王子と半分こ

瀬月 ゆな

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兄妹会議

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「お兄様は、どう思った?」

 一晩考えてみても納得の行く答えが見つかるはずもなく、リリーナはリビングで本を読んでいるヘンリーに声をかけた。正面の一人掛けソファーに腰を下ろし、兄を見やる。
 読書の邪魔をしてしまうのは些か気が引けたが、優しい兄は読みかけの本に栞を挟んでリリーナに向き直ってくれた。

「どう思うのかとは、クレフ様が昨日仰った話についてかい?」
「うん」

 何かの間違いではないかと思ったが、王家の信望も厚いような占い師が一貴族の令嬢にしか過ぎないリリーナに嘘を教えるだろうか。その必要性に対し、説得力のある答えは少なくともリリーナは得られていない。

 本当に誰かに恨まれているのかもしれないと仮定はしてみた。けれど、そんな相手にも理由にも心当たりは全然なかった。
 人目を避けつつ、人前に出なければいけない時は清廉潔白に慎ましく振る舞っているつもりではある。もっとも、それがリリーナの甘い自己解釈にしか過ぎず、自分でも知らないうちに誰かの怒りを買ってしまっているというのであればどうしようもないというのが実情だ。

 我が家で最も頼りになるヘンリーに相談したら、さすがの兄でも答えそのものを出してくれるとは行かずとも、何か掴めるような気がする。少なくともリリーナがあれこれと一人で思い悩むよりは良いだろう。

「クレフ様ご自身を疑うわけじゃないけれど、本当に王太子殿下の使いの方なのかしら?」

 根本的な疑問を思ったまま口にすると兄は小さく頷いた。

「仮に王太子殿下の使いと騙ったところで、すぐにばれてしまうよ。わずかでも時間稼ぎをしたい事情があるのなら話は違うだろうけど、それなら最初から我が家に知らせたりしなければいくらだって時間を使えるわけだし、割に合わないんじゃないかな」
「そう、よね。クレフ様がいらっしゃらなかったら、対になる紋章をどなたが持っているのかなんて分からなかったもの」

 リリーナは素直に兄の答えに賛同し、頭の中で最初の疑問に×印をつける。
 とは言え、疑うわけじゃないという前置きは多少なりとも疑わしく思っていないと出て来ないものだ。クレフ本人に伝わることはないけれど、勝手に疑ってしまったことへの謝罪もつけ加えておいた。

 それから次の疑問を思い浮かべ、改めて兄の意見を求める。

「どなたかを知らない間に怒らせてしまったから呪いをかけられたなんて可能性も、これで完全になくなったと思ってもいいのかしら」
「それは元より現実味のない可能性だとは僕は思うけどね」
「でも、いつの間にか誰か嫌われているなんて、やっぱり気分が良いことじゃないもの。違うことに理由や原因があるなら、それに越したことはないわ」

 苦笑しながらではあったがヘンリーのお墨付きを得て、リリーナは胸を撫で下ろした。

 そもそも呪いだとか嫌がらせだとか、可能性として挙げてはみたものの、どうしたらリリーナに対する嫌がらせになるのだろうか。
 占い師は誰がリリーナの運命の相手なのか教えてくれなかった。そう教えられたリリーナが受けたダメージだって、もしかしたら相手を見つけられなくて結婚は一生出来ないかもしれない。そんなことを少し悲観的に考えた程度だ。

 リリーナ個人ではなくディアモント家に嫌がらせをしたいと考えるとさらに苦しい。
 仮に占い師、あるいは陰謀らしくその背後にいるかもしれない人物がディアモント家を陥れたいが為なのだとする。何故当主であるディアモント伯爵ではなくリリーナを狙って、こんな手段を取ったのかという疑問はどうしたって拭い切れはしない。
 リリーナの婚姻が遅れたところで、ディアモント家が何らかの窮地に立たされることもないだろう。結果と労力とを比較する間でもなく、非常に大掛かりで遠回りしすぎていることはあきらかだった。

