【R18】王太子は初恋の乙女に三度、恋をする

瀬月 ゆな

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王家

二度目の初恋

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「お目覚めになられましたか、殿下」

 目を開けると、聞き覚えのない声が耳に届いた。
 安堵した様子が声だけで伝わって来るが、誰の声なのか分からない。横たわっているらしい体勢から見える範囲はとても狭く、どこか部屋の中だとは分かってもやはり場所に覚えはなかった。

「殿下……?」

 自分の、ことだろうか。
 身を起こそうと肘をついた途端に頭が鈍く痛んだ。右手でこめかみを押さえ、眉根を寄せる。先程声をかけたと思しき人物が慌てたように身体を支え、再びベッドに横たえられた。

「急に動かれてはなりません」

 こめかみに手を当てたまま視線を彷徨わせる。
 豪華ではないが、部屋の内装は質の良い物で整えられていた。ベッドの寝心地は悪くなく、肌触りの良いリネンも洗濯粉の柔らかな匂いがして清潔なものであることが窺える。
 今はとにかく状況を把握するべきだ。いくばくか気分も落ち着き、話を聞く為にゆっくりと声の主を見やった。

 親子だろうか。
 人の好さそうな紳士と若い娘が心配そうに見つめている。
 少女を見た時に何かがざわめくような感覚が走り、咄嗟に押さえつけた。理由は分からないが良くないもののような気がしたのだ。

「医師の診断によれば目立った外傷はございませんが、落馬の衝撃で強く頭を打たれた可能性が高いとの話です。しばらくは安静にする必要があり、当家で殿下をお預かりすると書状をお送りしてあります」

 現状を教えられても言葉が出て来ない。
 今までずっと生きて来ていたはずの自分が、自分の中のどこにもいなかった。真っ黒な膜が頭の中全体を覆っていて何も見えない。
 突きつけられた事実は安堵させるどころか逆に焦燥感を煽る。自分のことを知っている様子の紳士と少女を交互に見やり、さらに不安に陥るかもしれない情報を求めて問いかけた。

「君たちは……誰だ? いや、それ以前に……僕は誰なんだ……?」
「名乗りもせず大変失礼致しました。私は王都より遥か西に位置するこの領地を治める、クラウス・ウィンドルフと申します。田舎貴族にございますが、侯爵位を賜っております。そして、あなた様は――」

 リヒト・オーベルハイン・フォン・エレメンディウス。十八歳。この国を統べる王族の第一王子にして王太子。
 それがウィンドルフ侯爵と名乗る紳士から教えられた素性だった。
 真っ暗闇の中にようやくできた過去の自分という足場は、しかしまだ頼りない。
 何の実感も伴わない以上、ふとした弾みで脆く崩れ去っても何らおかしくはなかった。

 頭を打っている為、一週間は安静にするよう医師から言われている。得られた情報を足がかりに何か思い出せはしないかと振り返ってみるが、変わらずに黒く塗り潰された思考が見えるだけだ。行く先を導く一粒の星の灯りも生まれそうになかった。

 突然失ったからと言って、すぐに取り戻せるものでもない。体力の消耗も思うより激しいようで、目を閉じればすぐさま深い眠りへと落ちて行った。



「リヒト様。起きていらっしゃいますか?」

 侯爵家の娘アリーシェリナが朝食の後、だいたい医師の診察が済んだ頃に姿を見せる。
 彼女は幼い頃、短い期間ながら一緒に過ごしたことがあるという。記憶を取り戻す呼び水になればと、当時の話を聞かせてくれるように頼むと部屋に通う度に思い出を色々と話してくれた。

 楽しそうに話す様子は可愛らしく、良い思い出としてずっと残り続けているのだと言われているようで嬉しくもある。
 ただ一つ惜しむらくは、部屋を訪れるのはアリーシェリナ一人ではないことだ。常に彼女の後ろには保護者、あるいは――恋人のように一人の青年が控えている。名前も知らず、言葉を交わさない相手に敵対視されたところで構わないが、向けられて気分が良い視線ではない。

 子供の頃の思い出と重ね合わせるように出かける約束をする。
 アリィと呼びかける度、心の中が温かくなった。
 リヒト様と呼びかけてくれる度、心の奥底がざわめく。

 過ごした時間そのものは短くとも、彼女はかつての自分の中で大きな存在だったに違いない。記憶は失ったままでも、それが真実だと実感するのに時間は必要としなかった。
 だからこそ新たな不安が沸き上がる。

(アリィの過去には僕がいる。けれど――彼女の未来には?)

