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それからの日々
修道院にて
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「遥々とこんな辺境の修道院まで、ようこそおいで下さいました。ウィンドルフ領からの道中はさぞ大変でしたでしょう」
「私たちを慈悲深く迎えて下さり心から感謝致します、シスター・リンダ」
アリーシェリナの祖父とは旧友の間柄だというノルグリット侯爵夫人は、濃紺の修道服に身を包んだ品の良い老婦人だった。
自らをシスター・リンダと名乗るとアリーシェリナとゲオルグを柔らかな笑顔で出迎え、手近なソファーを勧めてくれた。
案内された早々にはしたないとは思ったけれど、何日にも渡る馬車旅で思った以上に体力を消耗している。お腹の子が心配だったこともあり、親切心に甘えさせてもらうことにした。お礼の言葉と共に会釈をし、まだ膨らんではいないお腹に手を添えてソファーに腰を降ろす。
「リナさんはお腹に新たな命を宿らせていると侯爵からお聞きしております。慣れない場所ではなかなか気も休ませにくいでしょうけれど、どうかお身体を大事になさってね」
ウィンドルフ侯爵家の遠い分家筋にあたるトレイル子爵家の娘リナは、決められた婚約者がいながらも想い合う人が別におり、結婚を前に子供を身籠ってしまった。
もちろんそんな状態では予定通りに結婚などできるはずもない。むしろ先方の申し出により破談となり、子爵はリナを勘当しかねないほど激怒した。そこで母親が夫人と親しくしているウィンドルフ侯爵家を頼ったところ、子供が産まれて落ち着くまで恋人のゲオルグと共に修道院に身を寄せることになった。
父がシスター・リンダに宛てて多額の寄付金を記した小切手と共に送った紹介状で、アリーシェリナの素性と経緯はそのように説明された。
トレイル家は現当主で血筋が絶えてしまいはするものの、実際にウィンドルフ侯爵家の分家筋に存在しているらしい。リナという娘はいないけれど身元の確認は取れるのだそうだ。
偽名は"アリィ"にはしなかった。
どうしたってリヒトを思い出してしまうし、何より、彼だけが呼んでくれる愛称だからだ。
そして、ゲオルグの意志も変えられなかった。
修道院に来たところでゲオルグには何のメリットもない。護衛を担っているアリーシェリナがいなくなっても引き続き別の契約を結び直すと父も進言した。
けれどゲオルグはアリーシェリナの護衛を続けることを譲らず、半月に一度は必ず状況を報告することを条件に雇い主である父が折れたのだった。
「お部屋の準備は終わっているから今すぐにでも案内はできるけれど、長旅でお疲れのところにようやく一息つけたばかりでしょうから、もう少し後の方が良いかしら」
「あと十分ほど、座って休ませていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんよ。私は退室するから二人で過ごすと良いわ。明日から離れてしまうものね」
部屋に移動したい時はテーブルの上のベルを鳴らすよう言い、シスター・リンダは年を重ねてもなお侯爵夫人らしい優雅な所作で立ち上がると場を後にした。
女性の多い修道院では基本的に男手が足りない。
故にゲオルグ本人はとても歓迎されはしたものの、やはり恋人同士であろうと規律を重んじる修道院内で男女が同じ部屋で寝泊まりするのは歓迎すべからざる状況のようだ。あくまでも表向きの間柄ではあるし、父からもそれとなく言っていたのかもしれない。
「移動お疲れ様でした、お嬢様」
応接室には他に誰もいなくともリナとは呼びにくいのか、ゲオルグは変わらずにそう呼んだ。おそらくは人前でも名を呼ぶことはないのではないか。何となくそんな意思表示にも思えた。
アリーシェリナも張り詰めていた肩の力をようやく抜いて息を吐く。
「ゲオルグさんもお疲れ様です。でも――今ならまだウィンドルフ領に戻られても」
ゲオルグはこの建物と同じ敷地にある別邸での生活になる。昼間は食堂など一部の場所で会うことはできるけれど、時間もかなり限られていた。
今まで以上にゲオルグの時間を無駄に費やさせるのは目に見えてあきらかだ。
「お嬢様と、これからお産まれになるお子様がこちらで暮らしている間は全力でお守り致します」
やんわりとウィンドルフ領への帰還を促すも、にべもなく断られた。
あと何年、この修道院の身を置かせてもらうのか決めていない。無事に産まれてくれて、ある程度成長するまでとなれば少なくとも三年はかかるだろう。
母からもゲオルグに説明や説得をしている。