 それに、リリーナだって他家に嫁いで家を出て行く可能性が完全に途絶えたわけでもないのだ。父は父で、一秒でも早くヘンリーに家督の座を譲りたくて仕方がないと考えている。今後も見越してヘンリーを篭絡するなりした方が、よほどディアモント家に大きなダメージを与えられるだろう。

 ましてやそれで王太子までもがこうして表舞台に担ぎ出されたとあっては、事態の大きさは桁違いになる。そんなことをせずとも王家にでっち上げを吹き込み、一家取り潰しの命が下されるように仕向けられれば、ディアモント家はひとたまりもない。

「我が家を陥れたいなら、お父様や、ましてや私なんかよりもお兄様を標的にするのがいちばん効果的なのに」

 リリーナが思うまま口にすれば、ヘンリーは困ったように眉尻を下げて笑った。

「父上は僕なんか到底足元にも及ばないくらい、立派なお方だよ」
「立派な方だとは私も思ってるし尊敬もしてるけれど、でも何だか少し頼りないわ」
「貴族としては些か人が好すぎるからね」
「でしょう?」

 意気揚々とリリーナは頷いた。それからヘンリーと目を合わせて悪戯っぽく笑い合う。
 兄の考えを参考に聞きながら色々と考えた結果、リリーナはひどくもったいぶった名前をつけられている、太陽と月の紋章に関しては事実だと考えても良いと結論づけた。同時に、事実だと思えばこそ新しく心にのしかかって来るものがあった。

 貴族の家に生まれた以上、事情によっては政略結婚も覚悟している。けれど、理屈と感情はやはり違うのだ。

「ねえお兄様」

 わずかな躊躇いの後、リリーナは思い切って口を開いた。

「何だい?」
「もしもお兄様が私の立場ならどうしてた?」

 ヘンリーが驚いたような表情を見せる。
 確かに、それを聞いたところでどうしようもない仮定ではあるけれど、そんなにおかしい質問だろうか。

「ああごめん。何て言えばいいのかな。今リリーナが考えてるようなことを思ってるわけじゃなくて――」

 ヘンリーにしてはやはり歯切れが良くない。
 リリーナから聞かれたことで今初めてそれに考えを巡らせているような感じだ。適当に答えてくれても構わないのに、兄らしいと言えば兄らしかった。

「僕がリリーナの立場なら」
「うん」

 よほど考えがまとまらないのか、あるいは言葉を選んでいるのか。ようやく言葉を紡ぎはじめたヘンリーの声を一言でも聞き逃さない為にリリーナは耳を傾けた。

「運命の相手だろうと好きになれない場合もあるかもしれないし、好きになれるなら運命とか関係ないかな」
「お兄様でも好きになれない人がいるの?」
「いるよ」

 答えそのものよりも、温厚を絵に描いたような兄でも好意を持てない相手がいるかもしれないことの方が気になってしまった。
 驚きで目を丸くするリリーナに向けてヘンリーは告げる。

「僕の家族たちを邪険にする相手はさすがに無理だよ」
「それは、そうね。私だっていや」
「だろう?」

 今度はヘンリーが意気揚々と頷くから、再び目を合わせて笑った。


「お兄様ありがとう。おかげで考えもまとまってきたと思うの」
「リリーナ」

 互いに自室に戻ろうという別れ際、頭の上にヘンリーの手が置かれた。
 兄はそのままリリーナの髪を優しい手つきでくしゃりと撫で、顔をのぞき込む。

 子供の頃は、こうしてよくヘンリーが頭を撫でてくれた。成長するにつれて気恥ずかしさからかなくなり、最後に撫でられたのはリリーナが何歳の時だっただろう。

「僕も、父上も母上も、屋敷で働く全ての人間も、君には幸せな結婚をして欲しいと思っているよ。だからもし何かつらいことがあれば、一人で抱えたりしないで僕たちにすぐ相談して欲しい」
「……うん。本当に、ありがとう」

 家族は味方でいてくれる。
 そんな当たり前とも言えることが何だかとても嬉しくて、涙が込み上げて来るのを悟られないようにリリーナは俯いた。

 でも声が震えてしまっていたから、兄はきっと気がついていたと思う。

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