 一緒にいる青年との未来がアリーシェリナには約束されているのか。
 そう考えるだけで黒く淀んだ醜い何かがうごめいた。



「二週間後、王城よりお迎えの方がいらっしゃることが決定致しました」

 ベッドから出ても良いと医師の許可が下りた後、ウィンドルフ侯爵がそう告げる。
 自分は本当に王族の一員だったようだ。と同時に、それはアリーシェリナを手放す時期が近いことを意味していた。

「動けるようにはなっても、僕の記憶が戻る気配はない」

 暗に王城に戻るつもりはないと伝えれば侯爵は静かに首を振った。

 侯爵にはあまり良く思われてはいないような節を感じる。臣下としての敬意は持たれているが、個人としての感情は良くない、そう言えば良いのだろうか。
 
(八年前にウィンドルフ領で過ごしていたことについて聞いた時も、反応は芳しくなかった)

 ウィンドルフ領にいた理由そのものは、王家の問題だからとだけ言われて教えてはもらえなかった。
 できれば当時のことは思い出して欲しくない。
 そんな印象だ。

「王都は現在、危機的な状況に陥られているようです。王弟殿下と宰相閣下が辣腕を揮われて対処されておられますが、主なき状態ではあまりよろしくはないでしょう」
「主なき状態とは一体? 国王は不在なのか?」

 当然の疑問を侯爵に尋ねる。
 リヒトが王太子であるのなら王は存命中で、退位もしていないはずだ。

「近頃の陛下は体調がかんばしくないと伺っております。殿下にはお二人の弟君がいらっしゃるとは言え、国王陛下だけでなく王太子殿下まで政に携われないとあれば由々しき事態かと存じます」

 だから一刻も早く王城に戻るべきだと侯爵は言いたいのだろう。
 由々しき事態であることは分かる。だが記憶のない状態で戻ったところで、何の役に立つというのか。かつての自分がどれだけ国家の礎になれていたのか分からないが、以前と同じだけの働きをできるとは到底思えなかった。

 だが、できるできないの問題ではない。迎えが来ると決定した以上、戻るしかないのだ。それが王族の務めだと身体に染みついている。

 せめてもう少しだけ時間が欲しい。

(アリィの未来に僕がいると約束を交わせるまで、彼女と離れたくない)

 過去をゆっくりとなぞり、緩慢なペースでありながら心を通い合わせはじめている今、突然決められた残り二週間という期限はとてつもなく短いものに感じられた。



 窓の外では、風と水の精霊が魔力を競い合って誇示しているかのように嵐が吹き荒れている。
 話には聞いていたが予想以上だ。カーテンを閉め切った窓を見やり、自分の左側に視線を戻した。

 アリーシェリナが安心しきった表情で眠っている。いつも過ごしているだろうに、嵐が怖いと言って部屋を訪れて来たのだ。
 あの青年は恋人じゃない。はっきりとした言葉での否定を受けて部屋に迎え入れた。子供の頃も一緒に眠ったと聞いて、体の良い言い訳を得たような気になった。

 薄闇の中、静かな寝息は荒れ狂う風の音にかき消されることなく耳に届いた。
 幼い自分もきっと、心地良い温かさに安心していたのだと思う。
 おそらくは嵐を怖がるアリーシェリナを守るふりをして、本当に救われていたのは自分の方だったのだ。

 無防備な頬に指先でそっと触れた。上質な絹のような感触が心地良く、起こさないように優しく何度も指を滑らせては撫でる。

「ぅ、ん……」

 くすぐったいのか、鼻にかかった小さな声があがった。穏やかな気持ちになりながら、それ以上を求める欲望が静かに頭をもたげはじめる。目が自然と桃色の唇へと吸い寄せられた。
 理性を振り絞って首を振る。
 アリーシェリナが好意を見せてくれているとは言え、眠っている相手にこれ以上はだめだ。

 いつまでも子供ではない。
 夜、共に寝ることは、ただ眠るという意味だけではなかった。

 記憶は未だに戻ってはいないのに、アリーシェリナに確かな愛情と、劣情を抱いている。しかし自らの欲望を伝えるには彼女はあまりにも清らかで純真すぎて、遠回しな表現をしたのがいけなかったのかもしれない。

「……アリィ。夜、男の部屋に一人で来るって、そういうこと・・・・・・だよ。君は本当に分かってるの?」

 部屋に来てはいけないと言ったのに、次の夜も変わらずに来たアリーシェリナに最後の確認をする。
 引き返して欲しかったのか、残っていて欲しかったのかは自分でも分からない。
 ただ、彼女も思うほど子供ではなかった。
 子供のままでいてくれたなら、穢れた想いをアリーシェリナに見せることなく王都に戻れていた。

 それがお互いに、お互いが思う以上に身も心も大人になっていて、嵐の中、秘密を分け合うように激しく求め合った。

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