覚えてしまっていただろう。だから、何も変わらないでいてくれるというのは最善のように思えた。
建国に伴って真っ先に整備されたという城下町の南西は、古くから王家に仕える名家の屋敷が集まる区域として名高かった。その為、見るからに高級そうな外観をした店が立ち並んでいる。目指す場所は王家と、王家に連なる名門貴族御用達の由緒正しい仕立て屋だとリリーナも予め教えられていた。
本来なら日曜の今日は午後から登城する日だ。けれどキースが迎えに来ると先週の別れ際に聞かされ、午前中に出掛けることになった。
「リリーナ嬢、手を」
「ありがとうございます、キース様」
目的地に着いたらしい。
キースにエスコートされて馬車を降りると、一目で王家所有の馬車と分かるからだろうか。遠巻きに人々が集まっているのが見えた。いかに市民階級の中では上流にあるうと、普段は王族の姿を見ることも叶わないのだ。それが、またとない機会なのだから当然のことなのかもしれない。そのうえ王太子であるキース自らが王族に与しない令嬢をエスコートしているとあっては、注目を集めるなという方が無理な話だ。
リリーナはどうするべきか迷い、人々に向けて微笑みながら軽く会釈をした。何もしなかったところでお高く止まった鼻持ちならない令嬢と思われることもないだろうけれど、知らない振りをしてやりすごすのはどうにも落ち着かなかったのだ。
噂に聞くだけだった荘厳な造りの扉の左右に、私兵と思しき衛兵が立っている。彼らはすぐさまキースに気がつき、姿勢正しく敬礼をするとそれぞれが大きな扉の持ち手に手をかけた。
召し合わせになっている扉が中央から外に向かって開かれる様を、リリーナは胸を高鳴らせて見つめる。本来ならリリーナが足を踏み入れることさえ出来ない店だ。その内装ですら、初めて目の当たりにすることが出来る。扉の向こうは見た目よりもずっと広く、フロアの壁一面に設置された棚に筒状に丸められた布地がたくさん置かれているのが目に入った。
「キース王太子殿下並びにリリーナ王太子妃殿下、本日はご足労下いただきまして誠に痛み入ります」
支配人だろうか。王家を相手とするに恥ずかしくないスーツをさらりと着こなした初老の紳士が現れて恭しく頭を下げる。
まだ公には一切の情報が伏せられている婚約ではあったが、さすがに彼らには話が伝わっているようだった。とは言えリリーナは"王太子妃殿下"などという、耳慣れない言葉に照れと不相応な居心地の悪さとを覚えずにはいられない。そんなリリーナをよそに、キースは親子ほど年が離れた支配人相手にも堂々とした振る舞いで声をかけた。
「話はすでに聞いているだろうが、今日は年明け早々の夜会用の礼装を頼みに来た」
「もちろんクレフ様より先立ってお話を頂戴しております。――アメリ、こちらへ来なさい」
支配人がフロアの奥へと声をかけると、トルソーに着せたドレスの裾を整えていた二十代半ばと思われる女性が手を止めてやって来た。キースとリリーナとを交互に見やり、お針子用らしくポケットのたくさんついた生成のエプロンドレスの裾をつまんで挨拶をする。
「王太子妃殿下のドレスは、こちらのアメリに何なりとお申しつけ下さい。まだ年若いですが腕は確かな針子です」
「アメリ・メイディットと申します。どうぞよろしくお願い致します」
アメリはリリーナよりやや小柄ではあったが、バイタリティに溢れているように見えた。きっと仕事が楽しいのだろう。愛嬌のある顔は、王太子を前にしても何ら臆した様子もなく輝いている。
キースはリリーナに視線だけを向けた。
「費用は全て王家が持つから君は気にせず好きなように頼めばいい」
「そう仰られると余計に気になるのですが」
リリーナは思わず眉を寄せて答える。
王家が負担するということは、すなわちこの国の民の納めた税から賄われるということだ。もちろん、王家に限らず貴族は民に尽くすことが仕事であるし、税はいわば彼らにとっては給金に値する。だからそれを使って暮らすことは、領地の資産を食い潰して人々の生活を脅かすほどの散財でなければ問題もない。
頭ではそう理解していても、国家規模の税ともなると些か尻込みしてしまう。
「そんなに気にかけることもない。今から王族としての自覚を持って欲しいという目的も含まれているのだから」
「……はい」
キースの言葉の意味を噛みしめ、リリーナは深く頷く。そんな反応にキースの目がわずかに細められた。
「俺は向こうで支配人と話をしているから、時間をかけて選んでくれて構わない」
「分かりました」
そうしてキースとは店内で別行動を取ることになり、リリーナはアメリの後をついて扉続きになっているフロアの奥へと進んだ。
フロアに何着か飾ってあるドレスは、全て何の飾り気もないものだった。どういうことか疑問に思って尋ねれば、基本のシルエットだけを見せて細かなデザインは相談のうえ決めるらしい。デザインが被ったり、あるいはわざと被らせたりといったトラブル防止の為、こういう形式にしているのだそうだ。そして同じ理由から、リリーナのドレスが仕上がるまでアメリは他の客からの制作依頼は受けないとのことだった。
「そちらの椅子におかけ下さい」
白い丸テーブルの前に置かれた客用の椅子に言われるまま腰を下ろすと、アメリがお茶の用意をしてくれる。それから自分もリリーナと向き合う形でシンプルな椅子に座った。
「何かデザインのご希望はありますか? 王太子妃殿下」
スケッチブックとペンを手にしたアメリに尋ねられ、リリーナは再び座りの悪さに小さく肩をすくませた。ドレスのデザインの相談より先に、自分に対する呼び名の方を何とかして欲しくなる。
「アメリさん、私のことはどうぞリリーナとお呼び下さい。その……今はまだ王太子妃ではありませんし、どうにも慣れそうにもなくて」
