王子と半分こ

瀬月 ゆな

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おそらくは運命の人

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「お誕生日おめでとう、バーバラ。今日はお招きありがとう」
「こちらこそ来てくれてありがとうリリーナ。豪華なおもてなしは出来ないけど楽しんで行ってね」

 可愛らしく着飾った今日の主役に用意していた花束と水色の小箱を手渡すと、バーバラは花の妖精のような笑顔を浮かべて喜んでくれた。

「リリーナのプレゼントは私の好みにすごく合ってるから、今年も開けるのが楽しみ!」
「気に入ってくれるといいのだけど」

 リリーナもはにかんだ笑顔で答えてわずかに肩をすくませる。
 今年のプレゼントは小鳥モチーフのブローチにした。純銀製で、横向きに捉えられた小鳥が羽を広げて一本の枝をくわえており、枝の先にはバーバラの誕生石のトパーズの一種であるピンクトパーズがはめこまれたデザインのものだ。我ながらバーバラにきっと似合うだろうという自信もある。

 主に先月のお茶会以降にあった他愛ない近況を報告し合っていると、ふと頭上に小さな影が差した。

「バーバラ、こちらの素敵なご令嬢を紹介してくれないか」
「まあエドガー様、あなたもとうとうリリーナに目をつけてしまわれたのね」

 いつの間に近くに来ていたのだろう。バーバラの細い肩に気さくに――そこにいやらしさや馴れ馴れしさを微塵も感じさせないのは彼が持って生まれた才能なのかもしれない――手を回しながらエドガーが声をかけて来る。
 さりげなくエドガーの手を払ったバーバラは、しかし怒った風でもなく、ただ「困った人」と言わんばかりに大人びた表情で笑うだけだ。

 バーバラの様子にリリーナは妙な引っかかりを覚えた。
 エドガーとずいぶん親しげな雰囲気を漂わせていることもそうだが、普段リリーナたちに接する態度とはどこか違った、何とも言えない空気を感じる。

 最初こそもしかして本当に、異性としての好意をエドガーに対し抱いているのかと思った。
 でもエドガーを見つめるバーバラの視線に恋する少女特有の熱はなく淡々としている。なのに……何と言えばいいのだろうか。高熱が引いた直後の、どこか気怠げな様子がいちばん近いかもしれない。

 ああ、そうか。

 先日のお茶会で、バーバラも隠し事をしているのではないかと感じたことを思い出す。
 バーバラの中でエドガーへの感情は現在進行形ではなく、今はもう過去形のものなのだ。

 何があったのか、何もなかったのかは、本人が語らなければ第三者のリリーナが知る由もない。それをあれこれと推察するのも下世話な話だ。
 だけど自分と同じように恋も知らない子供だと思っていたバーバラが実はそうではないかもしれないことは、何だか置いて行かれてしまったようで少し寂しい。
 今度は家のお茶会に誘って、バーバラにゆっくりと色んな話を聞いてみようと思う。

「どうしたのリリーナ、具合でも悪いの?」
「え、あ……ううん、何でもないの。ごめんね」

 気遣わしげに顔を覗き込むバーバラに笑顔で答え、リリーナは手を振った。
 そこへ透明な飲み物の入ったグラスがさりげなく差し出される。反射的に受け取ってしまってから視線を上げれば、警戒心を取り払うには十分すぎるほどに人好きのする笑みを浮かべたエドガーがいた。

「良かったらどうぞ。果実水だからアルコールは入ってないよ」
「ありがとうございます」

 促されるまま一口飲むと、甘酸っぱい果実の溶け込んだ冷たい水が喉を潤す。
 自然と懐に入り、甘酸っぱい感情を呼び起こすエドガーはまるで果実水のようだ。
 アルコールや炭酸のような刺激物が含まれていないから変に悪酔いすることもない。飲みやすく、それでいて後口も悪くないのであればトラブルが起こりようがないのも頷ける。

「ごめんねリリーナ、私まだお客様のお迎えがあるから、また後でね」
「うん、バーバラは今日の主役だしいってらっしゃい」
「エドガー様、私の大切な友人のリリーナに余計なことはなさらないで下さいね」
「分かってるよ、いってらっしゃい」

 バーバラはエドガーにちくりと釘を刺し、まだ次々と姿を見せる招待客を出迎える為に二人の元を離れて行った。
 後に残されたリリーナは、すでに来ているであろう友人たちに自分も挨拶しに行こうと考える。
 エドガーに断りを入れて立ち去ろうとすると、ほんの一瞬早く声をかけられた。

「結局、バーバラは君をちゃんと紹介してくれないまま行ってしまったね」
「……あ」

 言われてみれば確かにそうだ。
 リリーナは先月のお茶会の時に聞いているからエドガーのことを知ってはいるが、エドガーはリリーナの名を知らないだろう。
 グラスを持ったまま、ぎこちなくドレスをつまんで頭を下げた。

「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。リリーナ・ディアモントと申します」
「まあ知ってるし、君も俺の名前くらいは知ってると思うけどエドガー・グラヴィットです、よろしくお見知りおきを」

 それからエドガーはさりげなくリリーナのグラスを受け取り、さらには自然な流れで空いた右手へそっと口づける。
 あまりにも手慣れた仕草に目を丸くするしか出来なかった。
 バーバラが席を外した途端、それまでは遠慮がちだったのが明確な意識を持って向けられるようになった数々の視線も、心なしか鋭さを増したようで落ち着かない。

 リリーナとしては運命の相手がいると知った以上、エドガーとは絶対に結ばれないと分かっている。周囲だって裏事情を一切知らなくてもリリーナの婚約は、寸前で破談になると思っているに違いない。
 それが一時的な関係で終わるのだとしても、相手がエドガーとなれば動向が気になるものなのだろうか。

