王子と半分こ

瀬月 ゆな

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二度目の訪問

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 一度しか行ったことのない場所だが、その場所へ至る道はまだ覚えていた。
 とは言え訪問する日時を指定されていた前回とは違って、今回は何の連絡も約束もしていない。どうやら相手はずいぶんと多忙な人物のようだし、不在の可能性も普通にあった。

 ノッカーを叩き、中からの反応を待つ。
 どれくらいの強さで叩けば良いものか加減が分からないから、ノックの音が小さくて建物の中の人物には聞こえなかっただろうか。それとも、突然訪れたからタイミングが合わず留守にしているかもしれない。
 今度は先程よりも強めにノックをしてみようか、日を改めて出直すか迷っていると扉が音もなく開く。

「あっ」

 心臓がどきりと弾み、リリーナは小さな声をあげて手を離した。

 そうだった。
 この扉は誰の手が触れていなくても勝手に開閉することを忘れていた。
 けれどまだまだ慣れないことには変わりなく、リリーナは大きく深呼吸を一つして扉の向こう側へと入った。


 相変わらず通路を照らす灯りは薄暗い。
 ここを訪れるのは二回目ということで少しは落ち着いた気分で改めて見たが、短い通路に変化を見い出せやしなかった。すぐに厚手のカーテンに囲まれた部屋に出て、リリーナは唇をきゅっと引き結ぶ。
 そしてやはり前回と同じように美しく、その年齢を一切気取らせはしない女性が頑強な丸テーブルの向こうに腰をかけていた。全てを見透かすような、深い輝きを秘めた緑色の目をリリーナへ向け柔らかな微笑みを浮かべている。

「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「何の先触れもなく突然押しかけて申し訳ありません」
「まあ気にしなさんな。そこにお座りよ」

 リリーナが椅子に座るのと入れ替わりに部屋の持ち主である占い師――確かクレフがその名を「エスメラルダ」と言っていた――が立ち上がった。

 今日の彼女が纏うドレスは目にも鮮やかな真紅だ。着る人間によってはドレスの色に負けるような色合いだが、彼女の場合は良く似合っている。今日のドレスもまた、そのしなやかな身体のラインを強調するデザインで背中が惜しげもなく開いていた。
 それに気がついたリリーナは、見てはいけないものを見てしまったかのように思わず顔を伏せる。

 エスメラルダがカーテンの向こうに姿を消すと、リリーナに馴染みの深い香りが漂って来た。今日はエスメラルダが独自にブレンドしたハーブティーではなく、一般的な茶葉を用意してくれているらしい。

 そういえば、と思う。

 何故前回はあのハーブティーだったのだろう。

 約束を取り付けてから実際に会うまで、一か月もあった。その間に茶葉なんていくらでも用意出来たはずだ。リリーナを迎える為にわざわざ新しく用意したくなかったという感情もあったのかもしれないが、エスメラルダはどちらかと言えばリリーナには親身に接してくれているように感じる。

 ならばハーブティー自体に何かあったのだろうか。
 けれどエスメラルダは「毒を飲ませようとはしていない」と言っていた。
 もちろん、毒を飲ませるつもりだと馬鹿正直に言うような人間などいないだろう。それを踏まえてハーブティーに何かあったと思うのは、エスメラルダの言葉を疑っているということになる。

 リリーナは一人、ゆるゆると首を左右に振った。
 ハーブティーを飲んだリリーナが今も元気に生活出来ている以上、何らかの害を及ぼすような成分が入ってないと他ならぬリリーナ自身が証明していた。
 でも上手く説明は出来ないけれど、引っかかりを覚えてしまうのだ。