にも拘わらず、二十三歳の自分には大して長い時間ではないからと譲らなかった。でも護衛をしてくれるようになってまだ一年ほどだ。それ以上の年月を修道院で過ごさせるにはもったいなく感じる年齢だった。騎士を続けたいのならアリーシェリナより相応しい主はたくさんいる。
「ゲオルグさんって……頑固ですよね」
「騎士として仕えたい主を見つけただけですよ。私は父親にはなれませんが、その代わりにいくらでもお嬢様方の盾にはなれます」
「――分かりました」
父や母ですら考えを変えさせることのできなかった相手をアリーシェリナが何とかできるはずもない。
思わず溜め息を吐きつつもゲオルグを見つめた。
「でも、ご自身の時間を今まで以上に大切にして下さい」
「畏まりました。ではそろそろ、お嬢様はお部屋でゆっくりとお休みとなられた方が良いでしょう」
アリーシェリナは頷き、シスター・リンダに言われたようにテーブルの上のベルを鳴らす。ほどなくしてシスター・リンダと、明るい茶色の髪を結い上げた女性がやって来た。
「ご紹介しましょう。リナさん、こちらはソフィアと申します。リナさんと年はそう変わりませんから、何か分からないことや気になることがありましたら気兼ねなくお尋ね下さい」
「ありがとうございます。初めましてソフィア様。私はア……リナ・トレイルと申します」
立ち上がって自己紹介をするも、ついアリーシェリナと名乗りそうになって慌てて言い直す。ソフィアと紹介された女性はにっこりと微笑んでみせた。
「初めまして、リナ様。私はソフィア・コルベルです。シスター・リンダから同じ年だと伺っていますし、ソフィアとお呼びいただいて構いませんわ」
「ありがとうございます、私もリナとお呼び下さい」
「では早速。リナ、あなたのお部屋に案内します。どうぞ後をついて来て」
「荷物をお持ちしたいところですが――」
ゲオルグが口を挟むとシスター・リンダは困ったような顔になった。
シスターたちの居住区にあたる場所だ。さすがにソフィアもいるとは言え、ゲオルグに足を踏み入れさせるのは躊躇いがあるのだろう。けれど身重のアリーシェリナに自分のものとは言え荷物を持って歩かせるのもどうかと思っているようだ。
「そんなに重い鞄ではありませんから自分で持てます。ありがとうゲオルグ――あなたも今日はゆっくり休んで旅の疲れを癒やしになって」
「長旅を終えられた妊婦さんに持たせるなんてとんでもない。私が持ちますから渡して下さい」
ソフィアがゲオルグに手を伸ばしてアリーシェリナの鞄を受け取る。
その頬がほんのりと赤く染まって見えた気がするのはアリーシェリナの罪悪感のせいなのか、良く分からなかった。
「私たちを慈悲深く迎えて下さり心から感謝致します、シスター・リンダ」
アリーシェリナの祖父とは旧友の間柄だというノルグリット侯爵夫人は、濃紺の修道服に身を包んだ品の良い老婦人だった。
自らをシスター・リンダと名乗るとアリーシェリナとゲオルグを柔らかな笑顔で出迎え、手近なソファーを勧めてくれた。
案内された早々にはしたないとは思ったけれど、何日にも渡る馬車旅で思った以上に体力を消耗している。お腹の子が心配だったこともあり、親切心に甘えさせてもらうことにした。お礼の言葉と共に会釈をし、まだ膨らんではいないお腹に手を添えてソファーに腰を降ろす。
「リナさんはお腹に新たな命を宿らせていると侯爵からお聞きしております。慣れない場所ではなかなか気も休ませにくいでしょうけれど、どうかお身体を大事になさってね」
ウィンドルフ侯爵家の遠い分家筋にあたるトレイル子爵家の娘リナは、決められた婚約者がいながらも想い合う人が別におり、結婚を前に子供を身籠ってしまった。
もちろんそんな状態では予定通りに結婚などできるはずもない。むしろ先方の申し出により破談となり、子爵はリナを勘当しかねないほど激怒した。そこで母親が夫人と親しくしているウィンドルフ侯爵家を頼ったところ、子供が産まれて落ち着くまで恋人のゲオルグと共に修道院に身を寄せることになった。
父がシスター・リンダに宛てて多額の寄付金を記した小切手と共に送った紹介状で、アリーシェリナの素性と経緯はそのように説明された。
トレイル家は現当主で血筋が絶えてしまいはするものの、実際にウィンドルフ侯爵家の分家筋に存在しているらしい。リナという娘はいないけれど身元の確認は取れるのだそうだ。
偽名は"アリィ"にはしなかった。
どうしたってリヒトを思い出してしまうし、何より、彼だけが呼んでくれる愛称だからだ。
そして、ゲオルグの意志も変えられなかった。
修道院に来たところでゲオルグには何のメリットもない。護衛を担っているアリーシェリナがいなくなっても引き続き別の契約を結び直すと父も進言した。
けれどゲオルグはアリーシェリナの護衛を続けることを譲らず、半月に一度は必ず状況を報告することを条件に雇い主である父が折れたのだった。