躊躇いがちに要望を出すとアメリは目を見開き、すぐに口元を柔らかく綻ばせた。
「えーと……それではリリーナ様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「はい」
「改めましてリリーナ様、ご希望はありますか?」
問いかけられ、リリーナは口を閉ざした。
まさか王家側で用意してくれるなんて思ってはいなかったけれど、夜会に着て行きたいと思っていたドレスのデザインがあるにはある。
キースは好きなようにしたら良いと言ってくれた。その言葉に甘えても大丈夫だろうか。
「限りなく黒に近い藍色か、紺色が良いです」
リリーナがはにかみながらも希望を告げると、アメリは心なしか嬉しそうに何度も頷いてみせた。
「ええ、ええ。黒いドレスはお祝いの場では身に纏えませんものね。リリーナ様の太陽のような明るい金色の髪に、夜空のような深い色はきっと良くお似合いですわ」
さすがと言うべきか、アメリはリリーナの意図を見抜いたようだった。
つまり――キースの色を、纏いたいと。
「でしたらオフショルダーかワンショルダーのシンプルな形の上半身に腰から裾にかけて重ねたレース生地でグラデーションを描いて、夜空に煌めく星に見立てたスパンコールやラメを散りばめてはいかがでしょう。スパンコールになら黒を混ぜても良いかもしれませんね」
リリーナのささやかな希望を聞いただけで、アメリは生業としているだけあってデザインが脳裏に浮かんで来るようだ。手にしたスケッチブックにペンを滑らせて行く。
「――ええ、そうしたら良いアクセントになるはずです。だったらブラックパールやオパールにすると強すぎず上品に輝いて素敵かも。せっかくですから、ドレス本体の布も飾りレースも、リリーナ様がご希望される色に染めましょう」
本当にドレスのデザインを考えるのが好きなのだろう。アメリは手と口とを同時に、なおかつ軽快に動かしながら次々と提案を繰り出す。その仕事ぶりに思わず見惚れていると、手を止めてスケッチブックをリリーナに見せた。
紙の上には全部で三種類のドレスが描かれている。両肩を出したオフショルダーと、左右どちらかの肩のみを出したワンショルダーだ。その三種類のドレスには先程アメリが提案した装飾が全て、一つの漏れもなく描き込まれていた。
「まだ寒い時期ですからショールを羽織っていただくことになりますが、それとも袖のあるデザインの方がよろしかったでしょうか」
「デザインを良く見せていただいてもいいですか?」
「もちろんです」
どうぞ、と渡されたスケッチブックを受け取って目を通す。ペンのみで描かれたデザイン画には当然、リリーナの希望する色は塗られてはいない。そこに自分で思い描いている色を頭の中で重ねながら、実際のドレスに出来るだけ近いものを想像してみた。
ここに描かれているものが形になったら、さぞかし素敵なドレスが出来上がるだろう。どんな場に出ても恥ずかしくない自慢のドレスに、リリーナが袖を通すことが出来るのだ。そう思うだけで、とても誇らしい気持ちになった。
何度もドレスのデザインを見比べ、心を決める。
「ショールを羽織るのならオフショルダーのデザインが良いです」
「畏まりました」
スケッチブックを返しながらリリーナが希望を告げると、アメリは自分の左手側の棚を手で示してみせた。
「少しデザインを詰めさせていただきますから、よろしければその間にレース生地をあちらの棚からお選びになって下さい」
デザインを描くところをじっと見つめていたい気もするけれど、気を散らせてしまうかもしれない。リリーナはおとなしく従うと立ち上がった。壁一面に並んだ棚を上から下まで眺め、まずは一通り見て回る。
探しやすいようにだろう。棚板にはレースの端切れが貼られていた。それらを頼りに好みのレース生地がないかと探して行く。
リリーナが普段ドレスを仕立ててもらっている店より、レースだけでも品揃えの数が全然違う。良く見ると同じ織り方でも、レースの幅が何パターンもあるようだ。
こんなにたくさんあって、今日中に選べるだろうか。
グラデーションをかけたいなんて要望も通したいことだし、生地の幅自体はアメリと相談するとしてリリーナは模様を選ぶ作業にだけ専念することに決めた。
そういえば、とアメリの言葉を思い出す。
夜会とは言え婚約発表の場でもあるのだから、いかに王太子であってもキースも黒を纏うことは出来ない。そうするとキースは何色を身に着けることになるのだろうか。
丸められた布地を見上げながら再び頭の中でキースと合わせてはみたけれど、やはり黒以外はどうにもしっくりとは来なかった。
何とかレース生地を選び、その幅とグラデーションの入れ方、全体的な装飾をアメリと相談しながら決め終えてリリーナはほっと息を吐いた。
完成品を見られるのは当日までお預けとなるけれど、アメリが素敵なドレスに仕上げてくれるのは間違いない。そう思うとそれまで緊張する要素しかなかったお披露目も、楽しみなものに思えて来た。
「リリーナ様ったら、ドレスを作るのにいちばん重要で肝心な作業がまだ残っていますよ」
不思議そうな目を向けるリリーナへ、アメリは手にしていた巻き尺を引いて微笑んでみせる。
言われてみればそうなのだ。
リリーナ用のドレスを仕立てるのに、リリーナ本人の身体のサイズを知らなくては何の意味もない。
成長する度に採寸を繰り返したことを思い出し、リリーナはカーテンで区切られたフィッティングルームへと一気に重くなった足取りで歩いた。
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