 それは何となく、キースを知らない名で呼んだ時のもどかしさと似ている。

「待たせてすまないね」

 前と同じように白いカップを二つとシュガーポットを乗せた銀のトレイを持ってエスメラルダが戻って来た。正確には前回と違い、ミルクピッチャーも一緒に乗っている。

「いえ。私が突然やって来たのに申し訳ありません」

 テーブルの上に茶器を並べ、エスメラルダが腰を下ろした。

「ミルクと砂糖はお好みで」
「お心遣いありがとうございます」

 リリーナは礼を言い、ミルクピッチャーを手に取った。エスメラルダが今回用意してくれた茶葉は、ミルクティーとして飲むのがいちばん適していると言われている。エスメラルダもそれは知ったうえだろう。ミルクを用意してくれた好意に素直に甘えることにした。
 多めのミルクと一個の砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜる。若干黄色がかった琥珀色と乳白色が渦を巻いて完全に混ざり合うと一口含んだ。角のない柔らかな味に、思わず安堵の息がもれてしまう。

「王太子殿下にお会いしたんだって?」
「ご存知なのですか?」

 先に口を開いたのはエスメラルダだった。
 頬杖をつき、どこか興味深そうな眼差しでリリーナを見つめる。
 思わず質問に質問で返してしまい、それに気がついたリリーナは先に聞かれたことを肯定するべく言葉を続けた。

「友人の誕生パーティーで……キース殿下とは確かにお会いしました」
「前触れもなしに出向いたから騒ぎになったらしいね。かなりの色男だけど、愛想が悪くて取っつきにくかっただろう」

 正直に頷きかけ、寸でのところで思い留まった。
 キースと初めて正式に対面した印象を別の言葉で言い直そうとするが、しかしエスメラルダが評した言葉が当てはまり過ぎて何も思いつけない。
 もっとも、口ごもることは肯定するのと同じことだ。リリーナは半ば諦めて頷いた。

「それで、私に聞きたいことがあって来たんだろう?」

 相手から促されてリリーナは居住まいを正す。

「何分、不勉強ですのでエスメラルダ様にお伺いしたいことはたくさんあります。この機会に思いつく限りの疑問をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「その全部にお嬢さんが欲しい答えを返してあげられるとも限らないけどね。それでも良ければ気が済むだけ、いくらでも聞けばいいよ」
「ありがとうございます」

 リリーナは座ったまま頭を下げた。
 聞きたいことを頭の中で素早くまとめ上げる。ある程度輪郭が定まったところで意を決してエスメラルダを見つめた。

「最初に紋章とは何か、何の為にキース殿下や私が持っているのか、教えていただきたいのです」

 真っ先に聞きたいこと、聞くべきことはこれを置いて他にない。
 エスメラルダもそれはもちろん想定していたようで唇の端を吊り上げた。
 しかし、すぐに大きな息を一つ吐いて首を左右に振る。

「そんなことだろうと思ったし、教えてあげたいのは山々なんだけどね。あいにく、私の口からは教えてあげられないのさ」
「何故ですか?」

 ただの気まぐれや意地の悪い気分が原因でそう言っているのでは決してなく、エスメラルダにも深い事情があるのだとは思う。せめて理由を聞きたくてさらに質問を被せると、エスメラルダは紅茶を一口飲んでリリーナを見た。

「殿下とお嬢さんの紋章に関して、私が部外者だからだよ。もちろん、二人が何故紋章を持っているのかを知らないわけじゃない。けれど紋章がある理由を王家の人間以外に決して口外しないこと、それも契約の一つさね」
「……申し訳ありませんが、そのお答えでは納得致しかねます」
「まあ、そうだろうね」

 さしものエスメラルダも少し困ったように笑った。
 出鼻を挫かれ、リリーナは小さく嘆息する。
 多分きっと、この調子で知りたいことのほとんどは教えてはもらえないのだろう。それどころかおそらくは、今の リリーナが知りたいと思うことほど教えてもらえないに違いない。
 リリーナは当事者であるはずなのに、中心から外されているような感覚がひどくもどかしかった。

 それでも、何か一つでも真実を得られやしないかと希望を持って質問を続ける。

「紋章を消すことは出来ないのでしょうか」
「残念ながら出来ないね」

 再びいとも簡単に否定されてしまった。
 それだって想定内だ。さらに問いかける。

「どなたかに移したりすることも無理なのですか?」
「そうさね」

 エスメラルダはやはりあっさりと否定し、見るからにがっかりした表情のリリーナを諭すように優しく微笑んだ。

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