「お部屋の準備は終わっているから今すぐにでも案内はできるけれど、長旅でお疲れのところにようやく一息つけたばかりでしょうから、もう少し後の方が良いかしら」
「あと十分ほど、座って休ませていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんよ。私は退室するから二人で過ごすと良いわ。明日から離れてしまうものね」
部屋に移動したい時はテーブルの上のベルを鳴らすよう言い、シスター・リンダは年を重ねてもなお侯爵夫人らしい優雅な所作で立ち上がると場を後にした。
女性の多い修道院では基本的に男手が足りない。
故にゲオルグ本人はとても歓迎されはしたものの、やはり恋人同士であろうと規律を重んじる修道院内で男女が同じ部屋で寝泊まりするのは歓迎すべからざる状況のようだ。あくまでも表向きの間柄ではあるし、父からもそれとなく言っていたのかもしれない。
「移動お疲れ様でした、お嬢様」
応接室には他に誰もいなくともリナとは呼びにくいのか、ゲオルグは変わらずにそう呼んだ。おそらくは人前でも名を呼ぶことはないのではないか。何となくそんな意思表示にも思えた。
アリーシェリナも張り詰めていた肩の力をようやく抜いて息を吐く。
「ゲオルグさんもお疲れ様です。でも――今ならまだウィンドルフ領に戻られても」
ゲオルグはこの建物と同じ敷地にある別邸での生活になる。昼間は食堂など一部の場所で会うことはできるけれど、時間もかなり限られていた。
今まで以上にゲオルグの時間を無駄に費やさせるのは目に見えてあきらかだ。
「お嬢様と、これからお産まれになるお子様がこちらで暮らしている間は全力でお守り致します」
やんわりとウィンドルフ領への帰還を促すも、にべもなく断られた。
あと何年、この修道院の身を置かせてもらうのか決めていない。無事に産まれてくれて、ある程度成長するまでとなれば少なくとも三年はかかるだろう。
母からもゲオルグに説明や説得をしている。
にも拘わらず、二十三歳の自分には大して長い時間ではないからと譲らなかった。でも護衛をしてくれるようになってまだ一年ほどだ。それ以上の年月を修道院で過ごさせるにはもったいなく感じる年齢だった。騎士を続けたいのならアリーシェリナより相応しい主はたくさんいる。
「ゲオルグさんって……頑固ですよね」
「騎士として仕えたい主を見つけただけですよ。私は父親にはなれませんが、その代わりにいくらでもお嬢様方の盾にはなれます」
「――分かりました」
父や母ですら考えを変えさせることのできなかった相手をアリーシェリナが何とかできるはずもない。
思わず溜め息を吐きつつもゲオルグを見つめた。
「でも、ご自身の時間を今まで以上に大切にして下さい」
「畏まりました。ではそろそろ、お嬢様はお部屋でゆっくりとお休みとなられた方が良いでしょう」
アリーシェリナは頷き、シスター・リンダに言われたようにテーブルの上のベルを鳴らす。ほどなくしてシスター・リンダと、明るい茶色の髪を結い上げた女性がやって来た。
「ご紹介しましょう。リナさん、こちらはソフィアと申します。リナさんと年はそう変わりませんから、何か分からないことや気になることがありましたら気兼ねなくお尋ね下さい」
「ありがとうございます。初めましてソフィア様。私はア……リナ・トレイルと申します」
立ち上がって自己紹介をするも、ついアリーシェリナと名乗りそうになって慌てて言い直す。ソフィアと紹介された女性はにっこりと微笑んでみせた。
「初めまして、リナ様。私はソフィア・コルベルです。シスター・リンダから同じ年だと伺っていますし、ソフィアとお呼びいただいて構いませんわ」
「ありがとうございます、私もリナとお呼び下さい」
「では早速。リナ、あなたのお部屋に案内します。どうぞ後をついて来て」
「荷物をお持ちしたいところですが――」
ゲオルグが口を挟むとシスター・リンダは困ったような顔になった。
シスターたちの居住区にあたる場所だ。さすがにソフィアもいるとは言え、ゲオルグに足を踏み入れさせるのは躊躇いがあるのだろう。けれど身重のアリーシェリナに自分のものとは言え荷物を持って歩かせるのもどうかと思っているようだ。
「そんなに重い鞄ではありませんから自分で持てます。ありがとうゲオルグ――あなたも今日はゆっくり休んで旅の疲れを癒やしになって」
「長旅を終えられた妊婦さんに持たせるなんてとんでもない。私が持ちますから渡して下さい」
ソフィアがゲオルグに手を伸ばしてアリーシェリナの鞄を受け取る。
その頬がほんのりと赤く染まって見えた気がするのはアリーシェリナの罪悪感のせいなのか、良く分からなかった。
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