【R18】王太子は初恋の乙女に三度、恋をする

瀬月 ゆな

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王家

探り合い

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「で、では至急、王太子妃候補を集めて――」
「いや、その必要はない」

 長らく宙釣り状態で何の進展も見せずにいる王太子妃候補の選定にようやくリヒトが前向きになったのかと、突然の展開に面食らいながらも手筈を整えようとする宰相を押し留める。
 宰相は訝しげに眉を寄せ、しかしすぐに冷静さを取り戻して尋ねた。

「と申されますと」
「妃にしたい令嬢はすでにいる」
「殿下も、なのですか」

 リヒトの言葉に含まれた意味を察し、宰相は掠れ気味の声を振り絞った。
 稀であるらしい人への執着が二代続いたことは、さしもの宰相も想定外ではあったのだろう。
 これまでの王国の歴史において、そのような前例は過去に一度もない。だが、だからと言って国の未来に影を落とすような不吉な前兆も特になかった。禁呪に相応する魔術を使える存在が潜んでいることは、不吉な前兆に値しているのかもしれないが、今の時点ではまだ分からない。

「ああ。僕の執着の対象も人だ。彼女とは十歳の時に出会っている」
「十歳の時に? まさか――ウィンドルフ侯爵家のご令嬢だと?」
「さすがに話が早くて助かるよ」
「せめて私相手にはもっと早くお話ししていただきたかったところではありますが」

 いささか不服そうな様相を見せる宰相の言葉に苦笑いが浮かぶ。
 もちろん、黙っていたのは信用していなかったからではない。アリーシェリナを迎えられる環境ができる限り整ってから、王だけでなく父という役割も放棄して久しい父よりも先に相談しようとは思っていたのだ。

「ウィンドルフ侯爵宛てに僕個人ではなく王家から公的な文書を出す」
「畏まりました。取り急ぎ手配致します」
「彼女に関わる行動は全て内密に取り計らってくれ」
「重々心得ております」

 宰相が国王からの書簡と証明する為の便箋や印璽いんじを用意する間、リヒトは初めてすることになるウィンドルフ侯爵との腹の探り合いをどう乗り切るか、考えを巡らせた。



 次期国王となるうえでの視察と称した面談を要求する手紙を送ってから承諾を得るまで、約一か月もかかった。
 嵐が一際強かったことが遅れた理由とされ、謝罪の言葉もあったが侯爵のことだ。裏にリヒトの個人的な思惑があることなど当然見抜いており、できるだけ先送りにしたかったという意図もあるだろう。

「アリーシェリナ嬢はあれから元気にしているだろうか。久し振りに顔を見たい」

 政に関する話という長い前置きの後にようやく本題を振れば、ウィンドルフ侯爵は予想外の返事をした。

「アリーシェリナは現在、ウィンドルフ領にはおりません」
「――いない?」
「はい。事情により離れた場所で暮らしております」
「それならアリィはどこに?」

 侯爵は答えなかった。

(どういうことだ。僕が来ると分かっているから別の土地に移動させたのか?)

 真意を探るべく侯爵の顔を見やる。

「あくまでも当家内での問題です。殿下にお聞かせできるものではございません」
「これは僕個人の命じゃない。王家からの命だ。アリィは今どこにいる?」
「王家の命でしたらなおさらにお答えできません」

 だが王都暮らしではないからと言って、圧倒的に経験の浅いリヒトの視線や詰問程度で顔色や表情を変えることもない。
 ここで王家の権力を振りかざしたところで先の丸いフォークで武装しているようなものだ。
 侯爵の優位な立場は何ら揺るぎもしなかった。