「少し風に当たりに行きたいんだけど、一人で当たってても退屈だし付き合ってもらってもいいかな」

 近くを通る給仕係に空のグラスを手渡したエドガーに、テラスへ出ようと誘われた。
 どうやらリリーナが敵意のこもった視線に晒されていることに気がついてくれたらしい。エドガーがちらりと背後を見やる目線を追えば、令嬢たちは一様に気まずげな表情で目を逸らす。
 ほっとしてテラスに出ると心地良い風が吹いていた。

 エドガーはとても話し上手であり、同じくらい聞き上手だった。
 どこまでが計算された立ち振る舞いなのか分からないが、その言動を知れば知るほど女性にもてるというのも納得が行く。

 リリーナも未だ謎に包まれた”淡く輝く満月の紋章”なんてものがなかったら、好きになっていたかもしれない。最初から諦める必要もないのだろうが、恋が成就することのない理由を知ってからは踏み出せなくなってしまったのも事実だ。
 けれどそんな感情を差し引いても、異性の友人として接することが出来るのなら楽しい相手なのだろうと思った。

「リリーナったら、どこに行っていたの? 探したのよ。それに……エドガー様も」

 そろそろほとぼりも冷めたと思われる頃にフロア内へ戻ると、姿が見えないリリーナを探してくれていたのかバーバラが安心した顔で来た。
 特に後ろめたいこともない為、素直にエドガーとテラスにいたことを話すと驚かれこそしたが、リリーナは嘘をつかないと信用してくれているのだろう。特に何か言われるということもなかった。

 再びバーバラも交えて会話を楽しんでいた頃だ。

「何かあったのかしら」

 にわかに外が騒がしくなって来ていることに気がつき、バーバラは心配そうに顔を曇らせた。
 この場に招かれざる客が闖入することはなくても、余計な騒ぎは主催者の手落ちと言われかねない。ましてや今はバーバラの誕生パーティーという晴れやかな場なのだ。
 よりにもよってこの日に、と思わないでもない。

 慌ただしく扉が開き、シャルドネイト家の私兵の一人がフロアに転がり込んで来た。遠目でもそうと分かるほど顔色を青白く染めた私兵はフロア全体を見渡し、主のシャルドネイト伯爵の姿を見て取るとそちらへ駈け寄った。
 息を整えながらヒザをついた私兵の一挙手一投足に、リリーナたちのそれも含んだ視線が集まる。緊張感で張り詰めた空気が支配する中で私兵が口を開いた。

「華やかな場の最中にて失礼申し上げます。ただ今、こちらにキース王太子殿下のお姿が……」

 王太子殿下の名が挙げられた瞬間、フロア中が一斉にざわめく。
 同時に私兵が入って来たのとは違う扉が開かれて、一人の青年が姿を見せた。

 フロアのざわめきが一際大きくなった。

 夜を閉じ込めたかのような黒髪。
 初めて見る、黒曜石に似た輝きを放つ強い瞳。
 やはり黒で揃えられた礼装とマントに包まれた、すらりとした痩身。

 黒一色で固められたせいだけではない天性の雰囲気を持つ、まごうことなき若き支配者の姿がそこにあった。

 ――彼が、自分の運命の人。

 そう思うだけで心臓がどくんと大きく弾む。もちろんそこに愛だの恋だのと言った甘いときめきはまだなかった――さすがにないはずだ――が、奥深い場所が震えているのが分かった。

 広いフロアであるにも拘わらず、キースの眼は真っすぐにリリーナを捉えた。まるで引き寄せ合ったかのように目が合うと迷いも躊躇いもなくこちらへ歩いて来る。
 一歩も動くことは出来なかった。圧倒的な威圧感の前に、肉食獣に睨まれた獲物さながらの無力さで立ち尽くすだけだ。

「お、恐れながら申し上げます。キース王太子殿下、本日はいかような理由で当家に」

 見るからに差のありすぎる歩幅の違いに苦労してついて行きながら、シャルドネイト伯爵が声をかける。
 そこで一度キースの足が止まった。しかし視線だけはリリーナの方に向けられたまま口を開く。

「俺の婚約者殿がこちらに顔を出していると聞いて迎えに来たに過ぎない。用が終わればすぐ帰る」

 耳馴染みが良く聞き取りやすい低音の声が発した婚約者という言葉に、ざわめきは最高潮に達した。

 ものすごく嫌な予感がする。
 先程とは正反対の理由で心臓がばくばくした。
 逃げ出した方がいいのか、けれどバーバラに何と言って説明したらいいのか思いつかないでいる間にキースはもう目の前に来てしまっていた。

「お迎えに上がりました、我が姫君」

 芝居がかったセリフでキースに右手を取られ、触れるか触れないかぎりぎりの位置に口づけを落とされた瞬間、フロアの至るところから矢が放たれたかのように向けられた鋭い視線が容赦なく突き刺さる。

 先程エドガーにも似たようなことをされた時の比ではなかった。それはエドガーの件もあったからより増幅されている部分もあるのかもしれないが、まさに突き刺さるようなとしか言いようのない、目に見えない凶器だ。
 どうしてこれが実質的な初対面なのに、わざわざこんな目立つことをするのか。キースが何を考えているのかなんて分かるはずもない。
 薄い唇の端が、悪戯の成功した子供さながらに小さく上げられているのが見えるだけだ。

「まあ、リリーナったらそうだったの? おめでとう!」

 ただ好奇や敵意といった様々な感情を一方的にぶつけられる中で、婚約が決まったらしいことを素直に喜んでくれる友人の無邪気さが嬉しくすら思えてしまった。

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