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王家

執着の行く先

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 本来なら浄化された形で魔力として残る"穢れ"は、何故かリヒトの中には残らなかった。
 跡形もなく消え失せ、ただ欠片のような、芯のような小さなものが奥底にこびりついている。そんな感じだ。

 穢れが消え、リヒトは王太子の地位を剥奪されるかと思いきや、そうした流れにはならなかった。
 完全に失ったのであれば他の王族男子に新たな穢れが発生するらしい。ところが二人いる弟たちのどちらにも兆候は見られず、ならば精霊の恩恵はリヒトが受け続けていると判断されているようだ。

 周りは前例のない現象を解明しようと躍起になっていたが、リヒト本人は薄々と察していた。
 ウィンドルフ侯爵家の娘、アリーシェリナ。
 リヒトが彼女に執着しすぎたあまり"穢れ"が吸い込まれたのだと。

(僕のアリィ。必ず君を迎えに行くから待っていて)

 ウィンドルフ侯爵には何度も手紙を出した。
 アリーシェリナの具合を尋ね、会って話がしたいと訴えを送り続ける。
 だが侯爵から届く返事は決まって、まだ体調が回復していないから会わせられないというものだった。王族で、いずれ国王となることが定められているとは言え、立太子の儀も未だ行われていないリヒトに毎回同じ内容の言葉を変えて伝えるのはさぞ面倒だろう。

 それが侯爵なりの王家への忠義の証なのだとしても、一年経っても二年経っても同じ返事が届けばさすがに思うことがある。
 しかもアリーシェリナの容体がなかなか回復しないのはリヒトが原因なのだ。
 自分のせいだと思えば心配が募る一方で執着は増すばかりで、責任を取るという名目で手元に置くことも考えはじめた。

 まだ空席の婚約者の座を巡って貴族たちは争っている。そこにリヒトの一存でアリーシェリナを婚約者に据えようとしても、彼女の父親のウィンドルフ侯爵でさえ協力的ではない。何の後ろ盾もない王太子妃候補など攻撃の的にしてくれと言っているようなものだ。

(夜、幼い子供同士が一緒のベッドで眠るだけとはわけが違う)

 表向きは誰を信頼して味方につけるか。限られた時間で見極め、相応の見返りを用意して引き込んでおかなければならないだろう。
 まずはリヒトの婚約者候補として挙げられる年齢の娘がいない貴族のリストアップからだ。いかに甘い汁を約束されようとも王太子妃、ひいては未来の国母に勝る魅力はない。土壇場で裏切る可能性の高い、王太子妃選びの争いの渦中にいる貴族たちは論外だ。

 十二歳の子供が大人を真似て権謀術数に手を染めて行く。それは確かに、執着の対象を得る為に国を平定しようとする施政者の行動なのだと思った。


「殿下……お母君たるテレーズ王妃殿下が先程息を引き取られました」
「母上が?」

 ウィンドルフ領から戻り、三年が経過した頃だ。
 元々身体が弱く、ここ数年はベッドに伏せがちな母の訃報を宰相が告げた。

 母の下には数日前に訪れていたが、そこまで病状が悪化していたようには見えなかった。それとも、母親の死を受け入れたくはないリヒトの幼さが感覚を鈍らせているのか。自分でもよく分からない喪失感を覚える中で、ふいにある考えが頭をよぎった。

(――だったら)

 父の穢れは母に向けられ、母の為に国王となり、国を治めている。
 ならば、母が亡くなれば穢れはどこへ向かうというのか。

「どうなされました?」

 宰相は訃報を聞いて押し黙るリヒトに尋ねる。リヒトは「――いや」と短く答え、しかしすぐに自らの疑問を逆に投げかけた。

「母上が亡くなったのなら、父上の穢れはどうなる?」

 当たり前だが人はいずれ死ぬ。
 ならば、いつか必ず失ってしまう存在に執着している人間はそれを失えばどうなってしまうのか。同じことがアリーシェリナに執着しているリヒトにも言えた。

 もしもアリーシェリナが先に逝ってしまった時、リヒトは冷静でいられるのか。

(冷静でいるなんて無理に決まっている)

 考えるまでもない結論に人知れず自嘲気味の笑みが浮かぶ。
 腕の中で穏やかに眠るアリーシェリナの体温は、三年経った今でもリヒトの腕に残っている。それを取り戻せずに失うなど、あってはならない。
 宰相はリヒトの不安をどう捉えているのか、安心させるように言った。

「そのことでしたら陛下の穢れは即位前に完全に浄化されたことが確認されております。今、危惧されることはないかと」

 そうだろうか。
 先程から、ほんの微量だが辺りの空気に淀んだ魔力が混ざっている。リヒトには行き場を失くした父の"穢れ"に思えてならない。

「――それに」

 宰相は視線を下げた。つらそうな表情は初めて見る。無言でその先を促すと、過去を思い出すように遠くを見つめながら言葉を続けた。

「陛下はテレーズ様を唯一の伴侶にと決めた時から覚悟しておられました。何せテレーズ様ご自身が、身体の弱い自分では時期は分からずとも間違いなく早くに先立つことになると宣告されましたので」
「母上が?」
「はい。さらには長く添い遂げられないことを理由に王太子妃の座を辞そうとされましたが……陛下の穢れの対象はテレーズ様です。陛下の意思を揺らがせるにも至りませんでした」
「だろうね」

 リヒトには父の意思がどれだけ強固なものだったのか、手に取るように分かる。
 他のもので良いなら執着を抱かない。自分の意思は変わらない以上は周りを変えるしかなく、その為の最大の切り札が国家の安寧だ。そしてもちろん、執着に憑りつかれただけの王には然るべき制裁の手段もあった。

「仮に陛下の穢れが悪しき状態で残っていたとして、殿下も精霊の宝剣についてはご存知でしょう」

 まさにリヒトが思い至ったものの名が宰相の口から出た。
 幼い頃、他ならぬ宰相から聞いている。

 国王が穢れを払いきれずに再び引き寄せて悪政を敷くようになった時、四大精霊の魔力で造られた宝剣が次の国王の前に現れるという言い伝えが王家にのみ受け継がれて来ていた。そして前王から王の資格を失わせる為に、刃を心臓に突き立てて執着を断ち切るのだ。

「知ってはいる。だが、そんなものが本当にこの城にあるのか?」
「おそらくは」

 宰相は静かに頷き返す。

「でなければ穢れなどと滅びに繋がりかねない末恐ろしいものを抱えた国王を配したうえで、安寧たる国の存続はできますまい」

 要するに、最悪の事態を迎えた時は王族内でけじめをつけろということらしい。

 強大な加護の見返りがもたらす制限としては慈悲深いと思うべきなのか。
 リヒトは判別がつけられなかった。

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