「僭越ながら、わたくしから殿下に一つお聞きしてもよろしいですか」
「何なりと」

 聞かれて困る後ろ暗いことなど何もない。
 堂々とした居住まいで受けて立つ姿勢を見せると、侯爵はどこか満足そうに頷いた。

「先日、無謀にも供もつけずに来られた理由をお聞かせいただきたいのです」

 記憶を失うきっかけになった行動のことを言っているのだろう。
 無謀と言われれば確かにその通りだと認めるしかない。あの時のリヒトは身も心もすり減っていて、ただアリーシェリナに会いたくて仕方なかった。

「アリィに会いたかったからだ」

 正直にありのままの心の内をさらけ出す。侯爵は珍しく虚を突かれたような反応をしたが、さらに質問を重ねた。

「それだけの理由ですか」
「"それだけ"が些細なことと単一のこと、どちらを意味しているにしても僕にとっては"それだけ"じゃない。僕は彼女を必要としている。だから妃に迎えたい」
「なるほど。殿下のお考えは良く分かりました」

 では、と身を乗り出しかけたリヒトを侯爵の次の言葉が制する。

「わたくし共はアリーシェリナを王妃にしたいのではございません。親として娘の幸せを願っているだけなのです」
「それは分かっている」
「ですから」

 一際強く言葉に力を込め、真っすぐにリヒトを見つめた。

「殿下が王家の力ではなくご自身の力でアリーシェリナを守って下さるのなら、わたくしも喜んでリヒト様の元・・・・・・へと娘を嫁がせましょう」
「ならば」
「――ですが、失礼ながら今の殿下ではあらゆる要素において力不足かと存じます」

 侯爵はあくまでもリヒトの前に立ち塞がった。



 王太子という地位と権力を使い、ウィンドルフ領を後にしたというアリーシェリナを一日でも早く探し出したい。
 だが、それをすれば王太子に取り入る為の、あるいは穢れの存在を知らずにリヒトを王太子の座から引きずり下ろしたい勢力の重要な駒として、何も知らないアリーシェリナに危害が及ぶ可能性がある。

 それにリヒトが探していると侯爵が知れば先回りで居場所を移動されかねない。侯爵もリヒトがおとなしく引き下がるとは微塵も思ってはいないだろう。

 自分の足ですぐに迎えに行けるまでは秘密裏に行動するしかない。
 幸いと言うべきか、ウィンドルフ侯爵の様子を見るに誰かの元に嫁いだ可能性は限りなく低かった。リヒトを諦めさせる為に嘘でもそう言えば良いものを、非情になりきれないのが侯爵らしいと言えばらしい。

(そろそろアリィを失って二年も経とうとしている)

 アリーシェリナがいない以上、計画は何も進んではいなかった。
 無駄に月日ばかりが経過しているようで焦りが募る。
 二年前はウィンドルフ領に行けばアリーシェリナに会えた。

(記憶を失いさえしなければアリィを連れて帰れていたのに)

 穢れの正体を侯爵に話すべきだったのか。
 だが穢れは王族の象徴だ。今の状態で侯爵が知れば態度は軟化どころか硬化する未来しか見えない。

 リヒトは軽く首を振る。

(アリィがまだ誰のものにもなってないなら大丈夫だ。必ず僕が手に入れる)

 執着の深さは、他でもなく自分がいちばんよく分かっているのだから。

 

 王都近辺にはいないだろうと判断し、捜索範囲を少しずつ広げるリヒトはウィンドルフ領よりさらに西にあるノリグリット領に足を運んでいた。
 身分を偽り、王家の命で視察に訪れているという名目だ。いちばん良い宿に取った部屋で今日の予定を確認していると、護衛に連れて来た騎士がドアをノックした。

「殿下にソフィア・コルベルと名乗る修道女が面会を希望しておりますが、いかがなさいますか」

 もちろんリヒトにはその名に心当たりはない。
 修道女なら、おおかた修道院への寄付でも嘆願しに来たのだろうか。それならいくばくかの金を包んで渡しておくよう言いかけた時、護衛騎士は気になることを言った。

「リナ・トレイル子爵令嬢をお探しなら、お力になれるかもしれないとのことです」

 また聞き覚えのない名前だ。
 だが人を探していると思われている。
 単なる偶然の一致か、別人と勘違いしているのか。どちらかは分からないが、引っかかるものを覚え、別室に案内するよう命じた。

 護衛騎士の後をついて一人の修道女が部屋に入って来る。
 ひどくおどおどとした様子で、背後の騎士を気にしながらもリヒトに向かって深々と頭を下げた。

「お目通り叶いまして恐縮にございます、わたくしはソフィア・コルベルと申します。この度はリナ・トレイル子爵令嬢に関してお話をしたく、恐れ多くも騎士様にお声をかけさせていただきました」
「騎士からも聞いたが、そのリナ・トレイル子爵令嬢とは誰のことを言っている?」

 何故か知っていることを前提で名前を出されても、やはり知らないことに変わりはない。
 するとソフィアはリヒトの気分を害したと思ったようで、顔を青ざめさせるとその場に膝をついた。

「わ、わたくしと同じ修道院で暮らす修道女が、あなた様の乗っていらした馬車に刻まれた紋様と同じ図柄が入った懐中時計を所持してるのです。それでもしや、彼女の関係者――婚約者だった方ではないかと」

 ソフィアはリヒトが王太子であると全く気がついていないようだ。確かに馬車の紋様は王家のものではなくリヒト個人のもので、ある程度俗世を離れた修道女とあらば知らなくても無理はないのかもしれない。王都に多少は近いウィンドルフ領に住むアリーシェリナとて、知らなかったのだから。
 そして同じ紋様を入った懐中時計を所持しているのはアリーシェリナしかいない。

(リナ……。アリィの偽名に使われてもおかしくはないが)

 どうせ手がかりなど何もないのだ。唯一の接点である懐中時計を知っているのなら、話を聞くだけ聞いても損はしない。

「話を詳しく聞かせてくれ」

 聞く姿勢を見せれば、ソフィアはさらに床に頭をつけて話しはじめた。

 いわく、リナ・トレイルという令嬢には婚約者がいたが他に想い人がおり、その人物との間に子供を身籠ってしまった為に修道院へ入ることになった、と。
 さらには外見の特徴もほぼ一致し、この土地の修道院に来たのはウィンドルフ領の領主の紹介だとあってはアリーシェリナとしか考えられなかった。

 何もかもを偽って修道院に入ったとはどういうことなのか。そして、ソフィアが話したある一点がリヒトの心を激しくかき乱す。

(子供を身籠った……? 誰の? あの男の?)

 アリーシェリナと思しき令嬢が恋人と共に修道院へ来たのは約二年前だと言う。
 ならばリヒトが王都へ戻ってすぐに彼女の妊娠が発覚したことになる。

 目の前がどす黒い感情に覆われた。

(アリィが、僕以外の男の腕に抱かれた)

 そんなはずがないと頭では分かっている。
 最初の嵐の夜、アリーシェリナは彼は恋人じゃないと言ってリヒトの部屋を訪れた。
 次の嵐の夜、大人になる覚悟を決めてリヒトの部屋を訪れ、肌を曝した。

 だがアリーシェリナは、他の男にも身を捧げて身籠り、リヒトの迎えを待たずに領地を去った。

 翌日、ソフィアの手引きで先触れも出さずに修道院に向かうと、果たしてアリーシェリナはそこにいた。
 ずっと探していた少女が目の前にいる。
 衝動のまま、抑えが効かずに求めたアリーシェリナはリヒトの恋した少女の面影を残しながらも、美しい大人の女性へとさらに成長し――母親になっていた。

「君の子供……リアナっていうの?」

 問いかける声が震える。

 父親はゲオルグのはずだ。なのにその名に含まれる文字が一文字も使われてはいない。駆け落ち紛いのことをして修道院に来たというのに、そんなことがあるだろうか。

 アリーシェリナは無言のまま、縋るように我が子を抱きしめて俯いていた。

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